最強の男 |
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新年にふさわしい、うららかな陽が射している。 ここ新選組屯所の庭に、賑やかにしてのどかな声がこだましていた。 「行け、左之!」 「負けるな、平助〜」 木刀を持って向かい合っているのは、原田左之助と藤堂平助だ。 二人とも、にやにやと笑いながら、目だけは結構真剣だった。 はやし立てながら見ているのは、永倉新八と沖田総司。 そして、源さんこと井上源三郎は、なぜか口の周りに丸く墨を塗られて、にこにこしている。 みな、江戸の試衛館時代からの仲間たちだった。 試衛館にいた頃、新年になると、最強の男決定戦と称する稽古試合を行うのが、恒例となっていた。 今からやってみないかと原田が言い出し、思わずみなが乗った。 源さんが、いそいそと墨や筆まで用意した。 試合は、適当な順での勝ち抜き戦。負けた者は、墨で顔にいたずら書きされ、次の者と交替になる。 ただし、後でまた挑戦することもできる。文字通り、みなが「最強」と認めるまで、試合は続けられるのだ。 もっとも、その度に顔の墨が増える者も出るが。 さっそく墨の犠牲になったのは、案の定、源さん本人だった。 そして今、源さんを破った原田に、藤堂が挑戦している。 「手加減なしでいいんですよね、左之さん」 「あったりめえだ!って、そりぁ俺のセリフだろうがよ」 原田が、喧嘩っ早い口調でまくしたてた。 「もらったぜ、平助!」 原田は、大上段に木刀を構えると、荒っぽく打ち込んで行った。が、軽く藤堂にかわされる。 そのまま、機敏な動きで、藤堂は原田の腕を狙った。 やぁっ、と言う掛け声と共に、見事に小手が決まった。 「一本! 平助の勝ち〜!」 永倉が大声で宣言した。あっと言う間の鮮やかな勝利だった。 藤堂が、満足そうな顔で木刀を収める。 「いてて・・・、だいたい、槍が得意の俺には不利じゃねえか」 しかめっ面で腕をさする原田に、 「うだうだ言うな。さっさと代われ、左之。いや、その前に・・・」 永倉が、にやりと笑った。 「平助、左之に墨塗れ」 藤堂はにこにこしながら、筆にたっぷり墨を含ませる。 「じゃあ、左之さん、お腹出して」 原田がぷちぷち文句を言いながら、着物の前をはだける。 なぜか、毎回原田だけは、顔ではなくお腹に落書きされることになっていた。 試衛館に居候する前、原田は一度、切腹騒ぎを起こしている。 命は取り留めたものの、原田の腹部には、その時の刀傷が派手に一本走っており、本人もそれを自慢にしていた。 その傷を利用して、墨で可笑しな顔を描くのも、また恒例だった。 「ちっくしょう〜〜、今年も俺様の自慢の傷が、笑いものになっちまったか」 「ははは・・・、左之さん、腹踊りも見せて下さいよ〜」 総司が楽しそうな笑い声をあげた。 「総司、てめぇ、笑いすぎだ。覚悟しとけよ、後で相手になってやる」 「え〜、いいのかなぁ、お腹真っ黒になっちゃいますよ〜」 総司に掴みかかろうとする原田を押さえながら、またみな大笑いとなる。 悔しがる原田をなだめていた源さんが、ふと思い出したように、 「おっと、いけない。そろそろ局長にお茶を持っていかなくちゃ」 と慌てて、墨を総司に手渡した。 「悪いね、みんな」 「あれぇ、源さん、行っちゃうの?」 にこにこと片手を振って立、両方とも負けだ、負け!」 えっ、と総司が驚く。 「また、そんな無茶苦茶言って・・・」 「うるせぇ、総司、こっちこい」 土方は、むんずと総司を捕まえると、墨と筆を持った藤堂の方へ近寄った。 「え、何を・・・わわ、ちょっと、やめて下さいよ、土方さん」 何をされているかは、明らかだ。 その様子を見て、斎藤はじりじりと後ずさろうとした。 が、とたんに鋭い声が飛んだ。 「斎藤、逃げるんじゃねえ!」 ぴたっと、斎藤の足が止まる。 「いいかぁ、そこから一歩たりとも動くんじゃねえぞ。副長命令だ」 「う・・・」 蛇ににらまれた蛙の如く、とはこのことか。 どんな敵であろうと、怖いものなしのはずの斎藤が、顔を強張らせたまま、その場に釘付けとなった。 ***** 「やれやれ、やけに満足そうだったなあ、土方さん」 原田がぼやいた。 「溜飲が下がったって顔でしたよね」 口ひげを目一杯描かれた総司が頷く。額や頬に派手にしわを描かれた斎藤は、むっとした顔のまま、黙っている。 ――おめえら、揃いも揃って、男ぶりが上がったじゃねえか、ははは・・・ そう腹をゆすって笑うと、ようやく土方は引き上げたのだった。 後には、ぼーぜんとした5人が残された。 「もしかして・・・知ってたんじゃないかなあ、土方さん。ほら、あのこと」 藤堂が、不安そうな声を出した。 永倉も、ぎょっとして目をむいた。 「ま、まさか、昨日のあれ、か?」 「げっ、嘘だろ〜」 原田も、げんなりした顔になった。 そう、昨晩のことである。 今日と同じ5人が、顔を揃えていた。 誰が言い出したのだったか、福笑いをしようと言うことになった。 酒が入っていたせいもあり、みんな他愛ないことをしてみたくなったのだろう。 よせばいいのに、原田が、 「せっかくだから、副長の顔でやろうぜ」 と、言い出した。 「鬼の副長の顔で福笑い、か。そりゃいい」 絵の上手い永倉が、さっそく土方の似顔絵を書いて、福笑いのもとを作った。 こうなると、みんな乗らざるを得ない。 わざとひどい顔になるように、上だ、下だ、やれ右だと、目隠しした者を面白がって誘導した。 「そう言えば、みんなひどいことも言ってましたねえ。顔の造作なんぞこうなりゃ一緒だ、とか、色男も逆さまになればおかめだ、とか」 総司が、他人事のように笑った。 「確かに、メチャクチャな顔にしてたしなあ」 永倉が頷く。 「斎藤のが一番ひどい顔だったよな」 原田の言葉に、斎藤が慌てる。 「あれは・・・、酔っていたからだ」 「一さん、みんな酔ってたってば。一緒、一緒」 藤堂が、したり顔で斎藤の肩を叩く。 「いや、その・・・目隠ししていたんだ。おまえたちが言う通りに置いただけだ」 斎藤は、必死に言い訳した。虚しい努力に思えたが。 「まあ、いいけどね。一さん、けっこう強気なことも言ってたよ」 「おお、そうだ、『顔の良し悪しなんぞ、剣の上では何の役にも立たん』って、息巻いてたっけな」 藤堂と原田の言葉に、斎藤の顔が、さぁっと蒼ざめる。 「まさか、そんなこと・・・」 救いを求めるように永倉を見ると、その通りとばかり、うんと大きくひとつ頷かれた。 「・・・酔って・・・いたんだ」 「でしょうねえ。いつもは無口な斎藤さんが、酔うと言わなくていいことまで言うって、みんな面白がって飲ませたから」 総司が、可笑しくてたまらないと言うように、くくっと笑った。 「な・・・、何だと」 斎藤は絶句した。 「まずいよなあ、あれ聞かれていたら。土方さん、一番気にしてるからなあ」 「そうそう、顔だけは役者みたいだけどって、陰口叩かれてるもんな」 追い討ちをかけるような原田と永倉に向かって、斉藤は言いたかった。 何で自分が・・・と。 いつのまにか、一番まずい立場に立たされているのではないか。なぜ? 「たぶん、間違いなく聞いていますよ、土方さんのことだから」 総司が、けろっとした声で言った。 「ほ、本当なのか・・・」 冗談だと言ってほしい斎藤に、総司はにこっと笑いかけた。 「土方さんてね、すごい地獄耳なんですよ。私、子供の頃から知ってますもん」 「あ、だからてめえ、やけに大人しくしてたんだな」 しれっとする総司を、原田が殴る真似をした。 「あはは、やめて下さいよ、左之さんだって言ってたじゃないですか。土方さんは執念深いって」 地獄耳、執念深い・・・ 怖ろしい言葉が、斎藤の頭の中でぐるぐる回った。 これから先、さらに厄介な仕事を任される羽目になるかもしれない。 無邪気に笑う総司を、斎藤は初めて恨めしく思った。 ***** 「おやぁ、みんな、どうしたんだい。もうおしまいかい」 のんびりとした声が聞こえた。源さんが戻ってきたところだった。 顔の墨は、しっかり落としてあった。 「そう言えば、副長が今日の夜番は、原田・永倉組も加えると言ってたよ」 やられた〜、と原田は天を仰いだ。永倉はため息をついてうな垂れた。 当分、夜番が増えるかもしれない。 「総司と平助、それに斎藤くんは、屯所内の大掃除をやれってさ。暮れにできてなかったからって」 「え、まさか3人だけで?」 藤堂が、情けない声を出した。 「若いもんは、体力が有り余っているだろうってね」 総司の顔からも、先ほどまでの笑いが掻き消えた。 「寒いしなあ、水仕事は堪えますよ。まいったなあ」 斎藤は、何も言わず顔をしかめた。 男所帯だ、どこもかしこもひどい有様なのはわかっている。 掃除するのも、並大抵の労働ではない。 今日何度目かの「何で自分が・・・」と言う声が、頭の中でこだました。 「副長、新年早々張り切っているねえ。みんなも協力しなきゃなあ」 源さんは、人の良さそうな笑みを浮かべたまま、 「ところで、誰が最強の男になったんだい」 と、みんなの顔を見渡した。 5人は、互いの顔を見比べた。やけにみじめな気分になっているのが悔しい。 「そりゃ、もちろん・・・」 藤堂がぼそっと言った。 「そんなもん、最初っから決まってんじゃねえか」 原田が投げやりな調子で続けると、次の声は、一斉に揃った。 「鬼の副長!」 みんなの声に唱和するように、壬生寺の鐘の音がごぉ〜〜んと鳴った。 のどかにして最悪な新年の宵が近づいていた。 |
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