想いあふれて

                                             (大和千華さん 作)




慶応四年春。四月上旬のある夜のこと。
斎藤一は、江戸千駄ヶ谷の植木屋の離れに病の身を養っている沖田総司を見舞った。
実は三日前に、彼らの盟主である近藤勇が下総流山で官軍に投降していたのだが、病床にある沖田はむろんそのことを知らない。
近藤の助命に奔走している土方歳三に代わって、新選組結党以来の幹部である斎藤が、新しく組織された隊士たちを率いて会津に向かうことになった。
身辺整理を兼ねて江戸に入った斎藤は、出立の前に、思い立って沖田の隠れ家を訪ねたのである。

◇◆◇

俺が部屋に入っていくと、臥せっていた沖田総司は、一瞬きょとんとした顔で俺の出で立ちを眺め、それからうっすらと微笑した。
「斎藤さん! 久しぶりですねえ。相変わらずでかいなあ」
京都の頃と変わらない翳のない笑顔。
だが、眼窩が落ちくぼみ、頬が削げた顔には、透明な笑顔がかえって痛々しかった。
「沖田くんも、元気そうじゃないか」
「そうでしょう? ここのおかみさんの料理が美味くてね。つい食べ過ぎてしまうんですよ」
沖田の声はどこまでも屈託がなかったが、言葉とは裏腹に、実際にはほとんど何も口にしていないのだろう。蒲団の上に出ている骨と皮ばかりになった腕が、それを物語っている。
予想はしていたが、かつては俺と並んで新選組の双璧と恐れられた男が、見る影もなくやつれ果て、痩せた病躯を横たえているのは、見るに忍びなかった。
(これが、本当にあの総司なのか……)
悪い夢ならいい。
鳥羽伏見の地獄のような戦場も、甲州勝沼での敗走も、流山で近藤さんが官軍に捕えられたことも、大勢の仲間の死も、沖田の病も、何もかも。
この数ヶ月の現実が、すべて夢ならいいのに。
「今日はどうしたんですか? その格好、えらく重装備ですね」
いつの間にか、上半身を起こした沖田が、真剣なまなざしでこちらを見つめている。
「どこか遠くへ行くんですか?」
――これ以上、私を置いてきぼりにしないで下さい。
そんな声が聞こえたような気がして、俺は思わず沖田から目をそらしていた。
「会津へ、な。行くことになった」
「会津?」
「うん。江戸も下総も、もうだめだ。土方さんは、奥羽諸藩をまとめて、最後まで薩長に抵抗するつもりだ。それに会津公は、俺たち新選組にとっちゃ親みたいなもんだからな」
「近藤先生も、土方さんも、会津に行かれるんですね」
「ああ」
少しだけ……。語尾が震えた。
俺らしくもない。こんなことで動揺してどうする。沖田はまだ、近藤先生が薩長の手に落ちたことを知らないのだ。
「総司も、早く元気になって会津に来いよ」
「そうですね」
顔では頷きながら、だが沖田の眼は、どこか遠くを見ているようだった。澄んだ双眸に映っているのは、目の前の俺よりずっと後ろの、遠い会津の空か、あるいはもっと遥かな場所なのか――。
「会津では、今はまだ雪が残っているでしょうね。一さんが向こうに着く頃には、ちょうど桜が咲いているかもしれない」
――いいなあ、と、沖田は少年のような表情で笑った。
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