凌霄花 −のうぜんかずら−



(何やってんだ、あいつは?)

出先から戻った土方歳三は、屯所へ入ろうとして、ふと足を止めた。
そろそろ夕暮れも迫ろうかと言う頃ではあるものの、夏の陽射しはまだ、じりじりと地を焼くようだった。
そんな中、屯所の少し先の辻に、ぼんやり佇む男がいた。
男の目の前には、緑を茂らせた大きな樹があり、橙色(だいだいいろ)の花をたくさんつけている。
背の高い後姿を包むように、咲きこぼれている橙色の花。
それはまるで、これから訪れようとしている夕焼けの先触れの鮮やかな焔のように、土方には見えた。


美しい、だが・・・土方は、かすかに眉をひそめた。
その焔の中に取り込まれるような後姿が、花と一緒に燃え落ちてしまうのではないかと、わけもなく不吉な思いに捕らわれてしまったのだ。
土方は、そんな妄想を振り払うように、わざと乱暴に声をかけた。



「おい、総司、何してるんだ」
はっと、一瞬息を呑んだ後、沖田総司が振り向く。
まるで、夢から醒めたばかりだとでも言うように、ぱちぱちと瞬きする顔が、やけに子供っぽく見える。
「ああ、なんだ土方さんか。脅かさないで下さいよ」
心なしか、口調もぼんやりと気の抜けたように聞こえた。
「なんだ、じゃないだろうが。おまえ、熱は下がったのか」
土方は、殊更厳しい声を出した。


池田屋で倒れて以来、総司にはしばらく養生するように、口酸っぱく言っているのだが、一向に聞こうとしない。
ただの疲れだとか、暑気あたりだとか、風邪をひいただとか、そのたび違うことを笑いながら、だが頑固に言い張る総司に、さすがの土方も手を焼いていた。
それでも、数日前から熱があると知り、強引に医者に行かせ、絶対に勤務にも稽古にも出るなと、固く言い聞かせていたのだ。
どうやら、医者には行ったらしいので、ほっとしたところだった。
なのに、こうしてまたぞろ抜け出しては、暑い中に佇んでいたりする。
まったくしょうのない奴だ、と土方は心の中で舌打ちした。


土方のお小言など、どこ吹く風と聞き流し、総司はいつもの如く、呑気な笑顔を見せた。
「大丈夫ですよ。こんな暑い中、布団に入っていたら、なおさら熱が上がる」
「それを我慢して、熱を出し切ってこそ治るってもんだ。まったくおまえは
いつまでたっても、子供と一緒だな」
土方のしかめっ面を見遣り、総司は、やれやれと言うように首をすくめた。
「あはは・・・、それなら土方さんに叱られる方が、よっぽど熱が出て治りそうだ」
「ばかやろう!」
土方は、総司の頭を軽く小突いた。

「まだ陽射しも強いってのに、ぼーっと突っ立ってんじゃねえよ」
土方の言葉に、総司は思い出したように、花に視線を戻した。
わずかに目を細め、しばし見惚れてから、
「・・・花を、見てたんですよ」
心ここにあらず、とでも言うように、ぽつりとつぶやく。
どこか、いつもの総司と違うように感じ、土方は、口まで出かかった叱責を呑み込んだ。

「ほら、なんだか静かに燃えているような色でしょ?」
じっと、花をみつめたままだ。
一瞬、戸惑った後、土方はわざと苦々しげな口調で言った。
「ああ、見ているだけで暑くなる」
そんな土方におかまいなしに、
「燃えるように咲いて、咲くだけ咲いたら、、潔く燃え落ちてしまう。それって・・・」
総司は、わずかに言いよどんだ後、
「ちょっと、うらやましいなあ」
ほぅっと、小さくため息をもらした。


先ほどの不吉な思いが蘇り、土方はそれを振り払うように、
「おまえらしくもないな」
不機嫌そうな声を、ぼそりと漏らした。総司が、きょとんと振り返る。
「そうですか?」
土方は、ふんと鼻を鳴らした。
「おまえは、のほほんとしてるのが似合ってるよ」
総司は、苦笑した。
「ひどい言い様だな。そりゃ、試衛館にいた時はね。今は事情が違いますから」
「人間、そうそう変わりゃしねえさ」


変わってほしくないんだ、おまえには、と心の声がした。
そうだ、変わってほしくない。せめて総司だけは・・・
いつのまにか、引き返せない修羅の道を歩き始めている。
それは自分も総司も同じなのだと、充分にわかっている。
わかっていてなお、変わってほしくないと思うのは、きっと自分の我がままなのだろう。


いや、もしかしたら怖れているのかもしれない。
天真爛漫だった総司が、鬼神の如く剣を振るい、容赦なく人を斬る。
体調を崩すようになったのも、池田屋で倒れたのも、すべてその報いなのではないか。
目に見えない翳が、なぜか総司だけを取り込もうとしているように思えた。
今までの、まっさらな明るさを塗りつぶすべく・・・
これ以上変わったら、総司は戻れなくなってしまうのではないか。
戻れない? いったいどこへ?


そんな堂々巡りのような、とりとめない妄想に、時折捕らわれる自分にも、土方は気づいていた。
厄介な・・・、と苦笑する。
総司のこととなると、いつもこれだ。自分らしくもなく、やたらと心配してしまう。
わかっている、妄想なら振り払えばいい。
総司は、きっと大丈夫だ。今までだって、ひょうひょうとしながら、何事もしぶとく乗り越えてきているのだから。
そう強く自分に言い聞かせて、土方は目の前の花に視線を移した。



「しかし、こんな花、初めて見たな」
「そうですか。けっこう、あちこちに咲いてますよ。こっちに来てから、土方さんは花なんて目に入ってないんでしょうね」
そう言うと、総司はいたずらっぽく
「だから、そんな仏頂面になるんですよ」
土方は、もう一度、総司の頭を小突いた。小憎らしいことに、ほぼその通りだ。
「大きなお世話だ」
総司は、いたた、と頭をさすると、気を取り直したように、橙色の花に、ふわりと穏やかな笑顔を向けた。


「のうぜんかずら・・・って言うんですよ、この花」
その口調に混じる、しみじみした響きが、やけに耳に残った。
土方は、いささか戸惑いながらも
「ふん、ややこしい名前をよく知ってやがる」
皮肉っぽく言った。
総司は、小さく笑うと
「風流な名前と言って下さいよ」
群れ咲く花のひとつに、そっと手を伸ばした。



折からの夕映えに照らされ、同じ色合いの花の群れも、その下に佇む総司も、やわらかな焔に包まれるように見えた。
燃え尽きた花が、足元にいくつも落ちている。
焔がかもし出す陽炎に、総司の横顔も揺らめいて見える。
儚げに、ゆらり、ゆらり・・・


だめだ、そのまま、その花と一緒に燃え落ちてしまっては!


突然、襲ってきた幻影に、土方は狼狽した。
思わず、ぐっとこぶしを握り締める。
まばたきの間に、幻は掻き消え、土方は我に返った。
ただのどかな顔で花を見上げる、いつも通りの総司が、夕映えの中にいた。

今のは、いったい何だったんだ。
ほんの一瞬、自分は何を見ていたのか。
土方は、不可解さの名残を振り払うように、ぶるっと首を振った。
疲れているのは、自分の方かもしれない。
土方は、平然を装い、わざと無愛想に言い返した。


「おまえから風流とはなあ」
「だって、それっぽい名前だと思いませんか、のうぜんかずらって」
「どうせ、誰かに聞いたんだろうが。おっ、もしかして女か」
土方は、冗談めかした口調になった。もちろん、冗談そのもののつもりだった。
ところが・・・
はっと、動揺したような総司の顔が、いきなりこちらを向いた。
えっ、と仰天したのは土方の方だった。

「おい、まさか・・・図星かぁ?」
「な、何言ってんですか。そんな・・・」
慌てて口ごもる総司を、土方は半ばあきれ顔でみつめた。
「本当に女のことを思い出して、ぼーっと花を眺めていたのか」
「ち、違いますったら!勘ぐらないで下さいよ」
総司がむきになるのは珍しい。あやしいことこの上ない。
ふふんと、いささか意地悪な笑みを浮かべ、土方は鷹揚な口調でとりなした。
「いや、いいさ、めでたい。ようやくおまえも並の男になったか」

総司は、うんざりしたように、
「だからぁ・・・、もういいじゃないですか。なんでそんな鬼の首取ったような顔するかなあ。花の名前くらいで」
そう言って、うらめしげなまなざしを土方に向ける。
すねた子供のような顔に、土方は思わず笑いをもらした。


なるほど、あんなに熱心に花を眺めていたのは、誰ぞの面影を重ねていたからか。
だとしたら、変に気にしていた自分が、ばかみたいだ。
土方は、少し安心した。
総司にも、ようやくそんな相手ができたのか。
いや、奥手な総司のことだから、ただの淡い憧れかもしれない。
それでもいいではないか。
思い人ができたせいで、いつもと違う様子を見せるようになった。
そう考えれば、先ほどの不吉な幻影が、仄かに明るいものへと変わるような気がした。


燃えるようなのうぜんかずらの花。
総司は、きっとその焔に、己の心の熱を重ねていただけかもしれない。
そうだ、決して別の・・・運命とか命とか言うような、重苦しいものではない。
こいつは、まだまだ若く、子供みたいに純情なのだから。
土方は、自分に言い聞かすように、小さく頷いた。



「ほら、帰りますよ、土方さん。そろそろ暗くなってくる」
総司は、ほんの少し怒ったような声で土方を促すと、花に背を向けて、すたすたと歩き出した。
土方も、その後ろから歩を進める。
「頑張れよ、総司」
からかうような土方の口調に、
「頑張りませんよ、何を頑張るんです?!」
まだむきになっている総司の様子が、やけに可愛く思えた。


(おまえの恋を、応援してやれるといいのだがな)
土方の胸に、わずかに苦いものがこみ上げた。
新選組と言う旗印は、これからますます重く厳しいものになるだろう。
ごく普通の暮らしなど、望めないほどに。
それを思うと、総司の思いをも、手放しに喜んでいいのか、わからなくなる。
総司が傷つく前に、こちらで手を打つことも、考えなくてはならない時が来るかもしれない。
それでも、せめて今は、淡く空を染めていく夕映えのような思いを、総司が大切に育んでくれたらと願う。
たとえ、ひとときでも・・・

(まったく勝手だな、俺も)
土方の頬に、自嘲めいた笑みが浮かぶ。
総司は、もう子供ではないと言うのに、いつまでたっても、おせっかいを焼いたり、そうかと思うと、厳しくしたりする。
そうさせてしまうあいつこそが、不思議なのか。



「あ、一番星ですよ、土方さん。あそこ、見えますか」
無邪気な声につられて、顔を上げる。
薄闇をまとい始めた空に、清らかな光を投げかける星が、目に入った。
あんなささやかな光でも、見た人の心を明るくしてくれる。
明日を信じるための、小さな希望になる。

(おまえはいつだって、そういう光をみつけるのが上手かったよな)
ふと、土方の胸に、温かいものが流れ込んできた。
総司は、大丈夫だ。何があっても、変わらず前を向いている。
そうだったのか、と土方は心の中でつぶやいた。
総司を心配して、あれこれ考えた挙句、いつもそこに行き着く。
その度に、自分こそが救われているのだと、土方は気づいた。


「きれいなもんだな」
「ええ、ほんとに」
消えかかる夕焼けの色の中に、二人の影が長く伸びている。
それを見送るように、後ろの辻で、のうぜんかずらの花が、さやと揺れた。


            
 <完>