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歴史小説の面白いところは、作家さんによって、それぞれ違う人物像が出来上がることかもしれません。 これは、むしろ書く側の人の醍醐味かな。 自分が書きたい人物を、いろいろと調べた上で、自分だけのキャラクターとして作り上げる。当然、歴史の流れも、微妙に違ってくるでしょう。 100人の歴史作家がいれば、100通りの歴史ができる、これはなんとも面白そうではありませんか(笑) いったん興味をを持つと、しばらくはまってしまう傾向のある私(^^; 興味ある時代や人物が出てくると、その関連の小説や資料などを読み漁ったりすることが、よくあります。 どんなふうに書かれているかを、あれこれ読み比べるのも楽しいのです。 最近読み終えたのが、浅田次郎さんの「輪違屋糸里(わちがいやいとさと)」と言う本でした。 新選組をテーマにした小説です。と言っても、主な視点は、新選組隊士たちに係わった女性たちの側からのもの。 新選組が結成して間もない頃、まだ壬生浪士組と呼ばれていた頃の最大の事件とも言うべき、芹澤鴨の一派の暗殺に至るまでのお話になっています。 輪違屋は、島原と呼ばれる京の花街にある置屋さんの名前。そして糸里は、その輪違屋の芸妓の名前です。 揚屋と呼ばれるお店から、お客さんの依頼状が届くと、芸妓はその揚屋まで出向き、舞いや唄、三味線や琴などの芸を披露してお客をもてなします。 芸妓の最高位は太夫(島原では、「こったい」と呼ぶそうです)、その下が天神。糸里は、天神です。 物語は、この糸里が姉のように慕っていた音羽太夫が、壬生浪士組局長の芹澤鴨に無礼打ちにされ、命を落とすところから始まります。 この手の小説には珍しく、様々な女性が登場します。 糸里と同じように、島原の天神である吉栄、芹澤の愛人となるお梅、浪士組の屯所となる八木家の女房おまさ、同じく前川家の女房お勝。 立場も性格も違う女性たちの視線で、浪士組の隊士たちが語られます。 この女性たちが、それぞれいいんです。 男の弱さやずるさを目の当たりにしても、その力になろうとする糸里。 無骨な男の優しさを、一途に愛し続ける吉栄。 世間の噂や言動の外面ではなく、我が身に感じられる男の孤独や哀しさを信じ始めるお梅。 最初は厄介者と思っていた隊士たちを、いつのまにか母親のように案ずるようになるお勝やおまさ。 どの女性も、実にしっかりしている。そして包容力があります。 一般的に芹澤鴨の暗殺は、京の町中での芹澤のあまりの暴挙に業を煮やした近藤勇の一派が、このままでは浪士組そのものが、後見となる会津藩に見放されてしまうことを恐れ、暗殺に至った、と言うものでした。 芹澤一派が、京のあちこちの店に押し入っては、金を出させていたり、ついには言うことを聞かなかった大和屋と言う糸問屋に火をつけたりと、問題を起こし続けます。 芹澤の酒癖の悪さも有名で、とにかく芹澤=悪役として書かれているのが常でした。 なので、それを成敗した近藤一派は、たとえ暗殺と言う手口であっても、まあ致し方ないと見られることが多かったのでしょう。 ところが、浅田氏はこの芹澤悪人説を、ものの見事にひっくり返します。 店に脅しをかけての金策も、大和屋の焼き討ちも、「ああ、こういう事情があったのか」と思わず納得させる設定。 当然、それと同時に、芹澤の人間性も逆転するわけです。 そうなると、ではなぜ近藤一派は、芹澤を暗殺しなければならなかったか。それを決行する側の人間の複雑な心理も描かれて行きます。 歴史と言うものには、もしかしたら正解はないのかもしれない。 いえ、正解を知っているのは、その時代に生き、その出来事を体験した本人たちだけなのでしょう。その本人たちですら、わかっていない事実だってあったかもしれないし。 後世の人間が、残された幾ばくかの資料を基にして考えたところで、あくまでもそれは想像の域を出ない。 けれど、だからこそ、自分なりの仮説をたて、自分なりの人物像を作り上げることができる、そこが歴史の面白さなのだと思うのです。 様々な資料を読み解き、柔軟な想像力を活かし、それまでの諸説をひっくり返すような説を考えついたとしたら、それはなんて痛快なことでしょう。 浅田氏の「輪違屋糸里」は、まさにそういう小説だと思います。 この本の帯に書かれた言葉は「新選組最大のミステリー、芹澤暗殺」。 そう、これは浅田氏の打ち出した、芹澤暗殺に対する推理なのですね。 その意味では、とても興味深かったですし、女性たちの視点での話の進み方も新鮮で、楽しんで読むことができました。 まあ、難を言えば、芹澤派を擁護した分、ちょっと近藤派は辛い評価になっているかも(^^; 特に、土方歳三の書かれかた、これはどうなんでしょう。 少なくとも土方ファンは、あまり嬉しくないかもしれないなあ、と、いささか心配になったりしています、余計なお世話でしょうけど(笑) 私としても、この小説での土方像は、いまいち納得いかない。と言うか、よく掴めなかったのです。 私の読みが足りないせいかもしれませんが、ここでの土方の言動は「なんだか違う」感じがしてなりませんでした。 一部、語り部として登場する沖田総司に関しては、納得いかない部分と、なるほどこういう心境だったのかもと思える部分とがありました(^^; 贔屓する人物であればあるほど、自分の中のイメージとの食い違いが気になるわけですから、これは仕方ないですね(笑) いずれにしても、歴史の真実は過去の闇の中です。 ああだったかもしれない、いや、本当はこうだったのだろう、とあれこれ想像を募らせることは楽しいですし、まったく逆の視点から見ることも、刺激的ではあります。 興味を持った時代を書いた小説を、あれこれ読んでみると、自分の中でも新たな発見があったりする。 歴史小説は、やっぱり面白いのです! 平成19年4月1日 |
涼 |