Message for you


師走12月・・・

なんとなくあわただしい季節となってきました。
クリスマス、冬休み、大晦日、お正月と続くこの暮れの時期・・・ 実は私はちょっと苦手だったりします。
仕事柄忙しくて浮かれた気分になれないと言うせいもありますが、周りがやけに賑やかなせわしなさに包まれて、活気づいて見えたりすると、自分だけ取り残されたような気分になるからかもしれません。まあそれは置いといて・・・(笑)

たしか12月3日は、中大兄皇子の命日と記憶しています。
奇しくもこの日、三国志に登場する呉の武将、周瑜の命日とも言われています。
飛鳥時代、そして三国志の中でもこのふたりは私にとってそれぞれ興味深い人物です。
王座にある者より、その下で実際に動く人物の方が魅力的に思えたりして・・・ もっともこのタイプには二通りあるかもしれませんね。王座の者を誠心誠意補佐するタイプと、いつか自分がと狙っている野心家タイプ・・・
どちらも切れ者と言うイメージは共通。周瑜は前者のタイプ、そして中大兄皇子はあきらかに後者のタイプでしょう。

中大兄皇子・・・ 天智天皇と言う呼び名より、なぜか私には中大兄皇子の方がしっくり来ます。天皇になった時期が遅かったせいもあるかもしれませんが。
どうもダーティなイメージが強いせいか、小説等でも悪者っぽく描かれてしまう中大兄皇子。自らがいつか王座につくために、政敵とされる相手を次々と策略に掛けて行った冷酷な人物なのか、それとも国のためを思い、国をひとつにまとめるために敢えて辛い刃をふるったのか・・・解釈は人それぞれです。が、どちらにしても、常に薄氷を踏むような危うさと厳しさを感じさせる人物だと思います。

周瑜公瑾・・・ 幼なじみであり、無二の親友でもあった呉の君主孫策に、そして孫策亡き後は弟である孫権に誠意を持って仕えます。美周郎と呼ばれ、武勇にも知略にも優れたこの武将は、臣下としての道を全うして若い命を病に散らします。三国志演義では孔明をライバル視して、そのために翻弄されたりと、少々損な描かれ方をしている周瑜ですが、それはあくまでもフィクション。正史ではそのような記述はなく、とにかく呉が誇る麗しくも優れた武将であったと思われます。きっと民衆にも人気があったのではないでしょうか。しかも短命・・・ そのあたりが女性ファンが惹きつけられる所以かな(笑)

などとふたりの魅力的な人物に思いを馳せているうちにも、どんどん年は押し詰まり、周りも自分の心境もあわただしくなって行くのでしょう(^^;  でも時々はそんな師走の気配と無縁な世界に浸るのも・・・いいですよね(笑)

みなさんもどうぞよい年末を!


2001年12月1日
                                                        



トップ アイコン
トップ