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先月下旬、とある新聞記事が目に留まりました。 詩人、谷川俊太郎さんが喜寿を迎え、長編詩集『トロムソコラージュ』を出版されたと言うものでした。 私は、自分が詩もどきのものを書きながら、プロの詩人さんの詩集と言うものをほとんど持っていないし、詩自体もあまり知りません。 かろうじて記憶にあるのは、学生時代に教科書に出ていたものとか、そのきっかけで興味を持った数編の詩くらい。 現代の詩人さんに関しては、お恥ずかしい話、まず読んでいないのです(^^; どうも、詩集を読むよりは、ミステリーか歴史小説を読みたいと思ってしまう。 そんな私ですが、谷川さんのお名前はさすがに知っていましたので、思わず記事に読みふけりました。 『トロムソコラージュ』は、小説的なものが苦手だったとおっしゃる谷川さんが、初めて詩と物語との融合を模索した長編詩集、と記事に書かれていました。 けれど、私が驚いたのは、その後に書かれていた谷川さんご自身についてでした。 「自身には母に愛されて育った恵まれた生い立ちに、ずっと引け目があった」とあり、「他人の不幸に対し、自分にはそういう体験がない、感覚が及ばない、と言う後ろめたさが始終一貫ある」とも・・・ 自分に語るべきつらい物語がないことが「とにかく他人を楽しませる」と言う方向に向かわせた、ともありました。 似たような感覚、少なからず私の中にもあるようなのです。などと言うと、なんともおこがましいのですが(^^; 「自分を語る気がないし、自分に興味もない」とおっしゃる谷川さんのお言葉に驚きつつ、どこかほっとした気持ちになりました。 私も、自分自身には何も語るべき体験や人生観があると思えない。 苦労らしい苦労もなく、今までなんとなく生きてきた。 いつまでも精神的な成長のない、人生経験も乏しい、浮遊しているような自分を自覚し、後ろめたさも感じていました。 語るべき自己がない私が、何のために、言葉を綴っているのだろうと思いつつも、何かに心が動いた時、書きとめてみたくなる。 谷川さんのように「他人を楽しませる」と言うには、とてもとても及びませんが、できるなら、綴った言葉たちがほんの少しでも、読んで下さった人たちに、ささやかな発見の喜びのようなものをもたらせたら嬉しいと・・・ 谷川さんの詩、ほとんど知りません。 うろ覚えで知っているのは「朝のリレー」と「まっすぐ」くらい。すみませんm(__)m でも、どちらも暖かく、広がるイメージが素晴らしい詩だと思いました。 そう、それと比較的最近では、宮崎アニメ「ハウルの動く城」の主題歌、「世界の約束」を聞いた時、その作詞が谷川さんと知り、なるほどと感嘆したのを覚えています。 人との出会いを、延々と連なる時の連鎖の中でとらえているような、果てしなさと切なさを感じるような歌詞でした。 実は、谷川さんと言うと、私にとっては「スヌーピー」の漫画の翻訳が一番身近かもしれません(^^; 昔、好きでよく読みました。 自分を人間と思いこんでいるビーグル犬、スヌーピー。その飼い主で、丸い頭に哀愁を漂わすチャーリー・ブラウン。そして、彼らを取り巻く個性的な仲間たち。 それぞれのキャラクターの声が聞こえそうなセリフの言い回しの数々、その翻訳が谷川さんでした。 ほのぼのして、おかしくて、大のお気に入りでした。 それと、これも昔ですが、一時期はまった「マザーグースのうた」、あの翻訳も谷川さんでした。 童謡と言うには、どこか不気味さやナンセンスさもある。 ちょっと怖かったり、面白かったり、リズミカルだったり、独特の不思議な世界。 英語の詩を、そのニュアンスを残したまま日本語に翻訳すると言うのは、きっと難しいのでしょう。 「マザーグースのうた」が、親しみやすかったのは、谷川さんの訳によるところが大きかったことと思います。 だから、あの頃は谷川さんと言う方は、翻訳家なのだと思っていました(^^; 今回、新聞記事を読み、谷川さんの新しい詩集を読んでみたくなり、さっそく手に入れました。 『トロムソコラージュ』と言うタイトルは、ノルウェー北部の都市、トロムソで書かれたと言う表題作から。 コラージュと名付けたように、断片的な心象や観察のモザイク・・・なのだそうです(^^; う〜む、やはり私には、ちょっと難しいなあ。 次々とイメージが移り変わって行く、ハッとするような言葉や映像、心象。 思わずくすっとなるような行もあれば、考えさせられる行も、鮮やかな映像の浮かぶ行も、言葉遊びのような行も・・・ 自由自在に変転していく、思いがけないところへ飛んでいく、納得したり、わけわからなくなったり。 表題作は、まさに難解。でも、どこかにユーモアを感じ、面白いなあと思いました。 言葉に引っ張られて、見たこともない場所を旅しているような気分。 移り変わりの早さに、ちょっぴり戸惑いつつ・・・ 比較的、ひとつのイメージに統一された長編詩もあります。 短編の物語を、小説ではない手法で読んでいる、そんな感じの詩です。 あ〜、どうも説明がうまくできないなあ(^^; いえ、説明するものではないのでしょうね、きっと。 読んで、様々に飛び交うイメージを楽しむ、それでいいのでしょう。 そう言えば、ふっと、何かの拍子に、昔読んだ「スヌーピー」や「マザーグース」に共通するような匂いを感じだりもします。 谷川さんと言う方は、とても自由な発想とユーモアを持った方なのではないかと思えるのです。 詩には、こうでなくてはならない、と言う形はないのでしょう。 もし、あれほどに斬新な発想や、広大なイメージの連鎖を創造するのが詩なのだとするなら、ごくささいな事柄を平凡な言葉でしか綴れない私は、どうにも固まったきりになってしまいますから。 谷川さんの詩集を拝見して、自分は自分の詩しか書けないなあと、あらためて思いました。 真似しようとしてできるものではない、あれほどの自由自在な感性、私のどこからも、これっぽちも出てきてくれそうにありません(^^; でも、この詩集が、こうして自分の手にあると言うことは、やはりひとつの出会いなのでしょう。 何かしらのイメージが、心に残るのだと思います。 そして、きっと詩と言うのは、それでいいのではないか、と・・・ 平成21年7月1日 |
涼 |
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