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いよいよ師走、気が急く時期となりました。 NHKの大河ドラマ「篤姫」も、終わりに近づきつつありますね。 今年はかなりの高視聴率だったようです。 かく言う私も、しっかり見続けてしまいましたが。 常に前向きに、凛として生きる篤姫の姿は、現代の女性たちにも共感を呼んだのでしょう。 来年は「天地人」。さて、義を貫いた智将、直江兼続(なおえかねつぐ)の生き方は、現代の男性たちに、はたして何を思わせるでしょう。 実は、つい最近まで直江兼続って知りませんでした(^^; 偶然にも、このところ読んでいる本が、司馬遼太郎さんの「関が原」だったおかげで、「ああ、あの上杉景勝の家老の・・・」と頷けたわけです。 上杉景勝は、上杉謙信の養子であり、会津を治め、徳川家康と並ぶほどの大国の主でした。 その家臣であった直江兼続。知勇兼備の名将であり、生涯を賭けて、上杉家を支えたと言われます。 景勝が、家康から謀反の疑いをかけられ、上洛を要求された際、兼続は書状をもって申し開きをしたのですが、かなり強気な内容だったらしく、読んだ家康が激怒して会津征伐を決意したそうです。 この書状は「直江状」と呼ばれています。 さらに兼続は、関が原で家康と戦った西軍の将、石田三成と仲がよかったとのこと。 一説には、兼続と三成が共謀して、東と西とで挙兵し、家康を挟み撃ちにしようとしていたとも・・・(^^; なかなか気骨のありそうな直江兼続、「天地人」で、どのような姿を見せてくれるのでしょう。 私は、歴史に関して、たまたま興味を持った時代については、ピンポイントではまり(笑)、あれこれ本を読んだり、関連本で調べたりするのですが、それ以外はすっごくアヤしい。 わかっているつもりでも、ごく基本的なことすら「はて、どうだったかしら?」と・・・(^^; なので、関が原の戦いについても、最近までは「ああ、家康が勝ったのね」くらいにしか考えていませんでした(大雑把すぎ!) この辺りの時代は、けっこうドラマなどにもなっていて、見てはいたと思うのですが、さらりと流しちゃっていたようです。 なぜか、織田信長も豊臣秀吉も徳川家康も、いまいち興味が湧かなかったりしたもので・・・(^^; そう言えば、もうずいぶん前に、永井路子さんの「王者の妻」と言う本を読んだことがありました。 これは、秀吉の妻、おねねをヒロインとしたお話で面白かったのです。 終盤は、太閤秀吉が亡くなった後の話となります。 おねねには子がなく、秀吉の跡取りは、淀君が産んだ秀頼。 このことは、少なからずねねを心細くさせたのでしょう。 出家して、北政所(きたのまんどころ)と呼ばれるようになったねねのもとへ、足しげく顔を出しては、様々な気遣いを見せたのが、家康でした。 この北政所の存在が、関が原の戦いに大いなる影響をもたらすことになると、もし家康が考えていたのだとすると(当然、考えていたでしょう)、これはまさに見事な策です。 > 涼 |
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