今月の「いにしえ人」
                                    
―安倍晴明―



平成17年 元旦

明けましておめでとうございます。
今年も翠蓮茶寮を、どうぞよろしくお願い申し上げます。

さて、新しき年のスタートに当たり選んだいにしえ人は・・・
安倍晴明。雅なる平安の時代、活躍した陰陽師。
小説や漫画、はては映画まで登場するに至って、今やかなりの人がその名を知っているのではないかと思われます。
かく言う私も、夢枕獏さんの小説によって、興味をそそられたわけで・・・
多分にミーハー的なことは認めます、はいm(__)m
これほど有名になったにもかかわらず、晴明は未だ非常に謎が多い人物らしい。
ドラマに事欠かないエピソードは数々ありますが、真実のほどはと言うと、はて・・・(^^;
そこで、付け焼刃ではありますが、安倍晴明の実像について少々調べてみました。

陰陽師・・・その響きを聞くだけで、なにやらとても不可思議な力や神秘性を感じ、惹かれてしまう私なのですが(笑)
そもそも陰陽師とは、大内裏の陰陽寮に務める技官。
陰陽寮は、陰陽道、天文道、暦道、漏刻道の4部門があり、陰陽道はいわゆる占い、天文道は天の星の動きから異変を上奏する、暦道は暦を作る、漏刻道は水時計で時間を計り知らせる、と言うのがそれぞれの役目です。
晴明が陰陽寮に入ったのは、なんと40歳の時だったそうで、しかも「天文得業生(てんもんとくごうせい)」として。天文得業生と言うのは、陰陽寮に所属して天文道を学ぶ学生のこと。
え、陰陽道ではなく天文道?と、思ってしまいますが、実際晴明は後に天文博士となります。

晴明の謎のひとつは、まずはその出生にあると言われています。
いわく、母親は信太の森の狐だったとか・・・(^^;
まあこれは伝承の類なのでしょうけれど。
こういう話が出るほど、その存在に神秘性が加味されていたのか、あるいは逆にそう見せるために、後の人が伝えた話なのか・・・これも考えると面白いところですね。
さて、実際に安倍晴明と言う名が歴史上に現れてくるのは、陰陽寮に入った40歳の頃から。
では、その前はどうしていたのでしょう?
鎌倉時代の説話集の中に、晴明は陰陽寮に入る前は大舎人だったと記されているそうで、だとすれば、晴明は大舎人寮に属する下級官吏だった?
どうも晴明が朝廷内で、様々な雑事に走りまわっていた姿を想像するのは、いまいちピンとこないのですが(^^;
もちろん、単なる大舎人で終わるべくもないほど、晴明には陰陽師としてのありあまる才能があったのでしょう。
陰陽寮に入った時には陰陽道、天文道に関する知識が十分にあったようです。

陰陽寮で晴明を引き立てたのが、賀茂保憲(かものやすのり)。
晴明より4歳年長の保憲は、すでにこの道の大家。
天徳4年、内裏が火事になり、その際に焼失した霊剣を新たに鋳造するよう、保憲は命じられました。
その補佐としてついたのが晴明。それだけ保憲に重用されていたとわかります。
晴明が幼少の頃、保憲の父である賀茂忠行にお供していて百