今月の「いにしえ人」 ― 額田王― |
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神無月、 すべての神様が出雲に集うと言う今月。 秋と言う季節の中で、一番豊かさや深みを感じるのが今頃かな、と思う。 そこで豊かなる秋のイメージから今月選んだいにしえ人は、万葉の時代を代表する女流歌人、額田王。 先月の諸葛亮と同じく、今月もけっこう最初から額田王と決めていたりして(笑) 額田王=秋、と言うイメージは、春山と秋山の趣きを競わせる宴が催された時、額田王が答えた歌からも浮かんでくる。
春は鳥も鳴き、花も咲くけれど、山は茂るので入ることはできず、草も深くなるので、花を取ることはできない。 秋は色づいた葉を手に取り愛で、青い葉はそのままにため息をつく。そこが残念ではあるが、秋の山が私はいい・・・と言うようなところかな(^^; 「偲ふ」「嘆く」「恨めし」等など・・・ようするに、秋山に入る時の、様々に揺れ動く心の様が趣き深くて私は好き、と額田王は言いたいのかもしれない。 必ずしも嬉しいとか楽しいだけではなく、しみじみとしたり、少し哀しかったり、恨めしかったり。そこがまたいいと思うところが、なにやら額田王らしい気もする。 雅なる宮廷で、春の山の花々の艶やかさと、秋の山の紅葉の彩なる様とを競って、それぞれが楽しげに意見を戦わせている中、満を持したように登場する額田王。 誰もが、額田王がどちらの季節を良しとするのか、期待しながら見守っていたのだろう。 「鳴かずありし 鳥も来鳴きぬ 咲かずありし 花も咲けれど」と、最初はいかにも春を押すような調子。そして、秋の紅葉を愛でたと思えば「青きをば 置きてぞ嘆く」と言い、さらに「そこし恨めし」と・・・ 聞いている人々が「いったいどっちなんだ?」と惑わされている中、最後に「秋山我は」と軍配を上げる。 ほぉっ、と一斉に皆が感服する様子まで想像できてしまう。 額田王と言う人、なかなかのパフォーマーかも(笑) そう言えば、かの有名な「熟田津に・・・」の歌にしても、「味酒 三輪の山・・・」や「茜さす・・・」の歌にしても、みなドラマチックな背景を彷彿させるではないか。
新羅征伐の船団への力強い呼びかけ、背景は月の光を湛えた海。ひたひたと波が寄せる。 凛と澄んだ声で歌い上げる額田王の姿は、さぞかし美しかったであろうと思われる。
この歌も、蒲生野での狩猟の後の宴の場を、見事に盛り上げたであろうパフォーマンスと言えそうだ。 もちろん、初めてこの歌を聞いた時には、あまりにロマンチックな光景を想像してうっとりしたものだった。 後々、この歌が詠まれた背景を知り、額田王も大海人皇子も、すでに禁じられた恋を感傷的に歌い合うような年齢ではなかったと知って、ちょっとがっかりしたのも確か(笑) 額田王の歌と、その返歌としての大海人皇子の「紫草のにほえる妹を・・・」は、万葉集の巻第一 雑歌(宮廷の儀礼歌、宴席の歌など、公的な歌)に載せられている。 歌の響きだけを見れば、相聞の巻にあっても不思議はないこの二首が、雑歌の巻にあると言うことは、やはりこれを宴席での戯れを含む儀礼歌と、皆が認めていたのだと思われる。 そう言う場で、皆を感嘆させるだけの卓抜した歌と雰囲気を、額田王は持っていたのだろう。 もっとも、額田王を巡る中大兄皇子、大海人皇子の三角関係はあまりに有名なところでもある。 先に大海人皇子の妻となり、十市皇女と言う娘までいながら、中大兄皇子からも望まれる。 これについて、ある本になるほどと思われることが書かれていた。 額田王は、とりわけ神を祀ることに長けていた。神の声を聞く巫女としては、人間の男性との結婚は考えられない。 けれど、相手の男性が神として・・・神の資格を持った者として訪れた場合、それを拒むことはできないだろう、と。 神として、と言う意味は、いまいちよくわからないのだけれど、中大兄皇子、大海人皇子とも天皇の皇子なわけだから、それが神の資格と言えば言えるのかな(^^; 天智天皇、天武天皇それぞれ数多く記されている妃・夫人の中のどちらにも、額田王の名はないそうである。 その理由として、采女としての額田王の地位はかなり高く神聖であったため、天皇と言えども私物化することはできなかったのではないかと言う説もあるとか。 そんな額田王だが、万葉集巻第四 相聞の部に天智天皇への歌が載っている。 この歌からは、パフォーマーとしての生き生きとした額田王の姿はうかがえない。愛する人をひっそりと待つ寂しさが、しみじみと感じられるだけである。 季節は秋・・・神の声を聞く額田王も、ふと一人の女性に戻ったのだろうか。
晩年の額田王については、まったく不明だと言う。 平成16年10月1日 |
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翠蓮 |
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