今月の「いにしえ人」 
                                                       
― 十市皇女―

文月・・・

7月、夏の初めの爽やかさに似合う人をいろいろと考えたいところだけど。
でも、7月に入ってまず最初のイベントは、やはり七夕。
そこで、今回は七夕の恋人同士にふさわしい人、と言うのもいいかなと(笑)
織女のイメージ、と考えてふっと浮かんだのが、十市皇女。

十市皇女(とおちのひめみこ)、後の天武天皇、大海人皇子と額田王の間に生まれた皇女。天智天皇の皇子、大友皇子の妃となるも、壬申の乱で大友側は敗れてしまう。
皮肉にも、自分の父親に夫を滅ぼされたことになる。

さて、十市皇女と言えば、高市皇子との秘めたる恋があったのでは、と憶測される。
私が持った織女のイメージも、たぶんこの辺りから来ているのだろうけど(笑)
一緒になることのできない人を、遠く想う健気な乙女のイメージ。どこか儚げな雰囲気を感じさせる。

十市皇女と高市皇子は、どちらも大海人皇子を父に持つ。
年齢は、どうやら十市皇女の方が5歳くらいは年上だったらしいから、異母姉弟・・・
女性が5歳上と言うのが、当時どのような感覚だったのか、ちょっとわからないのだけど(^^;
小説でも漫画でも、二人は幼なじみとして、子供の頃よく遊んでいたように描かれている。
もし、十市皇女が母である額田王の血を、高市皇子が父である大海人皇子の血を、より濃く受け継いでいたとしたら・・・
ちょっと大人びた神秘性を持つ少女と、闊達で優しい少年・・・
まさに父母のロマンスを、そのままを受け継いだようなものかもしれない。
さらに大友皇子が父である中大兄皇子に似ていたとしたら、などと、想像はどんどん膨らむのだけど(笑)

高市皇子とのロマンスが噂される原因は、やはり十市皇女の亡くなった時に高市皇子が詠んだ歌のせいなのだろう。
万葉集に残っている高市皇子の歌は、十市皇女への挽歌である3首のみ。
十市皇女は、壬申の乱後、伊勢の斎王になることが決まり、いよいよ潔斎所に入ると言う日の朝に、宮中にて急死する。
この時、十市皇女は30歳前後。あまりに急な死に、自殺説まであるとか。
そして、高市皇子は十市皇女への歌を詠む。

『山吹の立ちそよひたる山清水汲みに行かめど道の知らなく』

山吹に「黄」を、山清水に「泉」を匂わせ、ようするに十市皇女が旅立ったであろう黄泉の国へ、自分も行きたい、けれど道がわからない、と言う歌。
高市皇子が、実際に十市皇女の恋人であったかどうかは定かではないにしろ、この歌が、亡くなった人を心から悼んだ、哀切な響きに満ちた歌であることは確かだと思う。

十市皇女のことを詠った歌が、万葉集の中に他にもみつかった。
十市皇女と阿閉皇女が伊勢神宮に参拝した時に、吹ふき刀自(ふふきのとじ)が詠んでいる。吹ふきの刀自に関しては、よくわかっていないらしいけれど。

『川の上のゆつ岩群(いはむら)に草生さず常にもがもな常処女(とこおとめ)にて』

(川の中の神聖な岩々に草も生えないように、いつも不変であってほしい。永遠の乙女のように。)
この時、すでに十市皇女に斎王の話が持ち上がっていたのかどうか。「とこおとめ」と言う言葉は清らかな斎王を彷彿させる。
けれど、斎王になってしまえば、神に使える立場上、男性との接触は望めない。
もし、十市皇女が高市皇子との恋に、まだ希望を持っていたとしたら・・・
牽牛と織女のように、離れていても必ず逢える日があるならば、待つだけの日々も耐えられるのかもしれない。
でも斎王になれば、逢うことすらもいつ叶うのか定かではなくなってしまう。
世俗から切り離され、ただ清らかに在ることのみ強いられる生活を、十市皇女は命をかけて否定したのかもしれない。

夏の夜空に光る琴座の星・・・織姫星を見ながら、十市皇女に思いを馳せてみたいような気がしてくる。


平成16年7月1日
                                                        
翠蓮