今月の「いにしえ人」

土方歳三
皐月・・・

土方歳三の命日は5月だと言うことで・・・
新緑の萌えるこの季節に、新選組最後の花が散ったと思うと感慨深いです。
実は、新選組についてあまり知らなかった頃は、単純に「土方歳三ってかっこいい」と思っていました(^^;
ところが、いざ新選組に興味を持っていろいろ見始めてみると、どうもこれはなかなか掴みにくい人物なのではと思えてきて、つい引き気味になり(笑)、取り上げるのをためらってしまっていたのですが。

土方歳三、天保6年5月に武蔵国多摩郡石田村の農家に生まれたとあります。
あらら、誕生日も命日も5月と言うことになるのでしょうか。
幼くして両親を失い、11歳で呉服屋に奉公したものの、番頭と喧嘩して飛び出し、17歳で別の呉服屋に奉公に出たら、今度は店の女中さんと関係ができてしまい・・・
この辺りのエピソード、まさに土方の負けん気の強さと、いかにもてるかとがわかりますねえ(^^;

そう、土方歳三と言えば、まずあの頃の誰もが認める男前。
それは、現存するかの有名な洋装の写真を見てもわかりますが。
京都で新選組の屯所となった八木家の為次郎少年によると「父がよく役者のような男だと言っていた。目がぱっちりして引き締まった顔をしていた。むっつりして、あまりものを言わなかった」とのこと。無口な二枚目ってことですね。
京都の遊郭でも、ものすごくもてたそうです。
土方から、故郷の知人に一箱の小包が送られ、開けてみたら、そこには遊郭の女性たちが土方に宛てたラブレターが何通も入っていた、と言うエピソードは、なんだかちょっと意外な気がするけど(笑)
ほほえましいと言うか、かわいいと言うか、土方の隠れた茶目っ気をも感じさせるように思えます。

それほど華やかな女性関係があったと聞いても、なぜか孤独なイメージがつきまとうのは私だけでしょうか。
この人は、自分の心に強く抱いた夢ほどに、女性に夢中になることはなかったのではないだろうか、と・・・そんなふうに思えてしまうのです。
特に、新選組副長と言う立場にいた頃。
鬼の副長と呼ばれ、敵を斬り、味方でも士道にそむく者は切腹と言う厳しい規律を貫く。それが必要だと信じていたから。
常に命と命のやりとりをする張り詰めた非情さを、その重さを、誰よりもリアルに感じ、それでも逃げずに受け止めていたのは、土方だったのかもしれない。
それゆえに、どこか人との間に氷のような壁を作ってしまう。
そして、そんな壁を取り払って、本音をさらけ出せる相手は、近藤勇と沖田総司だけだったのではないかと。

どれほど女性ににもてて、ひととき甘い時間を過ごしたとしても、それが土方の氷の壁を解かせるほどのものだったとは思えないのです。
自分の為すべきこと、為さねばならぬことが常に心にあり、その厳しさは女にはわかるまい、などとうそぶく姿が浮かんでしまったりして・・・(^^;
もっとも、同じように孤高のイメージのある斎藤一も、激動の時代を生き残った後に生涯の伴侶となる女性と巡り合ったことを考えると、土方歳三も、もしもっと生き永らえていたら、一人の女性を選び、穏やかな家庭をもつことができたのかしら。
けれど、運命はその前に彼を彼岸へと連れ去ってしまった・・・まるで、戦いの中に生きてこそ土方なのだ、と言わんばかりに。
そう思うと切ないですね。

新選組自体も、時代の波に飲まれ、運命に翻弄されて行くことになります。
度重なる敗走の末、ついに近藤勇は処刑。北を目指した土方は蝦夷地、旧幕府軍の本営ととなる五稜郭に辿り着きます。
すでに瀕死の状態とも思える旧幕府軍ですが、それでも土方の強さは鬼神のごとくと言われました。
台場山での新政府軍との戦いに勝利を得た時、土方は酒樽を用意し、自軍の兵士たちを労って、みずから酒をふるまって歩いたとか。
ただし「酔っ払って軍律を乱してはいかんから、みな一杯ずつだ」と(笑)
京都の頃には、ちょっと考えられないような気配り・・・負けることを知り、理想を打ち砕かれ、大切な友を失い、それでもひとり戦いへの道を駆け続けてきた土方の、指揮官としての大きさが感じられます。
新選組副長だった頃は、頂点の近藤局長がいた。その局長をこそ、隊士たちが一番尊敬するように、土方は敢えて憎まれ役、汚れ役を負っていたのでしょうね。
本来、十分に優れたリーダーとしての資質を持っていたのだと思います。

箱館総攻撃を開始した新政府軍に対し、弁天台場で迎え撃った新選組が孤立した時、土方はわずか80人ほどを従えて、五稜郭から出陣しました。
ここでも、土方は「退くものは斬る」と、新選組の鬼の副長そのままに檄を飛ばします。
が、激戦の最中、ついに一発の銃弾が馬上の土方を貫き・・・馬から転げ落ちた土方は、一言も発せず、やがた息絶えたそうです。
土方の死を知った新選組隊士たちの嘆く様は、「赤子の慈母を失うがごとく悲嘆してやまず」と言うほどだったと。
ここでも、いかに土方が隊士たちに信頼され、慕われていたかがうかがえます。

決して降伏を受け入れなかった土方歳三。もし降伏して生き永らえたら、近藤勇に合わせる顔がないと語っていたとか。
確かに近藤が処刑されたことに対し、どれほどか後悔していたではあろうけれど、とことん落胆もしていただろうけれど、それでも蝦夷地での戦いで、土方が死に急いでいたとは思いたくありません。
何があっても逃げずに敵に向かう、たとえどれほど不利な状況であろうと、戦うからには勝つために全力を尽くす。
「負けるつもりなんざないさ」、不敵な笑みを浮かべ、きっぱりと言い切る土方歳三であってほしい。
もし、あの世とやらで近藤勇に再会したなら、ちょっと斜に構えて「悪いな。俺としたことが、しくじったぜ」と自嘲するような・・・
そんな土方像が浮かぶのです。私の勝手な想像ですが(^^; 
願わくば、つらい時代の楔から解放されて、昔の仲間たちと笑いながら剣を交えるやすらぎを得ていますように。


平成18年5月1日
翠 蓮

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