今月の「いにしえ人」

~ 趙 雲 ~
師走・・・

いよいよ今年もあと一月・・・早いものです。
さて、一年を締め括ってのいにしえ人、誰にしたものかとまたしても散々悩んだのですが(笑)
冬のどっしりとした大地、厳しい寒さの中でも揺るがない強さや安心感、忍耐力を感じさせてくれる人物と言うことで、三国志より趙雲を選んでみました。

趙雲(ちょううん)、字は子龍(しりょう)。
後に蜀の五虎大将となり、蜀の土台をがっしりと守る、大変有能なる武将。
もともとは公孫さんの配下でしたが、劉備に出会い、互いに惹かれあうものがあったのでしょう、数年後に再会して臣下となりました。
それから長きに渡り、誠意を持って劉備に仕え、蜀の国のため力を尽くします。
関羽・張飛に次ぎ、古くから劉備を支え続けた武将。優れた武力と勇気、冷静な判断力も持ち、常に黙々と任を果たす。
決して驕らず、出しゃばらず、むしろ控えめでありながら、劉備や孔明に大変信頼されていたと思われます。

男女問わず、三国志ファンの方たちの中で、趙雲はかなり人気があるのでは?
いぶし銀のような存在感、誠実な人柄、いざと言う時には鬼神の如き強さを見せ付ける。
男性から見ると、その渋さはある意味憧れなのかな。
女嫌いと言う風評(笑)を頂きながらも、女性票もしっかりGET! とことん誠実でやさしそう。女嫌いと言うのも、もしかしたら純情の裏返しかも、なんて(笑)
恋人にはいまいち地味だけど、ダンナ様にするならこういう人、などと言う声も聞こえそうです(*^^*) 
いえ、もちろん武将としてのすばらしい活躍にも魅せられます。

趙雲の武勇伝と言えば、まずは長坂坡(ちょうはんは)。
曹操軍との戦いで大敗を喫した劉備は、逃げる途中に妻子とはぐれてしまいます。
戦いのど真ん中に取り残されたであろう妻子、劉備はほぼあきらめたでしょう。
ところが敵の中に単騎引き返した趙雲が、長坂坡で劉備の子、阿斗を救い出してきたのです。
夫人もみつけたのですが、すでに彼女は傷つき、自分は逃げるのは無理だからと訴え、赤ん坊だけを趙雲に託します。
涙ながらに夫人を残し、阿斗を抱いて敵中突破をしてのけた趙雲。
劉備は感激し、阿斗をわざと投げ捨てて「お前のせいで趙雲のようなかけがえのない忠臣を失うところだった」と言ってみせます。
まあ、この最後は小説の中のお話(笑)としても、実際に趙雲の勇気に劉備が感嘆したであろうことは、容易に想像できます。
もっとも、阿斗が後に凡庸な君主劉禅となることから、この救出こそが趙雲の唯一の汚点だ、などと言う冗談(だろうか?)も聞かれるのですが(笑)

孔明ファンの方は、きっと趙雲のことも好きなのではないかな(^^;
なぜなら、趙雲は孔明にとって、一番信頼できる人物だったであろうと思われるので。
孔明を常に助けてくれるのは趙雲!と言うイメージが、私の中にもしっかり定着しています(笑)
孔明が劉備に迎え入れられた時、関羽と張飛は面白く思わず、あからさまに態度に出します。
それはある意味、劉備と関羽・張飛の絆が強かった故とも思え・・・なにせ、この3人は若い頃に義兄弟の契りを結んでいるのですから。
趙雲は、関羽・張飛に次いで古い臣下のはずなのに、彼らのように劉備に馴れ馴れしくはできない。
義兄弟でもある関羽・張飛と違い、自分はあくまでも臣下なのだから、と言うけじめを持っていたのではないでしょうか。

それは趙雲の人柄でもあったでしょうし、もしかしたら、最初から劉備に仕えていたのではないと言う遠慮もあったかもしれない。
それゆえに、やはり後から加わった孔明の立場にも思いやりを持ってあげられたのではないかと思います。
才に長けているとは言え、まだ世間知らずなほど若く、慣れない環境の中で必死に気負っていたであろう孔明を、危なっかしくも、またほほえましくも思いながら見守っている趙雲・・・と、ついつい心暖まるイメージを描いてしまったりします(^^;
感情に流されず、冷静で、しかも誠意を持って物事に当たる趙雲は、孔明にとってまさに頼もしい人物であったはず。
劉備亡き後は、なおさらだったでしょう。

劉備に対し、あくまでも臣下としての態度を崩さなかった趙雲ですが、孫権の治める呉が、関羽のいる荊州を攻め、関羽を死に至らしめた時、弔い合戦に出ようとする劉備を必死に止めます。
この時の戦いがいかに無謀だったか、後に明らかになるのですが、どうやら孔明ですら反対できなかった様子。
それほど、義兄弟である関羽を失った劉備の悲しみと怒りは大きかったのでしょう。
けれど、趙雲は「国賊は曹操であって、孫権ではありません。魏をそのままにして、先に呉と争ってはなりません」と強く反対します。
呉と結び、魏を牽制する、これこそが蜀が生き残る道だと、みな思っていたはずなのですから。
結局、劉備は聞き入れず、戦いに望み大敗するのです。
趙雲の口惜しさは、どれほどだったことでしょう。

国を思う趙雲の真面目さを表す、こんな話もあります。
街亭の戦い、と言えば孔明に総指揮官に任命された馬謖が、命令を違えて自らの判断を押し通したために魏軍に惨敗したのですが、撤退後調べると、予想に反して軍需品や器物の損害が少なかったそうです。
孔明が理由を問うと、趙雲が自ら後詰めになり、その働きによって軍需品や器物をほとんど捨てずにすみ、将兵もまとまりを失わずにすんだ、とのこと。
その軍需品の中にあった絹を、孔明が趙雲の将兵に分け与えようとすると、趙雲は「負け戦だったのに、どうして下賜があるのか。これは冬の支度品とされますように」と辞退したとか。
いかにも趙雲らしいですね。

真面目で堅実、ちょっと融通がきかない、かな(笑)
それが、例の女嫌いの噂にも通じるのですが(^^;
趙雲が桂陽太守として赴任した時、前の太守だった趙範が亡兄の妻であった樊(はん)氏を娶わせようとします。
樊氏は、絶世の美女であったそうな・・・ けれど趙雲は、固く断りました。
趙範には「同姓であるから、あなたの兄は自分の兄と同じだ」と言う理由をつけますが、実際には趙範の心底を測りかねたかららしい。
そして、「天下に女はおおぜいいるのだから」と・・・(^^;
まあ、実際にその後趙範は逃亡したとのことなので、趙雲の読みは正しかったわけですね。
それにしても「天下に女はおおぜいいる」とは、これまたなんとも強気なお言葉(当たり前と言えば言えるか)。 
控えめなイメージの強い趙雲ですが、やはり歴戦の勇将、自分の生き様に確固たる自信を持った豪胆な発言ですね(^^;
きっと、この方は孔明さん同様、見た目の美しさだけに囚われることなく、しっかり者の奥様をもらったのであろう、とこれは希望的観測ですが(笑) 
昔も、そしてこんな現代ならなおのこと、趙雲のような人物がいかに貴重か痛感させられます。

さて、なんとか一年、いにしえ人を続けることができました。
これも、あきれずに(笑)読んで下さったみなさんのおかげです。
ありがとうございましたm(__)m
慌しい年の瀬が近づきますが、どうぞ風邪などひきませんように。


平成17年12月1日
翠 蓮

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