今月の「いにしえ人」
                                    
〜 鏡王女〜


神無月・・・

さて、今月も誰にしようかとあれこれ迷った末・・・
去年の10月が額田王だったので、今年はお姉さん、と言うことになりました(笑)
安易ですねえ、すみません(^^;

鏡王女(かがみのおうきみ)、地方豪族鏡王の娘であり、額田王の姉、と言うのが小説等の定番となっていますが、実際には額田王と姉妹であると書かれている資料ははないらしい(^^;
イメージとしては、美しく歌の才能にも恵まれた目立つ妹の影で、控えめながらしっとりした落ち着きと優しさを持った女性、と言う感じかな。
あんなにあでやかそうな妹がいたら、姉としてはひっそりため息をつきたくなるかも、なんて思ってしまったり・・・
実際に小説などでは、そうした鏡王女の心の葛藤が描かれたものもありました。

中大兄皇子、大海人皇子との一見華やかな三角関係の真っ只中の額田王。
でも、実はお姉さまもさほど負けてはいない(笑)
中大兄皇子と先に縁のあったのは、どうやら鏡王女の方です。
中大兄皇子から、下記のような歌を贈られています。


 妹が家も継ぎて見ましを山跡なる 大島の嶺に家もあらましを


あなたの家をもっと見ることができたらなあ。大島の山頂に私の家があったらよかったものを。
本当はあなたともっと会いたいのだよ、との中大兄皇子の歌に対し、鏡王女はこう答えています。


 秋山の樹の下隠り逝く水の われこそ増さめ思ほすよりは


秋の山の木々の下をひそかに流れる水がかさを増すように、私の方があなたよりずっとあなたを思っているのですよ。
近くに家があれば、もっと会えるのに、と言うちょっと言い訳めいた中大兄皇子に向けての、穏やかながらも情熱を秘めた歌。
人の目に見えないところを流れる水に、自分の想いをなぞらえるところが、いかにも控えめな鏡王女らしい気がします。

井上靖さんの小説「額田女王」の中では、鏡王女がこの歌を額田王に示すシーンがあります。
中大兄皇子からもらったのだと言って・・・
そして、その後に、最近中大兄皇子が額田王を望んでいると言う噂を聞くのだが、とさりげなく妹に問う。
額田王は、そんなはずはない、大海人皇子と間違えているのでしょう、と・・・
確かにこの時、額田王は大海人皇子から求愛されていたのですし、自分でも噂の相手が間違って伝わったのだろうと思っていた。
けれど、皮肉なことに鏡王女の懸念は後に現実となってしまったわけですね。
額田王と鏡王女との微妙な心理を表したような歌もあります。


 君待つとわが恋ひをればわが屋戸の すだれ動かし秋の風吹く


あなたを待って恋しいと思っていると、家のすだれを動かして秋の風が吹くばかりです。
あなたではなかったのね、とがっかりする歌ですね。
すると、鏡王女は・・・

 風をだに恋ふるは羨(とも)し 風をだに来むとし待たば何か嘆かむ


風でさえ恋うるあなたがうらやましい。たとえ風でも待つことができれば、こんなに嘆かないのに。
私には、風さえも来ないのですよ、と・・・(^^;
中大兄皇子を待つことのできる妹への羨望かとも思える歌ですね。
以前は、自分のところへ来てくれていた人が、今は自分の妹と。これって、女性にとってはかなりつらい状況ではないかと思うのですが。

ところが、まだまだ鏡王女にも恋の相手は現れます。
中大兄皇子の懐刀とも言える存在、藤原鎌足。
額田王に愛の移ってしまった中大兄皇子が、鏡王女を自分の臣下に譲ったものか、はたまた鎌足が頼み込んだものかはわかりませんが(^^;
なかなか熱烈な相聞歌が詠まれています。


 玉くしげ覆ふを易み開けていなば 君が名はあれどわが名し惜しも


櫛箱にふたをするように、二人の仲を隠すのはた易いとおっしゃいますが、あなたの浮名がたつのはいいのでしょうけれど、私は困ります。
これは暗に、名が立ってしまわないよう、夜が明けぬうちに帰って下さいね、と言う意味がこめられているのだそうです(^^;
そして、鎌足は・・・


 玉くしげ御室の山のさなかづら さ寝ずはつひに有りかつましじ


御室の山(三輪山)のさねかづらが木々に巻きつくように、あなたとさ寝(共寝)をしなくてはいられないのだよ。
おおっと、これはなんとも赤面しちゃいそうなほど(笑)ストレートな求愛の歌、ですよねえ(^^;
冷静沈着と言った鎌足のイメージ(勝手に作ってるのですが)からは、想像できないような情熱・・・
思うに、鏡王女は妹に負けず劣らず魅力的だったのでしょう。

額田王は結局、皇女を儲けた大海人皇子とも別れ、中大兄皇子の正式な妃になっていたわけでもないので、晩年はおそらく、ひっそりと寂しいものだったのではないかと思われます。
ですが、鏡王女は鎌足の正室となったのですから、晩年もそれなりに安定していたことでしょう。
鎌足の菩提を弔うために、奈良の興福寺の前身であった寺を、鏡王女が建てたのではないかと言われています。

年の近い姉妹と言うのは、こと恋愛が絡むとなると、なかなか複雑な関係になるのかもしれません。
次々と恋の流れに乗って行った二人の姉妹・・・晩年になり、お互いしみじみと若き頃を振り返りつつ、穏やかに語り合い、笑いあっていたのならいいなあ。
などと、ふと思ったりする秋の夜長です。


平成17年10月1日
                                                        
翠蓮