今月の「いにしえ人」
                                    
〜 間人皇女 〜


水無月・・・

紫陽花の花を思わせるような人、と言うことで思い浮かんだのが間人皇女(はしひとのひめみこ)でした。
少しひんやりとした、絹のような雨の似合う人。儚げでとらえどころがなさそうでいながら、雨に打たれながらも誰かを待ち続ける強さを秘めたような人・・・
もっとも紫陽花の花は丸いので、ほっそりした雰囲気の間人皇女とはシルエット的には違ってしまいそうだけど(笑)
むしろ色合いのイメージ、と言ったところでしょうか(^^;

中大兄皇子(天智天皇)の妹、大海人皇子(天武天皇)の姉と言うだけで、あまり印象になかった彼女の存在が、私の中でクローズアップされてきたのは、何と言っても中大兄皇子との禁じられた恋を知ってからでした。
中大兄皇子らと同父同母を持つ間人皇女は、十代後半で軽皇子に嫁ぎます。
大化の改新後、皇極女帝から位を譲られた軽皇子。
この時、皇極女帝の子である中大兄皇子も、当然次帝の候補ではありましたが、何と言っても若干二十歳。兄に当たる古人大兄や叔父の軽皇子など年長の候補者がいました。
さらに、大化の改新で蘇我入鹿を討った当人である中大兄皇子が、いきなり帝となるのもまずい、と思われたのでしょうね。
結局、無難な線で軽皇子(孝徳天皇)が即位します。

そして、孝徳帝の皇后となったのが間人皇女。孝徳帝には、すでに小足媛との間に有間皇子と言う息子もいました。
政略結婚が当たり前と言う時代とは言え、親子ほども年の離れた軽皇子のもとへ嫁がなくてはならなかった間人皇女の思いはどんなだったでしょう。
兄への許されぬ恋を意識したのが、いったいいつだったのかはわかりませんが・・・
若き皇后としての間人皇女の暮らしは、はたして幸せと言えたのかどうか。
この後、中大兄皇子や中臣鎌足によって大和遷都が決められた時、孝徳帝は反対し難波宮に残りますが、間人皇女は中大兄皇子らと行動を共にするのです。
皇后である間人皇女に去られ、一人取り残されて愕然とした孝徳帝は、間人皇女に向けて一首の歌を贈りました。

 鉗(かなき)着け 吾が飼う駒は
   引出せず 吾が飼う駒を 人見つらむか

大切に繋ぎ留め、外にも出さずにいとおしんできた駒を、人は見たのだろうか。
この歌は、間人皇女に宛てられながらその実、中大兄皇子への痛烈な恨みの歌だと言われています。
「見る」と言うのは、男女の仲の成り立ちを表したとのこと。
「人」が中大兄皇子を指すとしたなら、孝徳帝はこの時すでに二人の仲を知り、それを批難していた?
間人皇女が中大兄皇子について行ったことは、堂々たる自分の愛の証明だったのでしょうか。

病気がちだった孝徳天皇は、絶望と孤独のうちに難波の宮で亡くなります。
この時にも、中大兄皇子は即位を見送り、先帝が重祚(ちょうそ)して斉明女帝となりました。
亡くなった孝徳帝の皇子、有間皇子を帝にと考える廷臣もいたらしいですし、とりあえずは有間皇子との帝位争いを先延ばしにする意味もあったのでしょうか。
その有間皇子も、後に謀反の疑いで処刑されるのですが。この話はまた長くなるので(^^; (「いにしえ人」の有間皇子のページに書いてあります)

斉明女帝は舒明天皇の皇后として立后以来、二度も帝位に着き、長きに渡って朝廷に君臨したのですが、ついに病には勝てず、68歳で命を閉じます。
日本書紀には正式に記されていないけれど、斉明女帝崩御の後、間人皇女を中天皇(中継ぎの天皇)とし、中大兄皇子が摂政の地位で政治に当たっていたのではないかと言う説があります。
中大兄皇子は母帝の喪に6年服し、そのうち最後の2年は間人皇女の葬儀も行っていたと・・・
間人皇女は中天皇になったものの、どうやら数年で亡くなり、中大兄皇子は間人皇女の喪が明けてから、ようやく即位したと言うことになるのでしょうか。
なぜ、斉明崩御後、すぐに中大兄皇子が即位しなかったのか。
間人皇女を中天皇に据え、そのもとで摂政となることに、何か特別理由があったのかはうかがい知れません。
でも、許されぬ恋に苦しんだであろう二人が、たとえ数年であってもそれぞれ近い地位にいて力を合わせたのかもしれないと思うと、少しほっとします。

血の近い者同士の結婚が多かった時代でも、さすがに同父同母を持つ兄と妹の関係は禁断です。
それを知りつつ、惹かれあってしまった兄妹。
冷静沈着で意志の強い端正な中大兄皇子と、ひそやかな佇まいを見せる臈たけた間人皇女・・・ 
どちらも、心の奥に孤独を隠し持っていて、少し近寄りがたい。ひんやりとした美しさと言うイメージも似ている。
二人だけにわかる、濃密に伝わる空気みたいなものがあったのかもしれない・・・なぁんて勝手にロマンチックな想像をしてしまったりするのですが(^^;

どうあがいても実ることのない恋。
もしも普通の身分の二人だったなら、家族も世間もすべて捨て、たとえどんなに批難されようとも二人だけの幸せをひそかに築くこともできたかもしれない。
けれど、中大兄皇子は国のトップにも立とうと言う人物。投げ出すには、あまりにも重過ぎる立場です。
そして当然のように、中大兄皇子には何人もの妃がいる。
あの時代の常として仕方ないことではあっても、間人皇女はただ一人じっと想いに耐えるしかなかった。
いいえ、それとも・・・たとえ表立って寄り添えなくとも、誰よりも気持ちは近い場所にあると信じていたのでしょうか。

もしかしたら、中天皇として中大兄皇子の傍らにいられた数年は、間人皇女にとって幸せなひとときだったのかもしれません。
公務をはさんではいても、お互いに近くでまなざしを確かめられる時間、国のために力を合わせているのだと言う充足感。
そして、今自分の座っている玉座に次に着くのは、今度こそまぎれもなく愛する人なのです。
そのために自分は在る・・・そう思えたとしたら、それは幸せではないでしょうか。

間人皇女には、そこはかとない透明感、浮世離れした少し醒めたような雰囲気や、その奥底で静かに燃え続ける情念のようなものをも感じます。
雨の中でこそ美しさを増す紫陽花。
淡い色合いは儚げに見えますが、大地のもたらす運命をしっかり受け止めている証でもあるのですね。


平成17年6月1日
                                                        
翠蓮