今月の「いにしえ人」
                                    
〜 周瑜 〜


卯月、

華やかに桜が咲く時期、と言うことで、桜の花が似合いそうな人を選んでみました。
一般的に考えれば女性なのでしょうけれど、ここは男性でも十分に花を背負って様になりそうな人物を・・・(笑)
周瑜(しゅうゆ)、字は公瑾(こうきん)。中国は三国時代、呉の国の人。呉の建国者、孫堅(そんけん)の息子孫策(そんさく)の親友でもあり、かの有名な「赤壁の戦い」で魏の曹操を打ち破った立役者でもあるほど有能な人物です。

三国志好きな人は、周瑜と聞けば「美周郎」と言う言葉が浮かぶのではないかと思われますが(笑)
「周郎」とは「周家の若君」と言うような意味、「美」がついているのは読んで字の如し、美男と言うことです(*^^*)
とにかく、大抵の三国志関係の本には周瑜の容貌が優れていたと書かれています。
あの時代の美男と言うのは、いったいどんな顔なのだろう?
これはやはり興味の湧くところです。
春爛漫の花の下に立ったら、きっと絵のように美しかったのかしらん、などと。
おっと・・・容貌ばかり取り上げると誤解を招きますね(^^; 
周瑜は、決して見た目だけの人ではないですから。

親友であり、呉の君主でもあった孫策が26歳の若さで亡くなった後、周瑜は孫策の遺言に従い、弟である孫権(そんけん)に仕えることになります。
「江東の小覇王」と呼ばれたほどの武勇と豪快さを持ち合わせた兄、孫策とタイプは違うものの、孫権もまた帝位につくに相応しい能力を持っていたのでしょう。
周瑜もそれを見抜き、18歳の若い君主孫権を盛り立てるべく力を尽くす決意をしました。
魏の曹操が、孫権に息子を人質として差し出すように要求してきた時、周瑜は断固はねつけるべきだと反対しました。
さらに、曹操が数十万の水軍を率いて長江を進み、呉に迫ってきた時も、ほとんどの重臣たちが曹操を怖れ弱気になるところ、周瑜は徹底抗戦を主張。
「願わくば、私に精鋭兵三万をお預け下さり、夏口まで兵を進めさせて下さいますように。必ずや曹操を打ち破ってお目にかけます」(「正史三国志」より抜粋)
水も滴るいい男が颯爽と言い放つ様は、さぞや惚れ惚れするような光景だったのではないかと想像されます。
そう、周瑜は勇気も決断力もある、誇り高き武将だったのですね。

こうして世に名高い赤壁の戦いで、呉は見事曹操軍を壊滅状態に追い込んだのですが、その第一の功労者はやはり周瑜でしょう。
ところが、これほど恵まれた能力や魅力を授かった周瑜を、天運は皮肉にも志しなかばで奪ってしまいます。
周瑜には、呉の国をさらに大きくするための壮大な計画があったようで、その第一歩として、蜀を占領し平定することを企てながら、その途中で病に没してしまうのです。
時に周瑜36歳。もし、周瑜がもっと長く生きていたなら、おそらく三国の歴史は変わっていたのでしょう。
それほどの器であったことを思うと、まさに惜しまれる死です。
大きな戦の場で華々しく活躍し、その盛りとも思える時期に逝ってしまう。
さながら桜の散り際の潔さにも似ているのではないか、と・・・

話はそれますが、以前三国志好きの仲間たちと、三国志に登場する英雄たちの星座は何だろう、と楽しみながらも結構本気で議論したことがありました(笑)
その中でわりと意見が一致したのは、孫策。牡羊座、又は獅子座ではないかと言うところで皆納得したものです。
では周瑜は?となると、これは意外と難しかったような・・・(^^;
今回、このいにしえ人を書くに当たって、あらためて「正史三国志」の呉書をぱらぱらと見ていたら、あれっと思う箇所をみつけました。

「江表伝」によると、孫権の息子を人質に出すのを周瑜が反対した時、孫権の母上が周瑜の意見はもっともだと言ったそうです。
さらに続けて「公瑾どのは、伯符どの(孫策)と同い年で、一ヶ月だけ遅く生まれられたのです。私はわが子同様に考えておりますから、おまえも兄上だと思ってお仕えしなさい」と。
え、一ヶ月遅く生まれた?(^^;
なるほど、と言うことは周瑜は孫策の次の星座と言う可能性大なわけですね。
私たちの想像通り、孫策がもし牡羊座だとすれば、周瑜は牡牛座。そして孫策が獅子座なら、周瑜は乙女座と言うこと?(笑)
そう言えば、周瑜は音楽にも精通しており、宴の席などでお酒が入っていても、演奏に間違いがあると必ず聞き分けて、演奏者の方を振り返ったとか(^^;
牡牛座は美的感覚に優れ、芸術家も多いようですし、これは意外と当たっているかも? などと、ちょっとわき道にそれたりするのも、歴史の楽しいところ(笑)

容貌美しく、才能にも恵まれ、武勇に優れ、人望も厚い・・・ 
そんな周瑜の早すぎる死を悼む人々の思いは、散り際すらも華やかな桜を心から愛でつつ惜しむ気持ちと、どこか似ているような気がするのです。
 

平成17年4月1日
                                                        
翠蓮