焔 −のうぜんかずら−



「のうぜんかずら、お好きなんですか?」

思わず、声をかけてしまった。
それほどに、その青年は、熱心とも言える様子で、見事に咲いたのうぜんかずらの花を見上げていた。
はっと振り返った浅黒い顔は、無邪気な驚きと照れくささが混じったようで、次の瞬間、くしゃっと人懐こい笑みを浮かべた。


沖田総司。
京の人々に壬生狼(みぶろ)と呼ばれ、恐れられている新選組の幹部とは、とても見えない。
(この人が本当に、鬼のように剣を振り回したりするのかしら)
ひょろりと背の高い、のどかな気配をまとった青年。
自分より、少し年下かもしれない。
それにしても、こんなふうに無防備な様子で花に見とれる男の人は珍しい。
佐絵は、軽い驚きを持って、まじまじとみつめてしまった。


医者である父が開いた診療所で、手伝いを始めて、2年近くなる。
医術を本格的に学んだことはない佐絵だったが、診療所には雑用がたくさんあり、それらをこなすうちに、一端の助手並みには役に立てるようになった。



沖田と名乗る青年が診療所を訪れたのは、数日前。
父の見立ては、あまりよくなかった。いや、よくないどころか、大層悪い。
おそらく、不治の病と言われる労咳だろうとのことだった。
だが、それを聞いた沖田は、ほんの少し困ったように苦笑を浮かべ、
「まいったなあ、のんびり休んではいられないんですけど」
と、あっけらかんと言った。


「実は、うちの隊には鬼のように怖い人がいましてね。さぼっていると、とんでもない目に遭う」
まるで、重病の見立てを、冗談に受け取ったかのような沖田の口ぶりは、厳格な父を怒らせるに十分だった。
労咳の恐ろしさを並べ立てられ、今まで放っておいたことを散々叱られた。
半ば脅されるように養生することを約束させられると、急にしおらしくなったのが、妙に可笑しかった。
もっとも、そんなふうに思った自分を、佐絵は内心おおいにたしなめた。
たった今、重病を宣言された人に対して、可笑しいだなんて・・・


そして、必ずもう一度来るようにとの父の言葉に、素直に従ったのか、沖田はさきほどまた顔を見せたのだった。
再度の父の見立ては、やはり変わらず、とにかく栄養を摂って養生するようにと、厳しく言い渡された。
沖田は神妙な顔で聞いて、頷いていたが、はたして内心、どんな思いを抱いていたのだろうか。
帰り際、父が処方した薬を置き忘れて、そそくさと部屋を出てしまった。
薬を持って追いかけた佐絵が見たのが、診療所の門に咲いているのうぜんかずらを、熱心に振り仰いでいる沖田の姿だったのだ。



「ああ・・・、のうぜんかずら、って言うんですか、この花」
沖田は頷きながら、もう一度、高く咲く花を見上げた。
「なんだか、火が燃えているような花ですね。咲いているのも・・・」
そう言って、視線を足元に落とすと
「散っているのも。地面に落ちてもまだ燃えている」
その言葉につられて、佐絵も散った花に目を遣る。
咲いていた、そのままの形の橙色。
確かに、小さな炎みたいな花だ、と思った。



「きれいだなあ」
と、感心したような沖田の言葉に笑いかけた佐絵だったが、次の瞬間
「こんなふうに、散れたらいいなあ」
ぼんやりとつぶつ、地に落ちた。
佐絵は、ぎくりとした。
不吉な思いを払うように、たった今落ちたその花を、慌てて拾い上げる。
散った花が、もう一度枝に戻るはずもないのに、なぜかそのままにしておけない気がした。
命の焔・・・ふとそんな言葉が、佐絵の頭に浮かんだ。
かすかに温かいような花を、手のひらに包み込むと、さきほどのやわらかな沖田の笑顔が思い出された。


 ――― こんなふうに、散れたらいいなあ・・・


ふいに、胸の奥が痛む。
(だめ、だめです、絶対に!)
思わず、心の中で叫ぶ。
(散ってはだめ! 頑張って、治って、きちんと生きて・・・)
なぜかわからず、涙ぐみそうな自分に気づき、佐絵は困惑した。
どうして、こんなに気にかかってしまうのだろう。
まだ会って間もない人なのに。

あまりに無邪気な目をしていたから?
あまりに残酷な運命に思えたから?
わからない。まだ何もわかってはいないのだ、あの人のことを。
ただ治る見込みがあるなら、自分もできるだけの手助けをしたい。
生きてほしい。あの明るい笑顔を曇らせることなく。
そう強く願った。


佐絵の肩に、夏の夕暮れの気配が、静かに落ちてこようとしていた。
のうぜんかずらの花は、白い手の中で、散ってなお燃え続けているように、鮮やかな色を見せていた。


            
 <完>