「声に出して読みたい日本語」
齋藤 孝 著
草思社
普段よく本を読む人でも、それを声を出して読むと言うことはめったにしないのではないでしょうか。私自身も声に出して読むと言うのは、学校の国語の授業での朗読くらいしか記憶にありません。 目で追って黙読していた文章なりセリフなり詩なりを、実際に声に出して読んでみたら・・・ 私の場合は意外なくらい難しく思えました。その言葉のリズムなり抑揚なりを、声で表現する、これはかなり研究の余地がありそうです(笑) この本はいくつかの章に分かれています。「腹から声を出す」とか「リズム・テンポに乗る」「しみじみ味わう」「物語の世界に浸る」などなど・・・ 最初の章は「腹から声を出す」。まずのっけから「なんて面白そうな」と思えるセリフが登場します。 「知らざあ言って聞かせやしょう。浜の真砂と五右衛門が、歌に残せし盗人の、種はつきねえ七里ガ浜・・・」 そう、ご存知歌舞伎『弁天娘女男白波(べんてんむすめめおのしらなみ)』の中のセリフです。実際にこの歌舞伎を見たことのない方でも、どこかで耳にしたことはあるのではないでしょうか。私もそうでした。しっかりと舞台を見たことはないのですが、なぜかこのセリフは聞き覚えがありました。 弁天小僧菊之助が片肌脱いで(いたと思う)、キセルを片手に威勢よく名乗るシーンさえ、どこかで目にしているのです。ですから、少々わくわくしながら、さっそく声に出して読んでみると・・・ なんとサマにならない(当たり前か) 七五調でノリのいいセリフながら、これをかっこよくキメるのは至難の技ですね(笑) それでも、最初の出だし程度しか知らなかったうろ覚えのセリフがしっかりわかって、なんだか楽しい気分でした。 この章には他にも『がまの油売り』の口上やら『国定忠治 赤城山』や『森の石松』の中の有名なセリフなどもあり、詩や『平家物語』の出だし、さらには「ベンセイシュクシュク」と言う定番の詩吟や狂言からの抜粋、はてはなんと般若心経まであると言う、なかなか興味深い章です。私的にはこの本の中で一番面白いと思った章でした。 「あこがれに浮き立つ」と言う章では、詩や短歌、俳句などが挙げられています。 島崎藤村の『初恋』、石川啄木の歌、中原中也の詩・・・ その中に私の好きな短歌、額田王の「あかねさす・・・」と天武天皇の返歌「紫の・・・」が入っているのも嬉しかったし、大津皇子と石川郎女の相聞の歌もあらためて読むと素敵でした。 柿本人麻呂や志貴皇子の歌も好きなものでしたし、中でも茅上娘子(ちがみのおとめ)の歌はなんとも情熱的で、この歌を朗々と読めたら素敵だろうなあ、と(笑) 「君が行く 道のながてを繰り畳ね 焼き亡ぼさむ 天の火もがも」 でも短歌も声に出して読むのは、やはり抑揚とか難しいですね。昔の人は実際に、どんなふうに読んでいたのだろう。声を長く引いて? 節をつけ、めりはりをつけて? 美しい自然の中で、晴れやかに詠まれる風情ある和歌の数々・・・ 想像すると気分はいにしえに飛びます。 「季節・情景を肌で感じる」と言う章には、やっぱり、と言う感じで清少納言の『枕草子』の出だしが入っていますし、与謝蕪村や正岡子規の歌や句、樋口一葉の『たけくらべ』の抜粋など、季節の空気が感じられます。百人一首の中から、季節の情景が思い浮かぶような和歌もいくつか載っています。嬉しいことに絵札の形式で(笑) 「物語の世界に浸る」の章では、有名な小説の出だしがいろいろと楽しめます。 ああ、そう言えばこの小説昔読んだなあ、なんてなつかしく思いながら・・・ 川端康成、森鴎外、夏目漱石、芥川龍之介、出だしの文章を読んだら、なぜだかもう一度ちゃんと読んでみたいと思ってしまいました。特に国語の教科書に載っていた『我輩は猫である』や『杜子春』などは、学生の頃の思い出まで一緒に蘇ってきたりして(笑) 『我輩・・・』は教科書に載っていた部分が、ちょうど猫がこっそりお餅を食べて、それが噛みきれなくて暴れまわる姿が踊っているみたいと言うシーンだったこと。とにかくおかしくて、ここの朗読が自分に回ってきたらどうしよう、絶対笑っちゃうなあと妙な心配したことまで思い出してしまった(^^; 『杜子春』は読みながら、杜子春が佇んでいた洛陽の門が目に浮かぶようだったなあ、とか・・・ こんなことまで覚えていたのか、なんてしばし回想の世界に入ってしまったりしました。 なんて様々なジャンルから、なんて興味深い抜粋をしているのだろうとあらためて感心してしまったこの本。ぱらぱらとめくって、目にとまったものを朗読してみるのも、また面白いものです。 「なんて読むのがへたなんだろう」と我ながらがっかりしながらも、つい手に取ってしまう本だったりします。 |
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