茜さす



もう忘れたはずの想いなのに


もう戻ることのない季節
戸惑いごとさらわれて行った
ときめきの突風の中


すべては遠く淡い
過ぎ去りし日のことなのに


なぜ


あなたはまるで
あの頃のように
手を振ったりなさるのでしょう


わたしだけをみつめ
わたしだけに微笑むと言わんばかりに


たわいないほど大胆に
手を振って見せる方


こころの一番深いところに眠り
幾重もの衣に隠されている
あなたと言う色を


なぜ
もう一度
掘り起こそうとなさるのでしょう


紫草が
白く静まったその花の
見えない根の中に
鮮やかな紫の色を秘めているように


気づきたくはなかった
わたし自身でさえ


誰にも知られたくはなかった
そうあなたにさえ


揺れる肩越し
ふいにすべての風がやみ


紫草咲く野のあちらとこちら
ふたつの影は動きを止める


遠く向き合ったまま
息さえもひそめて


草を踏みしめる音まで
響いてしまいそうな静寂


そう
わかっていらっしゃるのでしょう?


この先は標野(しめの)
立ち入ってはなりません


ほら
誰かに見られてしまう


思い出までも
咎められてしまう


恐れを知らぬあなたの微笑みは
あの日のままだけど


わたしたちはもう
こんなにも隔たってしまった


あなただって
もうその腕の中に
わたしをさらって行くことなど
できはしないと知っているはず


だから


何も気づかなかったふりをして
背を向け歩き出しましょう
後ろを見ないで


もし振りかえったなら


もし
立ち去らずに
わたしを見送るあなたを
みとめてしまったなら


あの頃のように


もう一度あなたを
愛しく思ってしまいそうな
自分のこころが怖いから




※ 標野 (しめの)・・・大和・奈良時代、皇室などの領有する原野で、
                        猟場などにされ、一般の人の立ち入りを禁じた所。


(壁紙 PIPOさん)
『吹く風と草花と』