傍らのぬくもり


主人公は、黄金主で「ソアラ」と言います。



「私、ゼネテスのこと、好きだなぁ」
 途端に、傍らで殺気が迸った。
 大概に。堪え性がないのだと思う。
「いいわよね。さっぱりしてて。後腐れなくて」
 殺気が膨れ上がる。
 いったいどうして。私が真剣にゼネテスを『想って』いるとなど、疑えるのだろう。そんなものだったのか?私達の関係は。
 それとも、私は信じるに値しないのだろうか。
「あーあ、やっぱり包容力のある男って魅力的よねぇ」
「それほどゼネテスが良いのなら、奴のところへ行けばよかろう」
 ずっと無言を保っていた傍らの獅子は、ようやっとむっつりとそれだけ言った。応えることもないと思っていたソアラは、存外に驚く。
「聞いてたの?」
「聞かせるように言った者が、良く言う」
「だって、聞かせてたんだもん」
 ぷう、と頬を膨らます。
 開け放った窓から望む外は、青い空に眩しい太陽が昇り、青々しい緑が艶めき、抗いがたい誘惑の匂いを撒いていた。一歩外に出れば、すがすがしい空気を存分に味わえるだろう。
 けれど、その一歩が、遠く先に思えた。
 ここは、ディンガル城内。皇帝の私室は重厚に造られており、厚い壁が、軽く牢を彷彿とさせる。
「ゼネテスは、それくらい言ったって、怒らないわよ?ネメア」
「私は、心が狭いのだ」
 確かに。ネメアは思いのほか心が狭い。狭いというより、広く見せる器用さがないというか、独占欲を利用する狡さがないというか。
(…あれ?)
 ふと、気づく。
 城を容易に出られないネメアを慮って、自らも出ようとしないソアラだったが、「外に出たい」と言ってネメアを置いていくことは忍びないと思い、その反面、「なぜ私が付き合ってやらなきゃならないのよ」という半ば当てつけのような文句をたれていた。
「もしかして、嫉妬してるの?」
「ああ、嫉妬している」
 あっさりと認める獅子に、ソアラはくすりと笑う。
「何がおかしい」
「別に、おかしくなんてないわよ」
 嫉妬という感情に、あまり縁がない人生だったのだろうと思う。
 自分という存在が、この世に独りだけだという覚悟があった。その中で、自らの胸に、大事だと思う存在を掻き抱くことは、悪なのだと戒めていた。
 あくまで、それは自らのためではなく相手のためであったのに、自らの戒めを解かず相手の意思を尊重したまま、自らの無罪に気づかないでいた。
 そんな人なのだと思う。
 自分のものという意識がない相手に、嫉妬という感情を抱きようはずもなく。嫉妬を抱く以前の問題で、嫉妬を覚えたこともない彼は、初めて嫉妬していた。
 そんな彼が、無意識に手を伸ばせる相手は少ない。
 …自惚れでなければきっと、思うがままに手を伸ばせるのは、ソアラだけなのだと思う。
「それを言うなら、私の方が嫉妬してる。この大陸には、どんだけあんたのファンがいると思ってんのよ。知ってる?若い女の中で、抱かれたい男ナンバー1は、獅子帝なんだって」
「言葉を返すようだが」
 机についてむっつりと書類に目を落としたまま、ネメアは言う。先刻から眺めるネメアの姿は、その状態のまま、変わらない。書類には、ベルゼーヴァのものと思われる整然とした文字がぎっしりと並んでいた。
「私というものを知って、私を好む人間は多くない。それに比べて、おまえはパートナーとして求められることが多いのだろう?」
 驚いた。
 軽く妬かせようと思っての言動だったが、ネメアの嫉妬は根深かったようだ。
「ネメアって、意外に気が短かったのね」
「馬鹿を言うな。おまえのことに関してだけだ」
 真顔で言う。
 普通なら、照れて言葉にできないようなことを、ネメアはさらりと言う。
 赤面して何も言い返せないでいるソアラに、ネメアはおもむろに席を立った。手にしていた書類を、興味がなさそうに机に放る。
 ネメアという人は、近くにいるだけで威圧感を放つと思う。背の低いソアラは、さらにそう感じやすいはずで。
 けれど、いつものネメアからは、ソアラが威圧されていると思ったことはなかった。
「答えよ。本当に、ゼネテスを愛しいと思っているのか?」
 窓枠に押し付けるように迫ったネメアは、ソアラの逃げ場を腕で塞ぐ。先刻までの立ち位置とは間逆で、窮地に陥ったソアラは、顔を赤らめてしどろもどろになった。
 いつになっても、ネメアの口説き文句に慣れることはない。
「…ゼ、ゼネテスがいい奴なのは、確かよ」
 ぶわり、と。殺気が増す。
 それに気づいているソアラは、ため息をついてみせた。
「だからって、ゼネテスとどうこう、って思ってるわけじゃない」
「それなら…」
 覆い被さるようにソアラに迫るネメアは、低い声で続けた。
「その証拠を見せよ」
「!」
 何を求められたのかは、すぐに分かった。けれど、いつも相手に迫るのはネメアであって、受け入れることしかしたことのないソアラは、知らず及び腰になる。
 かといって、真摯な瞳のままのネメアから目を逸らせず、惑いの瞳で見つめたまま、ぱくぱくと小さく口を動かす。声は、出てこない。
 ネメアは、半ば諦めたように嘆息した。すると、弾かれたようにソアラが口をつく。
「あんたがでか過ぎるのよ。もうちょっと屈みなさいよ」
 素直にひざを折ったネメアに、いよいよ逃げ場がなくなったことを知る。ソアラは、緊張でカラカラになった喉に、息を飲み込んだ。
 低くなったネメアの肩に、そっと手を乗せる。ふわりと、金色の髪が手の甲をくすぐった。心臓の音がバクバクうるさい。これまで何度となくしてきた行為だが、ソアラから、というのは初めてだった気がする。
 ゆっくりと顔を近づけ、恥ずかしさで顔を直視できなくなったソアラは目を閉じる。唇に柔らかな感触が伝わった瞬間、顔を退かせまぶたを開けた。
「み、見せたからね。証拠」
 知らずどもる声が、自分ながら情けない。
「足らんな」
「えっ!?」
 そんな!これ以上どうすればいいのよ!?これ以上は、私の心臓が爆発するわよ!
 声に出さずに暴言を吐いたが、声が出ないのには別の理由があった。
「…ん…っ」
 ネメアの唇が、ソアラの声を塞いでいる。言葉を発するために開いていた唇から、舌が侵入してきて、ソアラの口内を侵してゆく。
「…ふ……んっ…」
 吐息もむさぼるような深い口付けに、呼吸もままならない。崩れ落ちたソアラの膝に、ネメアは腰を抱き寄せた。
 たっぷりとソアラの唇を堪能した後、やっとネメアは唇を離した。既に、ソアラの足に力はなく、回されたネメアの腕にぐったりと体を預けている。
「もう、いいでしょ」
 ぽーっと熱くなった体で、まともにネメアを見返せず、自然俯いた。力の入らぬ腕で、ネメアの胸から離れようとする。
「まだだ」
 耳に囁くように言うネメアの低い声に、鳥肌が立つ。がっしりと抱き寄せられた腕に力が入り、もはや抗いようがなかった。
「ちょ、ちょっと待って。待って待って」
「なんだ」
「ええーと、あの。そうそう。し、仕事は!?仕事はいいわけ!?書類ずっと読んでたじゃない」
「そんなものは後回しだ」
「でっ、でも、ベルゼーヴァは『可及的速やかに』って言ってたよ?」
「『可及的』より、優先されるべき重要なことがある」
「こんなことは、重要じゃないよ!」
「『こんなこと』ではない。私にとっては、最重要項目だ。それとも、おまえにとっては、『こんなこと』なのか?」
「え、えーと…」
 慌てふためいて、思いついた言い訳を口にしたソアラだったが、ネメアに理路整然と反論され、二の句が継げなくなった。
「言いたいことは、それだけか?」
 私は待ったぞ、と言わんばかりに、ネメアはソアラの体をひょいと持ち上げた。
「わっ!待った!待って!待ってってば!」
「もう、十分に待った」
「全然待ってない!」
「嫌なのか?」
 抱き上げたソアラに落とす瞳に、若干の憂いを帯びている。ごつい体が似つきようもないのに、その瞳は捨て猫のそれを彷彿とさせた。
 不意をうたれて、ソアラはうっと息を飲む。
「い、嫌じゃないけど…」
 言った後に、ソアラは捨て猫の瞳に惑わされたことを酷く後悔した。
「そうか」
 満足そうに笑うネメアは、捨て猫などではなく、無力な猫に体を変化させられてしまった魔人でもなく、ただひたすらに獅子そのものであった。

「…あ…んっ」
 これから始まることに恥じている暇もなく、あっという間に衣服を脱がされ、素肌をさらけ出したことに赤面する暇もなく、あられもない声を上げされられていた。
 大概に、ネメアは堪え性がないのだと思う。
 己の運命と戦うために見せていた、鋼鉄のような意志は、なんだったのだ。
 けれど、だからこそ、と思う。
 きっと、自らのささやかな希望などを優先すれば、その意思が崩れ落ちることを知っていたのだ、彼は。だからこその鋼鉄の意志。他の事を一切顧みない一本道の軌跡。
 存外、はじめからこの男は堪え性がないのだ。
 …まあ、そんなことを考える余裕など、今のソアラにはなかったわけだが。


「目が覚めたか?」
 もぞもぞと毛布の中で身をよじると、すでに衣服を身に着けて机につき、すました表情で書類に目を落とすネメアがいた。陽は、とうに落ちている。部屋の中のあちこちに点けられたランプが、暖かな色でぼんやりと部屋を照らしていた。
 ランプの光に柔らかく反射して煌めいていた金色の髪をしばらく見つめていたソアラだったが、なんとなく腹が立って恨めしそうに見ると、それに気づいたのかどうか怪しげなネメアが、ゆっくりと寝台に近づいてくる。
「ネメア…」
「どうかしたか?」
「寒い」
「ならば、暖炉に…」
 火を入れよう、と続けようとしたネメアの言葉は、毛布の中から出たソアラの手に腕を掴まれ、喉の奥に落ちた。
「寒い」
 繰り返された言葉に、ネメアは合点したのか、ソアラに寄り添うように体を横たえる。ゆっくりと引き寄せたネメアの腕の筋肉質な感触に安心感を覚えると、暖かなネメアの胸に頬をすり寄せ、ソアラは目を閉じる。
「寒くはなくなったか?」
「うん…」
 振り落ちた金髪が、額にくすぐったい。満ち足りた幸福感に、ほっと息をつく。
「けど…」
「なんだ?」
 丁度良いタイミングで、ソアラの腹が、くうと鳴った。
「おなかすいた…」
 ネメアは一瞬声を失ったが、そういえば自分も食事がまだだったことに気づく。そして、苦笑した。
「そうだな。私も腹が減った。食事としよう」
 ぬくぬくとした幸福感は心底惜しかったが、同じように抗いがたい空腹感が、温かいスープを想像して脳裏から離れない。
「ネメア」
「なんだ?」
「…あったかい」
 しばしのぬくもりを全身で感じながら、ネメアが優しく抱きしめる腕を感じながら、頭上で小さく動いた空気で、ソアラはネメアが微笑んだのを知っていた。


END



微妙にエロいお話でした…。あああ…。
でも、アレな描写は、ホント勘弁してもらいたい。
それじゃなくとも、文字の表現力に自信ないっつーに。
(かといって、絵の描写力があるかは別問題)

ネメアさんは、強くて頼りがいある男ですな!
どっかのゼのつく人とか、セなんとかっていう人とかは、いろいろとアレなので、
全面的に頼るっつーより、こっちが面倒見なきゃいけない男って気がします。
…表向きは頼りがいある男なんだけどなぁ…。


index