共にゆく


主人公は、黄金主で「ソアラ」と言います。



 ずっと憧れていた。
 長い時間は、それを『崇拝』というものまで変えようとしていた。
 けれど。
 いざ、彼を目の前にした時、何か言葉では説明がつかないような感情が吹き出してきて、キッと睨んでしまった。
 何が気に入らないのか、自分でも分からぬまま、それは『歯がゆさ』に似たようなものと思えた。睨んでも、彼は視線さえ揺らがせない。そんなものに心を動かされている暇などない、とでも言うように。
 実際は、今まで味わったことのない動揺が胸を埋めていたのだが、もともと表情の乏しい、否、表情の変え方を知らない不器用な彼は、憮然としたまま強い視線を受け止め、小柄な彼女を見下ろしていた。
「なんで、あんたは…」
 随分と先輩になる彼に、それどころか英雄でもある彼に、敬語も忘れ挑みかかるような仕草を、背後に控えていた弟がぎょっとしてとどめようと手を出したが、彼女は振り返ぬままあっさりと振り払った。彼女は、溢れ出る憎しみにも似た感情を、そのまま目の前の彼にぶつけていた。
 が、続く言葉が出てこない。
 何か言いたいことはあった。けれど、それは胸の中でもやもやとしたまま、はっきりとした言葉にならない。
「…また、会うこともあろう」
 黒い鎧に身を固めた彼は、ほんの少し笑んで言った。彼女を見下ろす時に、ふわりと肩から落ちた金の髪が、まるで彼の存在を主張するかのような、黄金のたてがみに見えた。
 また、会うことになる。
 それは、なぜか、確固とした予感として、胸にあった。なぜかは分からない。けれど、これから先も彼に何度も会うことは、すでに決められた未来のように思えた。
「今度会うときまでには、あんたより強くなっていてやるわ。―――ネメア」
 戦いを挑むような目つきのまま、彼女は言った。
 ネメアの微かな笑みに、嫌味はなかった。それどころか、彼の人間性が顔を覗かせたような気さえした。けれども、彼女は己に抱いた感情のためか素直に受け取れず、小馬鹿にされている、と受け止めるしかなかった。
「それは、楽しみだな」
 彼と彼女の冒険者の実力は、天と地ほどの違いがある。一方は、魔人さえ倒し、英雄と謳われた、頑強な体躯を持つネメア。一方は、冒険者としても駆け出しの、小柄な少女でしかない。
「楽しみにしていよう。―――ソアラ」
 ソアラの微妙な感情に気づいているのか気づいていないのか、一切におわすこともなく、ネメアは今度こそ確かに笑んだ。
 本当に、楽しみで仕方ない、とでも言うように。
 ここに、彼の義父であるエルフの長がいたならば、初めてみる屈託のない笑顔ですねえ、とからかっただろうが、ここは雑然としたリペルダムの路上だった。彼の義父の家からは、十数日離れている。
 精悍な顔つきに突如表れた笑顔に、思わず見とれてしまったソアラは、そのことに気づき、一気に顔を赤らめた。
「ほ、本当に強くなってるんだからね!あんたなんか、負かせてやるんだから!」
「勇ましいな」
 それだけ言うと、ネメアはあっさりと踵を返した。唐突に置いてきぼりにされたソアラは、その大きな背中をぼんやり見送ることしかできない。
 …分かっている。
 そんなすぐには、付け焼刃の訓練をしたところで、彼に到底敵わない。
 けれど。
 いつかきっと。
 彼女の中に、静かに燃える炎があった。決して消えることのない。諦めることを知らない、未来を見据えた、強い強い炎。


 もちろん、その後ネメアに何度か会ったが、実力で敵う気は到底しなかった。
 また、ネメアに告げるべき言葉も、ようとして形にならなかった。
 けれども、ソアラは諦めることはしない。なぜか、諦めてはいけない気がした。何のためかは、はっきりとは分からない。けれど、その『何か』の中には、ネメアの存在が含まれていると、はっきりとした確信があった。
 そんな時だった。ソアラをかばって、ネメアが次元の狭間に落ちたのは。
 憤慨した。
 なぜ、そんなことをする。あんたは、自らの運命に立ち向かうべく、父さえ倒して前に進んでいったんでしょう?なぜ、こんなところで、こんなくだらない人間をかばってるのよ。
 そして、悲愴。
 私は、『かばえ』って頼んでないわよ。あんたがこの世界に残って、次元の狭間に私が落ちてくたばった方が、どれだけ世界が喜ぶと思ってんのよ!
 理不尽な罵声を、心の中で叫ぶ。いつの間にか浮かんだ涙を、無造作に拭った。
「…ね…ねえちゃん…」
「大丈夫。心配しないで」
 おろおろとした弟をそのままに、戦場となったロストールを駆ける。
 やっと開いた心の箱。そこには、ネメアへの恨みの言葉などなかった。あったのは…。
「私、もう一度ネメアに会わなきゃ。言わなきゃいけないことがあるの。…だから、ここで負けてられない」
 掴んだ剣は、ソアラの言葉に呼応するように、キラリと光った。


 ウルグの存在を、ごく身近に感じる。
 悲しくて、辛くて、愛しい者をむざむざと亡くした自分を許せなくて、もがいている魂を。いつしか、それは禍々しい闇と変質していた。けれど、大丈夫。その始まりは、愛しい者への絶えることのない愛であることを、私は知っている。
「ネメア。ずっと、あんたに話したかったことがあるの」
 心の海は、波立つことなく、静かに満ちていた。
 ネメアの表情は、相変わらず動かない。けれど、その瞳はじっとソアラを真摯に見つめていた。
「私ね。あんたの行動は認められないの。だから、あんたの言うとおり、ずっとあんたに挑んできた。なぜだか分かる?」
 ネメアは、静かに首を横に振った。
 少しの呆れた表情で笑みを浮かべながら、ソアラは続ける。
「あんた、誰にも頼らなかったでしょ。…違うかな。…あんたは、誰も信用しなかった。信じるものは、自分ひとりだった。だから、大陸制覇をゴリ押そうとしたし、オルファウスさんにだって手をかけた」
 その行動は、魔人のごとく、であったろう。
「私はさ、いくら抗いようのない運命を覆すためだといっても、許せないんだ。他に手段はなかったの、って」
 ソアラは、ネメアを見上げて、ネメアの頬に手を伸ばした。されるがままにしているネメアは、ソアラの掌のぬくもりを感じつつ、それでもまだ無言のままソアラを見つめている。
 ソアラは、その言葉とは裏腹に、静かに笑んだままだった。
「あんたさ。オルファウスさんにも、ケリュネイアにも、ベルゼーヴァにも、ザギヴにも、レーグにも…、皆みーんなに愛されてたんだよ?知ってる?」
「それは…」
「『憧れ』とか『崇拝』とかさ。いくらでも、皆の差し伸べた手を振り払う理由は作れるんだろうけどさ。それだけじゃないんだよ。皆、ネメアの隣に立つことを望んでた。ネメアの力になりたいって思ってた。それとも、ネメアは、皆がネメアのことを『英雄』としか見てなかったとでも思ってるの?」
「私は、英雄などではない」
「じゃあ、いいじゃない。手をとっても。力を借りても」
 ソアラは、心の箱にあった言葉を、一生懸命伝えやすい形に紡ぎ上げていく。
 長い旅の間、ネメアへの憤りの本質を考えていた。
 彼はいつも独りだった。そして、誰もが彼を『英雄』と呼んだ。
 けれど、それだけだったんじゃなかろうか。
 確かに、英雄視してくる者に、自分が英雄ではないことを説き伏せ、同じ立場に立って欲しいと告げるのは、他の者達より難しいかもしれない。けれど結局は、信頼できる仲間ができるかどうかは、自らの行動による。欲して手を伸ばさなければ、決して手が届くことはない。それは、感情の表現が上手くできないという名の、人付き合いが上手くない者でも、同様のことだった。
 だからといって、そんな不器用さに甘えて、自分に厳しくなんて、笑えない冗談だ。
 みっともなくてもいいから、泣き喚いて手を伸ばせばよかっただけのこと。
 慟哭は、突如現れる。
「『おまえなんかいらない』なんて、拒絶しないで!」
「ソアラ…」
 ソアラの瞳に、涙が浮かんでいた。
「あんたの『運命に抗う』っていうやつはさ。結局、私達の世界の救済に繋がるんだよ。あんたが、もし運命に従ったのなら、この世界は終わってた。あんたを愛してくれた人は皆死んでた。あんたが愛した人も」
「!」
 ネメアは、目を見開いた。
 自覚しなかったわけではなかった。自ら科した使命のために、鬼となったネメアは、自らの心を閉ざした。大事なものも、大切なものも、失うことを厭わない。自ら手を下すことも、厭わなかった。
 しかし、その帰結はどこへ行くのだ?
 ネメアよりも何よりも、目の前のこの小さな少女が、一番理解していた。
「私も、たいがいに馬鹿だけどさ。ネメア、あんたも馬鹿だなぁ。独りで戦う必要なんて、これっぽっちもなかったんだよ」
「しかし、私と行動を共にすれば、皆、死ぬ」
「馬鹿にするな!」
 ぺしり、と。ネメアの頬に添えられていたソアラの掌が、ネメアの頬を軽く打った。
 泣き笑いのような表情が、ネメアに向けられていた。
「皆、人はたくましいんだ。ネメアこそ、勝手に一線を引かないでよ。拒絶しないで、って言ったでしょ?あんたのソレはさ、恐がってるんだよ」
 失うことを。
 『英雄』でない自分に理想を抱き、現実を知らぬまま死にゆく者の命は、ネメアに重い。それならいっそ、父のように自ら手をかけてしまえば、責は全て自らに降りかかる。それなら、自らだけが負えばいいことだ、と。
「恐れないで。私達にも、自らの意思をまっとうさせて。あんたは、愛されてるんだから」
 ソアラは、そう言って、満面の笑みを見せてみせた。
 ネメアが見る、最高の笑顔だった。
「ソアラ」
 踵を返して立ち去ろうとしたソアラの腕を、ネメアが掴んだ。引き寄せられた体は、すっぽりとネメアの腕に抱かれる。
「ネ、ネメア?」
 慌てたのは、ソアラの方だった。
「私も、次元の狭間にいる間、ずっと考えていた。私の行動が、果たして正しかったのか、と」
 冷静に聞けば、気が遠くなる話でもある。自らの存在が危うい次元の狭間で、考え事などする余裕があったことに。
「どうやら、誤っていたようだな」
 鬼神のような気迫が薄れたので顔を上げてみると、そこには穏やかな笑みのネメアが居た。初めて見るネメアの笑顔に、顔を赤らめることも忘れて見つめていると、優しいくちづけが降りてくる。急激に、ソアラの顔が朱に染まった。
「…ネメア!?」
「これからは、おまえと共に歩もう。おまえの傍らで。許してくれるか?」
 その言葉に、ソアラは背伸びをしてネメアの首に手を回し、嬉しそうに抱きついた。こぼれた笑顔が、何よりも返事を物語っていた。


END



何気に好きな、ネメアさん。
身悶えそうな甘い言葉を吐いても、表情を動かさないであろうネメアさん。
ゲロ甘な、ネメア×女主が読みたいなー、
ということで、自家発電しようかと思ったところ、
その前に書いておかなきゃならんことを、書いてみました。

ネメアには、どんな女主が合うかなー、とずっと考えてたんですが、
自分の運命のことには突き進む彼ですけども、
人付き合いについては、てんで不器用なんじゃないかと思いまして、
がつがつ引っ張ってってくれるであろう黄金主をあててみました。
個人的に、ネメアのことは「ネメアさん」じゃなくて「ネメア」と呼んで欲しい。

…語りが長い…。これくらいにしておこう…。


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