譲れぬ命
「できるなら、もっと平和な時代に出会いたかった」 彼は、そう言ってミレディの駆る飛竜から遠ざかって行った。戦場では、いつも見ていた背中。頼り甲斐のある、暖かい背中。 それは、こんなにも遠い。 「ゲイルーーー!!」 声をからして叫んでも、彼は振りかえらなかった。 分かっていたことではなかったか。 ギネヴィアについて、リキア同盟軍に入った時点で、私は祖国と戦わねばならなくなったのだ。今までも、何人ものベルン兵を倒し、その屍を越えて来た。例え、目の前にいる彼が最愛の人であったとしても、いまさら、どんな言い訳をするというのだ。 私の手は、以前の同胞の血で濡れている。 それだけで、十分だ。 ベルンは、最強の布陣を敷いていた。指揮するのは、あの、マードック将軍。地上は騎兵で黒く、空は飛竜で赤く染まっていた。 知っている。 これは、全軍にも近い数。 多分、あのマードック将軍のことだ。これだけの布陣を敷いても、リキア同盟軍、ひいてはロイの指揮する戦力と並ぶかどうかと疑っていることだろう。…彼は、冷静だ。…そして、第三者的評価の目を持っている。自軍を甘んじるところなどない。 それは、ゲイルにも言えることだった。 彼は、ここで死ぬ。 絶望的に、そう思っていた。この戦いが終われば、その考えが正しかったことを思い知らされるのだろう。そして、彼の傍らで、涙が枯れるまで泣くのだ。 それが、私の運命。 先刻から、その運命を受け入れようと、必死になっていた。 彼らに、ゼフィール以外の者が支配するベルンなどあり得ないのだ。ベルンがベルンであるからではない。ゼフィールがベルンの王であるからだ。それは、どんなにゼフィールの瞳に暗い炎が宿っても、変わることがない。どこまでも貫かれるその精神を、ミレディは知っている。 ゼフィール王は、ミレディも好きだった。類稀なるその才能、知識、行動、全てにおいて、王の中の王であった。…が、それは、この戦いが始まる頃から、歪んでいった。 なぜなのだ。皆、平和を望んでいたのではなかったか。 ゼフィールが父親に暗殺されそうになり、反対に暗殺したという噂は、すでに通説になっていた。 でも。 ゼフィールの母親も、ギネヴィアも、配下の者達も、皆ゼフィールを好いていた。それで十分ではなかったのか。 多分、ゼフィールは、最後の最後で心の弱い人間だったのだろう。父親を殺すという行為が、彼を狂わせてしまったのだ。…優しい人だったから。 これは仕方のないことだ。 自分に言い聞かせる。飛竜の手綱を握り締める。…と、目に入るものがあった。 遠ざかったものの、ミレディの周りを旋回するドラゴンナイト達。飛竜に乗る顔ぶれには、見覚えがある。 苦しい訓練を一緒に潜り抜けた者達。ゲイルも、その中にいた。 なぜ。 ふと気付く。今まで思いにふけっていた自分に、何の攻撃もなかった。これほどの敵兵が回りに群がっているというのに! 「姉さん!ゲイルさん達が…!」 「…だめよ…」 「…え?」 飛竜を駆るツァイスが、ミレディに近寄る。が、ミレディは全く気付かないように、俯いたまま呟いた。 「だめよ。私は、諦めが悪いの。そして、わがままなんだわ」 だって、あなたは私を攻撃するどころか、守るように飛んでいるじゃないの。 優しい…人…。 きっと、この選択は彼を苦しめる。そして、自分が生きて帰れるかも分からない。だって、彼らの実力は、私が良く知っているもの。 でも。 「私は、嫌なの。…大切なものを失うなんて、絶対に嫌なの」 声は、いつのまにか震えていた。興奮、しているのだろうか。その震えは、恐怖からではなかった。血液が、体中をふつふつと駆け巡っていく。 ミレディは、顔を上げ、旋回する飛竜達を、睨むように見つめた。 「…姉さ…!」 その顔に驚愕したのか、ツァイスが息を飲む。 ミレディは泣いていた。頬を幾筋もの涙の線が濡らしている。そして、その表情には、怖いほどの決意が浮かんでいた。 「何をする気…」 「ツァイス、止めないでね」 一瞬だけ、弟を振りかえる目がゆるんだ。相手を安心させる優しい瞳ではあったが、見ているだけで切なくなるような、そんな瞳。 ツァイスは、その瞳を目に入れ、嫌な予感がした。この瞳は、前も見たことがある。 それは、エトルリア王に謁見した際、ギネヴィア姫が賊に教われ、身を呈して救ったときではなかったか。あの時、ミレディは、瀕死の重傷を負った。それこそ、生きているのが不思議なほど。 「姉さん!待って!!」 ツァイスの声が届くのを待たず、ミレディの駆る飛竜トリフィンヌが、大きくはばたいた。そして。 旋回する飛竜群に、突っ込んでいく。 「ミレディ!?」 突然の予測しなかったミレディの行動に、ゲイルは一瞬固まった。それが、たとえ一瞬だとしても、三竜将に匹敵する実力の持ち主にとっては、殆ど見ることのできないほんのわずかの隙。 これを逃したら、後はない。 少しでもずれては駄目。 少しでもひるんでは駄目。 「勇気を出して…」 ミレディは、自分に言い聞かすように、ぽそりと小さく呟いた。 「はああああ!!」 気合の声を上げる。槍を振りかぶった。 ゲイルは、ミレディの動きから目を離さなかった。避けられるはずだった。ミレディは訓練の間、ゲイルから一本も取ったことがない。実力の差は歴然のはずだった。 …反撃できるはずだった。 「馬鹿ね」 ゲイルに槍を向けることをためらったツァイスに、「甘い」と言っていながらも、ミレディに槍を向けることをしない。 「自分の生涯で一番大切なものを、自ら斬ることはできない」 声は聞こえなかったが、口元がそう動いた気がした。 ザシュ。 肉を切り裂く音と共に、鮮血がほとばしり、槍を持つ手に生々しい感触があった。ゲイルの体は、ゆっくりと傾ぐ。その表情は微笑んでいるようにも見えた。 ミレディは、飛竜を器用に操り、落ちてゆくゲイルの体を飛竜の首で受けとめる。ミレディが、ゲイルの体を抱え込むような形になった。 「隊長!!」 元訓練仲間から、絶叫が上がった。友好的ではなかったにしても、敵対心剥き出しではなかった彼らの瞳に、明らかな怒りの炎が浮かぶ。 「ミレディ!なんてことを!」 「あなた達もこうなりたくなかったら、死ぬ気でかかってきなさい!受けてたつわ!!」 元々赤い鎧は、ゲイルの返り血で赤黒くぬらぬらと光っている。膝には、ゲイルの腹が当たり、ぬるりとした感触があった。ゲイルは、ぐったりとしたまま、ぴくりとも動かない。 「姉さん!」 ツァイスが傍に寄り、声を上げる。 「ツァイス!あなたも一緒に死ぬことはないわ!ロイ殿に合流しなさい!」 「姉さん一人で敵うわけないじゃないか!」 ミレディの頬には、絶え間なく涙が流れている。その顔を、ミレディ自身が分からないはずないのではないか? どうして? ツァイスには、ミレディの行動が理解できなかった。 あんなに好いていたゲイルさんを、なぜ!? しかも、自分達を守るように飛んでいたゲイルさんの部隊をも敵にするなんて、どうかしてる!彼らを倒したら、周りを取り囲むドラゴンナイト達が、一斉に攻撃してくるんだぞ!? 「姉さん!無茶苦茶だ!!」 ミレディは、耳を貸す気が全くないらしい。 鎧は血に濡れ、頬は涙で光り、瞳は虚空を睨む。壮絶なその姿は、まさに鬼神のごとくだった。 鬼神は、戦場に響き渡るように声を上げた。 「かかってきなさい!!」 三体の飛竜が、同時にミレディの飛竜へと槍を向けた。 そよそよと、森の新鮮な空気を運んでくる風。優しい陽射しを浴びて、ゆるゆると暖かい風が白いカーテンを揺らしていた。 戦は続いているが、ここからは遠く剣戟の音は聞こえない。 見慣れない天井がそこにあった。白いシーツに、白い包帯。 一瞬、天国だと思った。死んでも包帯をしているなんて、随分と容赦がない、と。起き上がろうとして、腹に激痛があった。痛みまであるのか、と多少げんなりする。想像していた天国とは、遥かに異なっていた。 「目が覚めたんですね、良かった」 聞こえた声に、覚えがあった。 「エレン…?」 「はい」 「君も死んでしまったのか?」 「え?」 盆に水を入れた瓶とグラスをのせて、修道女姿のエレンが歩み寄ってくる。ぽかんとした表情の後、エレンは合点がいったように頷いた。 「もしかして、亡くなったと思ってらっしゃるんですか?」 「違うのか?」 「生きてらっしゃるじゃないですか」 くすくすと、エレンは口に手をあて、かわいらしく笑っている。手にしていた盆を、ベッドの傍の棚に置いた。 「部隊の方々も生きていらっしゃいますよ。重傷を負われてますが」 と、視線を足元に向けると、目に入る赤いものがあった。 「三日三晩、飲まず食わずで、どんなに言っても、片時も離れようとしなかったんです」 穏やかな笑みを浮かべ、そのままエレンはその場を立ち去って行った。 そっと、その赤い髪を撫でる。さらさらとした感触は、現実のものかと疑いたくなってしまう程、尊いものだった。胸に込み上げてくるものがある。 それは、気付いたようだった。ゆっくりと、頭を上げる。 「ミレディ…」 もはや、この名前をもう一度口にできるなどとは思っていなかった。 頭を上げたミレディは、ふいにくしゃりと顔を歪めた。ぽろりとこぼれる雫。それは、一粒零れ落ちると、次々とこぼれていった。 「ごめんなさい」 一心にこちらを見つめ、切迫した表情で、そう言った。何のことか、分からない。 「ごめんなさい。私、あなたに謝らなくちゃって…」 「何のことだ?」 「ごめんなさい…。ごめんなさい…」 「ミレディ、泣いていては分からない。説明してくれ」 頬の涙を指で拭う。手のひらに頬の体温が伝わってきて、離したくないという思いそのままに、吸いつくように頬に手をあてる。 「ベルンは、負けたわ」 「!」 「あなたは、国と運命を共にするって、分かってた。でも、私のわがままでそれを阻止してしまったの。たとえ、マードック将軍が倒れても、ゼフィール国王が倒れても、あなたは命のある限り戦って、散っていくのだろうと思っていたわ」 「…」 「でも、嫌だったの。私は、あなたを失いたくなかったの。あなたが国と運命を共にしなかったことを、誰かに罵られようとも」 「…ミレディ…」 「ごめんなさい」 ぬぐった頬の上から、はらはらと涙がこぼれていった。包むようにあてている手を、涙が濡らしていく。 「あなたには、私を斬る権利があるわ」 ミレディは、頬を包む手をゆっくりと外すと、懐から出した小剣をその手に握らせた。 「私が、私のわがままであなたの命の行き先を変えてしまった。今度は、あなたが私の命の行き先を断つ番。大丈夫、私、あなたに斬られるのなら、怖くないわ」 かっと頭に血が上るのが分かった。握らされた小剣を床に叩きつける。ミレディの腕を掴むと、ぐいと引き寄せた。ふいの動きに、ベッドに倒れこんだミレディは、その腕に抱きこまれる。 すぐ目の前に、彼の顔があった。無表情が多い彼の表情には、明らかに怒りが見える。 「そんなこと、するわけないだろう!」 「どうして…」 なぜだか、涙が止まらなかった。ミレディの瞳からは、はらはらと涙が流れつづけている。 「だって、私はひどいのよ。命ある限り戦おうとしていたあなたを、無理矢理前線から引き剥がした。その後のあなたに対する周りの目があることも知っていた。でも、あなたを失いたくは…」 言いつづけるミレディの口を、唇が塞いだ。一瞬目を見開いたミレディは、ゆっくりとまぶたを閉じる。閉じたまぶたから、更なる涙が溢れてきた。 唇が離れていくと、目と目が合った。そこには、彼の真摯な瞳があった。 「ミレディ、おまえにまた会えて良かった」 「…ゲイル…」 ミレディは、ゲイルの胸でしばらく泣いた。ゲイルは、何も言わず、ただひたすらミレディの肩を抱いていた。 END |
書いちゃいました。ファイアーエムブレム封印の剣、ゲイル×ミレディ。 しかも、あの面の話です。 どうにも、攻撃してこない、更に、周りから離れないゲイル部隊に納得できませんで。 そのままにしておけば、生き残っちゃうんですよね、ゲイルさん。 でも、生きていれば、ゼフィールのところに行くのは目に見えていて。 でも、それをミレディが黙って見ているのかなあ、と。 ゲイルさんは、あの最後の会話をツァイスと比べて見る限り、絶対ミレディに攻撃しないんじゃないか、と。 そう思いました。 でも、今度は今度で離れていかない。 何してるんだ? って、考えたのが、「守っているんだ」という結論。 私は、ハッピーエンドが好きです。結構悲劇も書いちゃってますが。 甘い、でしょうかねえ…。 いいんです、甘くても。(←心の声(笑)) |
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