夢を見た
辺りは暗く、街灯が周囲の風景を微かに浮かび上がらせている。 目の前の桜ヶ丘病院は、その闇の中、一種独特の雰囲気を放っていた。病院を包んでいる暗闇に禍禍しさはないが、普通の人間ならば、その場に立つとなんとなく心細さを感じるだろう。 (随分遅くなってしまったな…) 壬生は、白い息を吐きながら、病院を見上げた。 闇の中を、桜ヶ丘病院の入り口に歩んで行く壬生の動きに、闇を恐れるところはない。むしろ、闇の雰囲気を楽しんでいるようにも見えた。 夜間の入り口に入る。ガラスの扉の中は、左右に廊下がのびており、しんと静まり返っていた。電灯も、夜間用に制限しているのか、1つか2つおきに点いている。 (消灯、過ぎてしまったかな) 壬生は、以前見た桜ヶ丘病院の案内をちらりと思い出していた。まあ、それでなくとも、今は十時半だ。普通の病院なら、夜間の入り口も開いていないだろう。 しかし、誰もいないなんて、いつも思うが無用心な病院だ。好き好んでこのいわくありげな病院に忍び込む馬鹿もいないとは思うが。 そんなことを思いつつ、壬生の足はナースステーションに向かった。 先月からだが、院長に母親の薬の調合を頼んでいる。以前もらった薬がなくなり、今日取りに行く約束をしていたのだが、突然入った仕事の都合で遅くなってしまった。 仕事と言っても、今日の仕事に暗殺術は使っていない。暗殺と一言で言っても、命を奪うことばかりではない。むしろ、当事者によっては、死んだ方がましなケースもある。 そういった件は、少なくはない。それがいいか悪いかは、壬生には判断できなかった。 ただ、この清潔な病院に、血で汚れた姿で入らなくて済んで良かったと、それだけを思う。 見知った廊下を歩んで行くと、ゆるやかな明かりが大きな窓から漏れていた。窓の向こうには、様々な形の葉が静かにたたずんでいる。あたかも植物園のようだ。 植物園と違うところは、色とりどりの花が咲き乱れているのではなく、ささやかに、小さな花と葉が身を寄せ合っているところだろうか。 優しさがあふれている。 そんな空間だった。 ふと、壬生はその中庭に寄ってみようと思った。なぜそう思ったかは、壬生自身も分からなかった。 暖房は効いていないため、外気と同じ、冷えた空気が体を覆う。そうは言っても、ガラスの屋根がついている、温室のような構造だ。凍えるほどの寒さではい。むしろ、心地よい冷気だった。 なんともなしに、緑色の周囲を見渡しながら、レンガで造られた小道を進んで行く。ガラスの屋根の向こうには、東京にはめずらしく、ささやかな星の光が瞬いている。 植物が作り出した、清廉な空気を吸い込む。身体の中の澱んだものが抜けて行くようだった。 と。 幾つか並んでいるベンチに、白い人影があった。 「比良坂さん?」 長い訓練で鍛えられた目には、自信が持てる。 歩み寄ると、やはり、儚げに笑う茶色の髪の少女だった。看護婦姿のまま、書類か何かを抱え込んで俯き、……寝息をたてている。 「比良坂さん?こんなところで寝ていると風邪をひくよ?」 寝顔を覗きこむようにして、壬生が声をかけたが、反応する様子はない。 壬生は一瞬躊躇したが、手を伸ばした。そっと、看護婦の白い服に包まれた肩に触れ、比良坂の正面に膝をつき、さらにもう一度声をかける。 「比良坂さん?」 比良坂の瞼が、ぴくりと動いた。 ゆっくりと瞬きをし、じいっと壬生を見つめる。 「壬生…さん…」 無意識に名前を呼んだようだ。壬生を見つめる目に意志がない。 「こんなところで寝ていたら、風邪をひくよ?」 「はい…」 比良坂は、もう一度無意識のうちに返事をした。 実際、触れた比良坂の肩はひんやりとした感触を伝えてくる。このままでは、本当に風邪をひいてしまう。 壬生は、身につけていたコートを脱いだ。脱いだコートを比良坂の肩にかけ、体を包み込むように丁寧に広げる。 壬生の体温の残った暖かいコートで、比良坂の目は急激に焦点が合った。 「み、壬生さん!?」 「やっと目が覚めたようだね」 「これ。このコート。壬生さんこそ風邪ひいちゃいます!」 慌ててコートを自分の身体から剥ぎ取ろうとすると、その手を優しく壬生の手が止めた。 「着ていたほうがいい。僕はこれでも暖かいくらいだけど、君は身体が冷え切っているよ」 「でも…」 言いかけて、比良坂は小さなくしゃみをした。 「ね?」 「…すみません…」 頬を赤らめ、引き寄せたコートで顔を半分隠すと、比良坂は恥ずかしそうに壬生を見上げた。いつもの無表情のようだが、微かに微笑んでいるように見えるのは、比良坂の気のせいではないはずだ。 「ここは、空気がきれいだし、星も見えるんだね」 壬生は立ち上がり、ガラス屋根の向こうの星を仰ぎ見た。長身の壬生を、比良坂がベンチに座ったまま見上げる。 「…座りませんか?」 比良坂の申し出に、壬生は少し驚いたように振り返ると、比良坂の隣に腰をおろした。すかさず比良坂が、壬生のロングコートの裾側を、壬生の膝にかける。 「今日は、壬生さんのお母さんの薬ですか?」 「ああ、そろそろ残りが少なくなってきたからね」 「……」 比良坂は、壬生の母親の容態について、自分からは問わなかった。そんな、ふとすると見過ごしてしまいそうな優しさに気づいて、無口なはずの壬生は言葉を続けた。 「母さんは、…僕の母親は、院長先生の薬でかなり快方に向かっているよ。病気というより、元々身体が弱い人だからね。病気自体はそれほど問題ではないのかもしれないけど……」 「壬生さんのお母さんって、洋菓子とか、好きですか?」 壬生が言い澱んだところで、比良坂が唐突に問いを口にした。 「…嫌いじゃないと思うよ。むしろ、好き、かな?」 多少面食らったまま、応えると、比良坂の顔をいぶかしむように覗きこんだ。比良坂の顔には、やさしい表情が浮かんでいる。 「今、クッキーとか作るのが楽しいんです。そんな上手いわけじゃないんですけど、今度焼いたら、お裾分けしますね。もらってもらえます?」 「…ああ、僕こそ、もらっていいのかい?」 「もちろんですよ。おいしいのを作れるよう、頑張りますね」 比良坂は、照れたように、えへ、と無邪気に笑った。そして、緑の庭園を眺めながら、続ける。 「ここの空気もきれいですけど、外のきれいな空気の中で、陽の光を浴びるのって、とても身体にいいと思うんです。肉体的にも、精神的にも。 外で、親子でお茶会なんて、おしゃれじゃないですか?」 そう言って、比良坂は壬生を振りかえりながら、微笑む。 そういうことか。 壬生は、比良坂のこまやかな心配りに、あたたかなものが心に染み渡るような気がした。 「そうだね。じゃあ、今度もらったときには、そうしてみるよ」 「はい。私もずっと前、お母さんと外でお茶会したんです。それがとても記憶に残っているから、子供ながらにすごく嬉しかったんだろうなって」 なんともなしに語った比良坂の言葉に、壬生は凍った。比良坂は、…こんなふうに無邪気に笑っている比良坂には、家族と呼べる人間が一人もいない。 周囲に気づかせないほど普通に振舞っているなんて、なんて強い女性なんだろう…。壬生は、母親のことを理由にして様々なことを捨ててきた自分を、一瞬恥じた。 「今でも夢に見るんです。楽しかった昔のこと。でも、夢見てもいるんですよ。いつか新しい家族ができて、お義母さんと同じことをしたいな、って。子供っぽい夢なんですけど」 比良坂は、再度恥ずかしそうに微笑んだ。まぶしすぎるほどの笑みが、壬生だけに向けられてくる。その瞬間、壬生の胸になんとも言えないものがこみ上げてきた気がした。 「でも、飛羅達に会って、私は家族と同じくらいの存在を得たと思ってるんです。壬生さんも、ですよ…。とても大切で、ずっと一緒にいたい人達…、ずっと傍にいて欲しい人……」 ことん。 ふいに壬生の肩に、比良坂が寄りかかった。壬生の死角に比良坂の顔があって良くは見えないが、瞼をまた閉じているようだ。 「疲れているのかい?」 「大丈夫……。…壬生さん……」 「なんだい?」 「…ずっと傍にいて…くださいね……」 そして、すう、と安らかな寝息が聞こえてきた。 先ほどから、半分寝ぼけていたようだ。最後のころは、殆ど意識がなかったに違いない。 それでも。 「ありがとう」 壬生は、子供を見るような優しい瞳で比良坂を見つめ、比良坂を起こさないよう、そっとその茶色の髪をなでた。 壬生は目を閉じた。 鮮やかな緑。暖かな陽の光。木漏れ日でまだら模様の芝生。そっとそよいでくる風。 母親が隣で微笑んでいる。その頬には微かに赤みが帯びて、嬉しそうに笑いながら優しい風景を眺め、壬生を振りかえる。 …紅葉…。 その唇は、愛しい息子の名前をつむぐ。 コンコン。 窓を小さく叩く音で、高見沢舞子は気づいた。 「あれぇ〜。壬生くん〜?」 長身の壬生が身体を折り曲げて、ナースステーションの窓を覗きこんでいる。 「高見沢さん、悪いんだけど、看護婦さんが休むベットってあるかな?」 「どおしたのぉ〜?」 舞子が書類を整理していた席を立ち、ナースステーションを出ると、そこには比良坂を抱きかかえた壬生が立っていた。 「紗夜ちゃん??」 「中庭で寝てしまっていたんだ。あのままじゃ風邪をひいてしまうから」 「大変〜。じゃあ、その正面にある部屋は仮眠室だから〜、そこに運んでもらえる〜?」 全く大変じゃないような、ゆったりとした口調でそう言うと、舞子は何か用意するのだろうか、ナースステーションに戻って行った。 舞子に言われた通りの部屋に、ベットが数台並んでいる。その一番手前側に比良坂を寝かせると、毛布をかけてやった。 比良坂は、相変わらず規則的な寝息をたてつづけている。とても、安らかな表情で。その表情を見ていると、壬生の心も安らいでいった。 「おやすみ」 壬生は小さくささやくと、比良坂の額にくちづけた。 もう一度比良坂の顔を見て、魅惑的な笑みを浮かべると、壬生はその部屋を出て静かに扉を閉めた。 扉の前には、シーツを手に持った舞子が立っていた。 「おかしいなぁ〜。紗夜ちゃんって、人前だとあんなに熟睡しないはずなんだけどぉ〜」 人差し指をあごにあてながら、首をかしげる。 「疲れているみたいだね。比良坂さんは眠ってていいのかな?」 「うん。大丈夫〜。今日は舞子もいるし〜、入院している人も少ないから〜。ありがとね、壬生くん」 「礼には及ばないよ。 僕は、帰ることにするね」 「うん。まったね〜」 思案顔で思い悩んでいた舞子が、ぱっと顔を上げて、大げさに手を振る。その毒気を抜かれるような動作に、壬生はくすりと笑った。 「じゃあ、また」 桜ヶ丘病院を辞して、帰り道を歩いていると、ふと、桜ヶ丘病院に行く当初の目的を手にしていないことに気づいた。 「僕としたことが、ね」 深夜に近づく新宿の街の下で、壬生は独りごちた。 一度立ち止まった壬生だが、再び歩を進め始める。 (明日また行ったら、彼女はどういう反応をするかな) 壬生に寄りかかって寝てしまい、さらに仮眠室まで運んでもらったとあれば、あの茶色の髪の少女は慌てふためくことだろう。 壬生は、明日も桜ヶ丘病院に向かう。 それだけで、新宿の闇は軽やかにはずむようだった。 壬生は夢を見る。 それは、鮮やかな緑の――――。 END |
壬生×比良坂、第二弾〜。(アホ) とうとう、壬生の魔の手が、紗夜ちゃんに・・・!!(笑) いやはや、書いててこっぱずかしかったです。 しかし。壬生の書き方、どうざんしょ?ある種、ふつーの男に書きたいんですよね。自分。 普通=ありえる現在に書くと、架空の人物達もリアリティ出てくるじゃないですか。 …と、ryoは思ってみたり。 アホですか?アホですね。バカでもあります。(笑) がんばれ紗夜ちゃん!自分の体は自分で守らなきゃ!(アホか(笑)) 外法帖では、霜葉涼浬っつー話があがってますね。 あたしゃ、霜葉には比良坂(ほのか?)とやっぱりラブって欲しいっす。 涼浬とだったら、そのままずぶずぶはまっちゃうじゃないすか。 やっぱ比良坂に救ってもらいたいっす。(願望) ちなみに、どーでもいいですが、このssの題名は、昔好きだったアーティストの曲の題名です。 (分からんだろーなー…) |
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