捻じ曲げる禁忌
8 貴方がくれた僅かな希望


caution!!
キラ、ラクス(ところによってはアスラン)がお好きな方は、お読みにならないことをお薦めいたします。
もし不快に思われましても、苦情等はお受けできませんので、ご了承ください。
申し訳ありません…。

なお、もし不快に思われましても、苦情は受けかねます…。(すみません)


 しばらく、その場から動けなかった。
 ぐらぐらと揺れる体を感じるのに、自分ではぴくりとも体を動かせない。こんなことは初めてだった。あまりに情けない自分に、嘲笑が込み上げてくる。
 いつもなら、周りにどう見られるか、常に気にしていた。完璧な自分を目指し、周りの人間がその姿勢に賞賛の目を向けてくることを、日頃努力している自分への当然の報酬と思っていた。醜態を晒すなど、考えられない。
 それなのに。ここは自室でもなんでもない、誰もが通れる通路だ。いつ、誰の目があるかも、分からない場所だった。
 何をしているんだ、俺は。
 自問は足元に落ちていく。もちろん、からっぽな胸の中は、応えるはずもない。
 もう、なにもかも、どうでも良かった。今まで築いてきた立場も信頼も、実のない幻影のように思え、ただ虚しくなるだけ。
 そんなもの、いらない。自分を飾りつけていたものなんて、もう何もいらない。全て脱ぎ去って、消えてしまえばいいのだ。だって、みんな中身のない表だけの装飾だったじゃないか。知ったふりをして胸を張り、その実何も知らなかったのだ。こんな馬鹿げたくだらない人間は、消えてしまえばいい。
 理想が高ければ高いほど、自らの存在に絶望してしまう。完璧主義者ほど、穴だらけな自らに、絶望してしまうのだった。
 でも、いつかは。
 心身を鍛え、義務を全うし、経験を積んでいけば、いつかは完璧な人間になれるのだと、信念を持ってここまで来たのではないか。
 けれど本当は。完璧な人間など、いなかったのではないか?
 そもそも、完璧な人間と、誰が判断するのだ。内面のことなど、本人にしか分からない。本人にだって、把握できない自分がいるものだ。それら全てを内包した人間を、誰が完璧な人間と判断を下す?
 そんな簡単なことも分からないのか?
 どこからか、そんな声が聞こえた気がした。
 イザークには、分からない。この世に完璧な人間がいるかどうかなど。こんな穴だらけの自分では。
 信念なんかじゃない。本当は、夢を見ていただけだったのだ。
 ふと、うつむいたイザークの前で、空気が微かに動く。誰かが、イザークの目の前に立ったようだ。微かな気配で分かる。
 顔を上げる気力は、やはり湧いてこなかった。笑いたければ、笑えばいい。おまえが笑わないのなら、俺が自分で笑ってやる。投げやりにそう思っていた。
 予想に反して、ふわり、と頭に小さなものが触れた感覚があった。それは、ゆっくりと動き、小さな距離を往復する。
 呆気にとられたイザークには、何が起こっているのか、理解できなかった。思考が、完全に停止している。
 どうやら、頭を撫でられている、と気づいたのは、しばらくしてからだった。相変わらず、小さなものは、イザークの頭を撫で続けている。重い頭に挫けそうになりながら、ゆっくりと頭を上げた。
「…あー…」
 残念そうに、かわいらしい小さな声が上がった。思ったより低いところから聞こえるな、と思い、顔を上げると、ベンチに座ったイザークと同じ高さで目があった。…いや、上半身を完全に持ち上げると、座ったイザークよりも、かなり低い。
 小さな少女が、今まで撫でていたイザークの頭に手が届かなくなったにもかかわらず、背伸びをし、手を伸ばしたまま銀髪を目で追う。さすがに諦めたのか、手を下ろすとイザークを見つめてきた。くりくりした赤い瞳をきょとんとさせて、小首を傾げる。肩の高さで切りそろえられた金髪が、首の動きに沿ってふわりと揺れた。
「う?」
 まだ、言葉は使いこなせないらしい。まともな言葉は発せられなかった。3歳にもなっていないのだろう。それほどに、幼い少女だった。
 条件反射的に名を問おうとして、思いとどまる。幼女と言ってもいい程に幼いこの少女が、自らを名乗れるとは思えない。
 「なぜこんな少女が、こんな軍事施設に?」という疑問はすぐに消え失せた。それよりなにより、他の意識が脳を埋めたからだ。
 先刻まで少女が撫でていた銀髪に触れる。そんなはずはないのだが、少女の手のぬくもりが残っている気がした。
 触れた髪の感触で、爆発的に思い出す。少女は、イザークの頭を撫でていた。その光景を、第三者から見た映像で、脳に描く。
 幼い少女に頭を撫でられている、プラントでは成人の年齢をとうに過ぎているいい大人な軍人。しかも、イザークは隊員を率いる一部隊の隊長でもあった。冗談でも笑えない。
 どんなに情けない光景か、と痛烈に思う。
 瞬間、無意識のうちに声を上げていた。
「貴様に同情されるほど、落ちぶれてはいない!」
 同情という名の哀れみ。そんなものを、こんな小さな少女に。しかも、頭を撫でられるという、イザークにとって屈辱的な行為で!
 かっと脳が沸騰する感覚があった。
「俺が、…この俺を、可哀相だとでも思ったのか!?貴様が?俺を?…馬鹿にするな!!」
 吐き出すように叫ぶ。
 自らを戒め、常に高みを目指し、後ろ暗い事を嫌い、気高さを理想として、今まで生きてきた。その結果が、自分よりよっぽど弱く小さな存在の少女に慰められるなど、滑稽でしかない。自らを高めると信じてきた、今までの自分の行為を否定された気がした。今までの努力も、苦労も、葛藤も。
 こんな小さな、本当に小さな少女に!
「…ひっく…」
 小さくしゃくりあげた声に、はっとする。目の前の少女は、瞳を潤ませ、イザークを恐怖で見開いた目で見ていた。
 俺は、今何をした?
 こんな小さな少女に、大人気なく声を上げるなんて。
 雷が落ちたような衝撃があり、一瞬にして、ざあっと血の気が引いていった。何と弁解すればいいのか、凄まじいスピードで空回りする脳に冷や汗を流しながら、イザークはただ少女の瞳を見つめ返すしかできなかった。言い訳は自分の流儀に反するなどと、思い起こす余裕もない。
 気丈にも、少女は涙を流さなかったが、まばたきをしたら雫がこぼれてしまうのだろう、まばたきをせずイザークをみつめていた。けれど、我慢できずまばたきしようとした瞬間、くるりとイザークに背を向けると、たたたと軽い足取りで走り去ってしまった。
「…あ。…おい…」
 咄嗟に出た弱い声は、少女に届かない。引きとめようとした手は、行き場を失って宙に浮いた。
 …本当に、ここはどこだろう。どこまで落ちれば底があるのか。
 頭を抱え込んだ。また、白い床が視界を占める。
 オーブに着いてからずっと、イザークは苛ついていた。どこに行っても、敵視、隔意、畏怖の眼差し。オーブにとって、他国の軍人は異物でしかないのだろう。それでなくとも、ザフトの軍服は目立つ。
 オーブ軍との打ち合わせでお茶を出された際は、給仕の女性が手を震わせ、出された茶器はカタカタと音をたてていた。案の定、紅茶の入ったカップは倒れたが、ソーサーにこぼれただけで済んだというのに、給仕の女性は完全に萎縮してしまったようで、涙目で謝罪してきた。
 いつもどおり、無表情のまま「かまわん」と言うと、可哀相になる程に給仕の女性は何度も何度も頭を下げる。イザークが無愛想なのは、相手がナチュラルだからではない。いつものことであるのに、だ。
 その一部始終を、オーブ軍の幹部達はじとりと冷えた目で追っていた。寒々しい視線に居心地の悪さを覚えたが、それを表に出すことをよしとせず、イザークは極力平静を装った。それが反対に、オーブ軍幹部らの神経を逆撫でしたのだろう。その後の明らかな敵意は、いくら多少のことは気にもならないイザークでも、分からないわけがなかった。
 思えば、会議室へ案内したオーブ軍人も、よそよそしい態度だった。
 彼ら、彼女らは、皆ナチュラルなのだろう。オーブは中立国だ。ナチュラルもコーディネーターもいる。けれど、ザフト軍服に身を包んでいるのは、コーディネーター以外にいない。…だから。
 そんなことは、知っていたはずだろう?
 ナチュラルにとってコーディネーターは敵で、コーディネーターにとってナチュラルは敵で…。
 ラクス・クラインの示す、ナチュラルとコーディネーターの共生という理想に、いつの間にか溺れていたというのか。
 けれど、現実は違う。ミリアリアに指摘されるまでもない。イザークの深層心理には、ナチュラルとの壁が存在し、ナチュラルはイザークを受け入れない。
 なぜ、と思う。なぜ、あいつはナチュラルに溶け込んでいけたのか。ナチュラルを格下の人間と嘲っていた過去のある俺には、その資格がないのか。
 ふいに、白い床のタイルの際がぼやけた。何が起きたのか分からないまま、信じられないものを手のひらに受ける。
「…なんだ、これは?」
 雫だった。透明な温い雫。
 その雫を認めたくなくて、もう零れ落ちないよう、天井を仰ぐ。白い床と大差ない白い天井が、無言でイザークのぼやけた視線を受け止めた。
 だらしなく手足を投げ出して、白い壁に身を委ねる。無機質な壁は、無常にも冷えて硬い感触を返してきた。もう、自らを笑う余力さえもない。
 自らの情けなさに、ほとほと呆れかえった。
 ああ、自分はこんなにもくだらない人間だったのだ、と。情けなく、虚勢ばかり張って何もできないクズだったのだ、と。自らが一番嫌っていた人格だったはずだ、それは。その憎むべき大嫌いな人物は、探すこともない。ここにいる。
 何を思うでもなく、そんな事実をただ眺めていた。
 目を閉じる。暗闇には何もなかった。希望も理想も、将来も。なのに、無慈悲な現実だけがずっしりと体にのしかかっていた。
 なぜか思い出したことがある。先の大戦の折、八つ当たりで落としたシャトルのことを。そのシャトルに乗っていたと聞いた、顔も知らぬ少女のことを。あのときのイザークが目の前にできるのなら、八つ裂きにしてやりたかった。戯れに人を殺したようなものだ。
 あのときの俺は、それで気が晴れたのか?戦意のない者を皆殺しにして、ああすっとした、と笑ったのか?
 反吐が出る。
 …本当に、リセットは効かないのだな、と思った。
 やり直したいことがあっても、今までのことをないことにはできない。穢れた汚い自分でも、そこからやり直さなくてはいけないのだった。スタートラインは背後に遥か遠く、もう二度と踏めず、歩んできた道も消せるわけもない。
 …シャトルをイザークが落とした事実も、消せない。
 見たこともないシャトルの少女の面影が、先刻の幼い少女に重なった。あどけない笑みを浮かべた少女。
 歯を食いしばり、少しだけ上半身を浮かせて反動をつけると、勢い良く後方に頭を振った。
 ガン!
 強烈な音と、重い鈍痛が全身に響いた。響いたけれど、頭も割れなかったし、死に至ることもない。無駄に頑丈にできている体。
 無意味なのに、と、イザークはぼんやり思っていた。

 どれだけの時間が経ったのか。眠るように、死んだように、簡易ベンチに体を投げ出したままのイザークの腕に、触れるものがあった。べつに、誰が干渉しようともどうでも良かったのだが、何が触れているのか、ただそれだけを確認しようと、重い瞼をあげる。
 まず目に入ったのは、花。
 それもそうだ。目の前にかざされていたのだから。なんということはない、野に咲く花のようだった。名前なぞ、花に興味のないイザークが知るはずもない。でも、目にしたことはあった気がする。ひらひらとした花弁が白い、手のひらの半分ほどもない花。
 その花を持つ小さな手を辿り、目の前に立っている少女を見上げた。だらしなくベンチに体を預けていたために、自分よりよっぽど背の低い少女を、見上げる形になる。
 先刻の少女だった。頬に、涙の跡はない。そんな些細なことで、ほっとする自分が自分でないような、変な感覚を味わう。
 くりくりとした赤い瞳は、出会った時と同じように、じっとこちらを見つめてくる。そこに恐れや悲しみはなく、興味津々といった、幼い子供特有のものがあった。
「あーゆ!」
 唐突に言って、ずずいっと花を差し出す。
「…なに?」
 何を言っているのかは分からなかったが、とりあえず姿勢を正して、反射的に花を手に取る。
 すると、少女は満足そうなこぼれんばかりの笑顔をイザークに向けると、再度たたたっと立ち去っていった。止める間もない。
 手に残された花を呆然と見つめる。何も言わぬ花は、イザークをただ見つめ返してきた。その花ごしに、少女の笑顔がよみがえってくる。
「これは…」
 きっと、少女なりの励ましだったのだろう。イザークに怒鳴られながらも、少女はイザークの気落ちした姿を心から励ましたかったのだ、と。なぜだかそう信じられた。
 その思いに、胸の奥が締め付けられた気がする。
 イザークは、白い小さな花を傷めないよう柔らかく両手で包み、その手のまま抱きしめた。胸の奥に、小さな炎がともる。ろうそくの炎のような小さな灯りだったけれど、決して消えない強さがある光。
 きっと、ここからイザークは立ち上がれる気がしていた。


to be continued




イザークが落としたシャトルの件は、
トラウマになるくらい、イザークが後悔しているといいな、と思います。
その後のイザークの成長を支える出来事になっていれば、と。



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