捻じ曲げる禁忌
1 この広く寒い大地で、ひとり


caution!!
キラ、ラクス(ところによってはアスラン)がお好きな方は、お読みにならないことをお薦めいたします。
もし不快に思われましても、苦情等はお受けできませんので、ご了承ください。
申し訳ありません…。

なお、もし不快に思われましても、苦情は受けかねます…。(すみません)


 大戦が終わり、2年が経った。
 戦争の記憶は、まだ人々に新しい。刻まれた傷は、癒えようもなく。その体に残ったまま。
 しかし、時は人を待ってくれようもなく、時間に急かされるように、人々は日々を足早に過ごしていた。
 プラントは、ラクス・クラインの台頭によって、大戦直後、熱狂的な気運となっていたが、ようやくその火傷をしそうな熱が収まり、落ち着きを取り戻しつつあった。
 プラント内で何度も催される、ラクス・クライン議長の演説の場。ザフトでの演説は久しぶりだからなのか、ザフトの中央司令ステーションには、意気揚々としたザフト軍人が続々と集まってきていた。皆が皆ザフトの軍服に身をまとい、一種独特の軍人の雰囲気をただよわせながら、放射状の形状をしたホールを埋め尽くしていく。具体的な作戦会議をする場ではないからに他ならなかったのだが、軍の施設には珍しく、木目調の壁が目に優しかった。定員数は千名程。主催側の人間もいるから、千名以上の人間が、この場に集うことになる。
 皆、ラクスの演説を楽しみにしているのだろう。演説を聴くのが任務とはいえ、その表情には隠しきれない期待感があった。自然、普段であればシンと静まり返った中、衣擦れのざわつきのみのはずが、それぞれのこっそりとした会話に、ホール全体がざわついている。
 その人の群れの中、ディアッカは偶然にも親しく知る顔を見つけた。
「おひさし。元気だったァ?」
「元気であっても、貴様のその間延びした声を聞くと、不機嫌にもなる」
「あ。てきびしーね」
 プラチナブロンドの彼が、呆れたように睨んでくる。
 相変わらずだ。ディアッカは思う。
 髪型も、いつまで続けるのか、悪く言えば「おぼっちゃん」なオカッパのままだ。大体、この髪型は、大人になりきれない甘えた子供を表現しているのではないか?そんなことを思ったこともある。
 まあ、そうはいっても、出会った頃より格段に成長しているのは、ディアッカの知るところではあった。ディアッカ自身、人のことを言える立場でもないのだが。
 彼、イザークとは、隊を分かれて久しい。イザークは、ラクス・クライン議長に直接仕えていた。シホは、そのイザークに付き従っている。ディアッカはというと、プラントを外敵から守る、守備隊に配属されていた。
 「地球とプラントで戦争しない、って言ってんのに、誰が外敵なんだよ」という突っ込みは、もうする気も起きない。守備隊を配置させないほど、両国の緊張は解けていないのだと、そう思うことにした。
 久しぶりとは言ったが、実際はそうでもない。直接会うわけではないが、プラントの情勢について、頻繁に話をしている。ずっと傍にいるときよりは疎遠になったが、相手の考えていることを把握できるほどには、相手を理解しているつもりだ。
 そして、それゆえに、ディアッカには不安に思っていることがある。
「これからは?」
 暗に仕事のことを示していた。
「相変わらず巡回が多いな。大方プラントの巡回は終わったから、次は地球に行く予定だ」
「へぇ。ありがたいご演説を、地球でも賜るわけだ」
「そういう言い方はするな。俺は、クライン議長の言うことは、正しく、そうであればいい、と思っている」
(理想論だけどね)
 口に出さず、ディアッカは突っ込んだ。
 確かに、ラクスの言う平和は、実のない理想論だ。が、それが人を、人の心を救うのであれば、意味はあるのだろう。歴史上の為政者に、人々の行き先を示すために、理想論を語らなかった者はいない。
 ディアッカが憂いているのはそこではない。
 理想のために、犠牲になっているものがないか。それだ。
 実際、ラクスはプロバガンダのようなもので、政治に直接口を出していないように見える。イザークから聞くラクスという人物も、「国交を正常化させるよう、努力してください」とか、「和平のために、民意をまとめてください」とか、抽象的なことを言う人間らしい。決して、「国交を正常化させるために、経済制裁を与えろ」とか、「反対勢力を淘汰しろ」とか、具体的なことを口に出すことはないらしかった。
 が、具体的な方法を示さないにしても、結果的には同じではないだろうか。ディアッカは、そう思う。
 いい意味でも、悪い意味でも、ラクスはプロバガンダだ。
 ラクスが「国交を正常化させるよう、努力してください」と言えば、部下はラクスのために必死に努力する。確かに、部下が選択する手段は、ラクスの知るところではない。しかし、ラクスが最高評議会の議長である限り、プラントの動向の全責任は、ラクスにあって当然なのだ。部下の選択した手段を知らないことは、ラクスの怠慢と言えた。そして、その言動たるや、「私は直接手を下していない」と受け取れて、責任を放棄するものに見えて仕方がないのだ。
 その考えを、ディアッカはイザークに言えないでいる。
 イザークは、盲目的なラクス信者だ。ラクスの言うことは、決して間違っていない。間違うことなど、疑ってもいない。そんな人物に、言えようもなかった。
 その程度の付き合いだったのだろうか。ディアッカが、イザークと一緒に越えて来た死線を思い返して、虚しくならないわけがなかった。
 ディアッカのその考えは、周囲の者も理解できぬところでもある。それどころか、プラント中はラクスを盲目的に支持し、ラクスに反対する勢力は、理屈なしに「悪」と認められた。
 ディアッカは、プラントで完全に孤立していた。
 ラクスを批判する言葉を軽々しく口にすることはなかったから、孤立しているのを知っているのは、ディアッカ以外はいなかったのだが。
「キラも、一緒に行動してるわけ?」
「ああ、もちろんだ。クライン議長の護衛に、間違いがあってはならんからな」
「おまえだけでいいんじゃないの?護衛」
「そう言うな。俺だって、さすがに分かる」
 イザークは、ラクスとキラの関係のことを言っていた。
 ディアッカは、それすらも疑問に思っていた。恋愛沙汰に疎いイザークには分からないかもしれないが、ラクスとキラの関係は、本当に「恋仲」なのだろうか?互いが、互いを利用する、利害関係でしかないように見える。どうしようもなく会いたくなって、衝動的に抱き合う姿など、あの2人では想像がつかない。
「ああ、すまん。呼ばれているようだな」
 イザークが、遠くより呼ばれていることに気づいて、会話を遮った。遠く離れた関係者席に立つ部下に、すぐに行くと合図を送る。イザークが、ラクスが演説をしている間、同じ壇上に立つことになるためだ。そろそろ準備があるらしい。
「おまえも、たまには時間をとって俺のところに顔を見せろ。それで、ラクス様のためになる話でも聞くんだな。ラクス様は、本当に素晴らしい方だ」
 そびえたつ壁があった。
 イザークは目の前にいるのに。ディアッカはここにいるのに。
 2人の間の距離は、果てしなく遠い。
 イザークのその言葉で、ディアッカは完全にイザークを見失ってしまった。イザークの姿が見えない。ディアッカの思いは、イザークに遠く届かない。イザークの思いは、ディアッカには理解できなかった。
 いつの間にか、荒野に独り立っていた。荒れて乾いた大地が果てしなく広がり、草木もない。空には灰色の雲がたれこめ、地平線はその空を低く見せ、息苦しくなるような閉塞感があった。だが、広い。そして、その広い大地に、他人の気配どころか、生命の息吹さえ、感じることはできなかった。
 ディアッカは、俯いた。押し出すように、言葉を口に乗せる。
「…イザーク。オレは…」
「なんだ?ディアッカ?時間がないんだ」
 そんなディアッカに気づきもせず、イザークは焦るように急かした。
「オレは、またおまえを裏切ることになるかもしれない…」
 さすがに、イザークの目は丸くなった。ディアッカの声音に、いつものふざけた感じは混じっていない。本気なのだと、その声が語っていた。
「それはどういう…」
「ジュール隊長!」
 イザークの部下が、「もう待てない」という風に、イザークの腕を掴み引っ張っていく。イザークは、もの問いたげな表情をこちらに向けたまま。ディアッカは、その顔をまともに見ることができなかった。
「どういった話をされたかは、分かりませんが」
 背後から声をかけられ、振り向くとシホが立っていた。ストレートのこげ茶色の長い髪が印象的な、凛とした雰囲気を持つ女性。ディアッカを睨むような視線で、見据えていた。
「あまり、隊長を惑わさないでください」
「そっか。シホもあちら側の人間なんだな」
「…?意味が分かりませんが…」
 てっきり、いつものようにふざけて応えるとでも思っていたのだろう。シホは、思いがけない返答に面食らっているようだった。
「いや、なんでもない。忘れてくれない?」
 シホは、ラクスの信奉者ではない。あくまで、イザークが彼女の中心で、行動を左右する唯一の存在だ。だから、厳密に言えば、あちら側の人間とは言い切れなかった。
 少しの逡巡の後、ディアッカは重苦しく口を開く。
「いや、…でも」
「?」
「ひとつ、頼みがある」
「なんですか?」
 いつもなら、聞く耳を持つ気もないが、いつになく真剣なディアッカに、シホは素直に問うていた。
「イザークを、頼む、な」
「え?」
 意味が分からなかった。むしろ、イザークとディアッカの関係に、シホの入り込む隙間はなくて、シホから「ジュール隊長のことは、私に任せてください」と言いたいくらいだったのだ。それが、なぜ。
「ちょっと待ってください。それはどういう意味ですか?ジュール隊長を見捨てると言うのですか?」
「そうじゃない、って言いたいけどね」
 既に踵を返していたディアッカが、顔だけ振り向いて困ったように微笑んだ。
 なんだ、それは。シホは、そんなディアッカの表情など、見たことがなかった。問い詰めたい気持ちは、ディアッカの表情に頭ごなしに拒まれる。聞きたくとも聞けない雰囲気が、ディアッカの後姿にあった。
 その場に置き去りにされたシホは、整然と立ち並ぶザフト軍人の中で、途方に暮れていた。
 すでに、ラクスの演説は始まっている。
「先の大戦は終わりました。もう、プラントと地球は争い合う必要はないのです。ナチュラルもコーディネーターも、同じ人間です。私は、ナチュラルもコーディネーターもない、平和な世界を築きたいのです」
 ナチュラルモ、コーディネーターモ、オナジニンゲンデス。
 なぜかその言葉が、酷くひっかかっていた。
 それは、どうしようもなくその身に降りかかってきて、避けようもない。
 そして、ホールは歓声と拍手の渦に包まれる。眩暈のするような、熱狂的な支持と期待の眼差し。ホールは、熱におかされていた。
 シホは、こんなにも寒く寂しいところに独り立っているのに。
 ここを去っていった彼と同じく。


 ラクス・クラインの演説は終わったらしい。
 「らしい」というのも、ディアッカはあの後ホールに戻らなかったからだ。
 ぞろぞろとホールから出てくるザフト軍人を、休憩室のテーブルに頬杖をつきながら眺める。口をつけていないコーヒーは、すでに冷え切っていた。ガラス越しの彼らは、満足感に頬を染めながら、意気揚々とそれぞれの居場所に帰っていく。彼らのモチベーションを上げたという意味では、この演説は間違いなく成功だ。
 その他の意味は…。知ることもできないし、知りたくもなかった。
 頭をもたげる疑念は、消えるどころか、体積を増やし続けている。いや、多分これは疑念ではない。確信、だ。だから、脳裏にべっとりと張り付いて、それから思考を逸らせないでいる。
 いつのまにか、眉間に皺が寄っていた。振り払うように、頭を振るその動作も、今日何度目か分からない。
 演説を聴いて外に出てきたザフト軍人の表情を見ていると、どれも同じで、催眠をかけられ自らを見失った者を思わせ、気持ちが悪くなってくる。彼らに、自分の意思はあるのか?自分の考えはあるのだろうか?
 珍しく、その中で意思の強い瞳を持った青年が、こちらに気づき、駆け寄ってきた。直後、ディアッカの背後で、勢い良く休憩室の扉が開く音がする。
「ディアッカ!お久しぶりです」
 のろのろと首を回して、走ってきたために息を上げた、背後に立つ彼を見上げる。漆黒の髪と、それそのものが意思であるかのような、強い眼差しの真紅の瞳。エースであることを示す赤いザフト軍服に身を包み、比類ない存在感を放つ。ザフトの赤、シンだった。
「シンか。久しぶり」
「はい。ここで会えるとは思っていませんでした」
 出会った最初こそ、憎悪の瞳で睨まれていたものだが、今では違う。拗ねたり怒ったりもするが、表情は懐いた犬のそれに近い。しかし、最初の名残か、敬語の割には名は呼び捨てのままだった。そのあたりに無頓着なディアッカが気にすることはなかったが、イザークの前でシンがディアッカを呼ぶと、必ずと言っていいほどイザークに咎められるのだ。
 少々背が伸びただろうか?心なしか体躯もがっしりしてきたように見える。
「しばらく見ないうちに、なんかでかくなってない?おまえ」
「先輩と違って、まだ成長期ですからね」
 えっへん、というように、その厚くなりかけの胸を張る。
「ま、オレにはまだまだ追いつかないけどな」
「追いつきますよ!」
 シンが、怒ったように反論した。
(こいつも相変わらずだなぁ)
 ディアッカは苦笑する。「相変わらずだ」と、先刻も思ったと思い出して、苦いものがこみ上げてきたので、そっとその記憶に封をした。
「おまえも、最近は巡回なわけ?」
「良く知ってますね。あ、そっか、ジュール隊長から聞いたんですね?」
 組織的には、シンはジュール隊に属する。厳密に言えば、キラの部隊と行動を共にするから、ジュール隊とは呼べないのだが。キラの存在が、ザフト軍的に曖昧な所為でもあった。ジュール隊もキラも、ラクス・クラインの護衛という任務ではあったので、結果的には同じ行動をとることにはなるけれども。
「次は地球に降りるんだって?」
「まずはオーブだそうです」
「そっか」
 含みのないあっさりとした相槌は、シンを知る者にはなかったものだ。シンを知る誰もが、シンが持つオーブでの苦い思い出に顔をしかめ、慰めの言葉を口にする。
 シンが欲しい言葉は、それではないのに。
 だから、ディアッカの、ある種興味がないように聞こえるそのセリフは、シンの望んでいたものだった。シンは満足そうに笑む。
「オーブで、クライン議長を襲う奴なんていないと思いますから、暇だと思いますよ。こんなこと言ったら、ジュール隊長に怒られますけどね」
「はは。そうかもね」
「でも、オーブの近くには、何て言ったかな。ブルーコスモスみたいな国があったじゃないですか。そっちの方が心配かも、って言ってましたね、司令部は」
「セレベスだな」
「あ、それです。その国」
 ナチュラルの存在を尊重し、ナチュラルのみの国を築く。それがセレベスの国家方針だった。
 なぜ、そんな国がデュランダル議長の目を逃れられたのかは分からない。けれども、かの国が討たれなかったのは確かだった。だから、今もその国はある。
「セレベスには、モビルスーツを持つレジスタンスがいるらしいんですよ。レジスタンスと言っても、セレベスの国家に抵抗するんじゃなくて、コーディネーターに抵抗するレジスタンスらしいですからね。要注意らしいです」
「ま、大丈夫だろ。おまえを率いるのは、キラなんだし」
 キラの名を聞いて、シンの表情が曇った。ディアッカが、それに気づかないわけがない。
「うん?どうかした?」
「…いえ…」
 それまでハキハキと喋っていた分、俯いて表情を曇らせたシンは、思いのほかしょんぼりしたように見える。見えるというのも、俯いていれば、下から見上げているディアッカにとって、シンの表情は丸見えだったからだ。
「別に、話したくなかったら、話さなくていいけど?」
「いえ!」
 シンは、迷いのあった表情を吹き飛ばすと、ディアッカを真っ直ぐ見て続けた。
「キラさんとは、オーブで和解したんです。実際、キラさんはいい人だし、凄く強い。信じているんです」
 言い訳のようなセリフだった。自分に言い聞かせているような、そんな。勘の鋭いシンのことだ。きっと、頭ではなく、感覚で感じ取ってしまっているのだろう。ディアッカも感じていることを。
 大体、先の大戦では、シンはキラとまともに対戦していたのだ。本気で憎んでいた敵と、いまさらすんなりと気の置けない仲間になれるわけもない。ザフトを捨ててアークエンジェルに与した、ディアッカのことを棚に上げて言えば、だが。
 しかし、シンの立場を危うくさせたくはなかった。ザフトのディアッカには、唯の一人も味方がいなかったから。シンをこちら側に引き寄せたら、シンが苦しむ。自分のことで精一杯なのに、シンを庇いきれる自信は皆無だった。
 気づかず、そのままでいれば、それがシンにとって一番安全なのだ。
 ディアッカは席を立ち、その漆黒の頭を撫でる。
「おまえは、純粋なんだな」
 純粋ゆえに、いろんな色に染まりやすい。だから、ラクスの傍にシンはいるのだ。そして、だから、ディアッカはラクスから遠ざけられている。きっと、イザークからも。
 ディアッカに頭を撫でられて、一瞬呆けたような顔をしたシンだったが、ぱっと顔を赤らめると、ディアッカの手を振り払った。
「子供扱いしないでください!」
 ふいに思い浮かぶ、女性の怒った顔。
「あはは!やっぱり、おまえ、似てるなァ」
 「誰に」とは、今回も問えなかった。ディアッカは、休憩室を出ようとしていたから。後姿のまま、ディアッカは手をひらつかせた。
「じゃあ、ね」
 その言葉を残して、彼は扉の向こうに消えた。
 取り残されたシンは、ディアッカが撫でた頭に触れ、ディアッカが立ち去った扉を見つめる。あれは、一体なんだったのだろう。いつもの声音のままなのに、酷く気になっていた。
「おまえは、純粋なんだな」
 そう言って、彼は困ったように微笑んだのだ。
 彼のそんな顔は、シンは知らない。そして、なぜか胸の奥がチクリと痛んだ。切なくて、涙が出そうになる。
 …それがなぜかは、今のシンには分からなかった。


 翌日、ディアッカは守備隊が配置された辺境のコロニーに戻っていた。
 戦艦内ではなく、港に立てられたザフト軍の施設に、ディアッカ個人の執務室がしつらえられている。狭い執務室ではあるが、余計なものを持たないディアッカには十分で、一人になりたかった今は、その部屋がありがたかった。
 キーボードとモニタが並ぶテーブルを前に、あまりクッションの効いていない椅子に座る。所詮、緑だ。隊長クラスの、座ったら寝てしまうような、居心地のいいソファのような椅子とは違う。ディアッカはその柔らかくもないオフィスチェアーに深く座り込むと、体内の淀んだものを全て出すかのように、長い溜め息をついた。
 酷く疲れていた。前線で戦ったわけでも、大きな仕事をしたわけでもない。
 が、身体は悲鳴を上げるのも疲れたように、重い沈黙をかたくなに守っている。ディアッカは、椅子に沈み込んでしまわない自分の重い体を不思議に思っていた。
 習慣とは怖いものだ。無意識のまま、マシンの電源を入れる。モーターの動く微かな音がした後、しばらくするとモニタにザフトのロゴが映し出された。ひとまず、メールのチェックをしようと、キーボードに重い手を伸ばす。そして、伸ばした手が、ぴたりと動きを止めた。
 ディアッカは微かに目を薄めると、すぐに何事もなかったように手を動かし、メールチェックを済ませる。
 新着メッセージが届かない日はない。そんなに暇な仕事をしているわけではなかった。直接や間接的に関わる仕事のメールで、毎日、百通近くのメールが届く。
 ディアッカのマシンの起動プログラムに、ディアッカは、少々手を加えてあった。マシンが起動するのと同時に、新着メールがあるかどうかのウィンドウが画面に映し出されるのだが、その表記方法に他人がぱっと見た限りでは分からない細工をしてある。
 冗談半分で作ったものだった。その細工が使われることなんてないと思っていた。実際、ディアッカ自身、その存在を忘れそうになっていたのだから。
 だがしかし。表示されたウィンドウには、こう記されていた。
『新着メッセージが届いています』
 なんということはない。ただのお知らせメッセージ。一度「OK」してしまえば、消えてしまうウィンドウだ。見る者も、メールをチェックするディアッカ本人しかいない。さして注意もせず、「OK」ボタンを押し、消してしまうウィンドウだろう。
 しかし、いつもの表記はこうだった。
『新着メッセージが届いています。』
 最後の句点が、本来はあるはずなのだ。それが、今しがた見たウィンドウには、ない。
(…誰が、入った?)
 このマシンに、何者かが侵入した証拠だった。
 極力冷静に、ただ仕事に追われているように演じながら、各ファイルを開いていく。仕事に関係ないファイルは、フォルダの表記で眺めるだけだ。操作したログを見るような、そんな愚は犯さない。後々、侵入者に、ログを調べたというログを覗かれる可能性があるからだ。
 段々と、その手を早めていく。仕事内容に異常はない。その割りに、私用のメールや、計画だけしておしゃかになった旅行の宿リストなど、そんなものを入念に調べた形跡があった。
 ふと、暗い笑みがその口の端に浮かぶ。
(オレを監視したって、得るものはないのにねェ)
 そうでなくとも、ディアッカの味方は、プラントに己自身しかいないのだ。プラント全体を敵ににまわすほど、ディアッカも馬鹿ではない。こんな卑小な存在に、危機感を持っている侵入者を、鼻で笑いたくなる。
 これは、警告だ。
 本当に調べる気があるのなら、こんな形跡は残さない。それほどの、稚拙な調べ方。わざと調べたことを残し、ディアッカに警告しているのだ。もしくは、問い。
 裏切ルツモリカ?モシ裏切ルノナラ、ソレ相応ノ覚悟ヲ、シロ。
 この執務室にも、監視カメラが設置されているのかもしれない。
(準備がいいことで。念には念を入れるってことかよ)
 うんざりする。確信を持ってはいたが、こんな形で決定的になるとは、思っていなかった。
 考える時間が欲しい。そう思って、監視を誤魔化すために、映画をモニタに流す。映画を見るふりをしながら、ディアッカは考えていた。
 どうすればいい?どうするべきだ?
 思考はぐるぐると同じところをループし、ひとつの解決案も浮かんでこない。気づくとスタッフロールが流れていた。もちろん、映画の内容など、ただのひとつも頭に残っていない。
時間切れを知り、たったひとつの案である苦し紛れの行動をすることに決めると、ディアッカはただひたすらに仕事に没頭していった。何もかも振り払うように。
 振り払えるものは、何もなかったのだが。


to be continued




デス種終了後の妄想話。
無意識に書くことをためらっていた話です。
ここまで読んで、嫌悪感を持った方は、今後も読まないことをオススメします…。スミマセン。

今後は、ディアッカを中心にするのは同じですが、
サイやミリアリア、あとずっと書きかったキャラを書く予定です。


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