GUNDAM SEED DESTROY
遠き栄光



「ううん、違う」
 数え切れないほどにぴしゃりと告げられた否定の言葉に、シンは数え切れないほど地団太を踏んだ。
「だって、さっきは基準値をコンマ5下げろって言ったじゃないですか!」
「それは、さっきの場合でしょ。今度は状況が少し違う」
「それは…、ちょっとは違うけど!」
「ちょっとの違いが、命取りになるよ?」
「―――っ!」
 冷静な言葉に、言い返すことはできなかった。
 ちょっとの違いで、命を落とすことになる。それは、自らの命もであろうが、仲間の命も、であろう。
 分かっているからこそ、自らの不甲斐なさに苛つく。なぜ、仲間を守る的確な動きができない、と。思い通りにならないモビルスーツの操縦に、何度目か分からない地団太を踏む。
「落ち着いて、シン。ゆっくりいこう。大丈夫、君にならできるから」
「そんな!俺は昔のアンタみたいな、特別な人間じゃないですよ!」
 苛立ちのまま、声を荒げた。が、瞬時に相手の痛いところをえぐる言葉だったことに気づき、ハッと顔色を変える。
「あ…俺…」
「ううん。謝らなくていいよ。僕が以前の僕じゃないのは事実だからね」
 シュミレーションコックピットの中を覗き込んでいた彼は、謝ろうとしたシンの言葉を遮って、穏やかな瞳のまま応えた。顔色は相変わらず悪い。けれど、プラントから帰って来てからは、最初に会った頃の死相を見ることはなくなっていた。
 それでも、シンのパイロット技術向上に協力したいと言った時には、さすがに周囲の驚きは大きかった。
「だって、僕のできることをするって、約束したじゃないか」
 あっさりと言う。
 確かに、シンに告げた彼の誓いの言葉は、その通りだった。けれど、今の彼にはその知識の断片しかなく、散らばった知識を繋ぎ合わせるのも大変な作業だったはずだ。実際、以前は簡単にできていたことなのに、頭の中で物事を整理することができず、手にしたノートにはびっしりと文字が書き込まれている。
 彼いわく、携帯端末を使用せず、昔ながらのアナログなノートで整理するのは、文字だけを並べても鈍くなった脳は反応しづらく、図を簡単に書き込めて繋ぎ合わせたりするのが楽なのだという。彼の言う通り、ノートに書き込まれたのは文字だけではない。ひとくくりにされた文が、矢印であちこちの丸で囲まれた文に繋がっていたりする。
 酷く拙いが、その拙さこそが、彼の覚悟を容易に知らしめた。
 ふう。
 シンは、深く息を吸って、ゆっくりと吐いた。自ら意識して、ささくれだった気持ちを落ち着けていく。
「大丈夫。確実に前に進んでるから。一緒に頑張ろう?」
 シンが自分に言い聞かそうと思ったセリフを、これ以上ないというタイミングで彼は言う。思わず、シンは苦笑した。彼はわけが分からず首を傾げたが、シンの気持ちは大海のように凪いでゆく。
「はい。もう一度やりましょう、キラさん」
 穏やかな表情になったシンに気づき、キラもやはり穏やかに微笑んだ。


 ぱさり、と。空色をしたハンカチが、すれ違った少女の懐から落ちた。
「あ、落ちたよ」
 咄嗟に少女の腕をぽんと叩き、白い床に落ちたハンカチに手を伸ばす。それだけでも、ぽんこつな身体は悲鳴を上げたが、なんとか表情を歪めないまま少女に振り返ることができた。
 金髪に赤い瞳の少女は、ハンカチを拾った青年を見て、きょとんと小首を傾げる。病院の患者服に隠れきれない女性らしい体からは遠く、その表情には幼さが残っていた。
「落ちた?」
「うん。はい。君のハンカチ」
 そうして、拾ったハンカチを手渡す。すると、少女は柔らかく表情をほころばせて、大切そうにそのハンカチを両手で包み込んだ。
「ステラのハンカチ、拾ってくれてありがとう」
 つられるように、微笑み返す。
「大事なものなんだね」
「うん。シンにもらったの」
「シン…?」
「うん。ステラの大事な人。ステラが大好きな人」
 頬を上気させて、嬉しそうに彼女は笑う。ハンカチが相手そのものではないというのに、握るわけではなく両手で包み込み、本当に大事にしているさまが、ステラの想いの強さを物語っていた。
「ステラの怪我に巻いてくれたハンカチは、ステラが失くしちゃったから、シンが新しいハンカチをくれたの」
「そっか。じゃあ、今度は失くさないようにしなくちゃね」
「うん。だから、ありがとう」
「どういたしまして」
「ステラー?」
 白い廊下の先から、ステラを呼ぶ声がかかる。2人の少年が、少女がついてこないのに気づいて、振り返っていた。
「なーにやってんだよ。置いてくぞ?」
「待って、アウル」
 慌てたはずなのに表情はのんびりしたまま、ステラは彼に向き直り、ぺこりとお辞儀をする。向けられた笑顔は、純粋に温かかった。
「ありがとう。じゃあ、またね」
 そう言って、パタパタと走り去ってゆく。ステラが追いつくと、安心したような表情をしたものの、水色の髪の少年はステラの頭を軽く小突いた。その隣で、緑色の髪の少年がこちらに向けて会釈をしてゆく。対照的な行動に、彼は苦笑を隠せなかった。
「彼らが、エクステンデッドだよ」
 施設内を案内していたタッド・エルスマンが、少年達の姿が廊下の角に消えたのを見計らい、彼を振り返って言った。
「彼女達が…?」
「そう。かつての敵だな」
 表情が動くことなく、むっつりとしたままのタッドが、珍しく面白そうに小さく笑った。
「君にとって、今も敵かは分からんが」
「敵じゃないですよ」
 彼は、即答する。
「彼女達は、僕が謝らなきゃいけない人達です」
「そうか」
 タッドは、その言葉に満足したのか、歩を進めることを再開した。それに付き従うように歩こうとして、彼はステラ達が消えた廊下の先を振り返る。
(そして、僕がこれから、僕の全てでもって、守らなくちゃいけない人達だ)
 ステラの優しい表情が目に焼きついている。彼女が想っているシンのことが、思い浮かんだ。
 覚悟は深く。自らに課した罰は重く。
 重いはずだったけれど、なぜかそれは優しく温かい気持ちを伴っていた。

 タッド・エルスマンの手による治療を受け、なんとか死地から脱出したものの、やはり傷ついた遺伝子を修復することはできないまま、キラはプラントを離れることになった。
 プラントを離れる際、いかなる思惑かは分からないが、タッドがこっそりと案内したところがある。それは、ステラ達の治療を窺える場所だった。
 見ているだけでも辛くなってくるような、そんな壮絶な風景。言葉にならない呻きは、耳を塞ぎたくなる程だった。
 が、キラは甘んじてその声に耳を傾けた。その姿を目に焼き付けた。それが、自らの犯した罪へ対しての咎だとでもいうように。
 もがき苦しむ彼女らに、駆け寄って抱き締めて、苦痛から解放してやりたかった。
「彼らにとって、死んだ方がマシな程の苦痛なのだがね。彼らは、それを分かっていても、この治療を続けている。その理由が分かるか?」
「…僕も、負けていられません」
 タッドの問いに直接応えることはなかったが、その言葉がタッドの欲しかったものなのだと、キラは確信していた。


 一通り、集めた情報をサイに伝え終わると、ミリアリアは所在なさげに視線をさまよわせた。モニタにミリアリアの顔を映したまま、情報の整理のためにメモをとっていたサイが、ミリアリアの表情に気づく。
「ん?どうかした?」
「…あー、…うん…」
 歯切れが悪い。
 勘の良いサイは、その反応で気づいたが、あえて分からないふりをした。
 ミリアリアは、言いにくそうに、指を唇に当てる。
「あの……」
「特にないなら、切るよ。そっちも忙しいんだろ?」
「あ!ちょっと待って!」
 埒が明かないので、サイは多少、演技をしてみる。…と、あっさりとその手に乗ったミリアリアが、想像通りの反応をした。
「あのね。あいつ、どうしてる?」
「あいつ?」
 分かってはいるが、知らないふりを押し通す。ちょっとした意地悪でもあるが、いい加減、子守りをするのも大きなお世話ではないかとも、疑問を持ち始めたのも否めない。俺のおせっかいが原因で自力で何も行動を起こさないから、こいつらは進展しないのかも、とサイはそんなことを思っていた。
「…ディアッカ。あいつと、連絡取ってるんでしょ?」
 やっと観念したようだ。ミリアリアは、とうとうその名前を口にした。
「うん。とってるよ?ミリアリアだって、連絡取り合ってるんだろ?」
 それは、本当にそうだと思ってのセリフだったのだが…。
「ううん。たまに連絡は来るけど、そういう話は一切してこないから」
 だから、こちらもそういう話はしない、とミリアリアは言う。
 意外と言えば意外。そうでないと言えばそうでないともいえた。
 ディアッカとミリアリアの関係は、ある意味、ディアッカとサイとの関係と似ていた。だたひとつ違うのは、戦友ではないということだけ。
 ディアッカとサイは、同じ目標を掲げ、お互いを研鑽し高めあう戦友とも言うべき存在だった。相手が困っているのなら惜しみなく助力を与え、反対に、自分が窮したのなら遠慮なく助力を請う。
 けれど、ディアッカとミリアリアは違う。
 ディアッカは、ミリアリアを戦場へ向かわせることをよしとしない。反対に、ミリアリアは戦争を生き残った者として、戦場へ向かうことを義務とも思っている。
 お互い、目標に向かってひた歩く姿は似ているのに、相手の思いの食い違いでその道は交わることがない。
 全体重をかけるのではなく、自らの足で立って相手の手を取る形がディアッカとサイの関係ならば、自らの足で全体重を抱え、一人で立ったままそれでもなお相手を気遣うのがディアッカとミリアリアの関係だった。
 互いに、弱味は見せない。相手を、必要以上に心配させてしまうから。
 互いに、弱味は見せない。相手の弱味など、とうの昔に知っているから。
 それが、ディアッカとミリアリアの関係。
 きっと、彼女らが自分自身を認めたとき、はじめてその道は交わるのだろう。
 サイは、ふと優しい笑みを浮かべた。
「ディアッカも、戦ってるよ」
「そう」
 それだけの返答だったが、ミリアリアは、満足そうに小さく微笑んだ。本当に、嬉しそうに微笑んだのだった。
 私も戦っている。貴方も戦っている。
 そんな貴方がいるから。私は。
 まだ戦える。


 やはり、おかしい。
 何度資料を見ても、同じ結論に達する。
 地球の裏側の地域的な小さなニュースから、プラントでの政治的な局面まで、ジャンルを問わずかき集めたデータが、モニタのあちこちに表示されていた。先日ミリアリアから入手した、報道関係者にとっては常識であっても、滅多に外部には漏れない情報もずらりと並んでいる。
 そのデータをまとめあげ、集約した結果は。
 水星圏からの輸送が、先日までに比べて、格段に増えていた。地球一個分、軽くコーティングできるくらいは、既に水星から運び出されている。
「水星といえば…」
 サイは、自宅のマンションの一室で端末を操作し、水星のデータを表示させた。水星の成分は、ほぼ、鉄。
「鉄…、か」
 もちろん、このご時勢、鉄そのままで活用されることなど少ない。他の鉱物と合成しながら、強固な装甲は造られている。
 …そう。装甲は、そういった流れで造られているのだ。
 では、他の鉱物はどこで手配するかというと。
「デブリかな…」
 これだけの量の鉄を加工するのなら、それだけ大きな施設と、それだけの大量の鉱物が必要となる。材料を確保するのにも、施設を隠すのにも、デブリ帯はこれ以上ない好立地と思えた。
 そうとはいえ、一言でデブリ帯といっても、この広大な宇宙のどこにあるのかなど想像するだけで気が遠くなる。
 煮詰まってきた考えを整理しようと、サイは席を立ってコーヒーを淹れた。芳しい香りが鼻をくすぐり、心地よい苦味が脳を冴えさせてゆく。
 窓から覗くオーブの風景は、夕暮れを迎えていた。オレンジ色の太陽が、遠く望む海に沈もうとしている。平和そのものに見えて、実はそうではない。国家主席であるカガリが出奔し、連合の執拗な参戦工作に、機械工学技術獲得のための工作と、とどまることを知らない危機にさらされている。そんな中、現在の国家主席であるユウナ・ロマ・セイランとオーブ軍の不仲も、まことしやかに囁かれていた。
 そうはいっても、抗うことなどできず、こうして日常は過ぎてゆく。そして、当たり前の日常に、ひたひたと近づいてくる背後の危機を感じながら、生きてゆくしかない。
 ただ、怯えるだけの人間にはなりたくないだけで、何の特殊な能力も持っていないサイは、こうして必死に思考する。
「デブリの規模は、大きくないといけない」
 遠く、子供が遊んではしゃぐ声を聞きながら、夕暮れの団地を見下ろす。視界に入れているものの、走り回っている子供たちの容姿などは、サイの脳を素通りしてゆく。
「モビルスーツを造るなら…」
 水星から運び出された鉄の容量と、合成される鉱物の割合。全てを使ってモビルスーツを生産するのなら。
「どれだけ早く生産過程を組もうとも、1体を造るのに一週間。一週間の間、同時に生産するに考えられる数は…」
 ざっと数えて五十。
 さすがに、それ以上の数だと、施設の大きさが足りなくなる。
「いや、待てよ」
 施設がひとつしかないとは、誰も言っていない。
 やはり、鉄の容量と1体を造る期間だけで計算することにする。
「施設は、2箇所から3箇所で、同時に生産する数は百…」
 妥当な数字といえた。そこから、施設の大きさを割り出す。おおまかに考えて、1施設に三十体。それだけの大きさを隠せるデブリ帯。できれば、廃棄されたコロニーがあれば、申し分なかろう。一から施設を作るより、老朽化したコロニーを改築する方が、格段に楽だ。
 条件に合ったデブリ帯を、モニタにピックアップしていく。候補に挙がったのは、5箇所。
「妥当なところかな?」
 まあ、まったくもって見当違いな可能性もあるけど。
 いたって真面目な顔つきのまま、独りごちる。
 調べる価値があるかどうかは、隣の国の大統領秘書に聞いてみるのが得策だろう。
 そう思ってラスティにコールを繋げようと回線を開いた瞬間、唐突に飛び込んできた映像と元気な声に面食らった。
「元気ですかっ!サイさん!」
「……」
 あまりに突然のことで、サイの思考は一瞬停止した。
「あれ?サイさん?」
 モニタの向こうの彼女は、サイの反応がないために、不思議そうに首を傾げる。それに気づき、一呼吸おいてから、サイはやっと応える余裕を持てた。メイリン向けて意識した微笑みは、意識せずに綻ぶ。
「やあ、メイリン。元気そうだね」
 ひょんなことから出会った彼女だが、サイがナチュラルであることなどおかまいなしに、事あるごとにメイリンはサイに連絡を入れていた。もちろん、コーディネーターとナチュラルの確執などには興味のないサイが、メイリンの連絡を拒絶するわけもなく、奇妙な関係はいつのまにか続いている。
 メイリンの明るい表情を見て、心持が軽くなったはずなのだが、妙なところで鋭いメイリンは、先ほどとは反対方向に首を傾げた。
「あれ?サイさん、元気ないですか?」
「ん?そんなことはないけど」
「そうですか?なんだか、疲れてるみたいに見えます」
「ああ…」
 心当たりがないはずはない。最近、『ノア・カンパニー』や『コバルトキャット』、『ワーズ』という油断のならない組織の暗躍に気を休める間もなく、対策を講じている。疲労が自然と顔に出ているのだろう。
 当たり前のようにソレに気づくメイリンの心遣いに、サイはゆるやかに微笑む。
「最近、ちょっと考え事が多いせいかな」
「お休みした方がいいですよ。身体、壊しちゃいます」
「うん、今日は少し休むことにする。ありがとう」
 心底心配したような表情に礼を述べると、メイリンは嬉しそうに、恥ずかしそうに顔を赤らめた。
「本当は。サイさんの処へ行って、直接お茶でも淹れられればいいんですけど」
「ミネルバには、メイリンが必要なんじゃないかな」
 サイは、相手が一番欲しい言葉を知っている。メイリンは、いつもそう思っていた。サイの傍には行きたい。けれど、自分がいる価値を見出せるのは、いるべきなのは、ミネルバなのだ、と思う。
「頑張ってますよ」
 はしゃいだ子供っぽい笑顔は消え、大人びた静かな笑みが浮かぶ。
 ザフトとオーブ軍が敵対する可能性は、ないわけではない。けれど、サイもメイリンも、そのことについてはあえて触れなかった。そのときどうするのか。それは、そのときにしか分からない、と。
 ただ、いたずらに味方の命も敵の命も散らせない、ということだけは確かだった。
 その気持ちをお互いに知っているからこそ、サイとメイリンの関係は続いている。
「サイさん。今度オーブに行ったら、素敵なところを教えてくださいね」
「ああ、約束するよ」
 そうしてサイは、窓の外に広がる、空も海も鮮やかなオレンジ色に染まった夕焼けを、眩しそうに眺めた。

 後に、サイの推論をラスティへ連絡すると、ラスティはひどく感心した様子で諸手を挙げ、調査を引き受けてくれた。潜入捜査などは、3人で決めたラスティの分担でもある。
 同じ頃、ディアッカからも、今まで人など寄り付かなかった3箇所のデブリ帯に、生命反応があるとの報告が入ることとなる。
 そして。程なくして、ラスティから連絡が入った。
 「黒」だと。



to be continued



キラは、黒いかもしれませんが、芯の部分はやっぱり真っ直ぐで優しいと思います。
(SEEDのキラが本物だと思ってます)
んで、カップリングズ。
恋愛感情を何よりも第一に掲げない彼ら。
いや、内心、第一に掲げたら面白いとも思いますが。
それで他の全てをないがしろにしてしまうのは、人間的に強い彼らじゃない気がします。


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