GUNDAM SEED DESTROY
遠き栄光

キラ3



 ミネルバでプラントを出る前、シンは以前に同じミッションの修羅場をくぐり抜けたディアッカ・エルスマンと果てなく続く宇宙を眺めていた。
 ザフト施設の一角に設けられた、星空を見渡せる展望室。厳しい訓練が課せられる場所とは別世界のような絶景が見渡せる処で、瞬く星をぼんやりと瞳に写していたところ、唐突に目の前にボトルが差し出された。
「よう」
 ごく気軽な呼びかけに顔を上げると、ボトルの持ち主がニヤリと笑っている。
「久しぶりだな。おまえも着任前のミーティングか?」
 ミネルバの着任式前に、クルーを集めたミーティングが開かれていた。『おまえも』ということは、ディアッカもジュール隊の任務着任前ミーティング最中、ということなのだろう。
「そう…です。ディアッカも、…ですか?」
 軽く頭を下げて差し出されたボトルを手に取ると、目の前の先輩に、慣れない敬語をぎこちなく使う。八つ当たりとはいえ、以前憎んでいた相手を敬うのは簡単ではない。
 不器用なシンの言葉に気づき、くすりと小さく笑うと、シンがムッとするのが分かり、思うように笑いを我慢できず、シンから見えないようにディアッカは顔を逸らす。
 気を紛らわすためにボトルに口をつけたのだが、思いの外苦い味にシンは顔を歪めた。ディアッカの手前、舌を出してぺっぺと吐き出すそぶりをしなかっただけでも、自分としては殊勝だったと思うのだが、そんなことを知ってか知らずか、ディアッカは、
「俺もさぁ、今建設中のステーションの護衛任務が出たんだよねェ」
と、いかにも面倒臭そうに言いながらボトルに口をつける。まったく、こんな様子では、ディアッカを『赤の英雄』として隠れて崇拝している一般兵がどんなに幻滅するか、とシンはため息をついた。
「あれ」
 ボトルのコーヒーを一口飲んだディアッカが、気づいたように言う。
「お子様には苦かったかねェ」
 ニヤニヤとした笑みを、シンに向けてきた。
 前言撤回。
 シンがボトルのコーヒーの苦さに苦しんでいたことを、ディアッカが知っていたのを、シンはコーヒーの味と同じく苦々しく確信する。
 本当にまったく!この人は、人をからかうのを生きがいとしてるんじゃなかろうか!
「そうかもしれないですね!」
 ヤケになって、ボトルの中身をごくごくと飲む。舌が苦味を訴えてくることを必死に我慢するのだが、表情はその味を表すかのごとく自然と苦いものへと変わっていった。その様子に、ディアッカは再度くすくすと笑ったのだが、その笑みに柔らかいものが混ざっていたことに、はたしてシンは気づいていただろうか。
「おまえは?ミネルバっつー新型艦だっけ?」
「そうです」
「それと、新型機、だな」
「…知ってるんですか?」
 それには、少々驚く。まだ、機密事項だったはずだ。
「そりゃぁなあ。ココで生きていくには、それなりに必要な事だしな」
「?」
 その言葉の意味するところを、シンは計りかねた。
「おまえはサ、志願したワケ?」
 ディアッカの言葉の意図を問おうとすると、遮られて反対に問われる。
「もちろんです。新型艦に新型機なんて、栄誉じゃないですか」
 使い慣れない言葉に舌を噛みそうになるが、なんとか自分の思うところをディアッカに伝えた。返されると予測していた褒め言葉と裏腹に、返されたのは苦い表情。
「…前から聞きたかったんだけど。おまえは、戦いたいのか?何のためにザフトにいる?」
 途端に、2年前のオーブへと意識は飛ぶ。自らの半身と言うべき存在が、ゴミのように吹き飛ばされ、辺りは炎に包まれた。吐き気をもよおす焦げた臭い。凄まじい臭いにも関わらず、流された血の臭いは鼻にこびりつき、恐怖とも怒りともつかない震えが全身を支配していた。
 あの時、シンは何か叫んでいた。けれど、いくら何を吐き出していたかを思い出そうとしても、脳は言葉を形作らない。
 残るのは、憎しみ。怨みとも言える。そんな状況にシンを陥れたものを、ただ憎む。
 全ての状況を内包する『陥れた者』は、オーブでも連合でも敵でも味方ですらなく、きっと『戦争』というものだった。
「俺は、戦争ってやつを憎んでいるんです。俺の家族を奪った、戦争ってやつを」
 表情は暗い。強い意志を秘めた瞳で、はきはきと話す普段のシンからは、想像もつかない表情。
 ぎゅっと握り締めたボトルが、その強い力に形を歪めた。
「戦争をなくすために、俺は戦おうと思ってます。強くなれば、もっと強くなれば、俺は戦争を終結させられる力を持てると思うんです。オーブも連合も、関係ない。戦争を起こす奴らは皆滅べばいい。俺が滅ぼしてやる。俺の家族を奪った奴らは、全員死ねばいいんだ。敵を、全部倒せば、戦争は終わる!」
 段々と熱が篭っていく言葉が終わるかどうかのところで、ふいにシンは自分の極近くで小さな空気が動くのを感じた。
 ガッ!
 一瞬後、頬に受けた衝撃のまま、床に叩きつけられたシンの体。
「よう。目、覚めたか?」
 会った時と同じく、ごく気軽な調子でかけられる言葉。シンを殴りつけた張本人が言うセリフとは思えないものだった。
「…な…」
 錆びた鉄の味を感じ、唇から流れた血を手の甲で拭う。当然のごとく、手の甲は赤く染まった。
「ガキみたいなこと言ってんじゃないっつーの。……って、あれ。そうか、オマエはまだガキだったな」
 あははー、とディアッカは真剣な表情で目は笑わないまま軽く笑う。唐突な拳に言葉を失っていたシンの瞳に、反抗的な色が浮かんだ。
「何すんだよ!」
「それはこっちのセリフだ、バーカ。何言ってんだよ。アホか、オマエは」
 倒れこんだシンを覗き込むように、ディアッカは屈んだ。見上げるディアッカの姿の後ろには、満天の星が輝いている。星と室内の抑えられた照明の逆光で陰になったディアッカの表情は、判然としない。
「そんなんで戦争が終わるか。例え敵を倒しても、新たな敵が出てくるだけだ。大きな力は、反抗する勢力を呼ぶからな。それに、敵にも家族がいることを忘れるなよ?」
「だけど!戦争を早く終わらせれば、それだけ悲しむ家族が少なくて済む!」
「…オマエさ。そう言われて、オマエは納得するのか?」
「!」
 そう言われて、この世に独りぼっちになった自分を、独りぼっちにさせた世界を、お前は許せるのか?と。
「軍人って、何だか分かるか?敵っていう人を殺すためにいるんだぜ。戦争がなけりゃ、食いっぱぐれる職業だ。オマエも、オレもな」
「戦争がなくなれば、軍人なんて辞めてやるさ!」
「…綺麗事言うんじゃねーよ」
 ディアッカの声は、一段と冷えたものとなった。表情に陰が落ちる。その暗くはっきりとしない表情の中、瞳だけが力強い光を宿していた。
「戦争はなくならない。戦争をなくすために、戦うだぁ?ふざけるんじゃねぇよ。そんなもんで戦争がなくなってりゃ、大昔に戦争なんざなくなってるっつーの」
 戦争を戦力で支配しようとすれば、新たな戦力を招いて戦火を広げるだけだった。ディアッカは、身を持って知っている。
「戦争をなくすだなんて、そんな大義名分、軍人が持つもんじゃない。どう転んでも、軍人は人殺しでしかない。もっと自覚しろ」
「でも、だって、…それならどうすれば…!」
「軍人に、そんな理由は大仰過ぎるって言ってるんだっつーの。オレ達はたかが軍人だ。人を殺せば殺すほど称えられる、そんな職業だ。笑うよなァ。人殺しが褒められるっつーんだから」
「俺達は、人殺しじゃない!」
「なんだ。お前、モビルスーツ戦は、ゲームだとでも思ってんの?攻撃したこっちから見れば、ただモビルスーツが爆発してるだけだが、中で人が死んでるんだぜ?それのどこが人殺しじゃないんだよ」
「分かってるけど…!」
「分かってて殺すのか?敵にも家族がいることも分かってて?残された家族が納得しないことも?お前が敵を倒せば倒すほど、お前のような存在が増えていって、お前の首を取ろうと躍起になって戦いを挑まれるんだケドね」
 それが、遠い昔から続く戦争の無限ループ。仇を討つために敵を倒し、その敵を大切に想う者が仇を討つために立ち上がる。堂々巡りは終わりを見出せないまま、戦火ばかりを広げていく。
「戦争をなくすために敵を倒せば、戦争を広げることになる。それとも、お前は敵の家族の命をも奪うって言うのか?…あー、戦略としてはあるけどな。復讐する者を残さないよう徹底的に敵を滅すってヤツ。お前も、ソレか?」
「違う!俺はそんなの望んでいない!」
 悲鳴のようなシンの叫び。そんなことのために、血を吐くような努力を続けて、赤服を手に入れたわけではない。
 対して、受け止めるディアッカは、冷静なままだ。静かに、言葉を続ける。
「…なあ、お前さ。軍人に夢を見るな。強くなれば世界を変えられるとも思うな。軍人は、戦争を終わらせるために敵を殺して、戦火を広げていくしかない存在なんだから」
「そんな…、矛盾してる!」
「そうだな。矛盾してるんだよ」
 ふっと、小さな息が漏れた。星空を見上げるディアッカの横顔が、幾分か柔らかくなっているのを見て、それでディアッカが小さく笑んだと知る。諦めたような、そんな。笑み。
「ひとつだけ」
 星空を見上げたままのディアッカが、小さく呟いた。ふとすると聞き逃してしまいそうな小さな声に耳を澄ます。
「ひとつだけ、胸を張れることがあるとするなら。守ることかな」
 大切な者を守ること。国民や国土だけではなく、敵や味方を越えて、自分にとって大切な者を。
 それを、ディアッカは当初敵であったアークエンジェルに乗ることで、身を持って示していた。ザフトに戻って降格しても、その思いは変わっていないのであろう。星空を見つめる先に、きっと守るべき者が見えていた。
「オレの言うことが正しいかとか、そんなことは言えないケドさ。お前も、今度こそ大切な人を守れるといいな、とは思ってる」
 そう言って、ディアッカはシンに手を差し出した。その手を掴み、力強く引っ張り上げられると、展望室に二つの人影が立つ。
「…俺も、そう思ってます」
 シンが、ディアッカと同じく星空を眺めつつ、ぽつりとそう言った。矛盾を抱えたまま、エールの込められたディアッカの言葉に応えるべく。
 胸が切なくなりそうな美しい星空は、静かに2人を小さな存在にして、無限に広がっていた。

 湿り気を帯びつつもサラリと腕を掠めていく風を受けつつ、オーブの青い海原を眺めていたシンは、先刻のキラとの出会いを思い返しながら、陽光にきらめく波と、似るはずのない遠い星空をなぜか思い出していた。


 サイに手を引かれてやってきた海沿いの道端は、淡く薄い希望を良い意味で裏切り、ひとつの人影が佇んでいた。
 慰霊碑の立つ公園の向こうから、遠く波音が響き、相も変わらず吹き上げる海風に、陽に照らされた艶やかな黒髪がなびいている。生成り色のトレーナーにカーゴパンツという、ラフな格好にも関わらず、その姿はザフトの赤服に包まれているように、キラは錯覚した。
 先刻、シンとキラが出会った場所。
 シンの連絡先も知らず、どうやって会えばいいのか検討もつかなかったキラに、サイは出会った場所へ行ってみようと提案した。最悪、ザフトにいる友達を使って調べさせる方法もあったが、どうやら彼の手を煩わさせずに済みそうだ。
 体を支えるサイの手を、そっと離して小声で「ありがとう」と言うと、重い足取りのまま、海を眺めたままの後姿に一人で近づいていく。
「…シン」
 びくり、と。その肩が大きく揺れた。
 ずるずると引きずる足音が、ふと途切れるのを聞いたのだろう。ぐらりと傾いたキラの体を、弾けるように振り返ったシンは、咄嗟に手を出し支えていた。
「ごめん。ありがとう」
「…別に、いいですよ…」
 シンは、設えられた手すりに慎重な手つきでキラをもたれかからせてから、そっぽを向いてぼそりと呟いた。
 再び海に目を向けるシンを、キラは微笑んで見つめる。
「やっぱりさ。シンは優しいね」
「なっ…!何言ってんですか!アンタは!」
 途端、真っ赤になった顔が振り返り、キラの感想に抗議した。シンが照れ隠しのように睨んでも、糠に釘のような微笑みしか、返ってくるものはなかったのだが。
(別に、恥ずかしがることないのに)
 それを言ってしまえば、今度こそ怒ってしまうかもしれないので、その言葉は胸にしまっておくことにする。
「ひとこと、言っておきたいことがあったから」
 先刻までのぎこちない声音は、その言葉にはなかった。凪いでいる海のように穏やかな声に、シンは引きつらせていた顔を元に戻す。キラの見つめる先に、吸い込まれそうな真摯な赤い瞳があった。
「僕は、これから、僕のできることをしようと思う。いろんなものが欠けてしまった僕ができることなんて、極僅かしかないと思うけど、それでも。人を傷つけることじゃなくて、人を受け入れることをしていきたいと思うんだ」
 一旦言葉を区切って、キラは小首を傾げる。
「…って、言葉でなら、何とでも言えるよね。だから、これからの僕を、見ていて欲しいんだ」
 シンは、神妙な顔つきのまま、じっとキラの言葉に耳を傾けていた。
「多くの人を傷つけてしまったけれど、だからこそ、僕は償いのために生きなければいけないと思うんだ。やらなければいけないことがあると思う」
 何か…。その思いのまま進めば、何か見える気がした。大事な、忘れていた何かが。
 それを見つけてからでなければ、死ねない。死んではいけない気がした。
「だから、ごめん」
「さっき、言ってもらったんで、いいです」
「え?」
「だから。さっき俺に『ごめん』って言ったじゃないですか。だから、いいです」
 ぶすくれた表情。その表情に、キラは呆気に取られ、そしてぷっと吹き出した。
「あはは、あはははは」
「なっ!何がおかしいんですか!」
 再度紅潮する顔で、シンはキラに抗議した。その必死な様子もおかしくて、しばらく笑いが止まらなかったキラは、笑いで浮かんできた涙を拭ってから、やっと呼吸を整えることができた。
「ゴメン、ゴメン。シンが、あまりにも『いい奴』だったからさ」
 そのコメントもどうかと思い、反論しようとしたシンの声は、キラの穏やかな表情に遮られた。何か、大きな壁を登り終えたような、そんな表情。その表情のまま、キラはシンを正面に見つつ、言葉を紡いでいく。
「ありがとう」
 何のことか。
 そんな問いは、シンとキラの間に必要なかった。その一言で、全てが繋がっていく。明日へ、繋がっていく。
 さあ、見つけに行こう。僕の大事なものを探しに。ここに、約束したのだから。必ず見つけ出す、と。
 共に、精一杯進んでいくと。
 失くしたものを抱いて。この思いを抱いて。
 僕は、力強い一歩を歩みだす。


to be continued



あんな握手で全てが解決してたまるか!
という魂の叫び。


index