GUNDAM SEED DESTROY
遠き栄光

キラ2



 キラの道案内で着いた先は、ごく一般的な住宅街のアパートメントの一室だった。
 たどたどしい足取りのキラに肩を貸し、一歩一歩通路を進む。3階に着いて目的の部屋の前に着くと、インターホンの音で、黄色がかった眼鏡が理知的に見える青年が、扉から姿を現した。見知らぬ少年に抱えられたキラを目にすると、顔色を変えて思わず名を呼ぶ。
「キラ!」
 その名に、少年は心がざわつくのを感じた。けれど、同じ名は数多く存在するはずで、そんな偶然があるはずはないと言い聞かし、そのざわつきを見ぬふりをして、心の奥底に押し込める。もやもやとしたものが胸に残ったが、それさえも無理やり押し殺した。
 少年からキラの身体を預かり受けると、眼鏡の青年は少年に手振りで入ってと示して、部屋の奥へキラを運んでいく。
「まったく。しばらく帰ってこないと思ったら」
「ゴメン、サイ」
 サイの肩から腕を外すと、キラは困ったように笑ってリビングのソファに腰を落とす。力ないキラの身体は、ぐにゃりとソファに沈み込んだ。
「今日は気分が良かったから、大丈夫かなって思って」
「それで、彼に迷惑をかけてたら、本末転倒だろ」
「うん、だから、ゴメン」
 サイと呼ばれた青年は、真剣味が感じられない、いつ死んでもおかしくないと諦めきったキラの反応に、小さくため息をつく。
 オーブに降り立ったものの、行き先を見失っていたキラが連絡をとったのは、サイだった。オーブには、血の繋がっていない両親がいたけれども、今の姿で会うのには、心の準備ができていなかった。他に連絡できる者など、カガリのいないオーブには、サイしか残っていなかったのだ。
「君には、迷惑をかけたね。ありがとう。…何か飲む?」
 廊下をおずおずと進んでくる少年にそう言って、リビングに繋がるキッチンで、サイは冷蔵庫を開ける。
「えーと、そうは言っても、あるのはアイスコーヒーとアイスティーとミックスジュースと…」
 そこそこに暑い外を考えてか、サイのラインナップは見事に冷たい飲み物ばかりだ。
「…えと、あの、俺…」
 所在なさげな少年がリビングの端で突っ立ってるのを見て、サイはソファを勧める。そして、少年の戸惑った表情を見て、気づいたようだった。
「あ、そうか。自己紹介がまだだったよね。俺は、サイ・アーガイル。それで…」
 ソファにうずくまるキラを振り返って、サイは気軽な調子のまま続ける。
「こっちがキラ・ヤマト」
「…キラ…ヤマト……」
 瞬時に、少年の表情が一変した。驚愕というか、敵意というか、哀れみというか、いろんなものがない混ぜになって、何一つ確かにならぬまま目を見開く。
「どうかした?」
 少年の様子が豹変したために、サイの声は自然と真剣なものに変わる。何かがおかしいと、脳は警鐘を打ち鳴らしていた。
「…フリーダムの…パイロット…」
 一瞬にして、サイとキラにもその驚愕が伝染する。狭くない部屋が凍りつく。ざわりと肌が逆立つ感覚がした。
「なんで…それを…」
 サイの問いかけに、少年の赤い瞳には強い意志が宿った
「俺は、ザフトのシン・アスカ。インパルスのパイロットだから」
 少年のように少し高めだったはずのシンの声は、息を殺すように低い。憎しみさえこもっている声は、硬く呪わしかった。
「フリーダムを落とした時、死んだと思ってた。…けど、こんなとこで生きてたんだな…」
「これを、生きてると言うのならね」
 キラは、真っ青な顔色のまま、シンを見上げた。見事に色が抜けた白髪から覗くそのこめかみには、部屋には空調が効いているというのに、汗が流れている。身体の不調による冷や汗だろう。
「僕を殺したいと言うなら、構わない。いつ死んでもおかしくない身体だからね」
「キラ、俺の部屋で殺人なんか許さないからな。シン、君にも忠告するけど」
 諦めたような表情のキラに、サイが釘を刺す。
 シンは、リビングの端で突っ立ったまま、無意識に拳を握った。怒りと呼ぶべきか迷う感情は、腹の奥底から噴出し、声に姿を変えていく。
「…こんなアンタを倒したかったわけじゃない。…なんで俺達の邪魔をした!なんで戦意を失ったステラを撃った!なんでいたずらに人を殺した!!」
「それは…」
「アンタらが戦場を混乱させて、どれだけの人間が死んだと思ってるんだ!!」
 その失われた命に、どれだけの家族がいたか、どれだけの涙が流されたかと。シンには、その痛みが体に刻まれているというのに。どれだけ戦争を憎んでも、どれだけ強くなっても変わらない現状に血の涙を流しても。
 シンの悲痛な叫びに、キラは声を失った。
 なぜなら、以前の僕は、平和ってものをはき違えていたから。言葉にすれば、その一言で終わってしまう。けれど、それをシンに説くのは酷く困難な気がした。
 ハァ。
 場違いなため息が、サイから漏れる。
「だから、言わんこっちゃない。キラ、おまえはもうちょっと自覚しろ。おまえがやってきたことは、本当に多くの敵を作ってきたんだぞ?」
「…うん。そうだね…」
 キラは、静かに肩を落とす。
「シン、君もだ。エクステンデッドのしてきた事は、分かってるだろう?彼らの行動で、どれだけの人々が亡くなったか。彼らに指示を下した者は別にいたとしても、彼らが手を下したのは事実だ」
「…でも!」
「彼らが連合に操作された人格を持ってたことは、知ってる」
「…なんで、それを…?」
 思いがけない言葉に、シンはビクリと肩を揺らす。純粋に、そのことをなぜサイが知っているか、シンには疑問だった。
「ディアッカ・エルスマン」
「!」
「奴は、俺の友達だから」
「でも、極秘事項だって…」
「もちろん、そうさ。詳しくは言えないけど、俺も地球側からエクステンデッドの存在を救おうとしてる、って言えば分かってもらえるかな?」
「…な…」
「つまりは、今、君の敵はここにいないってことさ」
 至極丁寧な筋道で、サイは説明を終える。
 シンは、目まぐるしく叩きつけられた事実に、打ちのめされていた。サイの言葉が、脳の中をぐるぐると回る。整理のできぬまま、口が勝手に言葉を紡ぐ。
「そんなこと…。そんなこと、突然言われたって、俺には分からないっ!」
 バンッと、扉を叩き開くと、シンはサイの部屋を飛び出していた。


「…で、どうするんだ?」
 シンがサイの部屋を飛び出していった後、キラにアイスティーを勧め、自らもアイスティーで喉を潤しながら、サイは問うた。
「…なにが?」
 のろのろと重い体をソファから起こしながら、キラは差し出されたアイスティーのグラスに手を伸ばす。シンの複雑な表情が脳裏に焼きついているのか、その表情は硬いまま。
「おまえの身体のことだよ。このまま、ここにいるつもりか?」
「…やっぱり、邪魔かな…?」
 申し訳なさそうに苦笑いするキラを正面に、ソファに座ったサイは小さくため息をつく。
「そうじゃない。このままここにいたら、本当にまずいって言ってる」
 『死』という言葉を、サイは自然と避けた。口にするのも不吉だ、と言わんばかりに。
 あちこちで起こる争いで溢れているそれを、サイは嫌というほど見てきている。先のクレタ戦闘でも、海に沈んだ命を何人見たことか。
 何千人の中の数人という、極めて少ない助かった命。一番危うく、死地をさまよっていたエクステンデッドの一人は、今もプラントで無事でいるだろうか。プラントの最先端の医療に一縷の望みをかけて、ディアッカを、医療都市の市長であるディアッカの父を頼り、症状が落ち着くのを待って移送した彼。
 遠いプラントに思いを馳せる。
「俺はさ、キラ。こんなにたくさんの命が散っていく中、生きているのに命を諦めるのは許さないからな」
「…僕は、生きていていいのかな」
「生きていていいとか悪いとか、そんなんじゃない!」
 力ないキラの言葉に、珍しくサイが声を荒げた。苛立ちを顕わにしたのも、久方ぶりに見る。
「生きてて悪いと思うのなら、命を懸けても償おうとすればいいだろ!何もせずに、ただ自分の罪を悲観して諦めるな!」
 諦めたくなくとも、問答無用で命を絶たれた者がどれだけいただろうか。記憶の中で微笑む赤い髪の少女や、友達を救おうとして空に散っていった優しき少年を、サイは忘れない。
「…ごめん」
 キラがぽつりと呟く。
 その言葉に、いつの間にか立ち上がっていたサイは、力が抜けたようにソファに腰を落とした。
「…俺は、おまえがその気なら、助力は惜しまないつもりだからな」
「うん。ありがとう」
 キラは、手のひらでぬるくなったアイスティーのグラスを覗き込みながら、なんともなしに手の中で回す。
「正直、どうしていいか分からなかったんだ」
 今、自らを襲っているのは、おそらく死ぬまで治らない病魔。なにしろ、生命の根本である遺伝子を欠落させているのだ。治しようもないだろう。明日をも知れぬ自らの身体に、震えが走る。
 けれど。
「…サイは、相変わらず優しいね」
「…そりゃ、どーも」
 照れているのか、そっぽを向いて片目だけ薄く開けてキラを見る。その仕草が、いつも大人びているサイを、その時だけ歳相応に見せた。
 その表情を見つめるキラが、穏やかに微笑むと、意を決したように表情を変えた。手にしていたグラスを静かにテーブルに置く。
「サイ。僕がオーブに戻って、君に連絡を取ったのは、身を寄せる場所がなかっただけじゃなく、もうひとつ理由があったんだ。それを、聞いて欲しいんだけど、…いいかな?」
 いつになく真剣なキラの眼差しに、サイはソファーに座る自分の姿勢を正した。それを、肯定の意味と受け取ったキラは、静かに続ける。
「僕は、君に、謝りたかったんだ」
 かつて、アークエンジェルで共に戦った戦友。けれど、当時のキラは、サイのことを、…ヘリオポリスの友人のことや、アークエンジェルのナチュラルのクルー達を、無力な守るべき対象としか見ていなかった。同じところに立って戦いに臨むのではなく、キラの中ではいつもキラは一人で戦っていて、口では皆の助力に感謝をするものの、そんな微々たる力に鼻から期待なぞせず、むしろ煩わしいとさえ思っていた。それはまた、サイ達を守ることのできる自分に酔っていたとも言え、守れる自負が自信へと確かに繋がっていた。
 その結果、サイのプライドを傷つけ、あたかもコーディネーターが優性種であるかのように振舞った。けれど、サイの自尊心をも踏みにじり、ためらいもなく突き飛ばしたというのに、アークエンジェルに生きて戻ってきたキラのことを、サイは心から歓迎してくれていたのだった。
 正直、本当に歓迎していたのかと疑いそうになったが、サイの誠意はキラの疑念を吹き飛ばすこととなる。
「僕は、なんて傲慢だったんだろう、って。そう、思ったんだ」
「そうか」
 サイは、肯定も否定もしなかった。ただ、俯いたキラが見つめる、足元に落ちた事実だけを、いつもの穏やかな表情で眺めている。瞳の色にも、いつも以上の熱や冷たさはなかった。
「今の僕には、何もできない。何もできることがないのに」
「コーディネーターの能力がなくたって、戦う意思があれば、やれることは十分にあるって。そう言ったのは、キラだろ?」
 キラはサイの言葉に、顔を上げて辛そうに表情を歪めた。そう言った時の情景が明瞭に思い出され、瞳の裏に浮かんだ景色の中、真実を伴っていない自分の姿が苦い。
「でも、あの時の僕は、何も理解してなかった。自分の立場も、サイの気持ちも…。それなのに、僕は綺麗事を並べて、知ったふりをして…」
 君は、僕と違うから。僕にできないことが、君にはできる。
 いつかの自分の言葉。
 一体、あのときの僕は、「何」を指して「できる」と言ったのだろう。「今の僕」は、何もできることがないために、こんなにもがいているというのに。
 結局、あの時の僕は、自分に酔っていただけなのだ。スーパーコーディネーターという神のごとき存在が、ナチュラルに慈悲を下し、己の寛大さに再度神の存在を意識する。
 何も知らなかったのに。
 それが、ただの人間が持つ、ただの優越感に過ぎないというのに。
「やめてよね。本気で喧嘩したらサイが僕にかなうワケ無いだろ」
 それが、キラがサイに向けて投げた、残酷な言葉。今の自分なら分かる。その言葉がどんなにか凶器か。その言葉が、どれだけ身体をえぐるのか。
 それなのに、サイは、キラを受け入れた。同じ立場で、キラはサイのようになれるかというと、まったく自信がない。
 ほろり、と瞳からこぼれるものがあった。頬の生温かい感触で初めて、自分が泣いているのだと気づく。
「…なんで…」
(僕は泣いてるんだ?)
「悔しいからだよ」
「え…?」
「悔しいから、泣いているんだ」
 口にしない疑問に、なぜかサイが答えた。
「…だからさ、まだ戦えるんだよ、おまえは」
 諦めきれないから、悔しい。悔しいからこそ、人は泣くのだ。サイは、身を持ってそれを知っていた。だから、今の自分がある。
 悔しかったら、自らの弱さと戦う。泣き言を言おうが愚痴を言おうが、選択肢はそれしかない。負けを認めたくなかったら。
 もがいてあがいて、ひたすら努力するしかないのだと。
「サイ。僕は…」
「まずは、シンに会うことだな。そこから始めよう」
 そう言って、手を差し出す。友を想って優しく微笑む彼は、遥か遠くに立っていた。キラの進むべき道の。
 サイは、キラの謝罪を必要としていなかった。
 彼にとっては、終わったこと、だったのだ。


to be continued



キラがキラであるためには、
きっとここから始めなきゃいけない。
そう、真剣に思っていました。


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