朱に
3
いつもどおりの日常が戻ってきて、半年が過ぎた。そろそろ夏の暑さも落ち着き始める頃、呉は大きな局面にいた。北西の砦を、大軍が取り囲んでいる。魏の軍だった。砦の前に前線はひいてあるが、魏の猛攻にじりじりと下がる戦況。 明らかに、呉は押されていた。 かといって、北西の砦を失うわけはいかない。呉という国を守る、重要な拠点だったのだ。それを、魏は正確に理解していたのだろう。だから、北西の砦を取り囲むように、魏軍が展開している。 「このままじゃまずいな」 「その通りです」 戦場を任された孫策が、うーんと唸ると、周瑜が表情を動かさないまま言った。 「何かいい手立てはないのか?周瑜殿」 「あちらの将を倒せば、自ずと魏軍は崩壊するでしょう。ですが、将を討つには、それまでの兵の配置が厚過ぎます。奇襲や火計ぐらいでは、ビクともしません」 軍議を行うテントで、ゆらめく灯りに照らされながら、周瑜は苦渋に満ちた顔をする。 「火計も効かない。水もないから甘寧の奇襲も効かない。こりゃ、八方塞だな…」 「どっちにしろ、こんなだだっ広い草原じゃ、油でも撒かなきゃ火計もままならんだろうしな」 有効な手段を見つけられないまま、軍議は解散された。このままでは、良い思いつきも出てこないだろう、と結論づいたからだった。 「あ、凌統様。軍議はいかがでしたか?」 焚き火を囲んで輪になって休憩していた部隊の者達が、凌統の帰還に顔を上げると、凌統は演技染みた大げさなため息をついて見せた。 「あー、ダメだね。ダメダメ。八方塞がりってやつかな」 「どんな感じなんです?」 「やめとけやめとけ朔羅。俺等みたいなのが、戦略になんざ首突っ込まねえ方がいいって。そんなのは、周瑜様や陸遜様に任せとけばいいんだよ」 軍議の内容に興味を見せた朔羅に、隣で酒をあおっていた男が声をかける。 「うん、でも、気になって」 「簡単なことさ。奇襲を本陣にかけるにゃ敵陣が厚過ぎて、火計をやるには燃やすもんがない。クソ甘寧が水軍で奇襲をするにも、水がないってな三拍子だ」 「ふーん…」 隣に座って軍議の内容を話すと、朔羅は考え込むように腕を組んだ。その様子を気にしないまま、凌統は隣にいた部下に杯を差し出す。飲まずにはやってられなかった。 「奇襲が思うようにできないっていうのは、これだけ広い草原で、見晴らしがいいからですよね」 「まあ、奇襲が奇襲として見えちゃったら、奇襲にはならないわなぁ」 あっさりと杯を空にして、次!と部下に空になった杯を突き出しつつ、凌統は応えた。 「じゃあ、反対に、見え過ぎるのを逆手にとったらいいんじゃないですかね」 「どうやって?」 次々と杯を空にしながら、凌統は面白半分で相槌をうち、先を促しつつ聞いていた。 「まず、こちらの軍を一旦引いて、敵をおびき寄せるんです。そこを、砦に隠れていた部隊が強襲して…」 「うんうん、それで?」 周りの男共も、面白そうに耳を傾けていた。 「もちろん、おびき寄せられた魏軍は、混乱すると思うんです。でも、普通だったら、強襲されてもその様子が見えないはずだから、後ろに控えてる魏軍は、動かない。けど…」 「むしろ、見えるから混乱が伝染する」 「はい。そうすると、後ろの魏軍も行動を起こそうとします。多分、援軍に向かうはず」 「だろうな」 「そうすると、かなり敵陣は薄くなります。そこにまた、援軍が行軍してきたところを左右から強襲するんです」 「さらに混乱が広がる…」 「でも、それだけじゃ本陣はやっぱり動かない。ですから、混乱に乗じて、薄くなった中央を…」 「突破する」 いつのまにか、凌統の部隊の者は皆、朔羅の言葉に真剣に耳を傾けていた。 おもむろに、凌統が立った。 「凌統様?」 「朔羅、その話、周瑜殿に話してもいいかい?」 「えっ?もちろんです」 その後、その策は異を唱える者がいないまま、すんなりと採用されることとなった。 相変わらず、奇襲の役目は甘寧と凌統に与えられた。どうにも2人1組に考えられることに反発したくなったが、ギリギリの配置でそんなわがままは言っていられない。あちこちに配される軍は、明らかに人手不足だった。配置の場所が多いのに対して、人が少なすぎるのだ。 最も荷が重いのは、砦に隠れる部隊と最後に本陣を奇襲する部隊。砦に隠れる人員は限られるため、少数で大勢を相手にしなければならない。それを、大将である孫策が気軽に引き受けた。こうなると、周りの者はお手上げだ。孫策は、言ったら最後、曲げない性格をしている。 「俺が危なくなったら、おまえらが必死で戦えるだろ」 まことしやかに言う大物に、周囲の武将は普段聞こえる武勲はどこへやら、情けないほどにがっくりと肩を落とした。 「甘寧、凌統、本陣奇襲は任せたぜ」 「おうよ!」 「りょーかい」 「本陣を徹底的に崩壊させる必要はない。逃げ出した者がいれば、追う必要もない。すぐには軍を立て直せないようにするのが目的だ」 周瑜が、冷静な声のまま釘を刺す。本陣をつぶせるほどの余力はないと思うが、深く突っ込みすぎて敵の反撃をくらえるほど、呉にも余裕はなかった。 そして、草原が見渡せる昼日中、策は実行に移された。 確かに、本陣までは強い抵抗もなく辿りつくことができた。けれど、本陣についた瞬間、酷い乱戦となった。 凌統には、嫌な予感が襲う。もみくちゃな戦場に、嫌な映像が重なった。 凌統の背中を押す軽い衝撃。振り返ったらそこには朔羅の強張った顔が…。 「うざいっつの!」 思い浮かんだ映像を、怒涛と共に振り払う。接近していた敵が吹っ飛んだ。ごく傍で剣を振るっている朔羅を目に入れる。 大丈夫、大丈夫だ。 言い聞かせて、戦いに集中する。そうでなければ、凌統もいつ斬られて倒れるか分からない状況だった。 「この前が最悪ってんなら、今度は地獄ってことかい」 わざと軽口を叩いて、自分を叱咤する。 一人、二人…。次々と倒す敵を数え切れなくなってきた頃、汗が目に入った。拭おうと手を目に向けた瞬間。 「凌統様!」 突き刺すような叫びに、反射的に体が動く。不意打ちを食らわそうとしていた敵を、思い切り蹴飛ばした。ぐえ、とくぐもった声が聞こえた後、敵は地に倒れこむ。それを見やった後、その地面に動く影を見た気がした。 「覚悟!」 (後ろか!) 振り返ろうとする。したはずだった。けれど、何の冗談か、倒れた敵の緩んだ帯にからまった足が動かない。 「ちぃっ!」 上半身だけを、無理矢理背後に向ける。敵の刃を…、避け…て…。 できなかった。既にもう、背後の敵の刃は、凌統の胸に吸い込まれようとしていた。怒涛でさばこうにも、足をとられたこんな体勢では、まともな動きができようもなく。 「凌統様!」 再度の叫びが耳に飛び込んできた。 来るな。来ないでくれよ。 祈るような思いは虚しく、突き飛ばすようにぶつかってきた体があった。無理な体勢だったためか、2人分のの体を支えきれず、ぶつかってきた者と一緒に倒れこむ。凌統の上に倒れこんだ身体は、「すみません」と言ってどかなかった。動かない体にぞっとする。 起き上がって、一緒に倒れこんだ相手を抱き上げる。 予想はしていたものの、そうであって欲しくなかった。 「朔羅!」 小さな体が、ぐったりと凌統の腕に身を任せていた。ざっくりと斬られた肩から腹への傷から、鮮血が溢れ返っている。すでに、朔羅の意識はなく、穏やかな瞳は開かれることなく、凌統を見ることもしなかった。 凌統の全身から、血の気が引いていく。 「朔羅!目を覚ませっつの!朔羅!」 「凌統様!動かしちゃダメだ!」 「朔羅!朔羅!」 凌統を襲おうとし、朔羅を斬った敵を始末した凌統の部下が、朔羅の体をゆすって起こそうとしている凌統に声をかけるが、半狂乱の凌統には全く聞こえていなかった。 朔羅の体から、急速に体温が奪われていく。朔羅の衣服を真っ赤に染めている鮮血はとどまることを知らず。 「朔羅ぁっ!!」 絶叫は、天を突いた。 to be continued |
この小説が、夢小説と成り得ない所以。 ここまでしなくちゃ、凌統の相手にはなれないってことで。 ええ、私は即断で、ご遠慮申し上げます(笑)。 |
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