家庭教師ヒットマンREBORN!
ぬくもりの家へ
caution! 山本の相手がオリジナルキャラとなっています。 名前の変換機能はありません。 女の子の名前は、長谷川圭依となっております。 |
笑みは、いつもと変わらなかった。 否。変わらなかったのは、その回数だけで、その本質は失われて久しい。 いつからのことかなどと、愚問だった。 「武」 そう呼ぶ人がいなくなってから、彼の笑顔は、彼方へ消え失せていった。その人がいなくなったように。 大き過ぎる存在感を持っていた彼も、同じように消えていきそうな。そんな不安が胸の奥に微かにあった。 並盛の町に、欧風の豪邸を思わせる建物が建っている。ほぼ全てを、地下に身を潜めている、ボンゴレファミリーのアジト。その氷山の一角といえる、地上に現れている極僅かな部分。若干の平穏にのみ使用するそこに、見回りを終えた彼が帰ってきた。 自室の扉を開けて、灯りがついていることに気づくと無意識に、幾分控えめなデザインのガラス製フードに覆われた灯りを目に入れる。その暖色のガラスを通した柔らかい光の下、テーブルの上に散らばった雑多な物を片付ける、華奢なラインの存在を認めると、彼は無表情で強張っていた頬を意識的に緩めた。 「ただいまー」 部屋の中心に置かれた丸テーブルを片付けていた彼女は、手を止めて彼の姿を振り返ると、柔らかく笑う。 「おかえり、山本」 その笑顔を見ると、山本はホッとする。どうしてだ、と聞かれると分からないのだが、その笑顔を見ると、帰ってきた実感が沸く気がするのだ。 ここは、以前の山本の家、竹寿司ではないのだけれど。 「お邪魔してるよ」 「うん。さんきゅ」 しばらく前からの、同じようなやり取り。彼女、圭依は、竹寿司からアジトに居を移した山本の部屋に、時間がある際たまに訪れている。特に何をするわけでもなく、差し入れを届けるとか、散らかった部屋を深入りしない程度に片付けるとか、夕方以降には訪れるものの、会えるとは限らない山本に偶然会うと、小一時間話してから帰るという、そんなつかず離れずの関係が続いていた。 山本は、その表面の明るい雰囲気とは対照的に、極親しい相手以外からの深入りを嫌う。…と、圭依は思っている。そのため、内情は知らないものの、その危うい環境や、山本の危うい雰囲気を感じ取っても、事情を聞きだすなど、深入りはせずにいた。 それを気楽に思っているのか、そんな圭依を山本は何も言わず受け入れている。 その山本の顔が、暗い。笑っているのに、だ。 先刻、アジトを訪れた際に挨拶をしたツナに言われたことを、圭依は思い出した。 「最近の山本をどう思う?」 「最近の?」 「うん。俺はなんだかおかしいと思ってるんだ。何がどう、って説明はできないんだけど」 圭依も、それには気づいていた。あの人がいなくなってからというもの、山本の表情が沈んでいるのは当然ともいえて。それからしばらくして、笑うようになったけれども、その笑みはどこまでも虚しく。以前のような、胸に響く突き抜けるような明るさはない。 そしてまた。その笑顔がさらに暗く沈んでゆく。冬の闇に佇む海の底のような。このままでは芯まで凍てついて、一生溶けることがないような不安に苛まれた。 けれど、それを救ってくれるのは、きっと自分ではなかった。山本の変化に同じように気づく目の前のツナか、時という頼りがいのないものか、今はもうここにいないあの人しか、山本を救う存在はないのだ。そう、思っていた。 私ができるのは、その時をひたすらに待つだけ。 「ツナくんがそう思うのなら、きっと、そうだと思うよ」 救いを求めるような瞳が、圭依のその返事に伏せられた。 ツナの言いたいことは、圭依も分かっている。でも、それは圭依にとって重荷というか、無理な頼みと思えた。きっと、自分では駄目なのだ、と。目の前に立ち塞がった壁に、成す術もなく、その遥かな頂を見上げることもできずにいた。 だって、あの山本が、だ。 周りに無償の笑顔を振りまいていた山本。当たり前のようにそこにあった笑顔が消えた。山本にそれほどのショックを与え、断崖から谷底に突き落とした出来事を、そもそも受け止めきれないでいるというのに。山本の笑顔が消えた事実に、どうしていいか分からない無力な自分は、打ちのめされたままだというのに。 その山本の真実の笑顔を取り戻すなんて、どれだけの無理難題だというのだ。 「…そっか。そうだね」 ツナの気落ちした声に、返す言葉はなかった。 救えたらいい。 そう思う気持ちとは裏腹に、オマエなぞに救えるはずもない、という声が胸にこだましている。 山本の笑顔は、それだけ貴重なものだったのだ。失った今、初めて分かったことだった。 取り戻せるのは、永遠に失ったあの人だけ。 「武」 今も心に響く、あの人の元気な呼び声。その笑顔に笑顔を返す山本。 本当に、そうなのだろうか。 山本の真実の笑顔は、あの人と同じく、永遠に失われてしまったのだろうか。 背負っていた刀袋を壁にたてかけると、がしゃりと重い音がした。青い布に包まれたそれが本物である証拠を、圭依はそっと聞かなかったことにする。 それは、山本を危機から救ってくれるものでもあったが、山本を危機に陥れるものでもあった。 「ふー…」 「珍しいね、深いため息ついちゃって。疲れた?」 「うーん、そうかな」 自らに無頓着な感想。人の感情の機微には勘付きやすいクセに、自らのこととなると鈍感にもほどがある。 そもそも緩んでいるネクタイを、さらに緩めて、どっかと腰を下ろしたベッドで上半身をごろりと転がせる。とろんとさせた瞳に、今にも落ちそうな瞼が重なってゆく。 「山本?」 「んー…」 「寝るの?スーツが皺になっちゃうよ?」 「んー…」 寝ぼけながら、なんとか反応する山本の姿に、圭依はくすりと笑う。 「じゃあ、私は帰るね」 「んー、…帰んのか?」 もそりと動いた上半身に、山本が見送るために体を起こそうとしたことが分かる。 「いいって。山本はそのまま寝てていいから」 「んー…。…いや…」 既に閉じてしまっている瞼は動かぬまま、もそもそと動く腕は、シーツに頬ずりしているようにも見えた。起き上がるためについた腕が立たぬまま、ベッドに縫い付けられた体からあったのは。 ぐー。 手が離せず、家まで送っていくことができない時の「気をつけてな」といういつもの言葉とは似ても似つかず、豪快な腹の音だった。 圭依は、ぷっと吹き出す。 「なに?おなかすいてるの?」 「んー…。腹減った…かな…」 「『かな』じゃないでしょ。何か作ろっか」 「んー…」 相変わらず、体は起き上がらぬまま。その先で圭依の耳に届いたものは。 ぐー。 先刻とは違い、山本の小さないびきだった。 「武」 呼び声が聞こえる。大事な、大切な、あの人の声が。応えたいのに、声が出なかった。 失ったのは、自分の所為だった。強くなかった、強くなれなかった自分。悔いても、あの人は戻ってこない。悔いても、守りきれなかったあの日に戻れない。 あの声を、もう二度とこの耳にすることはないのだ、と。 その事実だけが、暗くずっしりと重い塊になり、腹の奥に存在している。泥のように体が重い。ずっと陰鬱な気持ちも重い。 果てのない暗闇を、手探りでさまよっている感覚。 「なんだ?親父?」 遠い記憶の中、明るい声で応える自分自身の後姿が見えた。 あの人に応える時、俺はどう笑っていたんだっけ。 思い出そうにも、その記憶は腹の塊に踏まれたまま、ようとは姿を現さなかった。 武を呼ぶ声が遠くなってゆき、そのかわりに、小さく肩を揺らすものに気づく。 「…山本。…山本…?」 「…ん…あ?」 「起こしちゃってゴメン。でも、私、そろそろ帰るから」 ぼんやりとした視界に、申し訳なさそうな圭依の顔が浮かぶ。 「…圭依…?」 「うん。良かったら、おにぎり食べて」 「…おにぎり?」 「うん。作ったから」 「…食べる」 ぼーっとしたまま、ゆっくりと体を起こす。帰ってきてから1時間も経ってないが、少し寝てすっきりしたのか、思いのほか体が軽くなっているようだった。 「じゃあ。…はい」 ベッドに椅子を寄せて腰を下ろすと、圭依は皿にのせたおにぎりをひとつ手に取り、ぼんやりとしたままの山本の手に持たせた。握りたてのおにぎりは、まだほんのりと温かく、巻いたばかりの海苔は、ぱりっとしてハリがあるままだ。 「…いただきます」 焦点の合わぬまま、律儀にそう言うと、ほぼ無意識のままおにぎりを口に運ぶ。頬ばってから、むぐむぐと口を動かし、そして飲み込む。口の中に咀嚼するものがなくなると、さらに頬ばり、もぐもぐと口を動かす。段々と食べるスピードが上がってゆき、次第に瞳の焦点も定まってくる。 ほんの数口で、小さくはないおにぎりを平らげると、今度は自ら手を伸ばし、次のおにぎりを手に取った。もはやはっきりと覚醒した瞳は、じっと手の中のおにぎりを見つめる。 「どうかした?」 「おいしい…」 「それは良かった。やっぱり、おなかすいてたんだね。作って良かった」 「うん」 それでも、じっとおにぎりを見つめ続けている山本に、圭依は首を傾げた。 「山本?」 「うん」 じっと見つめていた瞳に、ふと、柔らかい光が灯る。 「あったかいのな」 「え?」 ボンゴレファミリーでの仕事は、命が懸かっているような、それなりのものだ。報酬は、民間の企業と比較にもならない。だから、山本も、忙しい日常の中、金を惜しむなら時間を惜しむように、自然となっていた。美味いものなら、金を出せば口にできる。ただ、時間を惜しむとなると、何個も星がついたレストランに行けばいいというわけにもいかない。 行き着く先は、コンビニの弁当などが主だっていた。 コンビニにも、おにぎりはある。産地にこだわった米とか、塩とか海苔とか、添加物がないとか。枚挙に暇はない。 けれど。 「あったかい」 見つめた先には、産地にこだわった米でも、製法にこだわった材料が使われたわけでもない。きっと、米だって、アジトのキッチンで余ったご飯だろう。 けれど、そこにはレンジであっためた温もりではなくて、人の手の温かみがあった。 そう。握りたての寿司のような。 食べ物に人の気持ちが味となって現れるなんて、信じたことはない。作ってくれた人に感謝こそすれ、人の気持ちが食べ物を美味しくさせるなんて、そんなロマンチストみたいなことは、人に感謝をするのが常の山本でさえ、考えたことはなかったのに。 頬張ったご飯は、人の手で丁度良く握られたもので、機械の型に押し込められたコンビニのおにぎりとは違いポロポロと零れ落ちることなく、噛んでいればしっとりとした甘みが口の中に広がってゆく。 その甘い温もりと一緒にこみ上げてきたものを噛み締めて。 「ありがとう」 山本は、ぽつりと言った。 きっと。 帰る場所は、いつも竹寿司だと、親父のいるところだと、思っていた。 それを失って初めて、それが当たり前のようにずっと絶対にあるものではない、と気づいた。気づいた時にはもう遅くて、何もかもが手遅れで、取り戻せるものは何もない。そう思っていた。 けれど、独りではなかった。親父を失ってから、視界を閉ざした山本には見えなかったけれど。いつも周りには仲間がいて、いつも仲間が山本を思っていたのだった。 再び失う前に、気づいて良かった。本当に、良かった。 二度と、この温もりを失うものか、と思う。 「圭依」 「うん?」 「さすがに多いかな?」と思いつつ用意した4つのおにぎりは、あっさりと山本の腹に収まり、食後に緑茶を用意していた圭依の背中に、山本の声がかかった。スーツの上着をハンガーにかけ、ネクタイを外してテーブルに置くと、目の前で淹れられるお茶を眺めつつ、山本は椅子にかける。 「俺のことさ、なんで『武』って呼ばないの?」 山本にとっては、素朴な質問だったのだろうが、うっと詰まったのは、圭依だった。急須を落とさなかったのは、奇跡ともいえる。 『武』という名には、特別の響きがあったのは否めない。ツナでさえ『山本』と呼ぶのに、圭依が『武』と呼ぶわけにはいかなかった。山本にとって特別なあの人だけが、山本を呼ぶ時に許される呼び名だと、無意識に思っていた。 だから、『武』と呼んではいけないと、勝手に自らを戒めていたのだ。 「俺が『圭依』って呼んでるのに、圭依は俺のこと『山本』って呼ぶなぁ、と思ってさ」 「…えーと。別に、他意はないよ?」 「じゃあ、いいよな」 差し出された湯のみの緑茶を嬉しそうにすすりつつ、山本は向かいに腰掛けた圭依に笑いかける。 「え?…う、うん…」 「俺、圭依に、『武』って呼ばれたいな」 焦った圭依が、山本の笑みが変わったことに気づくのは、まだちょっと先で。ニコニコと、呼ばれるのを待つ無邪気な山本の姿に、目を逸らして顔を赤らめる圭依が『武』と呼ぶのは、ちょっと先のことで。 二人とも、きっとそこから進むことができる気がしていた。 |
10年後の事実を知って、いつかは書きたいと思っていたss。 10年後の山本は、どこか笑っていないように見えたのは、 やっぱりこの事実からだったような気がする。 でも、前に進んで欲しいなぁ、とか。 |
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