温泉旅行3



「マリアは、こういうとこ初めて?」
 ぼんやりと、温泉宿が立ち並ぶ町並みを眺めていた金髪の女性が、ふいにかけられた声に振り返る。邪魔にならないようまとめた髪のため、ほつれ髪がかかったうなじが妙になまめかしい。旅館の浴衣でさえも、その姿には上等の着物に見える。
「飛羅、その呼び方は…」
「誰もいないよ」
「でも…」
「そんなに、俺にそう呼ばれるのが嫌なの?」
「そうではないけれど…」
「じゃあ、いいじゃないか。マリアも俺のこと『飛羅』って呼んでるわけだし」
 飛羅がじゃれつくように抱き着いてくる。カーテンが開けっぱなしの窓は、きれいに磨かれ、夜の闇に浮かぶ外の様子が良く見える。…それは反対に、外から丸見えとも言えた。
 誰か知った人間に見られはしないか。
 マリアはそわそわと落ちつかなく、飛羅の腕を離そうとした。
「俺はさ、『俺のこと好き?』って聞きたくはないんだ」
 うって変わって真剣な声に、マリアは動きを止める。肩越しに飛羅の顔を覗きこむ。
「ええ、そうね。それは美徳だと思うわ」
「違う。いつまでもわがままを言っている子供でいたくないからさ。いたって俺は自分が生きたいように生きてる。美徳っていう枠にははまりたくないから」
 強烈な個性。
 その一種気が引けてしまうような個性は、周囲の者を遠ざけることなく、信頼を享受している。なぜだろう。
 まぶしそうに飛羅をみつめるマリアに気を良くしたのか、にんまりと笑って、飛羅はあくまで軽い口調のまま話しつづけた。
「だってさ。『俺のこと好き?』って聞くのは、自信がない証拠なんだ。好きじゃないかもしれない裏側の無理矢理むしりとった『好き』をもらったって、なんの意味もない。そうだろ?」
「そうね」
 カーテンをゆっくりと閉め、じゃれついた飛羅をそのままに、窓から離れる。
 畳の部屋には、先刻仲居が敷いていった布団がきれいに並んでいた。端に追いやられたテーブルの傍に、腰を下ろす。
「言わなくても分かる、それが大人の恋愛と思うからさ」
「言わなくても分かるかしら」
「分かるよ。普通はね。
 分からないやつは、余程のアホなんだよ。ストーカーがそのいい例さ」
「飛羅は愛されて育ったのね」
 くすり。
 マリアは饒舌に話しつづける飛羅を見て、おかしそうに笑った。
 その態度に腹をたてるかと思ったが、思いの他飛羅は得意そうに笑う。
「そうだよ。俺は愛されて育ったんだ。血が繋がってなくても、愛さえあれば親子だからね。ホントに、それは実感」
 飛羅は、実の親を早くに亡くしている。その後は親戚に預けられたというが、本当の息子のように育ったのだろう。飛羅の表情が、何よりも強く物語っている。
 世間に渦巻いている、血の繋がっていないための事件や悲劇は、定説ではない、ということだ。反対に、血の繋がりだけが重んじられる家族とは、案外脆いものかもしれない。
「みんな、さ。怖いんだ。自分が愛されてないかもしれないことに」
「飛羅は怖くない?」
「怖いよ」
 飛羅は、ゆっくりとマリアから体を離す。そして、マリアの正面に座り、マリアをじっと見つめた。
「怖くないはずない。でも、俺は愛される自信があるから。愛す自信があるから」
 飛羅の真面目な視線を受け止め、マリアは、やさしくふっと笑った。
「飛羅は、すごいわ。私もそれくらいの愛を持っていれば良かったのに」
 それは、半身。
 遠い昔失ったまま、迷宮に迷い込んでしまった。もう、戻ってはこない。
 マリアは、そう、絶望的に信じていた。
 そしてその絶望は、なくした半身を埋めるに充分だった。…はずだった。以前までは。
 長い間持ちつづけていた絶望という名の憎しみは、必死に手繰り寄せても掌からこぼれていく。
 いつのまにか、空虚な自分を感じ始めていた。
 長い長い、本当に長い時間を過ごしてきたから。…独りで。
 最初は、「時が傷を癒してくれる」という言葉を信じることが嫌だった。そんなはずはないから。あの傷を、忘れることなど、できないから。
 ただ、私は何に復讐したかったのだろう…。
 そんな疑問が、燃え尽きた灰のように、欠け始めた半身に降り積もって行った。
 自分をおとしめた人間達?世間?宗教?
 それらに、もう復讐はできない。
 あまりの時間の流れに、全てが変質してしまったから。
 でも、愛する者が目の前で殺されたときの情景は、今でも鮮明に思い出せるのだ。忘れられるはずがない。「憎しみ」などと、簡単に言葉にできるものか。自分達が何をした。身に覚えのない濡れ衣を着せられ、追われ、殺された。その裏で、濡れ衣を着せた張本人達が高笑いをしていたのを、マリアは知っている。
 おまえ達は、愛するものを失って流す血の涙を知っているか!?
「マリアは、充分『愛』を持ってるじゃないか。生徒の俺達が良く知ってる」
「それは、本当の私じゃないわ」
「そんなの、俺達には関係ない」
 簡単に即答する飛羅の言葉が、胸に痛い。
「マリアが抱えている過去のことは、悪いけど、俺達にはどうしようもないんだ。俺達が償えればいいけど、それは、マリアが望んでいる償いそのものには、絶対に繋がらない。そうだろ?」
 マリアは、うつむいたまま、コクリとうなずく。
 それは、違うから。
 償っても償っても、それは、別物だから。
 飛羅達は、マリアが憎むべき者達ではない。そう、例え、その血脈が遠い昔マリアの憎むべき人間達に繋がっていたとしても。憎もうとしても、その気持ちは飛羅達を通り越して、その者達に向かってしまう。
 その者、その者達を凶行に走らせた世間、裏に潜む自分の手を汚さない者達…。
 段々、何を憎んでいたのか分からなくなる。
 きっと、あの傷の痛みは心からの謝罪があろうとも、忘れることなどない。謝罪は、事実を消すことができないから。
 望むことは、そう、失われた愛すべき人々の命。もう、どうあがいても手に入れることのできないもの。それは、加害者であっても、被害者であっても、どんなに欲しても、手の届かないもの。
 だから、人は命を尊ぶのだろう。それがいかに無意識の思いであったにしても。
 人をどんなに憎んでも、この世から消えて欲しいと願っても、その命を消すことを、人は無意識にためらう。
 それは、もう二度と戻ってこないから。
「だから俺は、もう二度と同じ過ちは起こさない。命をはってでも。それしか、できないけどね」
 マリアは、うつむいたまま、ふるふると首を振った。
「違う、違うの。ただ、悲しいの。愛した人がいないことが。愛すべき人がいないことが」
 うつむいたままで、表情が見えないマリアの声は、涙声に変わっている。
「ごめん。…泣かないで」
 飛羅は、優しくマリアの頬を両手で包むと、ゆっくりと顔を上げさせた。マリアの頬は、すでに涙で濡れている。
 マリアは、子供のように泣きじゃくりながら、話しつづけた。
「悲しくて、悲しすぎて、その思いに潰されそうになって、憎しみをどこかにぶつけて、やっと立っていたの。そうでないと、立っていられなかった…」
「うん、分かった。もういいから」
 そっと、涙の跡にキスをする。
「俺が、もう二度と同じ過ちは起こさせないって、言っただろ?信じられない?」
 再び首を振ろうとすると、飛羅の胸に抱きすくめられた。あたたかい体温。優しい腕。
 しばらくの間、その腕の中で、マリアは泣いてしまった。
 普段はマリアに甘えるようにじゃれつく飛羅だったが、時々立場が逆転するように大人びた表情をする。長いときを生きてきたマリアでさえ、そんなときは子供のような表情を隠せなくなる。
「俺さ、だから『今』が一番大事なんだ」
 ひとしきり泣いた後、ふと飛羅が口を開く。
「過去を背負っていると、今の素直な自分が隠れちゃうだろ?それって、すごいもったいないから。俺は俺でいたい」
「…私も…」
「?」
「私も、今を大事にしたいわ」
 そこには、子供のように泣きじゃくっていた表情はない。妖艶な魅力を放つ、大人の女性が微笑んでいた。
 それを見て、飛羅も満足そうに笑う。
「だから、言った通りだろ?」
「…何のこと?」
「だから、さ。言葉にしなくても伝わるんだよ」
 多少面食らった表情をした後、マリアはくすくすと笑った。
「そうね」
 ゆっくりと唇を重ね合わせる。深いキスを交わしながら、静かに夜は更けていく。

 二人とも知っていた。
 別れが近いことを。
 けれど、飛羅だけは、未来を信じていた。
 そこに、真実の気持ちがあったから。


END


主×マリアでした。
官能的に書きたかった。…カモ。(笑)←無理。
微妙に、今の韓国と日本の関係について思うところをつらつらと書いてみました。
なんか、ストーリー的には、内容がないよう仕様。(アホですか)
とりあえず、二人の堅苦しさがこの辺からなくなったのよ、と言いたかった話。
相変わらず、事後説明が必要な書きなぐり文章で申し訳。(このごろ「申し訳ない」を途中で止める「申し訳」で話すの会社でハヤリ中(すんまそん))
もっと突っ込んだ話は、思いついたら後々書きたいです。
…じゃ、寝ようか、自分。(笑)

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