温泉旅行1



「寒い?」
 白い息を吐きながら、傍らの少女に話し掛けると、少女は少年を見上げ、小さく首を振った。
「いいえ、大丈夫です」
 そして、ほのかに笑う。
 それを見た少年は、安心したように、幸せそうに、笑った。

 白い、煙のような湯気が、辺りにゆらめいている。そのためだろうか?刺すような寒さは感じられない。
 かといって、寒くないはずはなかった。昼間は、ちらちらと雪が降っていたのだ。今は、晴れた空高く星が瞬いているが。
 周囲には古びた温泉宿が立ち並び、隙間からもれた灯りが辺りを照らし、ほのかに明るい。その明るさにも負けず、頭上の星は自らの存在を主張していた。これだけの満天の星を見れるのは、山深く、この宿場町から一歩出ると完全な闇夜に迷い込むからだろう。
「きれい…」
「きれいやなあ…」
 並んで歩いていた二つの影は、しばし宿の屋根に囲まれた視界から、無限の夜空を仰ぎ見た。
 再び歩を進めると、少年の手に下げられた袋から、カチャカチャと、ガラスが当たるような音がする。
「こんなもんでええんかな?」
「もう夜も遅いですし、これくらいで充分だと思いますけど…」
 少女は、軽く首を傾げ、困ったように言う。少年は、ニコリと笑った。
「雛乃さん、こーいうの苦手そうやからな。高校生が酒、なんて」
「…そうですね…。自分では、飲みませんし…」
 更に困ったような表情で、雛乃は声を落とした。少年は破顔する。
「やっぱり雛乃さんや!わい、そんな雛乃さんめっちゃ好きやで〜」
「そうでしょうか…。堅苦しくて、皆様から疎まれる気が…」
「そないなことあるわけない。わいらみたいなアホ共には、感染しない方がいいに決まってるで〜」
 あはは、と少年は声をあげて笑った。
 その少年の表情を見て、雛乃は、しばらく思案した後、再び口を開いた。
「…もしかして。劉様は、私のために皆様の買出しを引きうけたのですか?」
「あ!今、河原で魚がはねたで!」
 唐突の言葉に、雛乃は目を丸くする。
 ここは温泉街。
 当然、河原沿いを歩いているとは言っても、その川は硫黄の混じった川で、魚が住もうはずがない。
 雛乃は静かに微笑んだ。
 劉は、酒を飲まず、宴会の席にいたたまれなくなった雛乃を案じて、外に連れ出したのである。
「ありがとうございます、劉様」
「わ、わい、何もしとらへんで…」
 雛乃から一歩あとずさると、劉はしどろもどろになりながら、あらぬ方向に視線を泳がせる。暗闇で、頬の赤らみが雛乃に見えてないことを心で願った。
「あ、橋!キレイな橋やな!行ってみよ、雛乃さん」
 泳いだ視線の先に、朱塗りの洒落た橋が、温泉の流れる川に架かっていた。これ幸いと、劉がその橋を指差す。
 動揺を押し隠そうととった行動だが、雛乃にはばっちりばれているらしい。
 雛乃は、くすりと笑って、
「ええ、行ってみましょう」
と、同意した。
 かーっと、劉の頬は更に赤みを増す。
 その橋は、橋の両側から生えた樹木に覆われ、俳句でも詠みたくなるような風流な趣を持っていた。
「この樹…。紅葉ですね」
「ほんまや。葉、全部落ちとって分かりにくいけど、紅葉やな」
「秋には、燃えるような葉に色付くんでしょうね」
 そう言って、雛乃は頭上の樹を見上げた。そこに葉はない。が、雛乃の目には、燃えるような葉が見えているのだろう。
 朱塗りの橋。紅く色付いた紅葉。空には満天の星。
 その見事さは、想像にかたくない。
 しばしその雰囲気に浸っていると、ぼんやりと劉の頭に浮かんだことがあった。
「わい、雛乃さんに話したいことがあるんや」
 いまだ夢の中のような、半ばうっとりした目を、雛乃は劉に向ける。
「別に、雛乃さんが聞かなきゃいけないことやない。ただ、わいが話したいだけや。聞きとうなかったら、耳塞いどいてくれへんか?それでも…」
「何のお話ですか?」
 矢継ぎ早に、言い訳じみた言葉を並べていると、雛乃が優しく問いかけた。
 雛乃の優しげな微笑に見守られ、しばらくうつむいてじっと黙った後、思いきったように劉は顔を上げた。
「わい、この闘いが終わったら、故郷に帰ろうと思うんや」
 月が、いつになく真剣な表情の劉を頭上から静かに照らしている。その顔は、普段の子供っぽさが影をひそめ、大人びた精悍さを覗かせていた。
 それは、いつもの劉から遠く離れた存在のような気がして、雛乃は突然心細くなる。
「…な、ぜ?」
 しばらく声も出なかった雛乃は、やっとのことで喉に声を押し上げた。自分が今、どんな表情をしているのか、自分でも分からない。
 劉は、自嘲気味に笑った。
「わい、特に親孝行もせんかったし、仇討ち終わったことくらい報告せんと」
「日本には、すぐに帰ってきますよね?」
 無意識に発された言葉。
 それは、胸にある嫌な予感を振り払うような、問いだった。でも、言ってしまったら本当にそうなってしまうようで、不安が胸をかけあがってくる。
 その応えは、こうだった。
「いや、しばらくは帰ってこんと思う」
 宿屋から漏れる光が、ひとつ消えた気がした。闇が強くなる。
 うつむく雛乃に気づかないのか、劉は言葉を続けた。
「考えたら、わい、みんなに頼りっぱなしやったんや。全然自分で、自分だけの足で立っておらへん。
 仇討ちが目的にあるうちはええ。けど、仇討ち終わった後の自分は、何にも持っておらへん。自分一人で歩くことも、分からへん。わいがいることで、みんなにメリットがあることが、何にもあらへん。
 あらへんだらけや」
 はは、と困ったように笑う。
「一度、自分一人で考えて、自分一人で歩くことが必要やと思う。せやから、故郷に帰ってみようと思うんや。
 墓参りするやつも、わいだけやから、してやらんとな」
 思えば、柳生に村が襲われたときから日本に渡ってくるまで、地獄のような日々だった。
 野にうち捨てられた屍を一人ずつ埋葬しながら、柳生を呪い、救えなかった自分を呪い、重い宿命を背負った故郷を呪った。荒れ果てた荒野に、墓標が数えられないほど並んだ頃、劉の瞳には暗い炎が燃えていた。
 仇を討つ。
 それは、いつのまにか劉の心の中に、確固とした塊となっていた。
 いつも笑いあっていた友達のために。厳しくも優しかった家族のために。自然と共に歩んでいた美しかった故郷のために。
 何より、ひとりのうのうと生き続けている自分を許せなかったから。
 見えぬ敵を虚空に睨みながら、一瞬にして命を落とした人々の顔を次々と鮮明に思い起こすことができた。
 劉はそのまま日本の地を踏んだ。
 いつの頃からだろう。その表情に、本当の笑みが戻ったのは。
「劉、おまえ、いい加減にしろよ?」
「なにがや?アニキ?」
 なんのことか分からずに、きょとんとしながら飛羅に問い返すと、飛羅は眉をひそめた。
「無理して笑うなよ。オレ達で手助けできることなら、何でもやるさ。でも、手を払いのけられたら、こっちだって手を貸せないだろ?『オレは平気です。助けなんていりません』って顔すんじゃねえよ。
 辛いなら辛いって言え。助けろっていうんなら、助けろって言え。命はってでも助けてやる
 それくらい、オレ達は頼り甲斐あるだろ?」
 劉を固めていた強固な殻は、ひび割れ、ぱらぱらと落ちていった。
 それ以来、劉は飛羅達の肩を借りて生きている。身体の半分を仇討ちで埋めて。
 だから、分からないのだ。
 敵討ちという大きな目的を失ったら、身体の半分を失ってしまう。そんな自分はひとりで歩けない。そんな自分は、飛羅達と一緒に歩けない。
 じゃあ、どうすればいいんだろう。
「それを、故郷でひとりになって、じっくり考えてみたいんや」
 とつとつと話しつづけた劉は、一度小さく息をついた。いろいろと話してしまった。…そんな気がする。
「帰る、って言っても変な話やな。帰っても、待ってる人は誰もおらへんのに」
 再び、自嘲気味に笑う。
 劉に初めて会った頃、劉はこんな風に笑っていた気がする。見ていると、胸が締め付けられるような、切ない、笑み。そのときは、もっと、心の底から泣きたくなるような表情だったけど。
「わいは、どこに帰るんやろ」
「…ここに」
「?」
 ぼそりと呟いた独り言に、予想していなかった返事が返ってきて、劉は首を傾げた。
「ここに帰ってきてくれませんか?」
 雛乃が、劉を真っ直ぐに見つめている。
「ここで、待っています。みんな。私も。劉様が帰ってくるのを」
「え?…せやけど…」
「待っていてはいけませんか?劉様が帰ってくるのを」
「そんなこと、あるわけない」
「ずっと、待ってますから。早く帰ってきてくださいね」
 差し出された救いの手。
 払いのけてはいけないけれど、頼りきってもいけない。自分の力で歩いて初めて、それはかけがえのないものになる。
「わい、…わい…」
 劉は、涙を拭うように腕で目を隠した。
 よく劉が嬉し泣きの真似をするポーズだ。今は、本当に泣きまねかどうか分からないけれど。
「わいは幸せもんや!」
 劉は、とびきりの笑顔を雛乃に向けた。雛乃が笑い返してくる。
 それを見て、劉は再び満足そうに微笑むと、酒瓶の入った袋を持ち上げた。
「帰ろか。みんなこいつをお待ちかねや」
「はい」

 その帰り道、雛乃はひとつ提案をした。
「劉様が帰ってきたら、ここに紅葉を見に来ませんか?」
 燃える葉と、朱塗りの橋。空には、満天の星。
 劉に、断る理由などあるはずがなかった。


END


何考えてんでしょう、自分。
先日如月×雪乃を書いたばかりですよ?一体どうしちゃったんですか?(誰に聞いてるんだ)

劉雛ssです。
ほんとに劉雛になっているかは、ナゾですが。(笑)
なんつーか、いつのまにか相思相愛ってのが書きたかった気がしました。(今更)
asiancafeと対の話になるでしょうか?
…なんというか、ほっといても安心なカップルですな。
皆様、そう思いませんか?(同意を求めるな(笑))

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