見渡した世界



 消えたわけではなかった。
 何も変わらなかった。
 絶望も憎しみも抱えたまま、彼らは日常に戻った。
 ただ、その狂気とも言える攻撃性を、胸の奥にしまいこみ、忌まわしいものから目を逸らした。…それだけだった。
 たった…、それだけのこと。

 ぽかぽかと春らしい陽射しが優しく包みこむ。じっとしていると、思わずまどろんでしまいそうな、そんな天気だった。
「刹?」
 思いがけない先客に、天戒は声をかけた。
 変わり映えのしない暗い色調のかすりの着物をまとい、引き締まった体躯の彼は、顔だけをこちらに向けた。
「やあ。先に邪魔してるよ。天戒」
 刹羅の足元には、天戒の両親の墓がある。鬼哭村の者達は、天戒に気を遣って寄り付くことはない。自由気ままに墓参りをするのは、天戒の知るところ刹羅くらいである。あの、九桐でさえ近づかないのだから。
「いや、父上も母上も喜んでいるだろう。他の者は遠慮して近づいてくれないからな」
 困ったように、天戒は苦笑する。
 一緒に笑うかと思ったのだが、刹羅の反応は違った。天戒をじっとみる瞳が、ひどく真剣だ。
「まだ、確かめに来るのか?」
「……」
 天戒は、苦笑した表情を硬くし、その笑みを顔から消した。
 その言葉で充分だった。天戒に分からないわけがない。刹羅も、それを知っている。
 天戒は、黙ったまま墓の前にひざまづいた。静かに手を合わせ、目を閉じる。
 さわ…。
 微かな風が、天戒の額を撫でた。
「ああ、そうだな。確かめに来ている。いつも」
「……」
 それは、忘れないため、ではない。それは、忘れられるものではないから。忘れられたらどんなにいいか。そんなことを考えたこともあった。しかし、それは、心から望んでいることではない。
 何を。
 何を確かめるのか。
 それは、天戒にも言葉にできなかった。ただ、自分を取り巻くものがそこにあり、そこには幾多の人間の命があること、その命は意志を持ち、常に考えているということ。それは、軽んじられるべきものではない、ということ。
 その存在は、今もそこにあるか。
 あえて言うならば、そんなことかもしれない。天戒が毎日のように両親の墓に通い、確かめるものは。
「自分も、忘れるなよ。おまえも、そこに含まれてるからな」
「分かっている」
 口ではそう言える。そういうふうに生まれついてしまったのだから、仕方ない。なぜこんなにも心と裏腹な行動を、堂々ととれるのだろう。周りを疑うより、自分を真っ先に疑いたくなる。むしろ、周りは信頼する対象だ。疑うのは、自分自身だけかもしれない。
「考えても、解決できることじゃないさ」
「そうだな」
「そう言っても、真面目に考えちまうんだろうけど」
 少しだけ表情を緩めると、刹羅は笑った。
「おまえは、笑ってくれるんだな」
「どういう意味だ?」
「そうだな。藍を攫ってくれと頼んだときかな。一番そう思ったのは」
「ああ、あれね。仕方ないだろ。俺は単純で、それ以外思いつかなかったんだから」
 鬼道衆は、いくら奇麗事を並べても、「鬼」だった。それは、否定しようがない。
 しかし、御伽話に登場する「鬼」は、自分の正義を信じてはいなかっただろうか。それは、万人が思う正義でなかったとしても。
 そもそも、万人に共通する正義は、夢物語に過ぎない。そう思うのは、変だろうか。
 人が「鬼」を「鬼」と呼び始めたのがいつか、何故なのか、御伽話は多くを語らない。「鬼」は、何故「鬼」なのか。「鬼」は元々「鬼」だったのか。「鬼」を「鬼」たらしめたのは誰か。
 あのとき、刹羅は笑顔だった。
 それは、笑うことしかできなかったから。
 なぜそんな非人道的なことをする、と怒ることも、悲しむことも、さけずむこともしなかった。何をしても、天戒が傷つくのは知っていたから。
 せめて笑って請け負ってやろう。
 それが、刹羅の本心だった。
「避ける道はあったのだろうか」
「なかったんだろ」
「相変わらず、あっさり言うな」
 天戒は、再度苦笑する。
「最善の道なんて、通った道がそうなるもんさ。通った道を帳消しにして、他の道を歩き直すなんて、できないんだから。最善の道を真面目に考えて歩けば、結果が最悪にしろ、それが最善の道だ。最悪の中の最善なんだろ、きっと」
「そう言ってもらえると、俺も少し救われる気がするよ」
「おまえも相変わらず、臆面もなくよくそんな台詞吐けるもんだ。アホが必死に考えた言葉に『少し』は余計だけどな」
「それはすまなかったな」
 はははと、今度は声を上げて笑う。
 さやさやと、緩やかな風が屋敷の裏の森を抜けていく。畑仕事をしているはずの人の声は遠く、鳥のさえずりのみが静寂に取り残されていた。
 おもむろに、刹羅は口を開く。
「これから、どうするんだ?」
 柳生が倒れて、春が来た。目の前の平和に目を奪われている今はいい。しかし、これから先、今までの地獄のような時間よりも長い悠久の時が流れることになる。その時を、どう生きていくのか。
 天戒には、その指針を示す責任がある。
「知る必要があるな」
 確かに、自らの正義は「正義」だった。その形が、いかに歪んだものであっても。
 失ったものがあった。それが、取り戻せるのなら、それで良かった。しかし、人の命であったり、体の一部であったり、その多くはどんなにあがいても再度手に入れることができるものではなかった。
 それが、どんなにかけがえのないものであるか、天戒は自らも痛いほど知っている。もはやそれは、「知っている」という域を越え、体に刻み込まれている。どんな手立てを施しても、それは、消えない。絶対に。
 ならば、知ればいい。
 何故その結果に至ったのか。何がそうさせたのか。
 柳生を倒し、開かれた村が見渡す世界は広かった。閉じた世界では、何も生まない。進まない。
 進んだ道が例え誤っていても、広い世界を見渡せていれば、考えることができる。知ることができる。
 自らだけの「正義」ではなく、この広い世界に住む人々達の「正義」が見えてくる。
 それが本当に最善の道なのか…。
「だが、それが最善の道なんだろう?」
「ああ、そうだよ」
 刹羅は再度あっさりと応えた。
「刹、頼みがある」
「分かってるよ」
「本当に、分かっているのか?」
 天戒は、しばし絶句した後、くすりと笑った。刹羅の表情にも笑みが浮かんでいる。
 刹羅は笑ったまま、何も応えなかった。それでも天戒は、再度問うことをしなかった。

 これから、最善の道を歩く。消えない重い宿命を背負い。
 もし。
 もし、それでも、最悪の事態になったら、止めてくれよ。
 止めて欲しい。
 信じている。

「我が名は、風角」
 その声は、静かに低く通った。
 この世を呪うようなその声は、飛羅の体にずしりとのしかかる。
 彼らは、敵だ。
 今までも倒してきた。雷角、岩角、炎角、水角…。奴、風角も、倒さなくてはならない。
 そして、九角天童。
 この世を怨む彼は、倒さなくてはならない、手強い相手だ。
 彼らは、敵だから。友達を傷つけ、命を弄ぶ、許せない存在だから。

 飛羅達に倒された風角達は、玉になり不動尊に納められた。遠い昔の天海の結界を守るために。遠い昔、宿敵であった恨むべき徳川に仕える天海が張った、一世一代の結界を守るために。
 それは、日本を守るためか。
 天海の結界を守るためか。


END



勢いで書いてしまったss。
めちゃめちゃ暗くてすみません…。救いもありません。
でも、外法帖をシビアに見ると、こういったことと思いまして。
思いが届かなかったから、風角達は主人公に倒されたんだな、と。天童も同じですが。
それだけ重いことだったということと、その束縛から天戒自身も逃れられなかったということを書きたかったんですね。
もちっと文才あれば、かっちょよく書けたんでしょうが、まあ、こんなもんがryoの限界っつーやつですね。


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