君を待つ
部屋に入ってびっくりした。 綺麗好きで、部屋の中はいつも整頓されているのに、この雑誌の山は一体何だろう。畳には、色とりどりの雑誌が広げられ、足の踏み場がない。 「姉さま!また散らかして」 これじゃあ、そう言われ、いつも叱られている自分の部屋のまんまじゃないか。 「ひな。これは一体?」 「姉さま。ごめんなさい。こんな散らかして」 「いや、オレは全然構わないけど」 むしろ、自分としては、こんな部屋の方が落ち着くくらいだ。嫌がるのは、雛乃の方ではないのか?これは一体全体、 「どうしたんだ?」 そう問うた雪乃に、雛乃は雑誌におとしていた目を上げた。その瞳は、予想に反して、キラキラと輝いている。 きっとまた、肩を落としていると思っていたのだ。そう思ったから、こうして慰めに来たのに。 「私、決めたんです」 雛乃は、恥ずかしそうに、けれど嬉しそうに、頬をほんのり染めて微笑んだ。 分厚いコートやマフラーを脱ぎ始め、そろそろ新芽が芽吹いてくる、寒さが緩み始めた頃。陽だまりの中、雛乃と劉は、人気の少ないしんと静まり返った神社をゆっくりと歩いていた。神社を取り囲む木々から流れ出る新鮮な空気で満たされ、身を包む風がとても心地良い。 「本当に、こないなとこでええんか?雛乃さん」 「ええ」 「でも。ジェットコースターとか、メリーゴーランドとか、パーっとバーっとしたとこ、他にいろいろあるやんか。そないなとこ、行きたくあらへんの?」 静かに首を横に振る雛乃を見て、劉はにこりと微笑みながら頷く。 「ま。雛乃さんがジェットコースターとか好きとは思われへんけどな。わいは、雛乃さんが行きたいとこなら、どこでもええし」 (というか、雛乃さんと一緒におったら、それだけでええしなあ) とは思ったが、口に出すのは照れくさいので、黙っておく。 「私は、劉さんと神社に来たかったんです。去年のクリスマスは、お仕事があるということで、新年を待たずに帰られてしまったから」 確かに。年末年始は、劉の働いている市場は忙しい。ただでさえそんな中なのに、雇い主は休暇をくれたのだ。クリスマスに。 「すまんなあ」 「いいえ。そういった意味ではなく」 慌てて、雛乃が首を振る。 「違うんです。ただ私は…」 「?」 「劉さんと、初詣に来たかったから」 思わず固まった劉は、雛乃と目が合う。そのまましばらく見つめあう格好になった。 神社を囲む杉林にいるのか、小鳥のさえずりが頭上から小さく降ってくる。 「…そか。嬉しいなあ」 目を逸らして、照れたように笑う。そんな風に思っていてくれたことに、嬉しさがこみ上げる。 「劉さんこそ、つまらなくはないですか?」 「さっき言うたとおりや。雛乃さんが行きたいとこが、わいの行きたいとこやで。中国でも、新年はえらいやかましさで祝うけど、日本はどうなん?」 少し申し訳なさそうに尋ねた雛乃は、目を輝かせて問いかけてくる劉に顔をほころばせた。 「初詣は、まずは…」 雛乃の案内で、「初詣」を済まし、本殿を後にしようと踵を返すと、目に入ったものがあった。 「あれは?雛乃さん」 「おみくじですわ」 劉の視線の先にあるものを目にとめると、雛乃は応えた。 「へえ。中国じゃ、おみくじは箱から棒をひいて、その棒の番号でもらうもんやけどな。日本じゃ、箱から直接紙をひくんやな」 「中国と同じような方法の神社もありますが、今はこの形式が多いかもしれませんね」 「ふーん」 興味津々という風に、おみくじの箱を覗き込んでいる劉を見て、雛乃はくすりと微笑んだ。 「ひいてみます?」 「そやな!」 待ってましたと言わんばかりに、劉は早速お金を入れると、ごそごそとおみくじ箱に手を突っ込む。それは、抽選のくじをひくさまに似ていた。その顔は意外にも真剣で、子供っぽさが微笑ましく見える。 雛乃も続いてくじをひき、巻かれた紙を丁寧に開いていく。 「ダイキチ?」 おみくじを開いた劉が、首を傾げる。 「一番いい運勢ですわ。…あ」 「雛乃さんは?」 「大吉…、みたいですね」 「二人揃って大吉かいな!めでたいなあ!今年はいいことあるかもなあ!」 心底嬉しそうに、劉は喜ぶ。 雛乃が、古語が混じるおみくじの文章を、丁寧に説明していった。 「これは?」 「運勢のいい方向ですわ。劉さんは南東のようですわね」 「雛乃さんは、北西かあ。わいと反対やな」 しばらく考え込んだ劉は、あ、と小さく声を漏らし、再度嬉しそうに微笑む。 「雛乃さんのとこからわいのとこが北西で、わいのとこから雛乃さんとこが南東や」 劉は、自分のおみくじと雛乃のおみくじを見比べながら、矢継ぎ早に問いを重ねた。 「じゃあ、これは?」 「旅行ですね。『概ね良し』ということですから、良いみたいですね」 「あと、これ」 「『失せ物』ですね。失くした物が見つかるみたいですね」 「ふーん…。失くしたもの、か」 一瞬、劉の表情がかげったが、振り切るように笑みを浮かべるのを見て、雛乃は特に追求しなかった。 「そっか、見つかるのか。…えーと、じゃ、これは?」 「『待ち人』ですね。来るようですよ」 「待ち人?」 「会いたい人、出会う運命の人、そんな人が自分のもとに訪れるかどうか」 「…恋人みたいやな」 「えっ?」 「なーんてな」 劉は、カラカラと笑う。 「雛乃さんは?」 「私も、来るようですね」 「そっか。良かったなあ」 大吉なこともあり、そのおみくじに書かれた運勢は、概ね良いことばかりだ。内容についても、大方雛乃の説明を聞いて満足した劉は、雛乃に教えてもらったとおりにおみくじを細く折りたたむと、目に留まった木に結びつけた。同じように結ばれたおみくじが、そこここにある。大事に持ち帰り、お守りのように持ち歩く等、諸説があるらしいが、境内の木に結びつけるという習わしが、一番多いようだった。 劉に続いて、木の枝に手を伸ばした雛乃は、手が届きやすいよう木の枝を少し下げて雛乃を見つめる劉の顔に、陽の光が長い影を落としているのに気づいた。 いつのまにか、陽は随分と傾いている。 劉が中国へ帰る時間が近づいていた。 また、いつもの日常が始まる。劉は中国で、雛乃は日本で。それぞれの生活には、お互いの姿はない。 次はいつ会えるのか。 いつ、中国でのけじめはつくのか。 聞きたかったが、…本当に聞きたかったが、雛乃は口をつぐんだまま、おみくじを枝に結びつけた。 聞いてはいけない。 劉は、戦っているのだから。自分と、自分の過去と。そんなもの投げうってしまえばいい、など、そんな無責任なことがなぜ言えるだろう。 でも、雛乃は、言いたかった。 劉の戦いはいつ終わるのだ。客家の村を再建すれば終わるのか?それは、瓦礫を除けば終わるのか?村人の住む家を用意すれば終わるのか? そこに住んでいた者は、既に地に眠っている。劉は、その地に永遠に住むつもりなのだろうか。一人で? いつが終わりなのだろう。想像して、気が遠くなりそうになる。 どこでもいい。どこかで、毎日顔を合わせられたら、どんなに素敵だろう。そんなことを考えてしまう。 そんなとき、手を離そうとしたおみくじに書かれていたことが、ふと思い出された。 待ち人 訪れるでしょう (待ち人?) それは、待つだけなのか? 「劉さん」 「なんや?」 「劉さんの故郷は、どこですか?」 「は?」 思慮深い雛乃らしからぬ、突拍子のない問いに、思わず劉は声を上げていた。 「客家の…」 「場所は、どのあたりですか?」 「ええと、北京から…」 雛乃が聞くまま、何のことか分からない劉は、丁寧に場所を説明していく。雛乃は、その都度うなづきながら、真剣にその説明を聞いていた。 「…と、こんなところやな」 「そうですか。分かりました」 「でも、わいの故郷の場所なんて聞いて、どないするんや?雛乃さん」 雛乃は、少し恥ずかしそうに、けれど強い意志を宿した目で、劉を見上げた。 「劉さんの故郷に、お邪魔してもいいですか?」 「えっ!?」 「だめでしょうか…」 みるみる消沈する雛乃を前に、劉はちぎれんばかりに手を横に振った。 「いやいやいやいや!そうじゃあらへん!雛乃さんが、わいの故郷に来ることなんて、考えたこともなかったから」 「うかがってもよろしいですか?」 「何もあらへんで?」 直前までの子供のような表情とはうって変わって、見なくていいものまで見てしまった大人のような、暗い笑顔。目の前の青年の潜り抜けてきた軌跡が、垣間見える瞬間。 「いいえ。そこにあるものが、重要なのではありません」 「?」 「私は、劉さんに会いに行くのですから」 ぽかんとした表情の劉に、雛乃は穏やかに微笑んだ。 誰が決めたのだ。待ち続ける美徳など。 なぜ、ここでずっと待ち続けねばならないのか。 違う。そんなことはない。自分には、歩く足がある。前方を見つめる目がある。そこへ向かう意思がある。 翼を広げ、思うまま飛べ。 「わいは…」 劉が口を開いた。雛乃を見つめ、その表情には笑みが浮かんでいる。 「わいは、雛乃さんが来ても恥ずかしくないような自分になっとるから」 「待っている」とは言わなかった。劉には、待たずに飛べる意思があったから。それが、雛乃には嬉しかった。小さな勇気を振り絞ってよかった。 何か、空気が変わっていく音がする。きっと、ここから戦っていけるのかもしれない。そして、その戦いは、いつか終わる気がした。 二人なら、きっと。一人ではないのだから。 「はい」 雛乃は、満面の笑みで、力強く応えた。 END |
りむぞうさまからのキリリク「劉雛でおみくじss」です。 非常に!遅くなりました・・・。 あっさり書けるかと思ったのですが、頭で想定していた話に、自分が納得できませんで、 遅くなってしまいました。 本当にお待たせして申し訳ありません・・・、りむぞうさま・・・。 やっぱり、劉は好きなキャラです。 一番のツボは、やっぱり、表明るく、裏不幸、ってところでしょうか。 辛いことを辛いと、すぐに顔に出すのではなく、我慢して笑って隠す、 という人には惚れます。 雛乃ちゃんも、そういうところに惚れたとしましょう、そうしましょう。(笑) |
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