瞳の裏側の景色
「もう嫌だ!」 滅多に声を荒げることもないその人影は、乱暴にキャンバスを床に投げつけた。同じように床に数枚散らばったキャンバスは、投げつけたぐらいでは容易に折れたりはしない。それが更に、その人物のかんに触ったようだった。 消えてなくなってしまえばいいのに。 そうすれば、私はここから解放される。 「どうやら、スケジュールがきつすぎたようですね」 すらりとした背格好の青年が、見事な長い黒髪を肩から落としながら、足元のキャンバスを拾うと、埃を払うようにぽんぽんと軽く表面をたたいた。 どこまでも冷静な表情を見て、自分の激情に気づき、その人物は肩を落とす。 「ごめんなさい…」 「謝ることなんてないですよ。スケジュールの組み方を間違った、私の落ち度です、秋月様」 「違う。僕が、至らないから…」 そう言って、細い肩を再度落とす。 青年は謝らない。度を越えるへりくだった態度は、秋月を突き放し孤独にさせる。それが、秋月を傷つけることになるからだ。 「もっとしっかりしなくちゃって、分かってはいるんだ。兄様の代わりなんて、僕に簡単にできるとは思っていなかったけど…」 「秋月様は、立派に兄上の代わりをなさっていますよ」 「…そうだと、…いいんだけど…」 そして、青年が手にしているキャンバスにちらりと目をやる。全体が暗い灰色の森。蔦が辺りの木々に纏わりつき、獣道が中央奥に続いている。その先で、森は途切れ、視界は開けるが、そこにあるのは…、怨恨渦巻く人々の屍だ。 それが、…秋月の見た未来。 秋月への依頼は、主に政治家や官僚、国家のトップクラスからだ。彼らは、血税を惜しむことなく支払ってくる。それが、彼らの仕事であり、使命であるから、と。 それは、間違ってないと、秋月は思う。国家を動かすために、億の国民のために、間違いは許されないためだ。ただ、そこにある理想への思考が歪んでいなければ、という条件がつく。 それは、適えられているだろうか。 秋月が見た未来。灰色に染められ、その暗い森を抜けたところに、多くの人々の屍が…。 そこで、秋月はその絵から目を背けた。…これ以上は見ていられなかった。確かに、それは自分が見たものだ。だが、こうして絵として描いてみると、心底自分の能力が嫌になる。 心躍らせる素敵な未来だけが存在する世界なんてありえない。それは、分かっている。それぐらいは分かる歳になったつもりだ。ただ、何も見えない人がうらやましくなるときもあった。人が見えない未来が見えることを、嬉しく思ったことも少なからずある。だが…。 歓迎しない未来だけを見たくないと思うのは、わがままだろうか。 「少し休みましょう」 俯き、考え込んだ風の秋月を気遣ったのか、青年はキャンバスを裏側にしてイーゼルに立てかけた。人を食ったようないつもの笑みより、すこし穏やかめの微笑み。秋月には、日常のことだったが、その笑みを見た者が少ないことを、秋月自身は知らない。 「うん。そうだね。十分くらい休んでから」 「何を言っているんですか?少なくとも今日一日は、ゆっくり休んで、ご自分のことだけを考えてください」 「え?でも、そうしたら、御門達が…」 「心配要りませんよ。そんなに私達が信用なりませんか?」 「いや、そうじゃないよ。僕にはもったいないと思ってる。御門も、祇孔も、芙蓉も…。本当だったら、僕がつくさなきゃいけないのに」 拳を握り力説する秋月に、青年―――御門はくすりと笑みをこぼした。 「でも、御門達がまたスケジュールを調整するんでしょう?そうしたら、また忙しく…」 「とにかく、極力仕事のことは考えず、ゆっくりなさってください」 続く言葉を遮ると、そう言って、御門は秋月の車椅子を半ば強引に押した。 陰陽道で作り出した結界の中は、いつもと変わらずうららかな春が続き、いつ咲いたのかもしれない桜がひらひらと花びらを落としていた。 「おい、薫が倒れたって、ホントか!?」 ドラマかマンガのように、息せき切ってドアを叩き開くと、普段ではなかなか見られない真剣な顔が飛び込んできた。その髭面に、御門は自然と眉をひそめる。そして、こめかみを押さえた。 どうしてそんな情報になるのか。 「慌てないでください。見苦しいですよ」 「なんだそりゃ!薫が倒れたらそんなこと言ってられるわけないだろう!」 「だから、そんなこと言ってないでしょう」 「は?」 飛び込んできた男、村雨は、ついさっきまでの真剣な顔はどこへやら、間抜けな表情でぽかんと口をあけた。そして、ゆっくりと思い返してみる。 芙蓉が、相も変わらず歌舞伎町で賭け事をしていた村雨に伝えた内容。 「秋月様が大変です。すぐにお戻りになるよう」 ああ、確かに「倒れた」とは言っていない。…が、大変とは「倒れた」に等しくはないか? 「芙蓉には『大変』なことなのでしょう。秋月様が疲れているだけでね。多少、言葉に不自由があるようですが。まあ、聞く者が注意すれば、おのずと分かることですよ」 「はん、紛らわしいこった」 口調は素っ気ないが、安心したのか、その目は穏やかなものへと変わる。 「ところで、薫は?」 「縁側でお休みですよ。お茶を用意しておいたので、ゆっくり桜でも眺めているでしょう」 「…芙蓉ちゃんは、スケジュールの調整で外、だろ?…まさか、おまえが淹れたのか?」 「まさか。そんなこの世のものではないものを見たような顔をしないでください。心外な。式に淹れさせましたよ」 「あんまり、滅多なもん口に入れさせんなよ?」 「それはこっちのセリフです。この前みやげにと買ってきた饅頭に入っていた…」 「だあああ!芙蓉ちゃんの様子でも見てくるわ」 無理矢理御門のセリフを遮ると、村雨は踵を返した。その大柄な背中に、ぽつりと御門が声をかける。 「ご執心ですね」 勝ち誇ったような笑みが、口に当てた扇子から漏れている。多分、言葉を遮ったことへの反撃だ。そんな些細なことに反応するなど、ある種、こう見えてこいつはかなりのガキである。村雨ははたりと足を止めると振り返り、にやりと笑ってこう告げた。 「おまえもな」 (顔にゃ出ちゃいないが、内心かなり心配してるんだろうが) ははん、と笑う。 御門は、そんな村雨の言葉に表情を変えず、冷静に応える。 「ついでに、芙蓉を手伝ってきてください。邪魔にならないようにね」 「まあ、せいぜい邪魔をしてくるよ」 村雨も、軽口に軽口で応えた。御門はしばし視線を天井に逸らすと、意味深な顔つきで一言呟く。 「…おまえらしいですね」 「んあ?どういう意味だ?」 「人間でない、式神に興味を示すところが、ですよ」 「はん、別に人間に興味がないってわけじゃねえ。単にあいつがおもしろいってだけだよ」 「それが、おまえらしい、というのですよ」 人を肩書きで差別しない。常に村雨は、その本質を見抜く。御門も、本質を見抜くいうところは、星を読める時点で同じといえる。ただ、その身分や自分の地位をも顧みず、自由奔放に行動できるかどうかは、全くの正反対ではないだろうか。 「俺に言わせりゃあ…」 「なんですか?」 「…おまえは、損な性格してるよ」 「…飛羅さんにもそう言われましたよ」 「へえ、自覚はしてるんだな」 村雨は、可笑しそうにくくっと笑った。 「御門ってば、損な性格してるよね」 歌舞伎町で賭博にあけくれていた村雨を捕まえ、久々に浜離宮へ訪れた飛羅が、御門と桜を眺めて最初に言った言葉がこれだった。 「まあ、得な性格とは思っていませんが」 「だってさあ、兄貴には勝てないぜえ?」 「…それは、どういう…」 内心ギクリとして、御門は応えていた。ポーカーフェイスを楽しそうに見て、いたずらっぽく飛羅は笑う。 「薫ちゃんはさ、かわいいよねえ。…あ、マサキだっけか」 芝居が白々しい。 「兄貴も好き。妹も好き。兄貴は自分を信頼してる。信頼は裏切れない。一番いいのは、兄貴に許しをもらうことだけど…、今の状態じゃ、薫ちゃんが周りを見る余裕ないしなあ」 まったく、この男は。御門がひとつ溜め息をつく。 「ま。がんばれ、御門」 にこやかに笑う。そして飛羅は、さっさと現実世界に村雨と帰っていった。 それだけ(嫌味)を言いに、わざわざ来たのか!!あの馬鹿は!! 「ま、がんばれや」 はははっと笑いながら、村雨が肩をぽんと叩き、玄関を出て行く。何の反撃もできないまま、御門はその場にしばらく突っ立っていた。 桜がちらちらと舞っている。 常に辺りを彩る桜。浜離宮はいつの時も、春を歌っていた。柔らかな、しかし、何の感慨もない春。 そんな春に慣れきっていた。ここ数年、星の動きが激しく、現実世界の春など見ていない。今は比較的星の動きは穏やかだ。先日までの激しい星の動きを引き起こした当の本人は、のほほんと現実世界で暮らしている。浜離宮にまで、御門に嫌味を言いに来たことが、腹立たしいほどに彼ののほほんぶりを良く表していた。 望まざるとはいえ、一体誰のために振りまわされたと思っているんだ。 本人は、それすら楽しんでいるのだから、何を言っても無駄だ。 薫は、桜を見ながら寝てしまったらしい。車椅子の背もたれに頭を乗せ、安らかな寝息をたてている。 「ライバルは兄貴だもんなあ。相手は手強いぜ」 飛羅の声が耳に残る。 実に苦々しい言葉だった。見事に本質を突いていたからだ。 「でも、まあ、薫ちゃんは、おまえのこと頼りにしてるぜ。できるだけ応えてやるんだな。兄貴が眠っている間は、俺が兄貴だ。応えてやらなかったら、ひどいからな?」 ふと、ひらひらと舞い降りて来た桜の花びらが、薫の頬に乗った。そっと指の先で拾う。そして、その指で薫の唇をなぞった。 そっと…。 うっすらと薫の瞳が開く。目の前に顔があることにびっくりしたようだ。目をしばたく。 「み、御門?」 「おはようございます」 頬が触れるかと思うほどの距離から、顔が離れていく。そこにあるのは、いつもの表情だ。今のは夢だったのだろうか? 「あのっ、今、もしかして…」 「何ですか?」 続けようとした言葉に、思わず自分で赤面する。 「ううん、なんでもない」 慌てて首を振る。気のせいだったら、恥ずかしい。気のせいであって欲しくない。そう思って、薫は口に出すのを止めた。でも…。 「あのね、今、夢を見たんだ」 「夢ですか」 「今日一日お休みをくれるって言ったでしょ?夢の絵を描いてもいいかな?」 「もちろんですよ」 薫の顔がぱっと咲く。 「このごろは、一緒にいてくれるんだね」 「星の動きが落ち着いてきましたからね。どこかの阿呆が、のほほんと暮らしてくれているお陰ですよ」 「でも、私は嬉しいな」 薫が、満面の笑みを御門に向けてくる。見上げてくる薫と視線を同じくするよう、御門は膝を折った。ゆるゆると流れる時間の中、その時間を表すかのようにゆっくりと散る桜を眺める。 「たまには…」 「え?」 「たまには、本物の桜を見に行きましょうか」 御門と同じく桜を眺めていた薫が、一瞬動きを止め、御門の顔を覗き込んだ。 「本当?」 「ええ。私が嘘をついたことがありましたか?」 「ううん。嬉しい」 かくして、御門は薫の笑みを独占することになる。 END |
書きました、御門×薫。そんでもって、ちょいとばかり村雨×芙蓉。 病み上がりが書き上げてしまいました。 もう力尽きました。 後悔はありまくりで。 今まで、皇神はムズくて書けん、と思ってましたが、やっぱムズイです。 品のいい村蓉書ける人が謎。 御門が別人…。 かーほーさん、私にゃ、これが限界よ…。 |
index |