出会い



 指示された部屋で着慣れた軍服に着替えると、手持ち無沙汰になって、ふらりと通路に出てみる。
 白い通路。通路の左右に部屋が並んでいて、陽光は入ってこないけれど、戦艦の中ほど無機質ではない。遠い突き当りの窓に、青空が覗いていた。
 ふとすると平和な風景に見えるが、視界の端に見える焦げつきやひび割れ、ざわめいている空気がそうではないことを肌に伝えてくる。実際、無事な建物の方が少ないのだ。ざらざらとした空気が肌に張り付き、感覚を侵していく。居心地の悪さに、扉の前に突っ立っていた身体が身じろぎした。
 形を掴みようにない不安が、胸の奥で澱んでいる。いろんなことがありすぎて、頭の中は既にパンクし、まともな思考ができないまま不安だけがつのっている、という状態だ。
 だから、その気配にも、近づいてくる足音にも気づかなかったのかもしれない。
「どうかしたの?」
「きゃあ!」
 背後から呼びかけられて、メイリンはその小さな肩をビクンと大きく震わせ、思わず悲鳴をあげてしまっていた。
 予期しない呼びかけで反射的に振り向くと、むしろメイリンの反応に驚いたらしい青年が、体を硬くして立っていた。
 朱色のオーブジャケットは羽織っているが、ジャケットには所属を表すバッジはついておらず、インナーもジーパンにTシャツという私服で、オーブ軍の関係者には到底見えない。かといって、不審な人物、というわけではなく、髪と同じ薄オレンジの色のついたサングラスから、温かい眼差しが覗いていた。身長は、長身、というほどではないが、背の低いメイリンは、彼のことを見上げるかたちになる。
 薄オレンジの髪の青年は、メイリンを恐がらせてしまったのかと、焦っているようだった。
「ゴ、ゴメン。驚かすつもりはなかったんだけど」
「あ、いえ、こちらこそごめんなさい。ぼんやりしてました、私」
 ぺこり、と頭を下げる。相手の青年も、頭をかきながら軽く頭を下げた。顔を上げると、目が合う。どちらからというでもなく、微笑みあった。
「俺は、サイ・アーガイル。君は?…って、聞いていいのかな?」
 穏やかな瞳のまま、サイはメイリンの顔を覗き込んだ。自然、背の低いメイリンに合わせ、首を少々傾げるかたちとなる。
 その様子で、サイはザフトの軍服に身を包んだメイリンの立場が微妙であることを察し、しかしまた、ザフトのスパイだと疑ってもいないことを示したらしい。メイリンはこっそりと肩を撫で下ろし、息をつく。
「はい、大丈夫です。私は、メイリン・ホークと言います。アスラン・ザラさんがザフトから抜けた際に少々お手伝いしたので、ザフトには戻れないんです」
 にこにことサイに笑顔を向けたまま、メイリンはさらりと応えた。サイの目が一瞬丸くなる。ちょっとしたことでは動じそうにないように見える彼は、ちょっと取り乱したらしい。
「アスラン・ザラ?って、あの、アスラン?」
「あれ?サイさんも知ってます?…ああ、でもザフトの赤だし、オーブでも有名なのかな?」
 メイリンは、人差し指を顎に当て、のんきに言った。
「いや、アスラン・ザラは、個人的な知り合いというか…」
 はっきりとした物言いに見えるサイには似合わない、奥歯にものがはさまったような口調。メイリンは、特にサイの素性に怪しいところがあると疑ったわけではないが、考えるより前に口が勝手に動いていた。
「サイさんって、オーブ軍の人なんですか?」
 ん?と、サイが反応する。「素朴な疑問」というようなメイリンの表情で、サイが怪しいと思われているわけではない、と判断したようだ。
「オーブ軍ではないよ。むしろ、オーブの民間人、ってところかな」
「え?でも…」
 言いたいことは分かる。オーブの民間人が、オーブ軍の施設にいて、さらになぜオーブジャケットを着用しているのか。…まあ、そんなところだ。
「俺は、前の戦争でアークエンジェルに乗っていたから、いろいろと…ね」
 「アークエンジェルって分かる?」と、問おうとして口を開いたところ、ぽかんとしていたメイリンが突然表情を変えて声を上げた。
「アークエンジェルって、あの、前の戦争でラクス様のエターナルと一緒に、ジェネシスを止めた…!」
「あ、やっぱり知ってる?あの時は、ザフトから見るとお尋ね者だったから、知ってるか」
 サイが自嘲気味に笑う。
「いえ、そうじゃなくて。今、私もアークエンジェルに乗せてもらっていて。アスランさんと一緒に助けてもらって、…それで」
 矢継ぎ早に喋るメイリンに対し、サイは至ってのんびりと応えた。
「そっか。やっぱりまた面倒な状況に陥ってるんだね、アークエンジェルは。ディアッカから、少しは聞いてるけど」
「…え?ディアッカ・エルスマン!?赤の英雄ともお知り合いなんですか!?…って、そっか。赤の英雄はアークエンジェルに乗っていたんだっけ」
「『赤の英雄』か…。ディアッカは、ザフトでそう呼ばれてるんだ?」
 複雑な顔をしたサイは、表情に陰を落とし、そう呟いた。その表情で、メイリンの興奮がさーっと冷えていく。
「…あの。私、何か失礼なこと言いましたか…?」
 不安になった。サイには、あまり悪く思われたくない。そんな思いが、いつのまにかメイリンにはあった。
「いや、そうじゃないよ。…ただ、ディアッカは、その呼び名を歓迎してないだろうな、って思っただけ」
 安心させようと浮かべたサイの笑みは、なんだか寂しいもので、メイリンの胸を締め付ける。
「ごめんなさい。私、良く分からないのに…」
「ああ、いや、ゴメン。詳しいところは、知らなくて当然だと思うよ。ディアッカも、聞かれたってのらりくらりかわして、本当のこと言わなそうだし」
(良くご存知で)
 メイリンは心の中で、こっそりと突っ込む。
 アスラン・ザラをザフトのデータで調べたときに、ディアッカ・エルスマンの名前も何度か出てきた。データとしては、「赤〜MIA〜アークエンジェル〜停戦〜ザフトに復帰〜降格」という、文字で見るとかなり簡素なものだったが、内容をはかるに、とんでもない人生とも言えた。
 一番強烈に記憶にあるのは、『赤の英雄』であることだった。むしろ、一般人から見れば、『赤の英雄』以外の何者でもない。『赤の英雄』として、『ディアッカ・エルスマン』の名前はプラント中に知れ渡っているのだ。メイリンの中での『赤の英雄』=『ディアッカ・エルスマン』の構図は、仕方ない現状と言える。
 もちろん、表面上は『出戻り』だが、ザフト一般兵の彼を見る目は、『英雄』だった。自分なら、自分の意思で戦う場所を決めるなんて、そんなことはできない。しかし、それができたら、自分の人生に悔いはないのではないか?そういった理由が、彼に憧れ、彼を敬い、崇拝する者まで出る要因だった。しかし、彼に迷惑になることを恐れ、表立って行動する者もいない。それが、彼の立場の微妙なところである。
 第三者としてディアッカ・エルスマンの行動を見れば、戦争を止めるため自分の意思で戦った時点で、英雄視されるのが当然と思われた。本人ではないので、「自分が英雄だったら」というのは想像するしかないが、人々から尊敬を受けることは嬉しく、嘆くことではないと思う。それを、ディアッカ・エルスマン自身がなぜ厭うのか、メイリンには理解できなかった。
 疑問に思って、その理由を過去のデータから探したことがある。が、見つけ出したボイスデータは、質問された内容をのらりくらりとかわすものしかなかった。ディアッカ・エルスマンの実像は、メイリンの中でまだ靄に包まれている。アスラン・ザラの方が、よっぽど分かりやすかった。
「サイさんは、ディアッカさんと仲がいいんですね」
 話の方向性を少々変えてみる。すると、サイはまた、複雑そうな表情をした。
「うーん…。『仲がいい』、か。『仲がいい』とは、思ったことないけど」
 なんだか不思議な物言いだ。ディアッカ・エルスマンを親しく知る者でなければ、『赤の英雄』と呼ばれることを本人が嫌がるかなんて、分からないと思うのだが。さらに、サイは、複雑とはいえ、嬉しいことを無理やり隠すような表情に見え、少なくとも本気でディアッカ・エルスマンを嫌っているようには見えなかった。
「でも、ディアッカのこと『ディアッカさん』って呼んでくれるんだ。ありがとう」
 屈託のない笑顔が、メイリンに降ってくる。別に、凄い美形というわけではない。むしろ、美形なら、コーディネーターで見慣れている。顔の綺麗な人を見ても、今更驚くこともないし、何の感慨もなかった。
 けれど、その優しい心が現れたような笑顔に、メイリンは思わず顔を赤くしていた。赤い顔を見られるのも恥ずかしい。それなら顔を逸らせばいいのだが、なぜかその笑顔をずっと見ていたくて、メイリンはサイの瞳から目を逸らせないでいた。
「いえ、お礼を言われることなんて!」
「でも、『ディアッカさん』って奴じゃないけどね、アイツは。呼び捨てでいいと思うよ、呼び捨てで」
 おどけたように言う。メイリンはその様子に、プッと吹き出した。サイも笑う。2人して、くすくすとしばらく笑いあった。
「メイリンさんは、大丈夫?」
 ひとしきり笑いあった後、おもむろにサイが切り出す。
「あ!私の方こそ、呼び捨てで結構ですから!」
 掌を必死に振って、慌てて応える。そして、笑顔をサイに返した。
「私は、大丈夫です。とりあえずアークエンジェルに乗って、今後どうするべきか考えようと思います」
 「何が大丈夫、と聞いているのか?」とは、問わなかった。話をしたのは僅かな時間ではあったけれど、サイがメイリンの立場を心配してくれていることは明らかだったから。
「そっか。でも、戦場は時間の流れが思うより早いから。周りに流されて、大事なものを失くさないよう気をつけて」
 ずっしりと。重い言葉だった。経験を経て、初めて発すことのできる、言葉。その言葉に、サイのこれまで生きてきた経緯が知れるというものだった。かといって、将来に絶望している瞳ではなかった。その未来を見据える澄んだ瞳に、メイリンは自分の未来にも希望が持てるのだと、そう感じることができた。
「はい。気をつけます。ありがとうございます」
 嬉しかった。
 実は、アークエンジェルではずっと孤独を感じていたのだ。クルーはみんな優しかったけれど、彼らには以前からの一体感が当然のようにあって、その中に自分という異物が入り込んだ、そんな疎外感があったから。
 ああ、そうか。だから、ディアッカはサイに会って救われたのかもしれない。メイリンが救われたように。
「…じゃあ」
 話し終えて、あっさりと踵を返そうとするサイを、メイリンは慌てて呼び止めた。嫌だ、ここで終わりなのは、嫌だ。その手は、無意識にサイのオーブジャケットの袖を掴んでいた。
「…あ!あの!また、会えますか?」
「え?…俺?」
 呼び止められるとは、露ほどにも思っていなかったのだろう。サイは、怪訝な表情でメイリンを振り返った。
「…ディアッカとはたまに連絡を取っているけど、アークエンジェルとは連絡とれそうにないし。ミリアリアとは連絡取れるけど、今はアークエンジェルとは関係なくなっちゃってるからなあ…」
「…ミリアリア?ミリアリア・ハウさん?」
「えっ!?知ってるの!?」
 今度は、サイが驚く番だった。
「ええ。ミリアリアさんなら、アークエンジェルのCICですし」
「は!?……何やってるんだか…。…そっか、だから最近ミリアリアから連絡がないわけだ。オーブに停泊しても、俺がここにいることを警戒して、アークエンジェルから降りてこないんだな…」
 こめかみに指を当て、大仰な溜め息をついたあと、後半は独りごちるように言う。
「あの、私、また何か変なこと言いました?」
「いや、そうじゃないよ。ゴメン。ちょっとびっくりしただけだから」
 心配そうに顔を覗き込んできたメイリンに、苦笑いを返す。そして、ふと気づいたように「あ」と言い、意地悪い、いたずらっぽい笑みをその顔に浮かべた。
「じゃあ、ミリアリアに『俺がミリアリアがアークエンジェルに乗っていることを知った』って伝えてくれる?それと…」
 こくこくと頷きながら、メイリンは続くサイの言葉に耳を傾ける。
「…分かりました。そうしますね」
「じゃ、気をつけて。また会おう、メイリン」
「はい!」
 穏やかな笑顔を残し、今度こそサイは踵を返した。潔く、振り返ろうとはしない。
 じんわりと温かいものが、メイリンの胸に余韻を残していた。また会いたい。素直にそう思った。アスランへの憧れや、今まで好きだと思った人とも違う、どこか優しく穏やかな感情が、胸にやさしく降り積もっていた。
 今までに感じたことのない感情。これは「安心感」とでも言うのだろうか?
 最後に言われた言葉を反芻する。大事なことだから。忘れないように。

「それと…、もしディアッカに会ったら、ミリアリアがアークエンジェルのCICをやってることを伝えて」
 なぜそれが、サイに連絡が取れる方法なんだろう。
 そういった疑問は、すぐに消えた。サイの言うとおりにすればまた会えるのだと、信じることができたから。

 確かに、その方法を実行すると、サイに連絡は取れるだろう。…ただ、その前にちょっとした事件があるであろうことを、メイリンは知らなかった。


END




サイとメイリンの出会い。
大好きなサイ(ちょっとは言って照れろよ…)に、恋人を作ってあげよう!
的なお話。
まあ、メイリンに、将来まで安心な彼氏を作ってあげたかったのもあったりする。

ちなみに、「道を往く」という本に収録したもの。
この話の後、ディアミリなマンガに続く形でした。


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