大地に立つ



 あれから、彼女は、決して皆の前では涙を見せなかった。
 でも、知っている。誰もが知っている。
 彼女が隠れて泣いていることを。いろんな物事で頭をいっぱいにして、普段は考えないようにしているけれど、ふとしたときに彼のことを思い出し、涙を流していることを。彼女の中で、彼はまだ大きな存在を占めていて、彼女は彼のことを今も大事に思っていることを…。
 それでも、皆の前では凛として美しく、彼女が立ち振る舞っていることを。
 …みんな、知っていたのだった。

 独りでいるのが嫌いなようだった。独りでいると、否が応にも、彼のことを考えてしまうからなのだろう。ディアッカとしてみれば、彼女がそこにいるだけで、そんな理由でも構いはしなかった。
 女が泣いているのは嫌だ。
 ただそれだけが、確固としてディアッカの中に在った。
「ごめん、みんなに迷惑をかけて」
 ヴェサリウスが墜ちて、フレイという少女が連合に連れ去られ…、という悲惨な状態に消沈していたエターナルに、見舞いと称して少年達が集まっていた。キラ、ラクス、アスラン、カガリ、サイ、そしてディアッカという面々である。ミリアリアは、丁度CICの担当の時間だったので、ここにはいない。
 ある意味、それは不幸中の幸いだったかもしれなかった。
「…フレイを…、救えなかった…」
 すぐそこにいたのに。手を伸ばせば、届く場所に。彼女は、連合に連れ去られてしまった。連合で、恐ろしい目に遭っていないか。それを思うと胸が苦しい。
 キラにあてがわれた部屋で、それぞれ座ったり壁に寄りかかったりと、好き勝手な格好のままの皆に囲まれ、ベッドに座り込んだキラは、悔しそうに拳を握った。その手に、そっと重ねる手がある。
「キラは、精一杯救おうとしたのですもの。仕方ありませんわ」
 ちりっと、何かが焦げ付いた。良く分からない感覚に、ディアッカは戸惑う。…今のは、…なんだ?
 まるで、女神のようだった。一点の穢れもなく、一点の穢れも許さず、悠然としてそこに居る。神秘的とも言えるその姿に、なぜか嫌悪感が沸いた。それは、自分が穢れたものと知っていて、真っ白なその姿に、畏怖を覚えたからだったのか。
「結局、誰も救えないんだ。最高のコーディネーターと言ったって、非力なのは、変わらない」
「そんなことはない!キラは、いつだって人を救おうとして、自分が傷ついていたじゃないか!」
「……」
 必死に反論するアスランに対して、サイは黙ったまま何も言わなかった。ディアッカも、口を閉じたままだ。
「元気出せよ、キラ。次はみんなで力を合わせて救い出すんだ」
「…次の機会があるかなんて、分からないよ、カガリ」
 慰めの言葉をかけたくなかったわけではない。ただ、思い浮かぶ言葉は、アスランやカガリが口にする言葉と同じで、ただ虚しいだけのものだった。
「友達を死なせたり、友達の友達を殺したり…。それでも、誰かを救えるのなら、と思ってきたけど…」
「…それを言うなら、俺だって、救えるはずの命を見殺しにしてきた。ラスティだって、ミゲルだって、ニコルだって…」
 そこで、アスランは息を飲む。ミゲルもニコルも、望んでいないとはいえ、キラが奪った命だ。キラが、自嘲気味に笑う。
「うん。誰かの友達の命の上に立ってる、僕は」
「でも、俺だって、キラの友達を…」
 トール。
 脳にフラッシュバックする、その名。ふいに、泣き叫ぶミリアリアの姿が思い浮かんだ。
「敵だったのでしょう。お二人とも、敵と戦われたのですわ」
 ラクスが、ぽつりと言う。
 それは、正論のように見えた。だが…。
記憶の中のミリアリアが、涙のにじんだ瞳でこちらを睨んでくる。
 俯いていた顔を上げ、慈しむように微笑むラクスを見ると、キラが押し出すように言葉を吐いた。
「そうだね。仕方なかったんだ」
 ざわり。
 全身の毛が逆立つような感覚が襲い、瞬時に血が沸騰した。咄嗟にその手は、暴走する感情のまま、キラの胸倉を掴んでいた。
「『仕方なかった』だって!?」
 吐き気がした。
 なんだ?なんだった?今の言葉は?
 友達が死んだのが、仕方ない?
 どういう意味だ。いつも、笑い合って、悩みを話して、一緒に苦難に立ち向かって…。そんなかけがえのない友達が死んで、仕方ない、と言ったか?
 それでも!
 …それでも、おまえは友達か!!
「ディアッカ!」
 サイの手が、キラの胸倉を掴んだままのディアッカの腕を押さえた。全身を熱く駆け巡っていた血が、すうっと冷えていく。
 固唾を飲んで見守っていたアスランやカガリが硬直している中、ひとつ息をつくと、ディアッカはその手を離し、ひらひらと掌を振ってみせた。
「悪い悪い。本気にしたぁ?冗談だって」
 おどけてみせる。だが、もう限界だった。
「悪い。俺達、アークエンジェルに戻るね」
 口を開こうとした時、サイがそれを遮る。
「さあ、行こう?ディアッカ」
「ああ」
 内心ほっとして、ディアッカはサイの後について、キラの部屋を出た。

 小型シャトルでアークエンジェルに着くまで、ディアッカもサイも、無言のままだった。サイの几帳面な運転で、シャトルはアークエンジェルの格納庫にその機体を降ろす。
「着いたよ」
「ああ、悪い」
「落ち着いた?」
 やはり。
 サイにはバレていたらしい。アレが冗談ではなく、本気だったことが。大方、他の奴らは気づかなかった、おどけてみせた時の声の震えにでも気づいていたんだろう。
 …まあ、それに気づかなくても、サイなら分かって当然か、とも思うが。
「…オレはさ」
 ディアッカは、ひとつ長いため息をついた。
「オレは、ニコルやあいつの彼氏、ラスティもミゲルもアデスも、死んだのを『仕方ない』とは言いたくないんだよねぇ。どんなにもがいても、避けられなかった死だとしても。
 あいつらが、オレをどう思ってたか知らないけど、ずっとすごく近くにいて一緒に生活して、オレの中の一部だった。それを『仕方ない』で済ませたくない。『仕方ない』で済ます奴が許せないっつーか。…オレもまだまだ子供なのかねぇ」
「俺は、そんなことなら子供でい続けたいけどね」
 ディアッカの苦笑いに、微笑んでサイが相槌を打った。ディアッカは、無言でサイに目をやる。もっと説明しなくてはいけない気がしたが、サイには必要なかったらしい。なんというか、少し気が楽になった。先刻のキラへの憤りが、少々子供じみていて恥ずかしかったのだが。
「あいつには、聞かせたくなかった。あんなセリフ。彼氏が『仕方なく』死んだ、なんて。
 あいつに会ってから、人が死ぬってことが、やっと分かったからサ。それまで、自分に、自分の周囲に『死』ってものは有り得ないと、自分勝手にそう思ってたから。オレには全然関係ない、見ず知らずの『敵』が死ぬだけだと思ってた。
 でも、今ならオレも人が死ぬってことが分かるから。死線を一緒に越えてきた仲間が『仕方なく』死んだ、なんて許せないから。
 『許せない』なんて、ホント子供じみてるけど、どうしても譲れない。誰もが否定しようが、オレはこの考えを曲げるつもりはないし、曲げさせないけどね」
 随分と長く語ってしまった。普段、自分の思っていることをあまり外に出さないディアッカにとって、珍しいことだった。サイの反応が心配で、うつむいていた顔を上げる。…と、心配をよそに、そこには穏やかな表情があった。
「うん、そうだね。俺は否定する気はないけど。ディアッカが思うように、俺もそう思うよ。俺がそう思ったところで、足りないかもしれないけどね」
「……」
 ディアッカは、思わずサイの顔をまじまじと見つめてしまっていた。否定する言葉を聞きたかったわけではない。…が、ここまで望んだ以上の言葉が返ってくるとは思いもしなかった。
 サイは、沈黙するディアッカに、苦笑いを返した。
「俺なんかがディアッカの考えに賛同しても、何も変わらないかもしれないけど」
「いや…!」
「?」
「いや、そんなことない。さんきゅ。そう言ってもらえて、自信沸いてきた」
 自分の思いや信念を肯定してくれるというのは、どんなに心強いのだろう。ふつふつと沸いてくる熱いものが、自分が感激しているのだと、知らせてくる。嬉しかった。自然に、顔がその心情をあらわにしたのだろう。サイが、嬉しそうに笑った。多分、ディアッカも同じ顔をしているのだ、そう思った。
 まだ、会ってからそれほど経っていない。それどころか、最初の出会いは最悪だった。いや、最悪だったのをミリアリアとの出会いとすれば、2番目に最悪だったのかもしれないが。
 でも、2度目の出会いは悪くなかった。オーブを守り、アークエンジェルに搭乗したディアッカを出迎えたのは、ミリアリアであり、サイでもあった。それまで敵だったディアッカを、受け入れてくれた。
 思えば、サイは大人なのだろう。年齢より、大人びている。それが、過去にあった挫折が彼をそう成長させたのだと、容易に想像がつくが、ディアッカもミリアリアに殺されそうになって、人の闇を知った。思いのほか口が軽かったのも、ディアッカがいつのまにか大人になり、大人であるサイが聞いてくれたからにほかならない。
 ふと、サイがニヤリと笑った。
「俺が死んでも、『仕方ない』とは言わないでくれるんだろ?」
 一瞬、あっけにとられたようにぽかんとした顔をしたが、ディアッカもニヤリと笑い返した。
「もちろん。でも、その前に、死なせるつもりはないけどね。じゃ、サイも、オレが死んでも、『仕方ない』とは言わないでくれるわけだ」
「当然だよ」
 かけがえのない戦友を得た。
 命のやり取りをする戦場で、共に泣いて笑って怒って、現実と戦う戦友がいる。明日の見えない戦場にいて、それはここに自分の足で立つための大地だった。
 大地は、広く大きく、そしてそこに悠然といた。揺るぐことのない大地は、そこにいた。
 それが無性に嬉しかったけれど、ディアッカもサイも表情に出すことなく、他愛のない話を始めた。もう、分かっているから。
 大地が自分を受け入れてくれたことを。大地がここにあることを。


END




あるところの、あるブツを読んで思いついたもの。
キラやラクスが良く口にする、あの言葉について。

なんだか、書いてみたら、魔人と同じように思っていることに気づきました。
ラクス=美里ですね。
知っている方は分かりますが、あの言葉も、美里が外法帖で言って、問題となった言葉です。
(外法帖時点では、あまり気にしなかったのですが)

まあ、ちょっとどころか、かなりディアッカとサイの関係にドリーム入っちゃってますが、
理想です。(うわ、ぶっちゃけた!(笑))

ええと。
キラ+ラクスファンの皆様、ごめんなさい・・・。(ぺこり)


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