零れ落ちる砂



 何が英雄だ。

 慌ただしい毎日。それこそ、今やっていることで手一杯で、他のことが考えられない毎日。
 そんな毎日がずっと続いたら、その現実に向き合わなくて済んだ。逃げきることができた。
忘れさせてもらえるのなら、忘れてしまった方が良かったのだ。
忘れることなぞできるはずもなく、それを一番知っているのが自分ということが、なんと残酷なことか。
いや、残酷というのは、自らの行った行為をそう呼ぶのだろう。
在ってしまった過去そのものは、捻じ曲げることもできず、胸の内に黒い闇として落ちる。
人々は、その闇を闇と知っていながら、昏い瞳で賞賛の言葉を口にした。
誰も、それぞれの真意のまま、卑怯者と責めてはくれなかった。

 卑怯者と罵られる方がマシなんて、一体どうなってるんだ。

「明日だぞ」
 イザークに唐突にそう言われて、一瞬何のことか分からなかった。
 それどころじゃないんだ。今。オレは工業プラントの復興工事手配を…。
「まさか、出席するんだろうな?」
 まともに顔も見ないオレに苛ついたのか、イザークはオレの目の前に立ち塞がると、睨むような目つきで再度言った。
「何に?」
 ちくりと頭に思い浮かんだものが微かにあったが、オレはそれを無視した。
 思い出したくなかった。
「明日の式典だ!」
「ああ、式典ね。ハイハイ、出るって」
 知っている。先刻から、頭が重いのは、その所為なんだから。他のことで頭をいっぱいにして、考えないようにしていても、体のどこかが小さな悲鳴を上げていた。
無視しようにも、無常にも時は刻々と過ぎてゆく。式典の開催は迫っていた。
 停戦後、どうにか落ち着いたプラントで、やっとのことで体裁が整った、戦死者の追悼式典。
 ザフト軍人はもちろん、戦争で殉死した軍人の家族も参加が予定されている。
 そう。彼の家族も参加する予定だ。彼らの家族も。
 オレがむざむざ殺した命。
自分が直接手をかけなければ、殺していないと言えるか?救うこともできたはずだ。あらゆる手段を使ってでも。身を斬ってでも、命を削っても救えなかったのならば、初めて救い手になることができる。
それをせずにいたのなら、それは「殺した」ということだ。
「英雄が出席しなくては、示しがつかないだろう?」
 その言葉に、オレは顔をしかめた。イザークは、ポーカーフェイスのオレの顔に浮かんだ珍しい表情に気づき、不機嫌そうに言う。
「俺が言ってるわけじゃない」
「知ってるよ」
「おまえがそう言われるのを嫌がっているのは知っている。が、仕方ないだろう?」
「分かってるよ」
 オレの気のない相槌に、イザークはため息をつく。
「あれは仕方のなかったことだ。おまえが気に病んでも仕方ない」
 シカタガナイ。
「そうだな。仕方がないことだった」
 オレは、抑揚のない声でそう言って、手にしていた資料に再び目を落とした。
「悪い。今、それどころじゃないんだ。明日は出席する。それでいいだろ?」
 オレは、イザークの応えを待たないまま、プラント復興工事の手配に没頭した。ギリギリまで、考えたくなかった。その現実から、ただ逃げたかった。
 卑怯者と罵られようとも。

 あの頃のオレは、オレ達は、何も知らなかった。
 攻撃して破壊した戦艦に乗っている人間が、一瞬にして死んでいたこと。撃墜したモビルスーツには、人が乗っていて、骨も残らないほどに消滅したこと。一瞬で死ねなかった者は、自らのえぐられた傷を凝視しながら、恐怖におののき、死への気の遠くなるような長い一瞬を苦痛と共に過ごしたこと。
 いや、知ってはいた。
 知っているということは、全てではない。それは、「人が死ぬ」という言葉の塊だけであって、オレは、「人が死ぬ」ということを、これっぽっちも理解しちゃいなかった。
 たとえば、戦艦の中で死に至る情景をこの目で見ていれば。爆発していくモビルスーツの中で、同じ苦痛を感じていれば。死の恐怖にゆがんだ表情を見ていれば。飛び散っていく血まみれの肉片を見ていれば。ナイフで肉をえぐった感触をこの手で知っていれば…。
 全ては、可能性の話でしかない。
 そして、あの頃のオレは、やっぱり何も知ろうとしなかった。
 だから、自分の手が人の血で真っ赤に染まっていることに、全く気づかなかったのだ。
 ナチュラルが同じ人間であったことさえ、オレのなかには存在しなかった。確かに、プラントにはナチュラルを知る術はなかった。遺伝子を文字通りコーディネートしたコーディネーターは、自らの能力に溺れ、驕った考えを持つようになった。
 かといって、ナチュラルを下等な動物のように思っていたかつての自分には、吐き気がする。
 それが現実だった。
 かつて、ミリアリアが衝動的に自分に向けた憎悪の瞳。
 コーディネーターは、ナチュラルから見て、嫉妬や羨望の対象であれ、憎しみの対象になりうるとは思いもしなかった。ナチュラルは、コーディネーターを自然にあるまじき存在と、その能力を恐れながら、しかし、その能力を羨んでいると思っていた。
 それはそうだ。
 その考えは、コーディネーターのみの世界の話であって、そこにナチュラルの意思はなかったのだから。
 確かめたことはないが、ナチュラルはコーディネーターの能力に畏怖を覚えながらも、コーディネーターにはなりたくない。そう思っている者が殆どなのかもしれない。それは、コーディネーターが、ナチュラルの中の異端と認識しているブルーコスモスと、いきつく思想が同意だ。
 コーディネーターとナチュラルの世界は、完全に分断されながらも、お互いの存在を無視することはできず、常に一方通行の感情を抱いていた。歩み寄ろうともせず。
 アークエンジェルに乗っていた時、当たり前のことだが、コーディネーターにしろナチュラルにしろ、同じ人間で、話せばお互いを知ることができた。そこに好意が生まれるにしろ嫌悪が生まれるにしろ、お互いを理解することはできたはずだった。コーディネーターとナチュラルは。
 それが、この戦争の根本の気がした。
「怒らないで聞いて欲しいんだけど」
「何?」
「真面目に聞いてるんだよ?」
「はは。だからなんだって」
 以前、サイに聞かれたことがある。
「コーディネーターって、遺伝子をいじっているんだろ?たとえば、両親の瞳の色が青くても、子供が黒い瞳を持って生まれてきたら、その子に愛情を持てるのかな?」
 「当然だろ?」と応えようとして、オレは言葉を飲み込んだ。
 血が繋がっている、ということは、どこで感じるのだろう。まずは、容姿で似ているところを認めて、更に行動やクセに、自分と同じところを見出して、親は子をかわいく思うのではないだろうか。単純だけど、それが家族というものを最も強く感じるところだ。
 サイの言いたいことが分かった気がした。
 馬鹿な子ほどかわいい、とは良く言ったものだ。
 そのとき初めて、オレはコーディネーターが完璧な種でないことを知った。
 そして、自らを優良種と考えるその傲慢さが、皮肉なことに優秀でない事実を決定付けていることを。
「なんでオレはおっさんに落とされたのかなぁ」
 他愛ない独り言だった。バスターを整備しているとき、ぼんやり口にした呟きである。
 ちょうど傍で作業をしていたマードックが、その言葉に豪快に笑った。
「なんだ、おまえさん、そんなことも分からねぇんだな」
「どういう意味だよ」
「どうもこうもねえさ。コーディネーターも馬鹿だなってことだよ」
 意味が分からず、その、小馬鹿にした言葉に、眉間にしわを寄せたものだが、今なら分かる。
 フラガは、経験豊かなパイロットだった。経験というものは、生まれて既に備わっているものではない。いくら優秀なパイロットでも、生まれたばかりでは、何も知らない、何も経験したことのない赤ん坊だ。…当然だが。
 確かに、パイロットには、操作や戦略の知識は必要だ。だが、知識は知識でしかなく、それ以上のものではない。そして、知識は何も生まない。
 経験して初めて知ることは、肉体に刻まれ、自分の一部になる。それまで予想だにしなかったことも、経験によって知ることになる。また、経験は、言葉にできないような雰囲気を感じ取る「勘」というものを五感に埋め込んでいく。それには、本などで手に入れた小手先だけの知識が敵うはずもなかった。
 知識は経験に絶対に勝てないのだ。
 あのとき、経験の差では、一方的にフラガの圧勝だった。
 あの戦いで、フラガは、オレがどう動くか、攻撃するか、予測できていたのだろう。接戦で負けたと思っていたオレだが、実際は完敗だったのだ。
 知識におぼれたコーディネーターには、決定的な弱点があった。
 自分の知識の豊富さにおぼれ、経験の重さを軽視したことだ。
 だから、十五歳で成人、などと大昔の戦国時代のような馬鹿げたことが言えるのだ。知識のみで大人になれるものか。
 コーディネーターは完璧ではない。
 …今ならそれが分かる。

 アークエンジェルで、人の死を、その手で実感として持ったあと。
 知っていたのに、オレは彼らを死に至らしめた。しかも、元同胞を。
 そのときオレは、人の死を知ってしまった自分を呪った。以前の、人の死を知らなかった自分だったら、どんなに楽だったろう。
 何も知らなかったあの頃のオレを、オレは吐き気がするほど嫌いなのに、知らなかった方が良かったと思うなんて、皮肉な話だ。
 オレは心の中で自分をせせら笑った。
 整然と並ぶ墓標。青い空の下、緑の芝生が縦横に走っている。鮮やかな自然の色に囲まれて、白い墓標は目に痛かった。
 その、あまりに作られた風景に、オレは気持ち悪さを覚える。整然としすぎて、本当にここが人の眠る場所なのかと疑いたくなった。
 視線のずっと先まで並ぶ墓標の下に、眠っている者は少ない。殆どは、爆破した戦艦に乗っていたような者達で、骨も残らなかったから。
 だからだろうか。
 この広すぎる墓地は、暖かい日差しに守られながらも、薄ら寒かった。…むしろ、ひどく寒く感じられた。
 特別にしつらえられた壇上の左右に直立して並ぶザフトの軍人以外は、喪服に身を包み、その地を黒く塗りつぶしている。彼の家族も、彼らの家族も、いた。
彼の妻である彼女は、まだ幼い子供を抱きかかえていた。あの子は、父親のぬくもりを知らないまま、これから生きていくのだろう。追悼式典の異様な雰囲気が不思議なのか、きょとんとしたまま周囲をくるくると見回している。その子をしっかりと抱いた彼女は、無表情のまま、じっと墓地の中心に建てられた天に突き刺す大きな白い墓標を見つめていた。
 その、空虚な瞳が怖かった。
 彼女も、周りにいる彼らの家族達も、同じ瞳をしたまま、何も言わなかった。オレの方など見てもいなかった。
 けれど。
 壇上のすぐ傍に立つオレは、ずっと痛いほどの重圧を感じていた。憎しみの視線なら、まだ耐えられたのかもしれない。だが、彼女らの感情は、行き先を失ったままその場に淀み、オレを押しつぶしてくる。
 憎しみはなかった。虚しさや悲しさ、そんなものが凝り固まって、どす黒く変色していた。
 いっそのこと、罵倒して殴ってくれでもすればいいのだ。その方が、楽になれる。
 …オレが。
 オレが、救ってもらいたいだけだった。
 壇上で、イザークが何かしゃべっていた。墓地の芝生に、小鳥が舞い降り、さえずっていた。
 でも、オレの耳には何も届かない。墓地を通り過ぎる冷たい風が、頬を撫で、微かな風の音を感じるだけだった。

 追悼式典が終わると、オレはその足で港に向かい、軍の船に乗り込んだ。4人乗りの、ごく小さなものだ。理由を問いかけてくる警備兵をはねのけると、そんなに強く睨んだ覚えはなかったが、オレの表情を見て、突き飛ばされた警備兵がそれ以上食い下がることはなかった。
 一気にエンジンを全開にする。うなりを上げて、船は宇宙に飛び出した。戦闘用でもないので、戦闘機ほどスピードは出ない。
 オレにはそれが、ひどくもどかしく、イライラとしながらエンジンを全開にし続けた。
 熱を上げていくエンジンに、冷却が追いつかないのか、注意を促す警報が鳴り始める。
 熱を持ちすぎて、爆発してしまえばいいのだ。こんな船など。
「くそったれ!もっとスピード出せよ!」
 オレは速度を表すメーターを毒づきながら殴りつけた。拳に、痛みが走るが、そんなことは知らない。
「くそったれ!…何が…!」
 エンジンは熱を上げ続ける。警報が音量を上げた。
 オレは、渾身の力を込めて、船内を殴りつけ続ける。
「…何が…!」
 隣に並ぶシートを蹴り飛ばした。びくともしないそのシートにも、腹が立つ。全て壊れてしまえばいいのだ。なにもかも!
 ガンッ!
 鈍い音を立てて、金属をへこませたオレの拳から鮮血が飛び散った。
「…何が、英雄だっ!!」
 同胞を殺した人間の、どこが英雄なのだ。
 共に戦った者達を死なせた人間の、どこが英雄か。
 救えなかった命を掲げて、なぜ英雄と胸を張れるのだ。
「くそっ!くそーーーっ!!」
 激情のなすまま、オレは叫んでいた。
 その声を聞くものはおらず、また、反響することもなく宇宙の闇に溶けていく。宇宙は、ディアッカの存在など、それどころか、その小さな船さえも、そこに在ることに知らんぷりしたまま、無常にも漂っていた。
 血まみれになった拳に落ちてきたのは、どうにもできない無力感。
 いつのまにか、プラントから遠く離れ、周囲には星空のみが浮かんでいた。胸が痛くなるほどの美しい景色。今はただ、虚しいだけの。
 燃料が尽きたのか、いつのまにかエンジンは止まり、辺りは静寂に包まれていた。見渡す世界には誰もおらず、この世界に自分のみがいるように錯覚する。
 会いたい。
 唐突にそう思った。
 良く泣くけれど、強い意志を秘めたその瞳をこの目で見たい。
 そうしたら、救われる気がした。何か、道が開ける気がした。
 オレは、握っていた拳を広げると、永遠に広がる宇宙を見渡した。
 …綺麗だった。

「あー、イザーク?」
「この、馬鹿者!今、どこにいる!」
「結構遠くに来ちゃったみたいなんだよねえ。悪いけど、燃料も尽きちゃったし、迎えに来てくんない?」
 モニタで、眉間にしわを寄せる悪友が顔をしかめる。
「さっさと今いる場所のデータをよこせ!俺が行ってやる!」
「悪いね〜」
「これは貸しだからな!ディアッカ!」
 イザークは、何も聞かなかった。珍しく気が利くもんだと、そう思いながらもオレはそれに感謝した。
 プラントに戻れば、また忙しい毎日に追われることだろう。けれど、時間を見つけて、あの白い墓地に行ってみようか。
 青と緑と白で塗りつぶされた殺風景な墓地に、色とりどりの花をたむけたら、少しは温かく見えるだろうか。その温もりに、彼らが本当に眠っている夢を見れたらいい。
 イザークの迎えを待ちながら、オレはそんなことを思っていた。


END




ディアッカのプラントに戻った際の「英雄」について。
短絡的に設定されたことだと思います。どう考えても。
でも、ディアッカ好きには、それじゃ納得いかないわけで。
いろいろと自分なりに深読みした結果がこれです。

プロバガンダじゃないですが、英雄を作ってしまえば、国としては楽だと思うんですよね。
でも、英雄呼ばわりされた方は、たまったもんじゃない。

いろいろと思うところもいっしょくたに書いてみました。
次のマンガに続く、というわけではないですが、前の話として書いておきたかったのです。

題名は、何も考えず、ただの思いつきで。
意味なしですんません。(笑)


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