遺志を継ぐもの
人気のない格納庫で、ディアッカはそのボロボロな鋼を見上げた。 「…バスター…」 手入れをされず放っておかれたそれは、相変わらず頭のパーツが欠けたまま、痛々しい姿でそこにいた。銃創があちこちに刻まれている。こんな機体の中にいて、 「良く生き残ったもんだ。…イザークのお陰だな」 生き物のようにすばっしこく動く、小さな塊が放つレーザー。網の目のような攻撃に晒されたあの時、確かにディアッカは死を覚悟した。 以前、フラガとは戦っていて、機体とバラバラに動く塊のことは知っていた。確か、ファンネルと聞いた気がする。同じと思ったのだ。だから、対抗しうると。…そう思った。 だが、一瞬後、それが自分の予想を遥かに超えていたことを、身をもって知った。それは、直接死を意味する。 だから、死んだ機体と運命を共にするのを戦場で待つだけだったあの時、思わず声が出た。 「イザーク!」 連邦のモビルスーツが迫ってくる。唯一生き残ったモニタで、見て取れた。標的はオレだ。あと一撃で、バスターは確実に爆発する。コックピット内を走る火花と、耳に痛いアラームがそれを物語っていた。 歯を食いしばり、連邦のモビルスーツが腕を振り上げるのを睨んでいた。たったひとつ、そのときのオレができる、小さな抵抗。 目の前を白いものが埋める。一瞬、それは、バスターの爆発する閃光と思った。 「イザーク!」 見覚えのある機体。懐かしい機体。肩を並べて戦場を駆けた記憶。 (おまえだけでも逃げろ!) だが、声は出なかった。そう思ったのは事実だったが、声にできなかったのは、死ぬのが怖かったのかのかなんなのか、今はよく思い出せない。 触れた鋼が、冷えた感触を掌に返してくる。 「お別れだな」 めずらしく感傷的になっている自分に、ふと自嘲気味な笑みが浮かんだ。 「置いていくの?」 背後から、静かに声がかけられる。少し控えめなその声音は知っている。 ディアッカが振り返ると、果たしてそこにかつての艦長、マリューが立っていた。 「そのつもり。邪魔?」 「邪魔、というより、…私達に託していいの?」 「オレが爆破させるより、あんた達が何かに利用した方がいいだろ?こんなんでも、少しは役に立つと思うし?」 「爆破…させるつもりだったのね」 ディアッカは、大人びた笑みを浮かべる。少し、人を食ったような笑み。でも、不思議にその笑みは、嫌悪感を伴うものではなかった。むしろ、背伸びしている子供のようで、マリューから見れば微笑ましいものだ。 そんなことを言ったら、怒られるかもしれないが。 「プラントは今、微妙だからな。持って帰るのはいただけない」 「そうね」 別に、設計書がなくなったわけではない。バスターを爆破したところで、この殺人兵器がなくなるわけじゃない。デュエルもすでにプラントに帰っている。 ただ。 兵器を持つことで、疑心暗鬼になるのは御免だった。 プラントにとって、プラントが開発したモビルスーツより性能の高いモビルスーツを持つ連邦は脅威だ。連邦にとっても、然り。 相手が自分より性能の良いモビルスーツを所有しているのではないか。 そんな疑心は、より多くの人を殺す兵器を造りだす。 ディアッカがプラントにバスターを持ち帰れば、バスターがまた戦争に利用されるのは目に見えていた。それなら、地球において立場の弱いアークエンジェルが、何かしらの政治に利用した方がいい。利用できないのなら、そのときに爆破すればいいことだ。 「でも、あなたの立場も微妙なんじゃないの?」 「さあね。どっちにしろ、軍の上にいた連中は、全員微妙だろ。あんまり変わらないさ」 「…ありがとう」 「礼を言われることじゃないさ。元々あんたらのものだろ?」 相変わらずおかしな奴らだなあ。 そんなことを思って、ディアッカは可笑しそうに笑う。マリューは、いつもの困ったような笑みを浮かべ、重く、口を開いた。 「言おうと思っていたのだけれど…」 来た。 なんとなく、予想はしていた。あの一件以来、まともに顔を合わせることもなかったし、会話もぎくしゃくしていた。こんなに言葉を交わすことなど、随分久しぶりだった。 「ごめんなさい。あの時は…」 「オレさ」 神妙な顔つきのマリューの言葉を、ディアッカは唐突に遮った。 「この艦、好きだったよ?」 「え?」 「考えてみるとさァ、オレ、歌姫さん苦手だからエターナルは乗りたくないし。クサナギはオーブの暴走お姫さんだろ?」 戦艦の居心地がいいっていうのも、変な話だ。戦争をしているはずなのに、なんだかアークエンジェルは、仲間を思いやっていたり、温かかったり。およそ、「軍」というものからはかけ離れていた。その雰囲気を作り出したのは、他でもない。目の前のこの女性だ。 「アークエンジェルに乗れて良かった。そう思ってる」 「…」 「本当だって」 まじまじとディアッカの顔を見つめるマリューに、ディアッカは信じてもらえていないものと勘違いしたようだった。 「ふふ。違うわ」 慌てたディアッカに、マリューは笑みをこぼす。そんなこと、言われるとは思わなかったから。 「ありがとう」 真顔に戻ると、マリューは右手を差し出した。少し驚いた顔をすると、ディアッカは、その手を握り返す。 「こっちこそ」 ディアッカは、満足そうに笑んだ。 「そろそろ、帰ると思うよ?」 「何が?」 アークエンジェルの修理も大方終わり、微調整で忙しくしていたサイとミリアリアは、食堂で遅い昼食をとっていた。 「ディアッカ」 「うん、そうなんじゃない?」 「分かってる?ミリアリア。今、プラントと地球は、停戦で微妙なんだ。次いつ会えるか分からないんだよ?」 その言葉で、やっとミリアリアはスプーンを持つ手を止めた。 「でも、ずっとってことじゃないわ」 「いや、次会えるのは、多分かなり先のことになると思うよ」 いつも、しつこいくらいに傍に寄ってくるディアッカがいなくなる。なんだかそれは、想像するのがとても難しかった。 それくらいに、ディアッカがいる生活は当たり前になっている。 「でも…」 「プラントは、急進派と穏健派の対立で、とても微妙だと思う。それに、この停戦だし。元々ナチュラルがプラントに入ることは難しかったけど、しばらくは連絡も取れなくなるんじゃないのかな」 「どういうこと?」 ミリアリアは、スプーンを置き、サイを真正面に見つめた。 「多分、電話とかメールとかの通信手段も制限されると思う」 「じゃあ、プラントと地球は、完全に分離されるってこと?」 「十中八九」 それは、会えないどころか、話をすることもできない、という意味だ。 「オレは、寂しいよ?」 「え?」 「オレは、ディアッカに会えなくなったら、寂しい。ミリアリアは?」 「…私?」 意味が、分からなかった。 ディアッカに会えなくなる。ディアッカと話すことができなくなる。 ミリアリアの耳に、よみがえってくる声がある。 「眠そうね」 「あー、オレ?」 「他に誰がいるのよ」 「…まあ、いないけど」 「ちゃんと寝てるの?」 「うーん、あんまり、かなあ。昨日も、アークエンジェルのバランサー調整してたら、明け方になってたみたいだし」 「…それって、全然寝てないじゃない。今からでも、部屋に戻って寝なさいよ」 「でも、もうちょっとなんだよねェ。他の奴らも頑張ってるみたいだし」 「そうは言ったって、そのうち倒れちゃうわよ?」 「心配してくれんの?」 ディアッカは、皮肉っぽく笑う。それを見て、ミリアリアは頬を膨らませた。 「しないわよ」 「大丈夫だって。結構頑丈にできてっから、オレ」 「だから、心配なんてしないって言ったでしょ」 「もう少しで、地球に帰れるから、サ」 地球に帰る。それは、アークエンジェルが航行能力を取り戻して、この寄港しているプラントから離れるということだ。同時に、ディアッカとも別れることになる。 ディアッカは、アークエンジェルがプラントを出るとき、この艦を降りると宣言していた。 思えば、ディアッカがアークエンジェルの修理に手を貸す必要などないのだ。地球に帰るのは、ディアッカではなく、私達なのだから。 それなのに、むしろ、「待たせて悪い」みたいなことを言うの? 「私は…」 ミリアリアは、今朝、食堂で会ったディアッカとの他愛ない会話を思い出していた。 「あいつ、優しいからさ」 「…うん」 そう。 分かりづらいけれど、ディアッカは優しい。そんなディアッカに甘えていた自分も知っている。 「私も、寂しいかもしれない」 ぼそりと、ミリアリアは呟いた。殆ど、無意識に。 サイは、穏やかに微笑んだ。 「じゃあ、それを伝えないとね」 「うん…。行ってくる、私」 何かに突き動かされるように、ミリアリアはふらりと席を立った。食べかけのプレートもそのままに、食堂を小走りに出て行く。 「サイはサ、地球に帰ったらどうすんの?」 「学校に戻れたらいいんだけどね。あとは、できるならオーブの復興を手伝いたい、かな」 「そっか」 「ディアッカは?」 「オレ?オレは、ザフトに戻る、かな。でも、勘違いするなよ?」 「しないよ。地球との和解を進めてくれるんだろ?」 「まあ、ね。できることしかできないけどな」 「オレも、そう思ってる」 「そっか。じゃ、お互い」 「頑張ろう」 そう言って、手を握った。以前敵だった彼と、こんな風に握手をすることになるなんて思いもしなかった。なんだか可笑しくなって、二人で笑いあった。 きっと、こうやって、国と国をひとつの人格として考えず、相手の国のひとりと面と向かい合わなくては、溝は解けていかないんだと思う。 そして、遠く離れても、ディアッカを信じられる自分が、なぜだかとても誇らしく、嬉しかった。 ミリアリアの背中を、サイはそんなことを思って見送っていた。 多分そこだろうと思っていた格納庫に、ディアッカはいた。丁度、マリューと別れるところだったらしい。 「じゃ、すぐに手配するわ」 「よろしく」 立ち去っていこうとするマリューと目が合ったが、マリューは何も言わず、優しげに微笑んですれ違っていった。 「…ディアッカ」 「何?」 …いつものディアッカだ。…そうだと思う。 けれど、何かどこかに置き忘れてきたような、そんな気がした。なぜかは分からない。 胸の奥に、小さな不安があった。 「何?手配って」 「…あー…」 言いにくそうに、ディアッカはミリアリアから目を逸らす。 プラントと地球は完全に分離されて、かなりの間、会うことも話すこともできなくなるよ。 サイの言葉が思い出された。…嫌な予感がした。 真摯な瞳でじっと見つめられ、それをちらりと見たディアッカは、観念したように小さくため息をついた。 「バスターは、ここに置いていこうと思うからサ。船をね、手配してもらおうと思って」 「…船?」 「オレが帰る船」 ずくり、と胸を刺される思いがした。 「帰る…の?」 ミリアリアの言葉に、ディアッカは困ったように笑った。 「そりゃ、帰るでしょ」 「…いつ?」 「…」 ディアッカの顔から笑みが消える。気まずい沈黙が流れた。 「…今日」 「え…?」 聞き違いかと思った。でも、嫌になるほど、その言葉ははっきりと耳に届いてしまっていた。 「あと、2、3時間ってところかな。準備ができたら出発しようと思って」 「でも…」 「やっぱりさァ、みんなに言うと、いろいろと面倒じゃない?だから、こっそり出ようと思ってたんだけどなァ」 「そんな…!」 突然のことに、ミリアリアの頭の中は混乱する。 「でも、アークエンジェルの修理が…」 「バランサーの調整が最後だよ」 ということは、もうすでに今朝には出発することを決めていた、ということだ。 「でも、まだ…」 「もう、オレがここにいる意味はないって」 食い下がるミリアリアに、ディアッカはあっさり返した。 「修理、遅くなって悪かったな。早く地球に帰って、家族に会いたかっただろ?」 「…違う!」 「え?」 違う!そうじゃない! 突然認識した。別れたら本当に、会えなくなるのだ、この人と。他愛ない会話も、一緒に食事をすることも、憎まれ口を叩くことも、できなくなる。 「なんでそんなこと言うの?そうじゃないでしょ?」 嫌だ。 ずっと会えなくなる。話すことも、手紙もメールも。 なぜ、そんなことになる前に、ゆっくりを別れを惜しむ時間がないのか。時間を作ってくれなかったのか。 でも、それは、自分のわがままだ。 分かっていたはずではないか。ディアッカが国に帰ること。別れまで時間が短いこと。当たり前のように享受していた時間は、とても貴重なものだったこと。 「サンキュ」 「え?」 何のことか分からなかった。 「オレって、アークエンジェルのクルーだったんだなァって」 別れを惜しんでくれる人がいる。出発が近くなって、最近、ディアッカはクルー達と他愛ない会話をしていた。ディアッカにとって、それは別れの挨拶でもあったのだが。 それぞれが、くだらない冗談に笑い、停戦後の身の振り方を真面目に語った。寝食と死線を共にした、大事な仲間に。 すっと手を差し出す。 「みんなとさ、してたんだケド」 ミリアリアは、差し出された手と、ディアッカの顔を交互に見つめると、おずおずと手を差し出し、ゆっくりとその褐色の手を握った。温かい、大きな手。 「…ありがとう」 何か、いろいろと言いたいことはあった。けれど、手の温もりから胸に湧き上がってきた気持ちは、言葉にできそうもない。溢れた気持ちは、涙となって目からこぼれた。 「おまえ、相変わらずよく泣くなあ」 その小馬鹿にしたような言葉とは裏腹に、困った表情のまま小さく笑う。 この表情とも、しばらく会えなくなるのだ。 「しばらく会えなくなるね」 「だろうな」 「ずっと、かな」 「そんなわけないだろ。プラントから地球なんて、ふっ飛ばせばすぐだ」 距離的には。 もはや、距離だけの問題ではないことなど、言わなくても分かっていたし、ディアッカが知らないわけもなかった。 「だからさ、泣きやめよ。そんなに会いたかったら、会いに行くからさ」 「…別にそんなこと言ってない」 口からは憎まれ口が出てきたが、「会いに行く」という言葉が嬉しかった。 また、会うことができる。また、会おう。そんな約束をしたような気がした。 「いつでもさ」 「ん?」 「いつでも、コーディネーターとナチュラルが会える世界を作る」 「うん」 そんな世界を作りたい。 そうではない。 そんな世界を作る。俺達の手で。 それが、戦場に散っていた者達の遺志であり、俺達の意思だから。 END |
JUNさまのキリリクss。 リクに応えきれてない気がしますが、大目に見てやってくださいませ・・・。 やっぱり、カジの書くディアミリは、 お別れのときになっても、ちゅーすらしません。(笑) なんだか、もうちょっとどうにかならんもんか、とは思ったんですが、 どうにもこれが限界のようです。 いつも天から降ってくる何かが、乗り移ってこないのです。(なんだそりゃ) |
index |