とり遺されたもの



 なぜ、オレだったんだろう。
 それを手にしたとき、思ったのは、それだった。
 なぜ、他の者ではなく、オレなんかが見つけてしまったのだろう。

 連邦とザフトの停戦協定が結ばれ、アークエンジェルはクライン派の手によりプラントに寄港しようとしていた。寄港しようにも、船体の壁面が半分以上削れたアークエンジェルには、それだけの航行能力がなかった。
 とりあえずの消火作業。とりあえずの修理作業。
 整備班も通信班もない。誰もが、アークエンジェルの航行能力を回復させようと、走り回っていた。
 そんなときだった。ディアッカが呼ばれたのは。
「外壁のチェック頼むわ」
「ハイハイ」
 整備を取り仕切るマードックに言われ、他にこれといった仕事がないディアッカは、面倒そうにそう応えた。
すでに、ディアッカはイザークを見送っている。クサナギやエターナルも、自らの修理に手一杯だった。いくらパイロットといえども、戦闘で疲れているというのは整備班も一緒だ。ひとり休んでいるわけにはいかない。額の傷が痛んだような気がするが、気のせいとしておく。
 宇宙服に着替え、命綱のワイヤーを船体にひっかけ、アークエンジェルを見渡す。果たして、船体はボロボロだった。あちこちで火花が上がり、外壁はめくりあがり、強固な足つきは見る影もない。
「派手にやられたなァ」
 ぼんやりとつぶやく。
 辺りを見回すと、あちこちに戦闘の残骸が浮かんでいた。モビルスーツの破片や、戦艦の壊れた部品等。中には、何かのタイミングで発射しそうなモビルスーツ用のライフルもあった。ふよふよと漂うそれらは、たまにアークエンジェルの外壁に当たり、へこみや傷をつけていく。
「オイオイ、これ以上壊さないでくれよ」
 神頼みの風で、ディアッカは再度つぶやく。実際は、自分の身でさえ、安全とは言い難かったのだが。
 そのとき。
 背中に軽く当たるものがあった。
 刹那的に、嫌な予感はしていたのだ。が、無視はできなかった。
 そして、目に入れてしまった、それを。
 傷つき、焼け焦げ黒ずんだ、ヘルメット。かろうじて覗く元の色は、自らの瞳の色を連想させ、その口元には、羽のマークがあった。
 壮絶な戦死を遂げた、彼のヘルメットだった。

 こっそりと、彼女の部屋の前に置くつもりだった。彼女が持つべきだ、これは。
 そして、彼女に渡すことは、誰にも頼むことはできない。
 多分、自分が一番渡すに適していない人物だろう。だが、手にしてしまった以上、この重すぎる遺物を誰かに押し付けるのは、無責任すぎた。
 腕で隠すには大きすぎるそれを、着ていたオーブジャケットで包んで隠す。艦長室に続く通路で、辺りをうかがう。…誰も、いない。
 先刻、艦長がブリッジで修理の状況を確かめていたのは知っている。まだ、部屋には帰ってきていないはずだ。
 ディアッカは、艦長室の前でそっとジャケットの包みをはずした。目に突き刺さる焼け焦げ。ところどころが、その強力な耐熱性にも関わらず、熱に溶けている。その、壮絶な状況を静かに物語っていた。
 ふと、柄でもない思いが頭をよぎる。
 …神に祈ったことなんてない。
 死後の世界のこととか、冥福を祈るとか、そんな弱っちろい考えなんて、臆病者が持つだけだ。
 そう、思っていたはずだった。
「オレも、変わったかな」
「どうかしたの?」
 つぶやいた言葉に、思いがけず言葉が返ってきた。その、かけられた優しげな声音とは裏腹に、背筋がぞっとする。少し、感傷にひたり過ぎたのか、その場に留まり過ぎた。
 恐る恐る振り返ると、そこには思ったとおりの人物が、怪訝そうな表情をしていた。背後には、ノイマンとサイが同じような表情をしている。
「…え、いや、…ちょっと…」
 口にする言葉が見つからず、しどろもどろに声を出すが、それは意味を成さない。そんなディアッカに、艦長は首を傾げると、腕に抱えられているものに気づいたようだった。
「何を持っているの?」
「…これは…」
 背中を冷や汗がかけていく。艦長に背を向け、自分の体で隠すように立っていたディアッカは、自然首だけを後ろに向けている。
 渡す。
 渡さない。
 葛藤しているうちに、艦長が覗き込んできた。ディアッカが手にしているものに気づくと、その表情がみるみるうちに変化していく。
「…それ…は…」
 泣くのかと思った。いや、泣いているのだろう。しかし、艦長の顔が彼女の表情にはまだ残っている。ディアッカやノイマン、サイがいる所為だ。
「…どうして、あなたがそれを持っているの?」
 声は震えている。
 ディアッカは覚悟を決めた。
「外壁をチェックしていたら、偶然、見つけて」
 艦長に向き直る。手にしたヘルメットが、その全貌を現した。焼け焦げ、ところどころが溶けた、壮絶なヘルメット。ノイマンとサイも、それを目にして顔をしかめる。
 彼女は、震える手をヘルメットに伸ばした。
 触れたヘルメットにぬくもりはない。あの人のぬくもりはない。思い浮かぶあの人は笑っているのに、ここにはいない。
 ディアッカの手からヘルメットを受け取ると、彼女はそれを抱きしめ、俯く。ふわりと、温かい雫が浮いた。
「…どうして…」
 かき消えそうな声だった。
「…どうして…、あの人は死ななければいけなかったの…」
 誰も、何も答えられなかった。かけてやる言葉すら、見つからない。
「…どうして!」
 ふいに、彼女は顔を上げて、ディアッカに詰め寄った。すでに目は赤く、雫は瞳から絶え間なく流れ出ている。
「…それは…」
 勢いに押されて、思わず声が出た。
 それが、きっかけだったのかもしれない。彼女の何かが、そのときプツリと切れた気がした。長い間、自身を押しつぶしてしまいそうな艦長という重い職務を全うし、停戦した今、彼女はムウを慕っていたマリューという名の女性になった。
 悲しみに濡れていたマリューの顔が、他の表情を混ざらせる。…それは、怒りだった。
「なぜ!どうして!」
 更にディアッカに詰め寄り、片手でヘルメットを胸に抱くと、残る片手でディアッカの胸倉を掴む。
「なぜあの人は、あんな理不尽な死を遂げなければならなかったの!?彼が何か悪いことをしたとでも言うの!?」
 すでに、マリューにはディアッカが見えていなかった。…否、自分の感情をぶつける対象が目の前の人間だったというだけで、それがディアッカである必要など、なかった。
 腹の奥底から、恨み憎むような声が、重くのしかかる。言葉を返すことも、胸倉を掴んだ手を離すことも、何もできなかった。
 ただ、その吐露された感情の嵐にさらされるだけ。
「認めないわ!認めない!!あの人が死んだなんて!!」
 自分が発した「死」という言葉に、マリューは一瞬動きを止めた。その言葉の意味を確かめるように。
 そして、ふと思いついたように、マリューは顔を上げ、ディアッカの顔を覗き込んだ。
 その瞳には、くらい炎が宿っていた。何かが、彼女の中で狂い始めていた。
「…そうよ。…そうだわ…」
 薄い笑みが唇に浮かぶ。蒼白の頬は蝋のようで、困ったように微笑むマリューとはとても思えなかった。
「そうよ。彼が死ぬことなんてなかったのよ。あなたがいたじゃない」
 嫌な、予感がした。
 ここを離れろ。
 脳が警鐘を鳴らす。が、体は金縛りにあったように動かなかった。マリューの瞳。底の知れないその瞳が、酷く怖かった。
「あなたが……ば…ったのよ…」
 ぼそり。
 マリューはとうとうヘルメットを手放すと、両手でディアッカの胸倉を掴んだ。
 そして、その言葉を叫んだ。
「あなたが死ねばよかったのよ!!」
「艦長!」
 それまで、呆然と事の成り行きを見ているしかなかったノイマンとサイが、マリューをディアッカから引き剥がす。なすがままのディアッカは、ぼんやりとそれを眺めていた。
「あなたが、あの人の代わりに死ねばよかったのよ!」
「艦長!落ち着いてください!」
 あの優しげな物腰のマリューのどこにこんな力があったのかというほど、マリューの抗いは強かった。
「馬鹿!何やってんだ!早く、行け!!」
 ドン、とサイがディアッカの肩を押す。その鈍い衝撃に、ディアッカの焦点が合った。
「…あ、ああ…」
 無意識のまま応えると、踵を返し、通路を反対側に進む。言われたとおりにその場を離れようとはしたが、頭の中はからっぽだった。
「あの人を返して!!」
 叫び声が耳に痛かった。痛いのに、耳を塞ぐことさえも、ひどく億劫に思えた。ただ、耳を塞いだとしても、その声は遠く突き刺さるのだろう。
 それが、ディアッカには分かっていた。

「どうしたの?」
 悲鳴を聞きつけて、ミリアリアが姿を現した。そして、その異様な状況を目に入れると、痛ましい顔で口を掌で覆う。
「どうしてあなたは生きているのに、あの人はここにいないの!?教えて!!」
 半狂乱のマリューに、すでに正気はなかった。
「あの人の代わりに、あなたが死…!!」
「ミリアリア!」
 サイの声が、マリューの悲鳴を遮る。
「行って!ここは大丈夫だから!」
 言って、サイは通路の先を視線で指し示した。丁度、通路の先で角に消えるディアッカの後姿が見えた。
 ミリアリアは、サイに頷き返すと、後を追う。
 ゆっくりと進むディアッカには、すぐに追いついた。が、その背中に、どんな言葉をかければいいのか。ミリアリアは逡巡したまま、持ち上げた手のやり場に困っていた。
 普段なら、敏感なディアッカのこと。すぐにミリアリアに気づいて、振り返り、他愛のない言葉をかけてくる。
 だが、今の彼には、そんな素振りはない。
 いつの間にか、悲鳴は遠くなり、静寂が通路を埋めていた。周りには、誰もいない。
「…ディアッカ?」
 遠慮がちに、声をかける。が、反応はなかった。小さな声ではあったが、聞こえないほどではない。それなのに。
「ディアッカ?」
 反応がないことにしびれを切らし、ミリアリアはジャケットの袖を掴んだ。
「ディアッカ、ちょっと待って!」
「え?」
 初めて気づいたように、ぼんやりとした顔を、向ける。意識がどこか遠くにあるような、そんな表情。少しの沈黙の後、相手がミリアリアと認識したのか、唇に笑みを浮かべた。
「なんだ。ミリアリアか」
 痛い笑みだった。
 ミリアリアは、苦い表情になる。
「なんで、泣いてるのよ」
「泣く?誰が?」
「あんたに決まってるでしょ」
「泣いてるのは、ミリアリアだろ?」
 はは、と笑う。その笑いが空虚で、あまりにもからっぽで、ミリアリアの瞳には、じわりとこみあげるものがあった。
「どうして」
「何?」
「あんたは、死にそうになりながら、アークエンジェルを守ってくれたじゃない!」
 ドミニオンが落ちた後、見たこともない新型のモビルスーツが発した、恐ろしく早いレーザー。あのモビルスーツの接近に気づき、いち早く動いたのは、ディアッカのバスターだった。あのまま、ディアッカがアークエンジェルの前に割り込まなかったら、アークエンジェルは、アークエンジェルのクルー達は、どうなっていたか知れない。
 目を赤くしたミリアリアに見つめられ、ディアッカはめずらしく神妙な顔つきのまま沈黙した後、重く口を開いた。
「…おまえさ」
「何?」
「コーディネーターなオレは、キライか?」
 ミリアリアは、声を失った。
 どんなにも、皆を思い、皆を助けようとも肌に感じてしまう疎外感。心理の奥底にある、区別のまなざし。
差別ではなかった、確かにそれは。単なる、「コーディネータ」と「ナチュラル」という符号の区別。ディアッカ自身も、コーディネーターとナチュラルというこだわりが消えた後、そんな些細なことはどうでも良かった。
 それで良かったはずだった。
 でも、それは確実に心理に潜み、遺物がその小さな感情を爆発させることがある。さっきのように。
 やはり、ナチュラルは、コーディネーターよりナチュラルを選ぶのだ。
 驚愕したまま息を飲むミリアリアを前にして、ディアッカは自嘲気味に笑った。
「わりぃ。変なこと言った。今のナシ」
「…」
「オレさぁ、部屋に戻るから。まさか、男の部屋には女の子ひとりで来ないと思うけど、ついてくんなよ?」
 俯いたミリアリアをそのままに、ディアッカはその場を離れる。
 何も言えないまま、ミリアリアはその場に立ちすくんでいた。
 耳には、「ついてくんなよ」というディアッカの言葉が重くのしかかっていた。

 ひとり、ぽつんとたちすくんだままのミリアリアは、ふらふらと自分の部屋に戻ろうとした。ここにいても、仕方がない。
 そう思いはしたものの、体は重い。
 このままでは嫌だった。
 ただ、その感情だけが、彼女の中にあふれる。何も決めていなかったし、何か確かなものがその手にあるわけでもなかった。
 けれど。
 彼女は、うって変わって決意の色を瞳に宿すと、その場所に向かった。

「うわ!」
 唐突に扉が開くと、部屋から出てきた彼は、本当に驚いたようだった。
「何よ。いちゃ悪い?」
「別に」
 慌てて応える。幾分か、その表情には明るさが戻っていた。先刻から1時間は経っている。それもそうかもしれない。
 順応性。それが彼の最も得意とするところかもしれない。そして、それは最強の武器でもある。
「言いたいことがあったから」
「じゃあ、呼べば良かったのに」
「『ついてくんな』って、あんたが言ったんでしょ」
「そうだっけか?」
 胡散臭い演技でしらばっくれる。まったく、空を掴むような性格だ。
 その軽い態度にため息をつくと、先刻まで扉の前で考え込んでいた言葉を口にのせようとした。
「あんたのこと、キライじゃないわよ」
 だが、口をついて出たのは、違う言葉。
 拗ねたような表情の彼女に、彼はくすりと笑う。
「そ。さんきゅ」
「好きでもないけどね」
「えー、マジで?これでも、オレって結構モテるんだケド?」
 呆れたような視線が、返答だった。
 一息つくと、彼は顔に笑みを浮かべる。今度こそは、口だけではない、本当の笑み。
「オレ、のど渇いてサ。これから食堂行こうと思うんだけど、一緒に行かない?」
「別に、いいけど」
 そして、肩を並べて食堂へと向かう。ふと、思いついたように彼女が声をかけた。
「ディアッカ。マリューさんは…」
「分かってるって」
 ミリアリアを見ずに、前方を見たまま、ディアッカは応えた。
 多分、最初は気まずいだろう。でも、段々と打ち解けていけるはず。先刻の半狂乱のマリューが言ったことが、マリューの本当に思っていることではないことなど、ディアッカにも分かっている。マリューという人間の、優しさや心。それは、ディアッカにとって、心地良いものだ。それは、マリューにとっても、同じであって欲しいと思う。
「そう」
 ミリアリアは、短くそう応える。そっと覗いた彼女の表情は、静かに微笑んでいた。
 それが、彼女の優しさ。例え、彼女がコーディネーターであっても変わらない、彼女自身の優しさ。
 傷は、そんな優しい感情が癒していってくれるのだろう。
 時間をかけて、ゆっくりと。


END




ヒいてる方がいたら、もうしわけありません・・・。
カジケンは、結構こういうのを書く人だったのです・・・。
というか、段々とひとつひとつの話が長くなってきてます・・・。自分の特徴出てきたって気が・・・。(魔人もそうだった・・・)

エグイと思っていたこの話。読み手さんから見ると、どうなんでしょうか・・・???
普通に分からなかったりします。
でも、マリューさんが嫌いなわけではありません。

挿絵、描こうと思ったのですが、描くとすると結構な数描くことになりそうだったので、やめました。
やっぱり、ssは文字で勝負ですよね!(自分で自分に致命傷・・・)


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