帰り道



 辺りが暗くなるにつれ、雑踏は消えてゆく。昼間の喧騒がウソのような、そんな静かな闇夜。
 内藤新宿は、夜闇に包まれていた。見上げれば満天の星と月が光っているが、ほのかに辺りを照らすその光は、いかにも心許ない。
 ちぇっ。
 風祭は、次々と消えていく店前の灯りを恨めしそうに見ながら、舌打ちをした。
 せっかく遠出をしてきても、昼間畑仕事に駆り出されては、こんな時間になってしまう。風祭の求める「歓楽」にはほど遠い。
 御屋形様も鋤や鍬を持って畑仕事をしている。そんな中、風祭だけがサボることなんてできないけど、…できないけれど…。
 鬼道衆として暴れていた頃が懐かしい。柳生を倒した今、幕府への復讐もうやむやにされ、村には平和が漂っている。安心して平和を享受できないと恐れられているのは、凶作だけだ。
 こんなの、鬼哭村じゃない。
 日々修業に励んで、敵をぶっつぶして。そんなのが鬼哭村、…鬼道衆だったはずだ。
 風祭は、いらいらと足元にあった小石を蹴りつけた。
 その石が誰かに当たったらしい。
「いたっ!」
 女の小さな悲鳴が聞こえた。
 むしゃくしゃしていた風祭は、特に悪びれず、そのままその場に立ち、腕を組む。
 そんな所に突っ立ってたおまえが悪い。
 開き直るわけでもないが、そう思う。
 女がゆっくりと歩み寄ってきた。その険のある声に聞き覚えがある。
「ちょっと、何すんのさ!」
 手の届く距離に近づいてやっと、闇の中にその相手を確認することができた。
「おまえ、桜井小鈴?」
 怒り気味の小鈴の顔が、呆気にとられたように、刹那、固まる。
 間抜けヅラ。
 風祭は、心の中で笑った。
「…風祭くん?…ってゆーか、今笑ったでしょ」
 顔に出てたのだろうか?そんなことはなかったはずだが…。風祭は顔を引きつらせた。
「ちょっと。人に石ぶつけといて、謝罪の言葉もないわけ?」
「そんなところに突っ立ってたおまえが悪いんじゃん」
「なにー!」
 いけしゃあしゃあとのたまう風祭を睨み、小鈴は頬を膨らますと、すぐさま行動に出た。
「あいて!!」
 小鈴の足元にあった小石が、風祭のすねにクリーンヒットする。
「なにすんだよ!!」
「あれ、なんだ、そんなところに突っ立ってたんだ。知らなかったよー」
「…!!」
 今度は、風祭の顔が真っ赤に染まった。言い返そうとして、返す言葉がないのに気づき、しばらくぐっと詰まってから、やがて口を開く。
「俺が悪かったよっ!!」
「かわいくないなあ。なんだよ、その謝り方」
「むしゃくしゃしてたんだよ!それに、そんなところに立ってる人間がいるとは思わなかったし!」
「なら、さっさと謝ればいいのに。人の顔見て笑ってる暇あったらさ」
 ぐっ。
 風祭は再度詰まった。
 それを見て、小鈴はくすくすと笑っている。どうやら、すでに許しているらしい。単に風祭をからかっていただけだ。
「ところで、おっきーはこんな夜遅くに、なんでこんなとこにいるの?」
「おっきー、ってなんだよ!!」
「だって、おっきーって呼ばれてるじゃん、せつらとかに。だから、おっきー。かわいい呼び名だよねっ」
「……」
 男がかわいいと言われて喜ぶわけもないのだが、小鈴の邪気のない笑顔を見ていると反論する気も失せた。
「俺は、最近殆ど内藤新宿に出てきてなかったからさ。ぶらぶらと」
「…にしては、随分遅い時間だね」
「仕方ねーだろ!昼は村の仕事があんだから!」
 痛いところを突かれ、自然声が大きくなる。
「俺は農作には向いてないんだ。でも、そんなこと言える立場じゃないし」
「そうだねえ。好きなこと仕事にできるご時世じゃないしねえ」
「おまえが言うのかよ。道場の娘が」
「ボクは、たまたま弓道が好きだったからよかったけどね。ボクの代わりにおっきーが道場継ぐ?」
「…それは、やだな…。だって、弓道だろ?」
「でしょ?だから、好きなこと仕事にするって難しいよねえ」
 なんで俺はこんな女にべらべらしゃべってるんだろう。
 風祭はふと気づいて、自分のことは話したものの、小鈴がここにいるわけを聞いていないことを思い出した。
「おまえこそ、なんでこんなとこにいんの?」
「ボクは…」
 がさっ。
 小鈴が言いかけると、一陣の風に背後の茂みがゆれた。まるで、何かがそこに存在しているかのような、そんな音。
 なんだろうと目を向けた風祭は、ふいに上着に重みを感じた。
 小鈴の手が風祭の上着を掴んでいる。顔は俯いていて、見えないが?
「なんだよ?」
「…いや、…なんでも…ない…よ…」
「なんでもない、って物言いかよ、それが」
 何のことやらさっぱり分からず、風祭は首を傾げる。
(離してくんないかなあ?)
「…あのね」
「おう、何だよ?」
「ここんところ、この界隈で鬼火が出るって知ってる?」
 なるほど。
 風祭は合点がいった。ぷっと吹き出し、はははと笑う。
「なんだよ。おまえ男みたいなのに、お化けが恐いのか?」
「笑うことないじゃないか!ボクはこれでも女の子なんだぞ!?」
「『これでも』って自分で言うかよ」
 更に楽しくなって、あっはっはと大きく口を開けて笑う。
 風祭の髪を、吹いてきた風がさらさらと揺らす。
 がささっ。
「ひゃあ!」
 たまらず、小鈴は両手で風祭の上着を掴み、そのまま胸に顔を埋めた。
「ちょっ、なんだよ、ひっつくなよ!」
 慌てて小鈴を引き離すと、小鈴はうずくまって顔を両手で覆っている。その肩は、小刻みに震えているようだ。
(そんなに、恐いもんかなあ?)
 風祭は、鬼道衆として闇に紛れ、行動を起こしてきた。闇は味方にはなるが、敵ではない。そんな闇の中の生き物、お化けと呼ばれるものも、風祭にとって敵ではなかった。
 敵でないものは、恐くない。
 それは、風祭の中で、ひとつの揺るぎ無い真実だった。まあ、例外がないわけではないが…。風祭は、妖艶な美女と槍使いのボウズを思い出す。…思い出しただけで、頭が痛くなりそうだ…。
 しばらく、肩を震わしうずくまっている小鈴を見下ろし、小さく溜め息をつく。
「仕方ねえなあ。送ってってやるよ。ホラ」
 小鈴が、ゆっくりと顔を上げ、差し出された手を見上げる。
「…え?」
「送ってく、って言ってんだよ。早くしないと、俺の気が変わっても知らないからな!」
 半分やけっぱちの声を出すと、小鈴が慌てたように風祭の手をとる。風祭はその手を引き上げ、小鈴を立たせた。
 暖かい、手。
(人と手をつなぐなんて、久しぶりだなあ)
 妙な感慨があった。
「家はどっちだよ」
 3つも年上の女より立場が上になっていることに気を良くし、しかしつないだ手に喜びを感じていることを気づかれないよう、極力素っ気ない声を出す。
「あっち…」
 闇の中でもはっきり分かる血の気が失せた顔をして、小鈴は元気なく言った。この女が元気ないなんて、ひどくめずらしい。
「なんだよ。俺が送ってくんだから、心配ないだろ?」
「うん」
「大体、おまえのようなやつからは、お化けの方から逃げて行くってもんだ」
「なんだってぇー!」
 小鈴の頬に朱が走る。いつもの元気が出てきたようだ。手はつないだままだったけれど。
「ところで、さっきも聞いたけど、なんでこんなとこいたんだよ?」
 すたすたと並んで歩きながら、先刻の問を口にする。
「おつかいだったんだ。道場に来ている人で、身体を悪くした人がいて。診療所が混んでて、薬の調合に時間がかかっちゃったんだ」
「ふうん」
「…あのさ」
「んー?」
「富士山でさ、藍が倒れたときに話してくれたこと」
 一瞬何のことか分からずに、問い返そうとするところを、すんでのところで止める。…あれか。
「…げ。あんな恥ずかしいことまだ覚えてるのかよ」
「恥ずかしくなんかないよ。すごく嬉しかった。ありがとう」
「なんだよ、礼言われるようなことじゃねーぞ?」
「いや、ありがとう、って言いたくてさ」
「なんか、やけにしおらしくて気持ちわりーぞ?」
「失礼なやつだな!おっきーは!」
「だから、おっきーって呼ぶの止めろよ!」
「おっきー、おっきー、おっきー」
 むう。
 頭にきて、手を振り解こうとしたが、なぜだかそれはとても悲しいことに思えて、風祭はぷいと顔を背けたにとどめた。
「でもね、本当にあのときは嬉しかったんだよ。とても不安だったから」
「…どういたしまして」
「?なに?」
「『ありがとう』って言われたら、『どういたしまして』って言うんだろう!?」
 ぷっ。
 小鈴が吹き出して笑っている。それを見て、風祭の顔は火がついたように紅くなった。
 …でも、気分は悪くなかった。
 星明りはほのかに、ゆるやかに寝静まった町と2人を照らしている。
 小鈴を家に送りとどけたとき、その言葉を再度口にした。それは、とても心地よい響き。
 風祭は、鬼哭村への帰り道、その言葉と手のぬくもりを反芻していた。


END


どこぞの図書館に投稿した作品。(バレバレ(笑))
邪の風祭と小鈴のかけあいを見ただけで、ここまで妄想できる自分ステキ。(笑)

いやはや、劉×雛乃とか、ほのぼの系のカップルはとってもラブですな。
…劉雛は、結構ほのぼのってーより、かなりちゃんとした(?)カップルですが。
ryoの中では。
ええ、溶けてますね、ryoの脳は。(笑)
次は主×涼浬だ〜!!(その前に壬生比良(剣風帖)かもな…(まだ書くのか…(笑)))

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