第2章「少年時代」(小学校2年〜小学校6年)


☆「野球」

小学校1年修了後、飛鳥は田端の宿舎から同じ北区の堀船というJR京浜東北線王子駅から徒歩10分ほどのところにある宿舎に移り住んだ。この宿舎は田端のものより大きく、子供たちの数もずっと多かった。ここで飛鳥は野球漬けの生活を送るようになって行く。

野球自体は、田端の宿舎にいた頃からやっていた。しかし、そう毎日というわけではなかった。しかし、今度の宿舎では、ほとんど毎日のように男の子たちは野球に興じていた。昭和40年代の典型的な団地タイプの宿舎だったが、棟と棟の間が結構広く、地面も土のままだったため、子供たちの遊び場としては非常に適していたのだ。

野球といっても、本格的なリトルリーグのようなものではないし、軟式でもない。グローブも使わない柔らかいゴムのボールを使ってのお遊び野球だった。飛鳥はというと、ハッキリ言って下手くそだった。どうにも捕るのが下手…。だから、内野なんて守れない。キャッチャーはいなくてもいいような野球だったから、下手な奴はピッチャーをやるしかなかった。(普通は逆だけどね。笑)

さて、この野球がどのように将来の同人活動と関係があるのかというと、直接は何もない…。(おいおい。汗)しかし、野球にハマることによって、アニメを見る時間が大幅に減ったのである。

夕方から、まずラジオでプロ野球の放送を聴き、テレビ放送が始まればテレビのプロ野球中継を見、テレビ放送が途中で終わると、再びラジオで続きを聴くという日々の繰り返しとなったからだ。したがって、アニメはプロ野球のない日(期間)だけとなり、この時期(1968年〜1971年)のアニメとのつきあいはちょっと薄いのである。

もっとも、野球にハマっていたから、『巨人の星』は欠かさず見た。原作も連載こそ読まなかったが、父が雑誌版の単行本を買ってきてくれたので、最後まで読んだ。また、飛鳥はあまり興味を持たなかったが、同じ野球漫画で魔球ものである「黒い秘密兵器」も評判になっていた。

この作品タイトルは、『らんま1/2』のサブタイトルにも使われている。高橋先生は子供の頃から少年漫画を読んでいたということだから、この作品を読んでいたのかもしれない…。


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☆「照れ」の発露

この頃になると、アニメやTVドラマの特定シーンに対して、「照れ」を覚えるようになってくる。あまりにもまじめで感動的なシーンとか、その先に登場人物が失敗するのが展開から見てわかると、どうしてもそれを見てられずにそっぽを向いたり、席を外したりしてしまうようになった。

どうにも、シリアスに盛り上がってきたりすると、恥ずかしくなってきてしまうのだ。昆虫好きだったし、それまでずっと見てきた「昆虫物語・みなしごハッチ」だったのに、あのママとの感動の対面シーンを飛鳥は直視できなかった。母が、何度も「ほら、見ないの?」と注意を喚起したけれども、わかってて見ることができなかったのだ。

今にしてみると、実にもったいないことをしたと思うが、こういう部分は実は高橋先生の作品にもあるように感じられる。「めぞん一刻」の第7話「春のワサビ」のラストなど、そのいい例だと思う。せっかく、シリアスに盛り上げといて、ひょいとギャグで落としてしまったあたりに、ひとつの「照れ」があったと見ることができるだろう。

果たして星占いや血液型占いがどこまで当たるか疑問もあるが、飛鳥と高橋先生は、ともに「てんびん座のA型」である。


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☆下町人情喜劇

飛鳥がこの時期、好んで見たTV番組の1つに「デン助劇場」があった。「デン助劇場」とは、故・大宮敏充氏を座長とするデン助一座によって浅草の松竹演芸場で演じられていた下町人情喜劇である。この舞台中継(録画)が、(東京では)毎週土曜日の昼間に放送されていたのである。

江戸っ子気質で頑固おやじ。だけど、人一倍人情に厚いデン助とっつぁんを中心として繰り広げられる心温まる喜劇だった。たとえば、学のないデン助とっつぁんが「交際」という言葉の意味がわからずに、娘のことについて、一方では「(男と)つき合ってもいい。」と言い、もう一方では「交際しちゃダメ!」と言って話が食い違い、周囲を困惑させるといった感じだ。最後には、「つき合い」と「交際」が同じ意味だったとわかって、「な〜んだ。」とばかりにハッピーエンドになるわけだ。

こうした人情喜劇の要素は、『めぞん一刻』に非常に活かされていると言える。言葉の誤解やすれ違いというのも、非常に近いものがあるように思うのだ。『らんま1/2』の「愛の特効薬」にでん助という少年が登場し、その主治医の風体がなんとなく、大宮敏充氏扮するデン助に似ていたことから考えると、高橋先生も恐らくこの番組を見ていたのではないかと推測できるのだ。

人情と喜劇の要素ということでは、日本テレビ系で放送された一連の石立鉄男主演(準主演)のドラマシリーズも大いにハマったものの1つだった。「パパと呼ばないで!」に始まり「気まぐれ本格派」に至るこのシリーズだが、その多くが居候(同居)ものである。

たいてい、そこの家の娘と衝突して、口げんかを繰り返したりするのだが、最後にはその2人がくっついたりする。そう、どこかで見たようなパターン。お互い、本当は好き合ってるくせに、ちょっとしたことでけんかになってしまう。「何であんな奴と…。」という具合で、2人とも思いっきり意地っぱりで素直でなかったりするのだ。(笑)

何度も再放送されたし、年代的に見て、高橋先生もこうしたドラマを見ていた可能性は高いように思う。


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☆ラムちゃんとの遭遇?

飛鳥は、小学校3年生のとき、飛翔するラムちゃんを目撃した。「ちょっと待てぃ!」という突っ込みが聞こえてきそうだが、言うまでもなく本物のラムちゃんのことではない。UFOというわけでもない。それは、1匹の虫である…。

玉虫という虫がいるのを知っているだろうか?ほら、よく石の下とかにいて、突っつくと丸くなる…って、そりゃあダンゴ虫だろっ!(バキッ☆)もちろん、ラムちゃんがダンゴ虫であるわけがない。

正倉院の宝物殿に玉虫厨子というのがあるが、それが玉虫の羽で飾られていたわけだ。宝物とされるほど美しい羽を持った昆虫なのである。実物はなかなか拝めるものではない。昆虫図鑑でなら見ることはできるが、図鑑ではその美しさは全然わからないのだ。玉虫はやはり飛翔しているところを見なくては…。

さて、なぜその玉虫がラムちゃんなのかという話だが、それはラムちゃんの髪の色との兼ね合いからである。ラムちゃんの髪の色は緑色系…という固定観念が定着したのはアニメがそれを採用したからではないかと思う。が、高橋先生のイラストではいろいろな色で描かれているのだ。

イラストもその時々で異なるが、緑や水色、ピンクなどが混ざったような感じで描かれているものが、いちばん高橋先生の持っているイメージを表しているものらしい。以前、少年サンデーグラフィック「うる星やつら」に掲載されたインタビュー記事の中で担当記者がLDの鏡面の反射によって見える虹色の輝きのような感じかと質問し、それに近いと答えたという経緯もある。そう考えていったとき、小学生の頃に目撃した玉虫の羽の輝きがまさにそれではなかったかと思い当たったのだ。

最初、その物体が視界に飛び込んできたとき、何事かと思った。小さいキラキラと虹色に輝く何かが、真夏の太陽の下を飛んできたのだ。野球をしていた我々は、野球どころではなくなって、みんなで追いかけた。やがて地面に止まったところを捕まえてみると、図鑑で見たことのある玉虫だったのだ。

直接光の当たってない(図鑑に載っている)状態の玉虫の羽は緑色で左右対称に黒いラインが縦に走っている。羽を90度に広げれば、それだけでもラムちゃんの髪だ。しかもこれに光が当たると、乱反射して虹色に輝くのだから、これほどラムちゃんの髪に近いものはないと思うのだ。

高橋先生が、果たして玉虫の羽の色をモデルにしたかどうかはわからない。しかし、かなりイメージ的に近いものであることは確かだと思う。もし、ラムちゃんが実在して、空を飛んでいる姿を目撃したとしたら、あんな感じでなのはないだろうかと飛鳥は思い続けているのだ。


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☆昆虫採集との決別

 飛鳥は、小学校4年の夏まで昆虫採集を続けていた。趣味とか夏休みの自由課題のためとか言えば聞こえはいいが、反面、多くの命を奪ってきたことには違いなかった。子供だったこの頃までは、虫の命のことなど考えもみなかったのだ。そんな飛鳥が変わったのは、夏も終わりに近づいたある日のことだった。

 子供たちがよく野球をする宿舎内の空き地には樹齢20年を越えるみかんの木があった。毎年、夏になると緑色の実を結んだが、放ったらかしてあるので、秋になっても食べられるものにはならない。ただ単に、前からあったというだけの木だった。野球をしている最中、誰かがその木にアゲハ蝶の幼虫を発見したのだ。

 子供たちは、しばし野球を中断してわらわらと集まり、その緑色の芋虫を眺めた。昆虫好きの飛鳥も、さすがに芋虫、毛虫関係には弱かったが、いままで図鑑でしか見たことのなかったアゲハの幼虫がこんな身近なところで見られたことに感慨を覚え、興味を持った。そして、蝶になるまで飼ってみようと思い、みかんの葉とともに持ち帰ったのだった。

 いちごのプラスチックのパックにみかんの葉や小枝を入れ、空気穴をあけたビニールで蓋をして太めの輪ゴムでとめるという簡単な入れ物での飼育だったが、特に問題なく、幼虫はしばらくしてさなぎになった。

 しかし、いつまでたっても一向に羽化しない。そのうちに夏が終わり、秋になってしまった。図鑑によれば、さなぎのまま冬越しをするものもいるということだったので、翌年の春まで待ってみたが、とうとう羽化しなかった。さなぎのまま死んでしまったらしい…。これが、飛鳥には残念でならなかった。

 そこで、春から早速みかんの木を調べて、アゲハの幼虫を何匹か捕まえてきた。飛鳥だけではなかった。当時、同じ宿舎の子供たちの間で、幼虫の飼育が流行のようになってしまったのだ。親たちはさぞ迷惑だったろう。いちごパックから出して、手の上を這わて遊んだりもしたし…。

 そして、ついに羽化に成功する。さすがに羽化の瞬間は見ることができなかったが、朝、起きると、さなぎの抜け殻の背にとまって羽を乾かしている成虫がいたのだ。飛鳥は素直に感動した。もちろん、そのまま虫かご行きなどということはなかった。飛び立って行くまで、じっと見守っていた。イモちゃんを見送るあたるの心境を味わったわけだ。

 実際には、何もしていない。捕まえてきて、羽化するまで置いといただけだ。しかし、気持ちとしては「自分が育てた。」という感覚があった。だから、人に捕まって欲しくない…。そう思ってからというもの、飛鳥は昆虫採集をしなくなった。特に決意したというわけではない。自然とやらなくなったのだ。

 昆虫採集だけではない。日常生活でも、なるべく虫を殺さないよう努めるようになった。さすがにゴキブリや蝿、蚊など、生活の上で困る虫は殺さないわけにいかないときもあるが、部屋に迷い込んだ蜂や蜘蛛などは、なるべく外へ逃がすようにしているし、道を歩くとき、足もとの蟻にも注意を払うようになったのである…。

 その後、クロアゲハも含めて何匹ものアゲハ蝶を羽化させたが、宿舎の工事のために植え替えられたみかんの木は、ほどなく枯れてしまい、このアゲハの幼虫とのつきあいは、この年で終わってしまった。


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☆漫画との再会(そして、執筆へ…)

 「巨人の星」が完結してからは、漫画とのつきあいも途絶えていた。それが復活したのは、小学校5年の冬である。それは、3つ違いの妹によってもたらされた…。

 あるとき、妹が夜店で安売りしていた「りぼん」の別冊付録を買ってきた。面白いと言われて読んだその作品は、弓月光氏の「どろん」という作品だった。主人公の少年(中学生)というのが忍者・服部半蔵の子孫で、先祖伝来の秘薬を使って自分をいじめた女どもに仕返しするという、文章で簡単に書くとなんともなさけないような話なのだが、この秘薬というのが、男なら女に、女なら男になってしまうという薬だというところがポイントだ。(笑)

 性転換するということは、当然それがよくわかるシーンがあるわけだ。「りぼん」という少女誌への作品でありながら、非常に少年誌的なノリだった。昨今の弓月氏の作品を知っていれば、多分にエッチなことは想像できると思うが、デビュー直後の少女誌時代は、それがまだ抑えられていたため、振り返ってみると結構るーみっく作品に近いノリだったと言えるだろう。(弓月氏の方が下品な部分が多いが、それがまた氏の特徴でもあってよいのだ。笑)

 この作品でハマった飛鳥は、弓月氏の単行本を買いあさりはじめる。「どろん」はどうしようか迷ったが、別の短編が2作収録されていたので、結局買った。これが、飛鳥杏華を漫画執筆への道へと誘うことになったのである。

 単行本「どろん」には、「ああ、まんが」(単行本を紛失してしまったため、タイトルが漢字だったか仮名だったか失念してしまった。汗)という作品が収録されていた。あまり売れない女流漫画家と行き倒れを装ってアシスタントとしてころがり込んだ青年の話なのだが、この作品の中に漫画の道具や描き方が描き込まれていたのだ。

 これに興味を抱いた飛鳥は、妹とともに道具を買い揃えて漫画を描きはじめる。妹の方は、すぐに飽きてしまったが、飛鳥はその後もしばらく描き続けた。

 漫画といっても、全然ストーリーになどなっていない。赤塚不二夫氏のニャロメにヘルメットと変身ベルトをくっつけて、仮面ライダーよろしくバイクで疾走するだけの作品だった。途中、いろいろなアクシデントがあって、それがギャグになっているという感じのもので、何とも稚拙な代物だった。(いまでも稚拙かもしれないが…。汗)

 やがて、同じクラスにやはり漫画を描いている男が1人いることがわかり、2人して作品を描いて、見せ合うようなかたちになった。画力や経験は、彼の方が遥かに上だった。しかし、一緒に描ける仲間がいることが楽しくて、下手なガキのくせにいっちょまえにラブストーリーなんかにも挑戦した。

 しかし、それらの作品は1つも完成することはなかった。やはり、技術的に未熟で、思うような絵が描けずに挫折してしまったのだ。そしてそのまま、小学校の卒業を迎えてしまう。違う中学に進んだため、その友人と一緒に漫画を描く機会には、2度と恵まれなかった。


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☆初恋の女性…

 そこまで書く必要があるのかという指摘もあるだろうが、漫画やイラストを描くという行為に関して、多大な影響を及ぼしたのは事実だ。今、こうしていい年しながら、嫁ももらわずにこんなことしているのも、彼女の影響と言えるのかもしれない。(汗)

 飛鳥は、小学校5年の2月から個人経営の小さな学習塾に通いはじめた。別に成績が悪かったというわけではない。母親が近所の人から勧められて、なし崩し的に通うことになってしまったのだ。が、特に厳しいという環境でもなかったので、まあいいかと思った。

 5年生の3学期は、もう1人男がいるだけで、気楽に冗談を飛ばし合いながらの授業だった。ところが、6年に上がった初回から、新しい生徒が加わることになる。それが、彼女であった。

 特別、女の子としてのインパクトがあったわけではない。というより、女の子が入ってきたという事実だけが頭にあって、ほとんど顔など見ていなかったのだ。そういうことよりも、いままで男同士で気楽にやってたのが、女子が入ることでまじめにならざるをえないんじゃないかという危惧の方が先に立った…。

 彼女は歯科医の娘で、某・国立大学の付属小学校に通っているお嬢様だった。(親しくなってからは、お嬢様というイメージはなくなったが…。笑) 付属とはいえ、上に上がるには内部試験で合格ラインに入らなければならないということで、塾通いをはじめたということなのだろう。

 そうした事実も、初めのうちはあまり興味なかった。好きになったのは、もっと別の理由からなのだ。何ともいい加減でスチャラカな理由なのだが…。(汗)

 小学校6年にもなれば、好きな異性の1人や2人、いて当然だ。学校でも、そういう噂がしきりに飛び交っていた。しかし、誰もが口をそろえて飛鳥の好きな相手はわからないと言う…。当然だ。いなかったのだから…。(笑)

 バレてひやかされる心配がないから、その点はよかったのだが、飛鳥としては「全然いない」ということがかえって恥ずかしかった。そこで、勝手に好きな女の子をでっち上げてしまおうと思ったのだ。

 でも、同じ学校内だとバレたときいやだ。それに、他の学校の娘が好きだという方がなんかかっこいいような気がした。そこで、彼女に白羽の矢を立てたのだった。(おいおい。汗)

 そうなってみて、改めて彼女に注目するようになると、これがまた思ってた以上に美形だった。(いままで、どこ見てたんだろーね。汗) 小柄で細身…。髪型は、最初は見事なおかっぱだったが、次第に伸び、ちょうど三宅しのぶのような前髪を切りそろえたスタイルとなった。眉毛が濃く、目は二重でパッチリ…。そして何よりも印象的だったのは、彫りの深い顔立ちである。純粋な日本人なのだが、彫りが深いためにハーフのように見える。(間違っても、ニューハーフではないぞ。笑) 性格の方も非常に明るくて、言うことないのだ…。

 いくら何でも持ち上げすぎと思うかもしれない。しかし、19歳のとき彼女は、週刊朝日の表紙(篠山紀信氏撮影)を飾ることになる。篠山紀信氏もかなりほめていたので、飛鳥の評価がまったくの手前味噌というわけではない。(と思ふ。笑)

 結局、名目だけのでっち上げのつもりが、本気で惚れてしまうことなる。しかし、それが飛鳥の人生を大きく狂わせる原因になったとも言える。それ以来、会えなくなってもずっと、20歳を過ぎるまで彼女のことを思い切れなくなってしまうのだ。

 中学生の頃からは、漫画のヒロインキャラとして彼女の肖像を描くことに終始することになる。これによって飛鳥オリジナルの絵が確立されてくることになる。(今は、それを捨ててしまっているが…。汗) 結局、実際に作品になったものはなかったが、彼女の顔や性格を持ったヒロインが活躍するストーリーは常に頭の中をかけめぐる青春していた。(笑)

 その間、実は友達づき合いをしていた別の女の子がいた。初恋の娘とは対照的に早熟で、胸の大きい娘だった。(こらこら。笑) この娘と結構和気あいあいのいい関係が続いていったのだ。(この娘もなぜか歯科医の娘だったのだが…。笑)

 しかし、どうしても最初に惚れた彼女のことが思い切れず、本腰を入れてその娘とつき合うことができなかった。ちょうど、響子さんとこずえちゃんの間に立たされた五代くんのような立場だったわけだ…。そして、五代くん同様、最初に惚れた女性への想いを捨てなかった。

 だが、それが間違いだったのかもしれない。飛鳥と五代くんとでは決定的な違いがあったのだ。惚れた女性が常に近くにいて、相手も自分に気があるという状況だった五代くんに対して、飛鳥の場合は中学2年のときから会うこともなく、相手に彼氏ができたのも明らかな状況でありながら想いを捨て切れず、近くにいる別の女の子と友達以上の関係を築くことができなかったのだ。ただの未練でしかない…。(汗)

 もし、相手に彼氏ができたとわかった時点であきらめ、近くにいるもう1人の女の子と本気でつきあっていたら、ひょっとするとひょっとしていたかもしれない。これまでの人生で、女性とあれほどいいつき合いを続けられたことは他になかったから…。(やっぱ、あそこで人生狂ったよな…。汗) もっとも、そうなると今の同人・飛鳥杏華は存在しなかったかもしれない。このホームページもまた…。

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