飛鳥杏華の気まぐれモノローグ(号外)

〜 2002年るみけっと3後の経過報告 〜

<2002年>

 るみけっと3からこっち、ずっとここの更新が止まってしまった。HPの全面更新をしていたのかといえば、そっちも全然進んでいない。サッカーのW杯とか、個人的に興味が別のところに移ってしまってという時期もあったが、悩んだり、負傷したり、落選したりといろいろあったのも事実だ。いずれ、通常版の方でも書かれることだが、ここで大まかに経過を書いておこうと思う。

 4月14日、るみけっと3が無事終了した。準備等でバタバタした部分もあったが、さすがにペースにも慣れてきて、ほぼ問題なく終わったという印象を持った。月末には反省会があるが、失敗した部分はすぐに改められる部分だし、大した反省会にならないだろうとたかをくくっていた。ところが、私や代表が思ってもみなかった問題が提起されることになる。

 30日、反省会の冒頭で、るみけっとの運営方針の根幹にかかわる問題が提起された。るみけっと3であまり販売物が売れなかった一部のサークルから、るみけっとの集客力の低さ(集客に対する努力不足)に対して不満が出ているということだった。こうした不満を解消できないと、今後、参加サークルが減っていく危険性がある。より集客力を高め、売れる即売会を作っていかなければならないのではないかと…。

 確かに理にかなっている。サークルにしてみれば、より売れてくれるイベントの方がいいに違いない。今回は日程的な問題や広報の地味さなどから、入場者数は前回を下回った。その部分を反省し、改善して集客力を高める必要はある。しかし、話を聞いていくと、そんな単純なレベルの努力ではまったく足りないようなのだ。例えば、人気サークルや有名なコスプレーヤーに参加してもらうように根回しするなど、他のイベントでは努力しているのに、るみけっとはそういう努力が足りないと言うのである。

 ちょっと待て! そこまでイベント主催者側がサークルの面倒をみるべきものなのか? 確かにそこまでやってやれるなら、それに越したことはないだろう。しかし、しなければならないものなのか? しないイベントは批判されて当然なのか? 少なくとも、私や代表にはそのような発想はまったくなかった。そもそも、開催する人がいなくなってしまいそうだった状況の中で、それならば我々が定期的な場所を用意しましょうと言って立ち上がったイベントだ。むしろ、その場を各参加サークルが自由に利用して自らイベントを作っていくものという発想だった。

 そうした要望やそれに応えるべきという意見そのものは間違いとはいえないし、それも1つの方向性であることは確かだ。しかし、自分の気持ちとして割り切れないものがある。水面下での根回しというのは、正直なところやりたくない。誰か積極的に動いてくれる人がいて、代わりにやってくれればいいとかいう話でもない。そういうことをすること自体が何か不自然で、気に入らないのだ。

 プロなら仕事と割り切って、やりたくないこともやらなければならないことがある。しかし、我々はプロではない。プロの商業漫画に対して同人漫画があるように、商業イベントに対して同人イベントがある。我々が作り、催しているのは同人イベントなのだ。やりたくない同人活動を無理してやることほど愚かなことはない…。やらなくても生活できなくなるわけではないのだし、苦痛を感じてまでやる必要はないはずだ。

 るみけっとは私個人のものではないから、今後どんな路線を歩んでいくかはわからない。ただ、私は自分自身の気持ちに忠実にかかわっていくつもりだ。イベント作りに苦痛を感じるようになったら手を引く…。それだけのことである。私には私の作りたいイベントがある。同人漫画と同じことなのだ。それが好きな人は来てくれるだろうし、好きになれない人は来なくなる。それが自然なかたちだと思う。求めるものは人それぞれにあっていい。イベント自体のスタイルもイベントそれぞれにあっていいのではないだろうか。一様に同じものを提供する必要はないのではないだろうか。

 5月16日、5月前半はるみけっと3の反省会で出された今後の方向性の件で結構悩んでいた。もっとも、人気サークルや有名コスプレーヤーに参加の根回しをしようにも、同人サークルが母体ではないるみけっと準備会にはそのようなコネが現段階ではない。将来のためにコネ作りをしていくということはありうるが、とりあえずは、日程の設定や広報の充実くらいしか集客力向上のための改善策はない。それは即売会以外のサイドイベントを手がける私にとってはやや追い風となった。

 代表は慎重で、一度発表したことを変更するのは混乱を招くからしない人だ。したがって、もう変更はないという段階まで来ないと広報をしない。そのため、参加サークル数が確定し、机の配置が決まって、サイドイベントにどのくらいのスペースが割けるかがわかり、計画が具体化するまで広報をすることができなかったのである。それはもう1ヶ月前くらいのことなので、そこからではほとんど広報にならない。したがって、サイドイベント自体の質は他のイベントに比べて高いものを用意しても、それが集客につながらないという問題があった。

 だが、次回からはサイドイベントを開くことを前提として、最初にサイドイベント用のスペースを確保し、早めに計画を具体化して広報をしていくことになった。やや準備が前倒しになって苦しい部分もあるが、ぎりぎりまで規模を決められないよりはずっと楽だ。すでに次回の目玉については1つ計画があったので、早速その下準備に取りかかっていた。

 何をやらかすつもりかというと、パチンコ屋さんである。(笑) 今年の1月にCRうる星やつらのパチンコ台が出たときから、購入できるものなら実機を購入してるみけっとにプレイコーナーを設けられたら…という考えを持っていた。1年たつと忘れられてしまうかもしれないから、本当なら今年やりたいところだったのだが、さすがにそこまで無理はきかなかった。その時点で、一度はあきらめかけた企画だったのだが、るみけっと3のビデオコーナーでCRうる星やつらのプロモーションビデオを上映したところ、かなりの人が興味深そうに見入っていた。それを見て、やはりやるしかあるまいと思ったのだ。

 もちろん、私以外にも実機を買ったファンは何人もいるようだが、自宅での置き場所も考えずにイベントのために買ってしまうところが、実に飛鳥杏華らしい。別にパチンコ(パチスロ)が好きなわけではないのに…。ただ、さすがに複数買うことはできなかった。お金は問題じゃないが、置き場所の問題は深刻だから…。(汗)

 その実機が、この日届いたのである。早速、2階の自分の部屋に上げようと持ち上げてみる。が、思っていたより遥かに重かった。ぐきっ☆ 「お〜い、誰か…。」と、しいの実保育園の園長先生状態になってしまう。またやってしまった。ギックリ腰の再発だ…。(汗) もっとも、このときは「またやっちゃったよ。」と笑ってられるレベルだった。何度も痛みが再発しているし、今回もそのレベルと思っていたのだが…。

 17日朝、目覚ましが鳴ったが、起きられない。それ以前に体が動かせない。寝返りがうてないほど痛いのだ。(泣) 位置がほぼ同じだったので再発かと思ったのだが、どうも新たに痛めてしまった感じだ。目覚ましを止めるまでに10分、ベッドから立ち上がるまでに30分もかかってしまった。これはやった人にしかわかってもらえまい。笑い事ではなく、マジで泣けてくる。もっとも、歩けないわけではない。しっかり上体が腰の上に乗れば、むしろ歩いている方が楽なのだ。しばらく同じ姿勢を続けていると、腰が固まってしまって、別の動きをしたときにものすごく痛むのである。

 このギックリ腰によって、新刊発行を断念した。何しろ、長時間イスに座っていられないのだから…。座ってても痛いし、寝てても痛い…。痛みがやわらいで、何とか普通の生活ができるには半月かかる。その程度でよくなったのなら、まだ新刊は作れただろうという声もあろうが、今年は4年に1度の集中力激減の年である。そう、私の集中力を奪ってしまう、あの季節がやってきてしまったのである。サッカーW杯という魔の季節が…。(こらこら…。汗)

 もともと、今年は6月中何もできないだろうと予測していた。そのために5月中にかなり進めておかなければいけなかったのだが、前半はるみけっとの今後について悩み、後半は腰痛の療養でつぶれてしまった。4年前に新刊が出せたのは、日本代表がさっさと敗退してしまったからだが、今回はそんなことにはなるまい。5月に何もできなかった時点で、ほぼあきらめざるをえなかった。もっとも、ページ数の少ない漫画本かコピー本は出せる可能性がこの時点ではあったのだが…。

 27日、夏コミ落選の通知が届く。初の連続落選にさすがにへこんだ。わずかに残っていた意欲も、これで完全に萎えてしまった。以前なら、それでも根性を出せたのだが、だんだん根性も年齢とともにすり切れてきた。徹夜がきかなくなってきているだけに、もう無理だという思いが頭の中に広がってしまう。7月になってW杯が終われば、突発コピー本を出すくらいの意欲は戻ってくるかもしれないが、予定していた新刊は完全にあきらめた。(こ、この、根性なしっ!)

 31日、ここからはもう言うまでもなく、サッカーW杯一色だ。この時期の状況からすると、W杯本なら作れたかもしれない。(笑) 私のサッカー好きは中学生の頃からである。自分ではプレーしないが、TV観戦歴は長い。W杯は1974年からのつきあいである。もっとも、そのときは応援するチームもなく、ただ漠然と試合を見ていただけで、本格的にハマったのは、1978年のアルゼンチンの優勝からだ。あのときのアルゼンチンのサッカーに魅せられてから、いろいろなチームや選手に注目して見るようになった。

 そのW杯が日本と韓国の共催で開かれ、しかも両国の活躍が見られたこの時期に、やはりるーみっくネタの漫画や評論の原稿は書けなかった。つい、スポーツニュースや特集番組を深夜まで見てしまう。韓国の活躍に関しては、ちょっと複雑な気持ちもあった。同じアジアの代表だし、お隣りの共催国という意味では応援したいのだが、韓国に負けたポルトガル、イタリア、スペインは好きなチームだったので、他の強豪チームとの対戦が見たかったのに…という残念な気持ちが強く残ってしまったからだ。できれば、韓国にはこれらのチームと当たらずに勝ち進んで欲しかった。(笑)

 6月24日、予想もしなかった人事異動の内示を受ける。上司の異動や退職が予想されていたので、まさか一番下の自分の異動があるとは思っていなかった。それだけに大あわてである。異動先については、どうせ1から仕事を覚えるしかないから、特に不安はない。逆に、現在の職場の細かくてたくさんある仕事をいかにして引き継ぐがが問題なのだ。この日から引継資料作りで毎晩遅くなる。7月に入っても、下旬までは暇ができそうにないなと覚悟を決めた。

 7月1日、異動になる。職場は市ケ谷からもといた虎ノ門に変わった。今度の職場は酒好きが多く、普段全然飲まない私にはちょっとつらい部分がある。飲めることは飲めるが、連チャンがきかないだけに…。そして、予想どおり休日返上で元の仕事の引き継ぎを中旬まで続けなければならなかった。こうして引き継ぐ立場になってみると、よくもまあこんなにたくさんの仕事をこなしていたなと感心してしまう。1つ1つの仕事は小さいのだが、数が多いのだ。とてもいっぺんには覚えられない。私も引き継いだときには随分苦労したっけ…。

 21日、ようやく本業が一段落し、この週末は名古屋に出かけた。目的は前夜の飲み会とこの日の犬夜叉オンリーイベント「犬夜叉パラダイス」への参加だ。ここのところは、オークションで散財したりして慢性的ビンボになっていたので、なかなか遠出もできなかったのだが、ここしばらくはオークションも控えているし、新刊も出さなかったから金銭的に余裕がある。もちろん、時間的にも…。(それは、ちょっとさびしいことでもあるが…。苦笑)

 イベントは非常にゆったりした雰囲気で、サークル数も来場者もそんなには多くなかったが、その分くつろげた。ビルの最上階で見晴らしもよく、かごめのコスプレ用に自転車を用意しておくなど、アイデアもよかった。また、プレゼント品にもギャグをきかしたものがあって笑えた。お茶会の時間もかなり長くとってあり、本当に自由に交流できる時間があった。私がやりたくてできなかったことを結構実現している。るみけっとの今後について悩んでいたモヤモヤが、何かすっきり晴れたような感じがした。私がやりたいのは、やっぱりこういう雰囲気のイベントなんだということを再認識した。

 27日、前の週に続き、こんどは大阪に出かけた。目的は夕方からの飲み会だったが、大阪を案内してくれるという人がいたので、昼頃に大阪に入った。昼食のあと、しばらくはよかったのだが、夕方からの飲み会の前に早めに宿のチェックインを済ませておこうと、宿まで案内を頼んだら、梅田の地下街で迷子になってしまった。泉の広場の方だったのだが、その泉の広場になかなか行き着けない。結局、代わりに私がマップを見て泉の広場まで案内することに…。(笑)

 夕方からは飲み会、カラオケで盛り上がり、翌日は行こうと思いつつなかなか行けなかった宝塚の手塚治虫記念館へ足を運ぶ。昨年の10月、出張の帰りに寄ったが休館日だったというドジを踏んでしまったが、ようやく入ることができた。もともと「鉄腕アトム」以来、手塚アニメを見て育った世代だ。高校3年のときから大学生時代に再び深くハマって、よくサイン会やファン大会などのイベントに足を運んだ日々がよみがえる。

 サイン会では、大抵早めにサインをもらい、あとは手塚先生の脇にはりついて他のファンにサインしている間中、先生と話をしていた。今思い返してみると、随分とあつかましいファンだったなと冷汗が出てくる。そういうことにまったく罪の意識がなかった。それだけ若かったんだなと思う…。ああいう経験を今の高橋留美子ファンができないのは、何とも残念だ。サインをすれば売りとばす奴が出てくる。だから、サインはやたらにしない。そのためにサインの希少価値が上がり、高い金を払っても欲しがるファンが出てくる。高く売れるから、売りとばす奴があとを絶たない…。悪循環なのだが…。(汗)

 8月9日、夏コミに突入。一刻会の売り子としてスペースに座った。今回は初めての西地区配置だったが、一刻会も飛鳥鳳凰堂も新刊がないから、売り上げへの影響というのは測れなかった。ただ、やはり人は少なく、その分涼しかったという印象は残った。私も一刻会もそういう状況だから、この夏の興味はコミケ自体よりもその前後の交流だった。一刻会の会員でもある海外在住の同人仲間が10年ぶりくらいで帰国するということで、歓迎会などの予定が詰まっていた。

 9日の終了後は、ここ何回か一緒のメンバーとお台場で夕食。翌10日の日中はコミケに用事がなかったので、自宅に2人ばかり招いてCRうる星やつらで遊んだり、コレクション類を見てもらったりする。その日の夜は一刻会の面々で海外在住の会員の帰国歓迎会とカラオケ…。11日の夜はBiglobeのSIGるーみっくわーるどのメンバーを中心に横浜の中華街に出て中華の食い放題。12日の夕方からは津田沼のお好み焼き屋「じぱんぐ」でまた食い放題だ…。何か、食ってばかりのコミケだった。(笑)

 13日と17日の夜は、劇団☆新感線の芝居「アテルイ」を観にいく。市川染五郎、堤真一らの客演による征夷大将軍・坂上田村麻呂と蝦夷の族長・アテルイとの闘いを描いた壮大なドラマだった。こういうものを観ると、創作意欲が刺激される。ただ、あまりにもスケールが大きいので、同人漫画のレベルにはとても収まらない。構想ばかりでかくなってしまって…。だが、いい充電にはなったのは確かだった。

 24日からまた、京都、大阪へ…。24日は京都駅ビル内の「KYOTO 手塚治虫ワールド」を見学したあと、銀閣寺を中心に京都を観光して、夜に大阪入り…。翌25日はインテックス大阪で開かれたSuper Comic Cityに一刻会の売り子として参加した。即売会後、なんばで冬コミに向けての本の製作について話し合う。一刻会も会誌「そると」が休刊して、コミケに出ても新刊がない。それでは淋しすぎるし、何とか有志で本を出せないものかという話し合いだった。

 決して立派な本にならなくてもいいと思う。30ページ程度で表紙も墨1色の本でも…。一刻会がコミケに出る意味を再確認したいという声があった。この企画が実を結ぶかどうかはこれからの話だが、もしかしたらその本は飛鳥鳳凰堂から出るかもしれない。連続落ちのあとだけに、冬は何とか当選して新刊をスペースに並べたいところだが、果たしてその結末やいかに…?

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