飛鳥杏華の気まぐれモノローグ(号外)

〜 「マンガ夜話」VOL.4 原稿執筆記 〜

<1999年>

・突然の原稿依頼

 3月12日(金)、いつものように就寝前に未読メールをチェックすると、見慣れないアドレスからのメールが届いていた。最近は各メーリングリストからのメールがほとんどで、タイトルの頭にみんなMLのヘッダがついているから、それ以外のメールは珍しくて非常に目立つのだ。

 ちょっと警戒しながらメールを開くと、まず「キネマ旬報社」という社名が目に飛び込んできた。有名な出版社だから、怪しい勧誘とかではなさそうだと少し安心したが、キネマ旬報社からメールをもらうような心当たりはないので、まだ何物かわからないという不安は完全には消せなかった。

 読みはじめてまもなく、「マンガ夜話」というタイトルにピクリと反応した。結構前になるが、NHK衛星第2で放送された「BSマンガ夜話」という番組で「めぞん一刻」が取り上げられたことがあったのを覚えていたからだ。

 もっとも、自宅には衛星チューナーやアンテナを設置していないから、自分自身が直接その番組を観たわけではない。パソコン通信などで語られた感想を読んで、おおよその内容を把握した程度である。そのときは、いしかわじゅん氏があまり好意的な発言をしていないということで憤慨している人が多かったのを覚えている。

 実際、どんな発言をしていたのか興味があるし、観てみたいとは思っていた。その番組を想起させるタイトルに「なるほど、あの番組を本にしたものか…。」とすぐにピンときたのだ。しかし、そこまでは単にそういう本が出るよという宣伝かと思っていた。冷静に考えれば、宣伝のため個人宛てにわざわざメールをよこすことなど考えられないわけだが、まさか執筆依頼が来るとは思っていないから、漠然とそう思っていたのである。

 ところが、さらに読み進んだところで思わず椅子から立ち上がらずにはいられなくなった。本の中の1コーナーとして設けられている「作家を読み解くキーワード」を作成して欲しいというのだ。「ちょっとまて、マジかよ…!?」 それが、そのとき口をついて出た第一声だった。それが執筆依頼であることを認識したとき、一瞬のうちに様々な気持ちが頭の中を駆けめぐった。

 数多のファンの中から選ばれたという名誉、うれしさ、自分にできるのかという不安、自分程度の知識でファンを代表して書いていいのかという疑問、締め切り、責任…。受けるべきか…? うれしい、書きたいという気持ちで、正直なところかなり上気していた。しかし一方で、どうしても慎重にならざるをえない部分もあった。これまでの同人誌とは違う…。引き受けておいて、できませんでしたでは済まされないのだ。(汗)

 自分が原稿を遅らせれば、本の発売が遅れる。出版社に迷惑をかけることは言うまでもないが、その本の発売を待っているるーみっくファンに対しても申し訳ないことをしてしまうことになる。間に合ったとしても、本を買うすべての人に対して、よりよい内容のコーナーにする責任がある。これは背負うものがデカい…。さすがにびびった。(汗)

 それでも、自分にその名誉が与えられたなら、ぜひ書いてみたいという気持ちは消せなかった。意欲と不安、その両方がむくむくと巨大に膨れ上がり、もともと優柔不断な性格をさらに悪化させた。要は自分にできるかどうかだ。できないものなら、どんなに名誉なことでも引き受けるべきではない。

 本の発売予定が4月下旬ということから逆算すると、原稿の締め切りは3月いっぱいになりそうだということも計算してみた。分量的には、半月あれば不可能ではない。問題は内容である。キーワードと言われても、いまいちピンとこない。項目という言葉が出てきているので、作家について関連のある項目を挙げ、それに対する解説を書くというものだろうかと漠然と考えた。となると、その項目がどんなものなのかが焦点だ…。

 即答はできない。返事をすれば企画書や見本を送ると書いてあったが、郵送だとすると少し時間がかかるだろう。最初の返事をする前にある程度のことを知っておきたいと思った。そこで翌日の土曜日、お宝探しを兼ねて神保町に行き、1つ前の号を探してみようと心に決め、この日は何の返事もしないまま床についた。

 13日(土)、お宝探しついでに神保町のコミック高岡に寄り、「マンガ夜話」VOL.3を軽く立ち読みした。おかげで、大体の雰囲気はつかめたが、結構マニアックなことが書いてある…。高橋先生に関して同じ項目が用意されたら、書けないものもかなりある。だんだん顔が蒼ざめてくるのが自分でもわかる…。(汗)。

 しかし、見ると必ずしも1人で担当しているわけではない。複数人と編集部も加わっての共同作成となっている。これなら若干気が楽だ。苦手な項目は他の人や編集部に受け持ってもらえれば何とかなるかもしれない。ここで、半ば引き受けてもいいかなという気持ちになった。

 だが、そういう気持ちになったとはいっても、まだ慎重さを失うわけにはいかない。まずは、どんな項目が用意されているのかを聞くこと、そして自分のほかに共同執筆者がいるかどうかというと、この2つを質問して、その回答を確認してから正式に態度を伝えることにした。


・迷った末の執筆決意

 14日(日)、サンシャインクリエイション3に参加した際、売り子の相棒に原稿依頼がきていることを話してみた。相棒は、「それはやっぱり受けるべきですよ。」と言う。半ば引き受けようかなと思いながら、いま1歩決断できないでいる自分としては、わかり切っている答えを聞いて背中を後押ししてもらいたいという気持ちもあったのかもしれない。

 17日(水)、ようやくキネマ旬報社の担当から回答のメールがきた。正直言って、しばらく回答がなかったので、不安だった。半ば引き受けてもいいという気持ちになっていただけに、余計気になってしかたがなかったのだ。

 まず共同執筆者の件だが、回答のメールには自分を含めて3人に打診していると書かれていた。となると、検索エンジンで引っかかったHPの主宰者を手当たりしだいにあたっているというわけでもなさそうだ。ほかの2人もすでに知っているHPの主宰者で、ともにいいHPを持っている。

 次に項目についてだが、最初のメールを読んだ段階では、項目は編集部の方ですでに用意しているものだと思ったのだが、実際は執筆者が自分で挙げて書いていいということだった。自分で項目を考えるのも確かに大変だが、与えられたものに回答するよりはずっと気が楽だし、書きやすい。

 共同執筆者がいること、しかもそれがすでに知っている人であること、そして項目は自分で考えていいということ…。条件が揃った。ここで完全に引き受ける意志が固まった。

 が、まだ気がかりな部分はあった。打診はしているものの、自分以外の執筆者が実際に引き受けるかどうかだ。目安として1項目が200字程度で40項目と言われていたから、3人で分担すれば1人あたりの担当項目数は13か14程度で済むことになる。しかし、もし断ったらその分負担が増えることになるのだ。(汗)

 とりあえず翌日、引き受ける方向で考えているということで企画書と見本を送ってもらうようメールすることにし、その一方で共同執筆者として打診されている2人に現在の意志を確認するメールを出してみようと決めた。


・快調なすべり出し

 18日(木)、意志を固めたからには、少しでも進められるところは進めておいた方がいいと思い、思いつくことから書きはじめた。まず、最初に書いたのは「けも・こびる」の項目だ。他の執筆者との重複もありうるだろうが、あとで調整して譲るなり、それぞれのいいところを取り入れてまとめるなりすればいいだろうと思った。

 それから20日までの間に21の項目を書き上げていた。机の上は過去のインタビューや対談が収録されている本でいっぱいだった。今回の原稿は作家論ではない。あくまで、高橋留美子という漫画家がどういう人なのかを伝えるものだ。事実を明確な根拠に基づいて書かねばならない。そのためには、もう1度そうした記事を丁寧に読み返す必要があったのだ。

 しかし、自分には強みがあった。毎年、一刻会のイベントのために何百問ものマニアックなクイズを作ってきたおかげで、こうした記事の内容がある程度頭に残っていたのだ。「あれを書こう!」と思いついたときに、その根拠となる記述がどの本のどの辺にあったか、おおよその見当がつく…。自分でも大いに助かった。

 その間にキネマ旬報社からは企画書、原稿依頼書、見本として「マンガ夜話」VOL.3が届いていた。商業誌の原稿依頼書や企画書を見るのは初めてだったが、意外にもごく普通のワープロ文書だった。内容もそんなに細かく書いてあるわけでもない。もっと重々しく、細部に及ぶ記述が並んでいるものを想像していたので、肩透かしを食らった格好になったが、まあそんなものなのかなと納得した。(笑)

 21日(日)、現在の意志を問いかけていた共同執筆予定者のうち、めぞん一刻Homepageの主宰者であるひろゆきさんから返事がきた。ひろゆきさんはすでに引き受けたとのことだった。理由の中に私が執筆に参加するから大丈夫だろうと思ったというのがあったが、実はまだこの時点では正式には引き受けていなかった。(汗) どちらか1人でも共同執筆者が残ってくれるのを確認してから正式に引き受けようと思っていたのだ。

 そんなちょっと危険なすれ違いもあったが、ひろゆきさんの参加が確認できたので、私もその夜には正式受諾のメールをキネマ旬報社の担当に送った。

 22日(月)、PROJECT S2に参加した際、即売会の会場に来た一刻会の主な会員には「マンガ夜話」VOL.4の原稿を引き受けたことを伝えた。特に会報の編集総括には、こういう理由で一刻会の会報の原稿が間に合わなくなる可能性があるので、事前に話しておく必要があったからだ。もっとも、すでにかなりの項目について書き上げていて、締め切りは充分守れるという自信が内心あったから、ちょっと口が軽くなったというのも事実だった…。(笑)

 その日の夜、もう1人の共同執筆予定者からメールが届いた。諸般の事情で断るつもりだということだった。これで1人あたりの受け持ち項目数は20程度となった。が、もうすでに自分は20以上書いているので問題ない。あとはひろゆきさんにがんばってもらうのみだ…。しかし、まるっきり下駄を預けてしまうのもどうかと思うし、多すぎたら削ってもらえばいいと思い、さらに項目を追加して27項目まで書き上げた。

 23日(火)、ひろゆきさんの方から項目が届いたということで、私の方にその内容を伝えるメールがキネマ旬報社から届いた。項目出しの締め切りは24日と思っていたので、ちょっとあせった。送られたきた項目は13個…。見ると、やはりいくつか重複しているものがある。それはまあいい。自分の方は数的に余裕があるので、それらはひろゆきさんに譲ることにした。その分、翌日の項目提示までにもう少し増やそうと考えた。

 24日(水)、さらに2項目増やして29項目まで書き上げた。ここから、ひろゆきさんと重複した項目と内容的にいまいちの項目を除いた25項目を送った。ひろゆきさんが「めぞん」中心に書くということで、私にはそれ以外をと求められていた。そこで、私は高橋先生ご本人に関わるエピソードや発言などを中心にまとめてみた。まあ、最近のネタに乏しい部分はあるが、ほぼこれまでに我々が把握してきた高橋留美子像を若いファンに伝えられるだろうと思った。だが、それでもまだ何か書き落としているような気がして、不安なのも事実だった。(汗)


・予想外の事態…

 25日(木)、キネマ旬報社の担当から返信があった。ノルマより多めに送ったので、いくつか削られるかと思っていたのだが、どれも削る必要はないとのことだった。内容的にもかなり興味を持ってもらえたようで、まずまずの手応えといったところだった。しかし、カバー範囲に物足りないものがあるらしく追加を求められるかたちとなった。

 もともと執筆者として3人を選んだ理由は、「めぞん」に詳しいひろゆきさん、「うる星」に詳しいもう1人、そしてその他にも詳しい私ということだったらしい。ところが、「うる星」に詳しい1人が辞退し、私が高橋先生ご本人のことに絞ってしまったために、「めぞん」以外の作品に関する項目がほとんどなくなってしまったのだ。確かにこれではまずい…。(汗)

 編集部の方からこんなのはどうだろうかということで、いくつかの項目が示されていた。そのうちの3つとそれをアレンジした項目を1つ、早速追加候補として選んだ。土日に一刻会の名古屋集会に参加する予定がなければもう少し書く余裕もあるのだが、すでに宿もとってもらっていたし、多くの会員に会える楽しいひとときなので、こればかりは中止したくなかったのだ。わがままと言えば、思いっきりわがままだが…。(笑)

 まあ、それはそれでまだよかったのだが、そのメールの中の1文に思わず椅子から飛び上がったしまった。ゲラが出来た段階で小学館に送り、高橋先生に見ていただくというのだ!(汗) 「うわーっ、ちょっと待ってくれぃ!」と、思わず天を仰いで部屋中を歩き回ってしまった…。

 考えてみれば、いい加減なことを書かれたらたまらないから、当然といえば当然のことなのだが、事前に話がなかったので、まったくそういうことは考えていなかったのだ。こいつはものすごいプレッシャーだ…。ちゃんと資料をもとにウソは書いていなくても、これはいかんとクレームが来そうなことをかなり書いている。かといって、やばそうなのを抜くと質が落ちるし、これは困った…。(汗)

 しかし、最近は高橋先生の特集を組んでくれる本もなく、自分が書いたようなことを知るには過去の出版物を苦労して集めねばならない。この1冊が、それに近い役割を果たして、最近のファンにとって高橋先生を知るよい資料になれば…という気持ちは捨てきれない。もうこうなったら開き直りである。クレームが来たら直せばいいと腹をくくった。それでも、内心はかなりビクビクしているが…。(汗)


・提出間際の苦しみ

 26日(金)、追加項目のうち2つを書き上げた。27日の午後、名古屋に出発するまでに書けた項目を名古屋から帰宅したのちに推敲して、3月末日に提出することにした。時間的に見ても、それがギリギリだろうと思った。あとは、ひろゆきさんがいくつか追加してくれればという他力本願だが…。(笑)

 27日(土)、名古屋への出発前にさらに2項目を書き上げた。これで追加は、合計4項目…。その追加分の項目名をキネマ旬報社の担当に送った。まだ「犬夜叉」に関する項目がないのだが、もうこれから先は間に合わないだろうと思った。

 名古屋に着くと、その日集まった一刻会の連中にはこの執筆のことを伝えた。資料として時計坂通信社に応援を求めていた「少年サンデーグラフィック・スペシャル 機動警察パトレイバー」を代表幹事の大田氏から見せてもらった。要は、掲載誌の正確なタイトルと対談記事のタイトルがわかればよかったのだが、とりあえず必要な部分をコピーさせてもらう約束をする。ところが翌日、すっかり忘れてそのまま大田氏を帰してしまった。(何をやってるんだか…。汗)

 28日(日)、帰宅すると時計坂通信社の別ルートから連絡が入っていて、掲載誌のタイトルなどを知ることができた。事実に基づいて書かねばならないから、参考文献名の提示は重要なのだ。本の名前は記憶していたのだが、対談の名前までは覚えていなかったのたで非常に助かった。もっとも、結果的には対談のタイトルは書かなかったが…。(汗)

 29日(月)、間に合わないかもしれないが、もう少し考えてみようと思い立ち、また追加を考えた。が、1項目書き上げたところで詰まってしまった。これで30項目にもなる。ここまでくるともうなかなかいいネタは出てこない。そこで、推敲の方を先に進めることにした。

 見直してみると、結構修正を要するところが出てくる。特に参考文献の提示方法には苦慮していた。1つの項目に3、4点の参考文献を使用しているものもあるし、長い名前の本もある。書き方を工夫しないと、非常に読みにくくなってしまう。しかし、なかなかいいかたちがつかめないので、追加した1項目を送るついでにキネマ旬報社の担当に質問することにした。

 30日(火)夜遅く、質問に対する返事があった。それを踏まえて自分なりに検討した結果、文中に書けるときは文中に書き、書けなかったものを文末にまとめて提示するというかたちにした。が、もうこの日は遅かったので、翌日修正して送信することにした。ほんとにもうギリギリだが…。(汗)

 31日(水)、帰宅後、必死に参考文献提示部分の修正をかける。しかし、それによって文章がうまくつながらなくなるところも出てきて苦労した。また、参考文献は初めて登場したときには細かくフルに書き、それ以降再登場したときは略称を使用するようにしたのだが、書くときに思いついた順に書いていったものだから、あとで掲載時を意識して50音順に並べ直したら、略称が先に出てしまうという逆転が起こってしまった。(汗)

 そうしたものを直して原稿を最終的に送付できたのは、夜になってからだった。それでも一応は予定通り提出できたことになる。あとは、校正やら何やらがあって4月5日に最終決定するのだろう。そうなったら、一刻会以外のところにも原稿を書いたことを知らせようと思った。


・予想外の再追加依頼

 4月1日(木)、コーナーの末尾に載る自分のプロフィールの部分を書いて送った。これには結構悩んだ…。前の号を見ると、みんなマンガ研究家といった肩書きを書いているのだが、自分にはそんなものはない。マンガはそんなに広く読んでいないから、あえて言うなら高橋留美子研究家だが、それすらおこがましいと思う。

 そうなると、残るのは所属しているFCサークルと同人作家という肩書きのみだ。半ば宣伝になってしまうのはいやらしいと思ったが、それ以外に具体的に飛鳥杏華を紹介しようがなかったので、修正要求覚悟で送った。が、結局はそのまま使うという返事がきた。(笑)

 3日(土)、ひろゆきさんから仮原稿へのチェック依頼のメールが来た。彼はまだ若いし、手もとの資料も少ないので苦労しているようだった。それで、書き上げた内容に誤りがないか私にチェックして欲しいということだったのだ。とりあえず一通りチェックし、いつくか見つかった誤りなどを指摘して、翌日返信することにした。

 5日(月)、一応当初の締め切りとなっていたが、ひろゆきさんの完成原稿はまだ提出されていなかった。そこで、ひろゆきさんの方は仮原稿として提出されていたものをもとにしてレイアウトしてみたらしい。その結果、まだ足りないのでさらに追加して欲しいというメールが届いたのである。

 すでに2度追加して30項目を提出していたし、中には結構長いものもあって、無理して削ったものもあっただけに予想外だった。もっとも、提出してしまってから入れ忘れたのに気づいて、もう間に合わないかなと後悔していたものが2〜3あったから、これはむしろ渡りに船で、早速、この日のうちに2項目を書き上げた。

 6日(火)、もう1項目追加し、計3項目(1000字余り)を追加送付した。翌、7日(水)には編集部の担当から受け取った旨のメールが届いたが、その内容によると、まだひろゆきさんの方の完成原稿は届いていないようだった。誤りの指摘はともかく、私見的部分についてもかなり異なった見解を提示したりしたから、余計に書きにくくさせてしまったかなとちょっと責任を感じてしまった。(汗)


・高橋先生からの削除依頼

 10日(土)、ひろゆきさんから8日に完成原稿を送ったというメールが届いた。正規の締め切りからは3日遅れとなったが、彼の個人的な状況を考えるとご苦労さまの一言に尽きる。そうなるといよいよ、週明けには校正用のゲラ刷りが届くことになるだろう。それを校正してFAXで送り返せば、自分の仕事は一応終わるはずである。こんどこそ終わりにしたいと思った。

 12日(月)、編集部の担当からゲラ刷りを送付するので、13日には届くだろうとのメールがあった。そのついでに単行本リストの作成についても応援を求められた。いくつかの単行本の初版発行日と収録されている話のサブタイトルがわからないというのだ。結構大変な分量だったが、この日の夜のうちに一覧を作成して、翌日送信することにした。

 13日(火)、ゲラ刷りが届いた。同封されている手紙によれば、15日の夕方までには校正をしてFAXで返送して欲しいとあった。実質2日間だ。慎重を期すためにはもう1日くらい欲しいところだったが、ここまででかなり遅れているので、やむをえないだろう。早速、校正にとりかかった。見ると結構ミスがある。が、必ずしも私のミスではない。レイアウトの都合で原文を若干直して詰めている部分があり、その際にミスっているものが結構あるのだ。

 追加したことで、今度は若干多すぎてしまったらしく、そういうことで原文が詰められたのはしかたないが、そこでミスが出ているというのは…。(汗) そのミスを見落としてそのまま載ってしまったら、事情を知らない人は私のミスだと思ってしまうだろう。そう思うと怖くて、何度も何度も自分の書いた項目についてチェックを繰り返した。逆に、そのほかの部分はほとんどチェックしなかったが…。(笑)

 15日(木)、前日のうちに校正作業を終え、昼休みに職場からFAXを送った。何かあれば、FAXで連絡があるだろうからと思い、FAXの受信状況を常にチェックしていたが、帰宅時までに特に連絡はなかった。帰宅してすぐにメールをチェックすると、FAXを受け取ったというメールが届いていた。また、13日に単行本の初版発行日等のデータを送った際に尋ねた本の発売日については、5月10日を予定しているが、取り次ぎの都合で2、3日ずれるかもしれないとの回答があった。

 やはり、全体的に作業が遅れたこともあって、当初の4月下旬発売というのは無理だったようだ。我々の原稿の遅れもあるが、単行本リストのデータについての問合せが12日にあったことを考えると、必ずしも我々だけの責任とは言えないだろうと思う。まあ、とにもかくにも、これで残るは高橋先生ご本人によるチェックのみとなった。それが最大の問題ではあるのだが…。(汗)

 その結果は意外と早く知らされた。就寝前、メールをチェックすると、小学館ビッグコミック・スピリッツ編集部と高橋先生から2点ばかり削除して欲しいとの依頼があったというメールが届いていたのだ。やっぱり、来たか…。覚悟はしていたものの、やはりドキッとして緊張感が走る…。しかし、削除を求められたのは高橋先生ご本人や周囲の人々のプライバシーにかかわる部分程度で、項目単位の全文削除という要求は一切なかった。

 それにともなって変更した記述も添付されていた。まあ、これなら悪くはない。削除依頼があったということで、ドキドキする気持ちはなかなかおさまらなかったが、その程度ですんでホッとした。すぐにOKのメールを書き、翌朝送信することにした。


・最近、資料となる本がないとお嘆きの方々に…

 17日(土)、16日に出した削除OKのメールに対して返信があった。私が削除依頼を了承したことで、すべてが終わったようだった。本は予定どおり発売できそうだとも書かれていた。この予定どおりとは、5月10日のことだろう。これで本当に私の役目は終わった。

 20日(火)、共同執筆者のひろゆきさんにお疲れさまという意味でメールを送ったが、ちょうど行き違いでひろゆきさんからもメールが届いていた。ひろゆきさんも1点ばかり削除を求められたということだった。私の方もそうだったが、ちょっとやばいかなと思ったところが通って、意外なところを指摘されたのに戸惑っていたようだった。

 さて、1ヶ月に及んだ原稿執筆が終わり、いよいよ5月10日、「マンガ夜話」VOL.4が発売されることになった。何度か書いたことだが、最近は高橋先生に関して資料となる本がほとんど出ていない。原稿の中にも書いたが、下手をすれば高橋先生の顔さえ知らないファンもいる。

 そういう人たちが、高橋先生のことを知ろうと思ったら、少年サンデーグラフィックやかつてのインタビュー、対談記事の載った雑誌、書籍等を手に入れるしかない。しかし、それにはお金も時間もかかる…。それを考えると、「マンガ夜話」VOL.4はそういう人たちにとっていい資料となるのではないかと思うのだ。

 手前味噌になってしまうが、一通りかつてのファンが知識として貯えてきたことは書いたつもりだ。ただ、唯一残念なのは、この原稿が実際に高橋先生に会う前のものであるという点だ。4月25日のサイン会で、生の高橋先生の姿を見て、これまで自分の中で作り上げられていたイメージがかなり違っていたことに気づかされたからだ。

 この原稿依頼が、サイン会のあとであればという無念さでいっぱいだが、もういまさら嘆いてみてもしかたがない。少なくとも、自分が所有しているかつてのインタビューや対談記事を総動員して書き上げたものだし、高橋先生のチェックも通っているのだから、ウソは書いていないはずだと胸を張ることができる。

 自分より、さらに知識を持ったファンが何人もいることは充分承知している。たかだか13年余りのファン歴で偉そうにと思われるかもしれないが、自分が貯えてきた知識がより多くのるーみっくファンの役に立つ可能性が開けたとこに喜びを感じずにはいられない。今後、このような話が来るかどうかはわからないが、せめてこのHPだけでも後発ファンのよき資料となり、先発ファンの郷愁をそそるものとなり続けられればと思っている。


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