飛鳥杏華の気まぐれモノローグ

<1999年>

2月2日(火)

 一刻会会報「友菱」100号記念本のセレクション作業はまだまだ続く。とりあえず第1次選考が終わり、振るい落とし作業にかかるが、捨て難いものが多くて何ともつらい…。これほど贅沢な悩みは初めてだ。自分の本なら500ページの本にしてしまうのだが…。(笑)

 1月27日、「犬夜叉」だが、やはり奈落が送り込んだのは死んだはずの珊瑚の弟・琥珀だった。背中に四魂の玉を仕込んで操っている。ただし、珊瑚とは違い、琥珀は自力で土の中から出てきたわけではないから、四魂の玉の力で甦らされたと言った方が正しいかもしれない。

 琥珀に村を襲わせ、珊瑚をおびき出すことに成功した奈落…。琥珀の傍らにいるのはまた傀儡だろうが、それでも厄介な存在には変わりない。珊瑚には恐らく琥珀を殺すことはできまいと考え、まずは珊瑚だけをおびき出したのだろう。結界によってその他の者の侵入を妨げたということは、まずは珊瑚を殺そうという狙いと考えていいのだろう。殺したあとは、琥珀同様に操り、犬夜叉たちに刺客として差し向けるつもりだろうか?

 しかし、何といっても今回の見どころはかごめと珊瑚のダブル入浴シーンだ。(こらこら。笑) 弥勒ではないが、確かに結構なものを見せていただいた。こういうシーンに関して無駄な遊びだとか、必然性のない裸だとかいう指摘をする人もいるが、今回は闘いと闘い合間をつなぐ休息的イベントであるとともに、しっかりと琥珀再登場への伏線を敷いている。読者サービスをしながら、それをやってのけるあたりに熟練したプロの技を感じる。

 それはそうと、かごめの胸も結構大きいと思ったが、今回の描かれ方を見ると、若干、珊瑚の方が大きめに描かれているような気もする。これは、暗に珊瑚の方が若干年上であるということを示しているのだろうか? それとも、単なる偶然か…? 別にそんなとこばっかり見てたわけではないのだが、つい気になったもので…。(笑)

 さて、この日も一刻会会報100号記念本のセレクション作業は続く。創刊号〜24号のセレクションの際、新たに拾いはじめた統計データがあったため、すでに選考済みだった25号〜80号についてもチェックをしなおした。そのため、号数的な進展はなかった。今回の記念本では、様々な統計をとって「なんでもランキング」なるコーナーを作ってみようと思う。例えば、表紙イラスト最多担当者、カット最多掲載者など…。対外的にはあまり意味がないかもしれないが、会員にとっては興味のある事柄だろうと思う。

 これまでも1992年までに5回ほど会報のセレクション本は出してきているのだが、いずれもページ単位でよさそうなものを選択して並べるだけだった。が、こんどはそんな単純な本にはしたくない。自分がやるからには、独立した本として読むに値するものにしたいのだ。そのために、思いっきり苦労を背負いこむことになるわけだが…。(汗)

 28日、現在発行されている最新号の94号まで第1次セレクションを完了した。ものすごい数だ…。これをそのまま全部使ったら500ページは軽く超えるだろう。つらいが、振るい落としをしなければならない。いくら個々の原稿がいいものでも、同じパターンのコーナーを何十ページも読まされたらさすがに飽きる。それではいい本にならないのだ。その中で最高のものを選ばねばならない。

 その一方で、執筆者の偏りにも気をつけなければならない。実力のある人は、いい原稿いくつも描いて(書いて)いる。単純に見栄えだけ考えて選考すると、当然、そういう実力者の原稿が多くなる。ある程度はしかたないことだろうが、見栄えするというのとはまた違った意味で味のある原稿を描く(書く)人もいる。この作業には当分頭を痛めることになりそうだ。どこまで心を鬼にできるかだが…。(汗)

 29日、飲み会があったため、帰宅が少し遅くなり、振るい落とし作業には入れなかった。もっともその前に、各号ごとに単純に拾った候補原稿を各コーナー別にまとめる作業をしておかねばならない。なるべくすべての号から広くとりたいが、各号ごとに出来、不出来の偏りがどうしてもある。各号ごとに選ぶといい原稿が選に漏れることもあるわけだ。各号ごとか、各コーナーごとか…。方針としてどちらを選択すべきか迷ったが、各コーナーごとに最高のものを選ぶことにした。

 30日、起床後、10時過ぎまで各コーナー別にまとめる作業をした。そして、10時30分に鎌倉に向けて出発だ。例年、この時期には職場のバンドの新年会が鎌倉に1泊というかたちで行われるのだ。何しろ、すでに50年からの歴史があるバンドだからOBも多い。そうしたOBの大先輩たちもたくさんやって来る。というより、OBの方が主役の感がある新年会なのだ。(汗)

 その中では、私などヒヨッ子もいいとこだ。生まれたときから私の事を知っている人も多い。OBの中には親父もいるからだ…。(笑) もっとも、宴会につきあって、夜は麻雀をすればいいわけで、ちょっと肩身の狭い部分もあるが、そんなにいやな場ではない。編集作業ができないということだけが、問題なだけだ。もっとも、今回はノートパソコンを持参して、ヒマなときに作業を進めたが…。(おいおい。汗)

 31日、10時頃に鎌倉を出発し、昼過ぎには自宅に着いた。前夜は麻雀でほぼ徹夜だった。結局、午前5時までやってしまった…。(汗) 負けていたので、挽回したいという気持ちがあったから、自分からやめようとは思わなかったが、さすがにちょっと朝がつらかった。

 帰宅後は各コーナーごとに候補原稿を並べ替える作業を続けた。しかし、単調な作業のため、途中で疲れてくる…。気分転換にかつて一刻会で作成したオリジナルビデオを探し出して見た。内容は1991年2月と1993年2月の会報編集の模様を面白おかしくまとめたものだ。

 いずれも、かつて一刻会の集会で上映したものだが、このわずか2年間で編集メンバーがガラリと入れ替わっている。その中間に位置する1992年、私が入会したその年は、まさに、一刻会にとって過渡期であったと言える。それは同時に「うる星」「めぞん」時代からの旧来のファンと「らんま」以降からの新たなファンとの分岐点と言えるのかもしれない。結局、このビデオについ見入ってしまって、並べ替えは翌日に残ってしまった。(汗)

 2月1日、今年ももうまる1ヶ月が過ぎてしまった。早いものだ…。昼休みにようやく候補原稿の並べ替え作業を終え、帰宅後はいよいよ振るい落とし作業にかかった。ここでも、完全に絞り込むのは無理だろう。実際、2月号(95号)〜7月号(100号)の原稿も対象になるのだから、いま完全に確定することはできない。できるかぎり進めておくだけだ。

 まあ、そっちの方はそれでいいのだが、ちょっと気がかりなことが出てきた。参加している「うる星」「らんま」「犬夜叉」の各MLからのメールが30日、15時49分のメールを最後に一切届いていないということだ。その時刻は、私は鎌倉に行っていてアクセスしていない。当然、脱会の手続きなどするはずもない。メールサーバの障害ということも考えられるが、他のメールは届いている。うーむ、どうしたのだろう?(汗)

 2日、朝、気になったので、3つのML宛にメールを出してみた。すると「〜メーリングリストメンバではありません〜」という内容の返事が返ってきた。やはり脱会状態になってしまっていたのだ。これはどうしたことだろう? メンテナンスのミスだろうか? それならまだいいのだが、何者かが私のメールアドレスを悪用して脱会手続きをした可能性もないとは言えない。だとしたら、ゆゆしきことだ。とりあえず、帰宅後にこたちゃんにメールを出すことにして出勤した。

 帰宅後はまず、ここの更新作業を行った。といっても、気まぐれモノローグのほかはちょっとだけだ。ここのところ、100号記念本の編集に集中しているので、なかなか他に手が回らない。しかし、精神的にも肉体的にも充実している。5日には「君がいるだけで」も読めるし、7日には一刻会会報の編集があるから、るみけっと(仮名)についての最新情報も入るかもしれない。

 そろそろアンケートに答えてくれた方々に連絡をしなればなるまい。よい情報が得られるといいのだが…。

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