飛鳥杏華の気まぐれモノローグ

<2004年>

2月24日(火)

 転院早々、インフルエンザで寝込んでしまった飛鳥…。母にうつすのを避けるため、1週間面会を控える。ところが、その間に母が新しい環境になじめず、淋しがり、家に帰りたいと泣き出してしまう。元気なときは、そんなに淋しがりやだなんて気づかなかった…。

 1月28日〜2月4日、インフルエンザで2日間仕事を休んだあと、出勤はしたが、咳が出てくる。母にうつすとまずいので、しばらく面会を控えていた。ところが、その間に事態は急変していた。妹からメールがあり、母が新しい環境になじめず、家に帰りたいと言って、毎日泣いているというのだ。転院して看護師もみんな変わってしまった。知ってる人がいない中で、まだ声が出せないから周囲の患者たちと打ち解けることもできない。余計に孤独感が募ってしまったのかもしれない。そんなときに、私が1週間も面会に行けなかった…。

 元気な頃、「もし、年とってボケたりしたら、施設に入れて、1ヶ月に1回も会いにきてくれればいいよ。」なんてことを言っていた母…。だから、そんなに淋しがりやだなんて気づかなかった。前の病院では、面会時間以外は眠っていればよかった。眠っている間に時間が過ぎて、またすぐに面会時間がやってきた。ところが、こんどは療養型になり、日中はずっと起きているように癖をつけさせられる。面会時間が来るまでが、感覚的にものすごく長く感じられるようになってしまった…というのもあるのだろう。

 まだ咳はおさまらない。しかし、放ってはおけない。昼休みに職場の売店でマスクを買う。私はマスクが嫌いだ。違和感で集中できないし、マスクから漏れる息で眼鏡がくもるのが嫌だ。だから、風邪をひいても絶対マスクはしなかった。咳がひどくて、周囲から非難されても絶対に…。(口のまわりにピンクと緑の縞模様でもできないかぎりは…。笑) だが、そうも言ってられない。とにかく、顔を見せてやらなければ…。もっとも、病院の前まできてからマスクをつけたのだが…。(笑)

 仕事帰りで、もう19時半だったので、母はすでに床に就いていた。肩を叩くと目を覚まし、「来てくれたの…。」と笑顔を見せた。あれっ、声が出てる。いつの間に…? 結構しっかりした声だった。私の顔を見たからなのだろうか? 妹が言っていたように泣いてるという雰囲気はなかった。しかし、話しているうちにズレてくる。記憶が…。(汗) 20年も前の記憶で話している。今の家に引っ越す前のお隣さんのことを言っていたり…。いつの間に…? 声が出て、よく話すようになったのはうれしかったが、ボケが…。(汗)

 2月5日〜2月6日、咳もおさまってきて、連日、仕事帰りに母のところに寄って話をする。記憶の状態にはどうやら変動があるみたいで、ちゃんと最近の記憶で話しているときもある。脳の手術をしているのだし、闘病生活も長くなっている。その辺のことは、ある程度しかたないと割り切るしかないのかもしれない。いちいち気に病んでいてはこれから先、身が持たない。とにかく今は、淋しさを感じないで済むようにしてあげることが先決だ。行けるときは、できるだけ顔を見せてやって…。

 2月7日〜2月8日、休日になって、ようやく長い時間面会できた。しかし、まだ1人でいるときは淋しいようだ。たいていは、テーブルに突っ伏したまま何もせずにいる。声が出るようになったのだから、周囲の患者たちと話でもすればいいと思うのだが、どうも自分からは声がかけられないらしい。周囲の人は逆に、母がそうしてテーブルに突っ伏しているので、声がかけにくいのだろう。食も相変わらず細い。というより、妙な被害妄想に陥ってしまっている。

 病院の食事は、決まった時間にしかないのに、朝食を8時と10時に2回もとらされて、12時に昼食…。しかも、私が来ないから、私の分も合わせて6食も出されて、残したらもったいないから全部食べてるんで、夕食が食べられないのだと言うのである。我々家族が前の病院のときから、食事をもっと食べるように言ってきたのが、そういうかたちの被害妄想になってきてしまったのだろう。家族の気持ちとしては当然のことが、本人に思わぬプレッシャーをかけていたのだ。元気づけるのも、ほどぼとにしてあげないと、かえってつらい思いをさせてしまうんだな…。

 まず、無理に食べさせられているという気持ちを取り除いてあげなくてはいけない。それと、病院の決まりで、家族が弁当などを持ち込んで一緒に食べることが許されていない。家族と一緒に食事ができないことも、母にとっては淋しいことだった。話ができるようになったことで、そういうことが次々とわかってきた。持ち込みがダメなら、母の食事を一緒に食べるのはOKか? どうせ、食べきれずに残すのだし、横にいて同じ皿の料理を一緒につついてやれれば、一緒に食事がしたいという気持ちも少しは満たしてやれる。

 看護師に相談すると、どのくらい食べたかを毎回記録しているので、本人が食べた量をちゃんと申告すれば…ということでOKが出た。ここからしばらく、休日は一緒に夕食を食べるようになる。もっとも、それがそんなに長く続くことはなかったが…。

 2月9日〜2月13日、平日はもっぱら仕事帰りに病院に寄る。次の土曜日に長野へスキーに行くので、そのことも話しながら、ちょっとした代替サービスのつもりもある。長野では1泊するが、日曜日の夕食には間に合うように帰ってくる予定である。どうせ毎度、スキーは土曜日だけだし、翌日、昼まで遊んで帰ってくればちょうどいい。月曜日に仕事が休めるともっとよかったのだが、残念ながらそこまでは…。(汗)

 建国記念の日、祝日はリハビリがないことを知らずに、あるものと思って昼過ぎにに病院に行ってしまう。どんなリハビリをしているのか、どのくらい回復しているのか見たかったので、リハビリがないのを知ってがっかりしたが、その成果を思わぬかたちで目にすることになる。

 看護師に付き添われてトイレに行った母が、トイレから自分の車イスを押しながら歩いて出てきたのである。看護師に片腕を支えてもらってではあるが、転院した当時は、両腕を支えてやって数歩前に出るのがやっとだったのだから、驚くべき回復と言える。精神的にはかなり落ち込んだりしていたが、肉体的には順調に回復していることがわかり、安心を通り越してちょっと興奮した。これでスキーに行っても心配ないな。(こらこら、勝手に正当化するな…。笑)

 2月14日〜2月15日、土曜日の朝、あさま1号で長野へ向かう。長野からは友人の車に同乗して、5人でスキー場へ。今回は、割引券が手に入ったこともあって、あまり大きくない穴場のスキー場へ。リフトもコースも少ないが、すいてるので気兼ねなく滑れる。今回はビデオカメラも持っていたので、ときどき撮影しながら楽しんだ。3人でトライアングルを作って、リズムを合わせて滑ってくるところを撮ったりして…。(笑) スキーのあとは、もう2人加わって温泉につかり、食べ放題の夕食…。満喫の1日だった。

 翌日は10時からボーリング。そしてカラオケ…。昼食をとって東京へ。予定どおり、夕食までに病院に着いた。前もって日曜日には来ると言っておいたのに、スキーに行ったから来ないと思っていたと言う母…。まだまだ記憶がダメだな。まあ、逆の記憶になるよりはマシか…。

 2月16日〜23日、平日は帰り際に病院に寄り、休日は夕食前から面会終了まで病院にいるというのがパターンになってくる。仕事が終わらない日もあるから、平日は毎日というわけにはいかないが、ほんとに10分程度でも寄れそうなときは寄るようにした。

 私が行ったときは、たていて笑顔を見せる。ご飯食べないとおなかすくから早く帰れと、私のことを気遣う余裕すらある。ところが、妹にはかなり愚痴をこぼしているらしい。看護師や周囲の患者の悪口を言ったり、私が帰り際に来ていることについても、あんな時間に来ても意味がないと言っているとか…。

 以前は、そんな人の悪口を言ったり、少しでも顔を見せようと努力しているのに「意味がない」なんて、そんなことを言う母ではなかったのに…と、妹はかなりショックを受けていた。私も、意味がないと言われてしまうのはつらかったが、今は精神状態が普通じゃない。被害妄想的になっているのだから、ここは耐えるしかない。精神的に安定するまでは…。まあ、私の前ではそういう態度を示さないのでまだいいが、妹がちょっとかわいそうだな…。

 2月24日、仕事を休み、昨年末から申し込んでいた「高齢者体験セミナー」に参加する。老人介護の実習もあるということで、妹と2人で申し込んでいたのだが、妹は都合がつかなくなり、私だけが参加することになった。

 最初は講義…。主に要介護者の心理とそれに対する接し方が中心だ。続いて、室内での介護実習。ベッドからの起こし方、車イスへの乗せ方、車イスで坂や段差を上り下りする練習など…。車イスの扱いなどは、実際これから必要になってくるだろう。午後は、体中に重りや関節が曲がりにくくする装具、視野が狭くなるゴーグルなどをつけて高齢者がどういう状態で生活しているかを体験した。

 建物の中を歩いたり、街頭に出て横断歩道を渡ったり、自動販売機で買物をする動作をしてみたり…。やってみると、自動販売機に小銭を入れるのもひと苦労だ。販売機の下に出た商品を取るのはもっときつい。これまでは、お年寄りが販売機の前でもたもたしてると、ついイライラしてしまったが、これを体験してみるとそうなってしまう理由がよくわかる。さっさとやりたくてもできないのだ。これで文句なんか言われたら、たまらない…。

 セミナーは16時前に終わり、その足で母のところに行く。そして早速、セミナーで習ってきたことを実践する。母の場合、精神的な不安が大きい。それを解消してやるために、スキンシップを多めにすることにする。実際、しゃべれるようにはなったものの、まだ声が小さいので、口元に耳を寄せないと聞き取れない。このときに肩を抱いたり、背中をさすったりして、決して見捨てたりしないから大丈夫だよという気持ちを伝えてやる。

 食事は、先日から続けているとおり、食べることを求めず、一緒に食べてやることで家族と一緒に食事をしているという喜びを少しでも与えてやるようにする。実際、これは効果が出てきた。一緒に食べると食が進むと母も言う…。食事のあとは歯磨きに連れていく。前の病院にいた頃はまだ手がほとんど使えなかったから磨いてやっていたのだが、今はもう自分で歯ブラシを使える。もっとも、まだまだ下手くそだから少し手伝ってやるが、できるだけ自分でやらせてやる。できるという自信をつけさせてやるのだ。

 これからしばらくは、そういう生活が続いていくことになるだろう。しかし、この病院にいられるのは原則として3ヶ月だ。そろそろまた転院先を探さねばならない。まったく、落ち着く間もない…。落ち着きたければ特別養護老人ホームということになるが、順番待ちが大変らしいし、まだ71歳で老人ホームというのもかわいそうだよな…。家で面倒みてやれればいちばんいいのだけれど…。

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