飛鳥杏華の気まぐれモノローグ

<2003年>

12月30日(火)

 危機が去り、回復が少しずつ進んでいく母…。そろそろ療養型病院に転院して、リハビリ生活に入ることを勧められるが、あてがない。転院先探しであわただしい中、冬コミに突入…。今回は、マジで落ちてよかった…。(しみじみ)

 11月26日〜11月29日、髄液排出が安定し、母の意識はしっかりしている時間がほとんどになった。そろそろTVやラジオ(CDラジカセ)などを持ち込んで刺激を与えた方がいいと言われた。そこで、古い小型のTVのほこりを払い、病院に持っていけるように準備する。パソコンでTVを見るようになるまで、私が部屋で使っていた11インチのポータブルだ。

 脇に貼ってあるシールを見ると、82年製とある。20年以上も前の品だが、しっかり現役である。買ったのは、多分、1983年の1月頃だったろう。その頃、父が入院していた。やせていた父が(父にしては)短期間に太ったため、頚動脈が圧迫されて脳に血液がいきにくくなり、息苦しさを感じてしまうという症状だったのだが、まだその頃ははっきりとした原因がわからず、心臓病の疑いということで入院していたのである。

 母に頼まれて秋葉原でこのTVを買い、雪の降る中、駅から病院まで長い坂道を登ったのを、今でもはっきり覚えている。そのTVが今度は母の病室にいくことになる。たまたまのめぐり合わせであるが、20年以上も(細かい破損はあるものの)壊れずにきたのは、音無のじいさんの言葉ではないが、「この日のため」だったのかもしれない。(などと、強引にるーみっくネタと結びつけたりして…。笑)

 念のために映りを確認するが、アンテナ線をつなぐとしっかり映るものの、アンテナ線なしだと砂嵐である。家と病院とでは電波状態が違うだろうが、期待できるレベルではあるまい。病室にアンテナの端子はなさそうだったから、室内アンテナを買わねば…。もっとも、室内アンテナをつけても、そんなには期待できないだろうが、砂嵐では話にならないしな…。

 11月30日、母が倒れる前夜に下描きをしていた一刻会会報向けのベタパロ漫画2ページを持って、一刻会の会報編集会へと出かける。原稿が仕上がったのがギリギリだったので、郵送が間に合わなかったからだが、理由はともかく、久々に編集会に出られてうれしかった。作業をしながらする雑談が、やっぱり楽しい。結構、その場のひらめきでいいネタが出てくることもある。たいてい、その場かぎりで終わってしまうのが、ちと残念だが…。

 予定より終了が遅くなってしまったが、帰りがけに友人に案内してもらって新宿で室内アンテナを買った。ブースターつきのちょっとよさそうなのだ。が、家に帰って試してみると、あまりブースターの効果が感じられなくてがっかり…。私が使っているブースターを加えて強化しても、かなりざらつく…。まあ、こんなところが室内アンテナの限界なのだろうか? ないよりは遥かにマシだけれど…。

 12月1日〜8日、3日(水)に休暇をとってTVを病院に運ぶ。自転車の荷台につけてあるバスケットに何とか収まってくれて助かった。私は車を持っていない。東京23区のJR沿線に住んでいると、普段は車の必要性を感じない。渋滞とか考えたら、電車の方が正確で便利だからだ。が、こういうときはさすがに車があればなぁと思う。もっとも、車があっても免許がないが…。(苦笑)

 ここのところ、休日は自転車で病院に行っている。地下鉄と都電を乗り継ぐのが面倒だし、運賃も積もればバカにならない。いい運動にもなるし、最短距離で行けるので、その方が早く着けるのだ。帰りにそのまま商店街で買物ができるのも利点だ。電車だと、いつも利用しているスーパーが遠いし…。(って、結局は楽してる? 笑)

 さて早速、母の病室にTVをセットする。自宅よりは電波状態がいいが、それでもざらつく映りでしかない。が、これ以上、どうにもしかたあるまい。とりあえず、母がよく日中に見ていた番組を見せてあげて欲しいという貼り紙をTVの側面に貼り付け、看護師さんにも口頭でお願いしておいた。夕方来た妹や叔母も、これがいい刺激になるだろうと期待を膨らませていた。

 とろこが週末、病院に行くと、TVは病室の端っこの方に片づけられていた。確かに、食事のときに使うテーブルの上に置いてしまったから、そのままでは困るということかもしれないが、まるっきり邪魔物のように片づけられてしまっては納得がいかない。刺激が必要だからTVをと言ったのは医師なのだし…。

 その話があったとき、病院の売店でTVをレンタルしてるからと勧められたのを蹴って、自宅からTVを持ってきたから…、金にならなかったからなのか…? 母の命を助けてくれた医師や病院を悪く言いたくはないが、前の床屋の一件といい、どうもなぁ…。(汗)

 一方この間、母の食事は離乳食のような液体から、おかゆと細かいきざみに変わってきた。叔父から聞いた話だと、おやつのバナナを手に持って食べていたらしい。が、普通の食事はまだまだ食べさせてやらないと無理だ。最初は看護師に任せていた食事の介助だが、家族がやってもいいということで、ここしばらくは叔母がやるようになっていた。

 しかし、叔母が毎回食事時に来れるわけではない。これからも先が長いし、少しずつでも慣れた方がいいと思い、私もやってみることにした。が、やってみるとこれがなかなか難しい。元気な人とは違うから、食べたものを飲み込むまで時間がかかるし、ときどきむせてしまう。なかなか飲み込めないときは、お茶を飲ませて何とか飲み込ませる。結構、根気が必要だ。

 倒れてから2ヶ月ほど、ずっと点滴だけだったから、やや太めだった母の体もすっかり痩せこけて、ふくらはぎの筋肉など、ぺらぺらで無いに等しいような状態になってしまっていた。こんな足で、再び立って歩けるようになるとは思いにくい。だから、まずは食べて筋肉を戻してもらわねばという思いが強い。だが、まだまだそんなには食べられない。私の食べさせ方が下手? かもしれないな…。(汗)

 それでも、母の回復はしっかり目に見える。7日(日)には、何とかお茶を自分の手で飲もうと試みるようになった。結局、支えてあげないと無理だったが、少しずつ力が戻ってくれば、自力で飲めるようになるのも時間の問題だろう。食べる方もそのうち自分でできるようになるに違いない。ちょっと希望がわいてきた…。

 12月9日〜12日、ようやく希望していた差額のかからない5人部屋に母が移った。が、事前に移るという話を聞いていなかったので、ちょっとあわてて病室を探してしまった。妹からの話では、外科的な治療行為はもう終わったので、そろそろ療養型の病院に転院した方がいいと勧められたそうである。最近はどこの病院でも治療行為が不要となった患者は発症から3ヶ月、療養型の病院でも6ヶ月しか入院させてもらえないらしい。ようするに、そろそろ出ていってくれということか…?(汗)

 でもまあ、確かにここまできたらリハビリで機能回復に専念した方がいい。ここ半月の回復はめざましいし、この時期にやっておかないと…というのは間違いないだろう。とはいえ、療養型の病院と言われてもあてがない。我々が住んでいる区内にあるのかどうかすらわからない。こちらでも調べてはみるが、とりあえず主治医に任せてあたってもらうことにした。

 母の状態の方はというと、9日から筆談を開始した。妹からのメールによると、まだまだ手に力が入らないし、脳の言語野にも若干の障害が出ているようで、ほとんど読める字にはなっていなかったらしいが、1つだけ「めいわくかけたね」と読めたのがあったということだった。

 この週は、私が夕食の介助をすることが多かった。19時前に病院に着くのだが、そこで叔母と交替して介助を引き継ぐというかたちだ。が、私が食べさせるとあまり食べてくれない。叔母の話によると、全部食べるときもあるということだから、やはり私の介助が下手なのか…。まあ、朝食、昼食をちゃんと食べているのなら、そんなに心配はしなくてもいいのだろうが…。

 12月13日〜14日、筆談が始まってからというもの、何か言いたいことがあると筆談を要求するようになった。が、相変わらず読めるものがほとんどない。かろうじてわかるのが「トイレ」という言葉…。自力でトイレに行きたいということなのだ。

 体が動かないから、ずっと大人用の紙おむつをしている。だがら、別にトイレに行く必要もないのだが、理屈ではないのだ。わかっていてトイレに行けないことが、とてももどかしいのだろう。時折、体を起こしてくれというしぐさをするので、上体を起こしてやると、ベッドの縁の手すりにつかまって立とうとするようになった。まだまだ無理だから、結局は断念するが、その気持ちが回復意欲につながっているようだった。

 そして、14(日)の夕食時、初めて自力でお茶を飲むことに成功する。初めはスプーンですくって口に運ぼうと試みていたのだが、スプーンの先が下がってしまってなかなかすくえない。そのうち、湯のみを両手で持ち、口元に持っていく。なかなか位置が合わず、苦労していた。が、私はあえて手伝わず、湯のみを落としたときに備えて下で受け止める用意だけをしていた。そして、ようやく…。その後、何度か自力でお茶を飲んだ。

 食事の方もスプーンですくって自分で食べようと何度も試みる。しかし、やはりスプーンの先が上がりきらず、すくっても口に運ぶ前に落としてしまう。何度かトライして、結局は私が介助してやることになるのだが、もう時間の問題だろう。(微笑)

 12月15日〜21日、療養型の病院をネットで調べてみる。と、いくつか候補が見つかった。が、私と妹と叔母が通えるところとなると候補が絞られてくる。妹と電話で相談し、22日(月)にそのうちの1つの病院に行ってみることにした。そんなこともあろうかと、日曜日と天皇誕生日の間のここに休暇をとっておいたのだ。(笑)

 そろそろクリスマスなので、ミニチュアのクリスマスツリーでもないかなとコンビになどを見てみるが、なかなかいいものが見つからない。と、愛知県在住の叔母がいいクリスマスツリーを贈ってくれた。母にとっては末の妹にあたる人だが、ファッションとかこういうことに関してはセンスのいい人だ。母も喜んで、「クリスマスツリーありがとう」と読める字で書いた。

 この週は仕事が忙しく、病院に着く頃には夕食も終わっていて、しばらく介助する機会がなかったので知らなかったのだが、この間にまた母の回復は進んでいた。土曜日、久々に夕食時に病院に行くと、いきなり自分でスプーンを使って食べはじめる。よくこぼすので、あごの下で受け止める用意はしたが、最後まで介助は必要なかった。このことは叔母も知らなかったので、もしかするとこの日が初めてだったのかもしれないが、いつの間にここまで…。

 翌、日曜日にはお椀を左手に持って食べることにもトライしたし、箸も少し使ってみた。食後には、盛んに車イスから立ち上がりたがるので、体を抱きかかえながら立たせてみた。まだまだ筋肉のない細い足では、立った状態を維持できないが、少しずつでも足にかかる重みを体感して、立つ感覚を思い出してもらおうと思ったのだ。本当は医師の許可もなしにこんなことしてはいけなかったのだろうが…。

 12月22日〜27日、月曜日には予定どおり療養型病院のケースワーカーに転院の相談に行く。が、そこでは現状機能維持のリハビリしかしていないと言う。ほとんどの病院がそうで、積極的な機能回復のためのリハビリをやっている病院はきわめて少ないらしい。母の場合、まだしゃべれないので、言語機能回復のリハビリも必要だ。が、言語のリハビリをやっている病院もきわめて少ないと言う…。(汗)

 が、ここで思わぬ病院の名が出てくる。私と妹の勤め先の付属病院である。もともとは職員の診療のために設立されたものだが、近年は広く一般患者も受け入れている。父がやはり職員だったので、私も妹もその病院で生まれた。近年、リハビリ科ができたことは知っていたが、職員の間では病院自体の評判があまりよくなかったので、候補にはまったく考えていなかったのだ。が、そここそが母にぴったりの病院だったのである。

 そうとなったら話が早い。そこは妹の勤め先のすぐ隣りなので、昼休みに相談に行ってもらい、翌年早々に転院のための検診を受ける運びとなった。とりあえずは、ひと安心である…。これで落ち着いて冬コミに参加できることになった。(って、こんな状況でも参加するのか? 笑)

 12月28日〜30日、冬コミ突入だ。期間中は、いつものとおり地方から上京する友人たちと同じホテルに宿をとっていたが、売り子として参加する日以外の日中は病院に行くことにしたのである。まあ、とりあえず、両立を計ったわけだ。(笑) なので、初日はゆっくり起き、午後から母のところに行き、夕方、ホテルにチェックイン。そこで友人たちと落ち合い、横浜の中華街へと繰り出した。

 食事前には整体と足つぼマッサージを初体験。だが、整体の方はあまり効果を感じなかった。時間も短かったが、効いたとか、矯正されたとかいう感覚が全然ない。たまたま私の担当が未熟だったのかな? ぎっくり腰とか結構やってるし、整体が不要な体ではないはずなのだが…。(苦笑)

 足つぼは、結構効いた。特に腎臓のつぼが…。腎臓の機能は正常なのだが、疲れがたまると腎臓のあたりにくる。肩はこらない代わりに背中(腎臓のあたり)がむくんで、肉布団でも巻いているような感覚になるのだ。そして、疲れのたまっている日は、頻繁に尿意をもよおす。それだけ、腎臓に負荷がかかっているということなのだろう。よく壊れずにがんばっているな、私の腎臓…。(笑)

 2日目は、朝からコミケ会場へ…。一刻会の売り子である。一刻会も自分も新刊がないから、売れ行きがどうとか気にするコミケではなかった。買う方もトーンと知り合いのサークルの本程度。まあ、置かれている立場からしてもはしゃげる要因はないし、静かにささやかな友との交流の時を楽しんだということだが、決して物足りないということはなかった。

 コミケ終了後は蒲田で焼肉とカラオケのオフ会…。ちょっと遅れてくる別グループとの待ち合わせで手間どったが、無事に落ち合い、楽しいオフ会となった。新しい顔や、久しぶりの顔もあったし…。

 3日目は、またゆっくり起きて、日中は母のところへ…。コミケ終了時刻に合わせて会場に行き、そのままお台場に流れてオフ会となる。この日は、インド料理店で思わず松田優作…。「ナンじゃ、こりゃあああっ!?」(笑) 食事後、大阪に帰る友人たちを見送りに東京駅に寄り、宿に戻る。これから、ずっとこういうコミケになるんだろうな…。

 でも、無理して会場を歩き回るよりはいいかもしれない。もう、体力的にもきつくなっているし、サークル参加の日以外はオフ会だけ楽しめば…。淋しいこと言うようだけど、40代になってみなよ…。ホントに体きついんだから…。(苦笑)

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