飛鳥杏華の気まぐれモノローグ

<2003年>

11月25日(火)

 オフ会への参加、原稿の執筆、即売会への参加…。母のこと中心に回ってきた自分の生活の中に少しずつ時間を見つけて動き出す。以前のように好き勝手はできないが、何もかも捨ててしまう必要もない。マラソンでも給水できるのだし、ときどきスペシャルドリンクを飲ませてもらってもいいだろう。(笑)

 10月29日、母はまた病室を移った。ナースステーションの向かい側の二人部屋(一般病室)である。やっと一般病室に移れた。が、喜んでばかりもいられない。差額ベッド代がかかる…。できれば4人部屋にしてもらいたいところだが、順番待ちの状態らしい。とりあえず、希望だけは出しておいて、待つしかないか…。

 一般病室に移ったことで、面会時間は14時から20時までとなった。おかげで仕事をフルにやってからでも寄れる。早速そうしたのだが、遅い時間に行ったら、眠ってしまっていて起きなかった。最初、疲れてしまったのかなと思ったが、よく見るとまた頭に入れた管がなくなっている。ただ、ベッドの上半分を立てて、上体を起こした状態になっていたので、もしかしたらこの状態で自然に髄液が体に流れるかどうか試しているのかもしれないと思った。

 10月30日、また午前中に病院から呼び出される。と、想像したとおりだった。ここ2日ほど髄液の自然排出の可能性を試したが、残念ながらダメで、頭にたまってきてしまった。そこで思い切って、髄液を排出する管を体内に埋め込み、腹膜に吸収させる手術をすると言う。この手術については、いずれ必要になるだろうと前から言われていた。ただ、髄液に出血の残骸が混じっている状態では、すぐに詰まってしまう危険性があるからできなかったのだ。

 ここへきて髄液も澄んできているし、併発していた肺炎による熱もおさまっているので、この日を逃さずにやってしまいたいということだった。小指の先ほどの小さなポンプを左耳の後ろあたりに埋め込み、そこから左の首、肩、胸の皮膚の下を経て腹膜まで管を伸ばす。通常は1度手術すれば、一生そのままということだ。まあ、いずれ必要なのだし、今がいいタイミングなら…。せっかく伸びてきた髪をまた剃らなければならないのが、ちょっとかわいそうではあったが…。

 17時過ぎからやはり2時間程度の手術だった。手術後はまた集中治療室に入るのかと思っていたのだが、元の病室に戻された。集中治療室が満杯だかららしいが、そういうもんなんだろうか? 相変わらず、病院の対応にはちょっと不信感を抱いてしまう。後日、頭を剃る際に床屋に依頼したからということで、料金を請求された。私は「頭を剃るので、床屋を呼んでいいか?」と問われて確かに同意したが、有料だという説明は一切なかった。看護師にやらせれば無料なのだ。そういう選択肢が提示されてしかるべきであろうに…。

 10月31日〜11月1日、手術後の髄液の排出は順調らしく、意識もはっきりしてきた。これで安心してオフ会にも参加できるし、3日にはまた長野県上田から母の長兄たちが来る。これまでも遠方からきてくれたときは状態がよかったので、今度も多分…。もっとも、意識がはっきりしないときも、手足は動かしていた。指の動きはダメだが、最近は腕を重力に逆らってかなり高く上げることもあった。髄液さえしっかり排出されれば、体はしっかり回復してきているとみていいのかもしれない。

 11月2日、午後からめぞん一刻ファンのオフ会に参加する。最初はボーリング。しかし、他の参加者とはちょっと差が出すぎた。久しぶりとはいえ、まあそれなりに経験はたっぷりなもので…。(っていっても、168だったんだけどさ…。汗) ただ、最初に普通にやってしまったあとで、わざとらしく下手に振舞うのは失礼だし、自分自身もストレスがたまってしまうし…、許してくだされや、おのおのがた…。(苦笑)

 続いてまんだらけ渋谷店を物色して歩く。特に私にとっては収穫はなかったが、「めぞん」吊り広告ポスターなど、収穫のあった人も若干…。ボーリングを2ゲームで切り上げたこともあって、宴会の予約時間まで間があいてしまった。もう1ゲームしてもいいところだったが、指に引っかかり気味でちょっと無理して投げてる感のある人もいたので、あそこでの切り上げは正解だったと思う。しかたないので、まんだらけの向かいの喫茶店でお茶を飲んで、歓談しながら時間をつぶす。

 と、参加者の1人がコレクションを披露してくれた。荷物になるし、あまり見せびらかしのようになると嫌だからと思ったのだが、こんなことなら私も少しは持ってくればよかった。レアなものは現物を見る機会さえ少ないわけだし…。次回があったら考えるとしよう…。ここで、遅れてきた1人と合流。総勢6名で宴会へ…。

 普通なら、この宴会がメインとなるのだろうが、このオフ回ではまだまだ中間点でしかなかった。メインは最後の徹夜カラオケである。宴会のあと、そのカラオケまで時間があいてしまったので、ダーツとビリヤード(9ボール)で時間をつぶす。何とも盛りだくさんなオフ会だこと。ビリヤードも久しぶりで、空振りやスクラッチを頻発したけれど、1対1で3回やったうち、2回勝ってしまった。相手の方がずっと実力は上なのに、ラッキーだったな。(9ボールはこれがあるから…。笑)

 そして、いよいよ徹夜カラオケ。6人で9時間ぶっ通し歌い倒す。もう、順番などの遠慮は無用である。問題は朝までのどとレパートリーが持つかどうかだ。(笑) 当初は睡魔の心配をしていたのだが、歌ってる間はちっとも眠くならなかった。ドリンクも飲み放題だし…。ただ、カラオケが終わって朝食となると、さすがに疲れがどっときた。朝食後に解散…。とりあえず、自宅に帰って午後まで寝ることにした。

 11月3日、夕方まで寝て、17時頃に病院に行く。が、叔母とともに来るはずの伯父(母の長兄)一家がなかなか来ない。30分以上も遅れて来たので随分やきもきしたが、無事母と対面できた。この日もやはり母の状態はよかった。本当にこういう日に合わせて整えてるのかな? 前2回とも、そのあとに反動がちょっとあったから、心配なのだが…。(汗)

 11月4日〜8日、オフ会での無理がたたったのか、ちょっと風邪をひいてしまった感じだ。朝はのどが貼りつくような痛みがあるし、ときどき軽い咳が出る。仕事には全然支障はないが、肺炎がまだ治りきっていない母にうつしてはまずい。しばらく、面会を控えることにした。が、その話を聞いた母は眉間にしわを寄せて、とても心配そうな表情をしたらしい。そんなに悪くなく、母にうつさないためだと聞いて、表情が戻ったそうだが、逆に心配されてしまうとは…。(何ともなさけない…。汗)

 それでできた若干の時間を利用してイラスト原稿に取りかかる。オフ会の直前に依頼があった人魚本(18禁)のイラストだ。締め切りがきついので、間に合うかどうかという問題もあったが、母の方もそれなりに安定してきたので、1枚くらい何とかなるだろうと思って引き受けることにしたのだ。が、なかなかいい構図が浮かばない…。私に18禁のイラストというのは…、根が健全なだけになぁ…。(いや、マジっすよ。笑)

 11月9日、咳も出なくなり、朝方ののどの痛みもおさまってきたので、久しぶりに面会に行く。面会を控えていた間の母の状態は、最初はよかったのだが、後半はあまりよくなかったらしい。この日もやはりあまりいい状態ではない。ほとんど寝ていて、起こすと一旦は目を開けるが、またすぐに寝てしまう。また髄液の排出がうまくいっていないようだ。ポンプの圧を調整したので、これからはよくなるだろうという話を妹経由で聞いたが、まだよくなっているようには見えなかった。(汗)

 これで様子をみて、ダメなようなら入れなおしになると言う。うーむ、できることなら、そう何度も手術しないで済ませたいが、そうしないとダメならしてもらわないといけないし…、家族としては複雑だ。それに、20日から1泊で彦根に出張だ。手術があった場合、そこにぶつからなければいいのだが…。まあ、そこしかなければしかたないけれど…。

 11月10日〜16日、ここから母の状態が好転してくる。ようやくポンプの効き具合がよくなったのか、意識もはっきりしてきた。もう何度も繰り返してきたから、まだ安心はできないが、とりあえず再手術の必要はないとのことだった。が、今度は妹が熱を出して寝込んでしまった。私とは違って、かなり本格的な風邪らしい。みんなそれなりに疲れが出てきているのだと思う。時期がずれてくれてよかった。

 イラスト原稿の方は構図も決まり、ペン入れまで進んでいたが、その途中でどうしても気に入らない部分が出てきて、全面的に修正を施したので、当初の締め切りには間に合わず、即売会・豪華犬乱3の会場で手渡しすることになった。18禁ということで、最初は結構えっちな構図を考えてあれこれもがいてみたのだが、どうにもやはり私には本格的な18禁は無理と割り切り、以前から目指していた美しいヌード画という路線でいくことにした。

 それにあたって、かなり前に買ったまま使えずにいた背景用のトーンを使うことにした。ほぼ全面、背景はこのトーンに頼ってしまうので、手抜きと言われれぱ確かにそうかもしれないが、以前からこのトーンを使ってイラストを描いてみたかったのだ。買った当時は、犬夜叉か殺生丸あたりと思っていたのだが、なかなか使う機会に恵まれなかった。そういう意味では、トーンに頼ってはいても、渾身の作品と言えるだろう。イメージした構図を実現するために、トーンを選び、使いこなすのも技術だと思うし…。 (などと、偉そうに言ってみたりして…。笑)

 11月17日〜18日、仕事が忙しくて母の面会にも行けないし、原稿を描く余裕もない。彦根への出張を控えているが、そのための準備もままならない。こうなると、身の回りの世話をしてくれる人のありがたみがよくわかる。「だから、もっと早く嫁さんもらっておけばいいものを…。」などと上司や同僚は言うが、そんな簡単にもらえるものならもらっているさ。う〜む、オークションで落札できるものならなー。(って、こらこら…。笑)

 11月19日、午前中に病院から電話があった。最初の手術前にしたのと同じ脳の血管撮影をして、術後の経過を確認したいということだった。結果は面会時間に説明するので、それまでに病院に来て欲しいと…。おかげで、仕事を早引けする口実ができた。(ラッキー! 笑) 今回は、いつ動脈瘤が再破裂するかわからなかった前回とは違い、それほど危険は伴わない。落ち着いて病院に向かうことができた。

 病院に着くと、もうすでに検査は終わり、破裂した動脈瘤がきれいに消滅したことが先に着いていた妹と叔母に告げられていた。そして、もうしばらくしたら車イスに乗せられるかもしれないと…。ここしばらく停滞していたように思えた回復が一気に進んだ感じだった。ただ、呼吸が弱いのと、痰を自力で出せないために気管切開していて、酸素吸入をしている状態なので、車イスに乗れても部屋の外には出られないが…。(この管が早くとれてくれるといいのだが…。)

 11月20日〜21日、前日の検査結果により、晴れ晴れとした気持ちで出張に向かう。少し早めに着いて、ちょっとだけ彦根城のあたりを歩いてから現場に着く。午後からは仕事、そして夜は交流会である。恒例行事とはいえ、そんなに酒が強いわけでない身にはつらいものがある。結構酔って、宿に戻るとすぐに寝てしまった。同僚はそのあとも遊びに行ったらしいが、行かなくて正解だったかも…。結局、やつらは朝帰りで二日酔い。朝飯も食えないありさまだったし…。(笑)

 11月22日、原稿の仕上げにかかる。ベタと修正、そしてトーン貼り。結局、午前3時すぎまでかかったが、何とか完成した。心配していた空と海のトーンの継ぎ目も結構自然にこなせた。トーンに頼りまくりだが、使いたいトーンをうまく使えたことで、自分としては満足できる原稿だった。これで、翌日の即売会に出かけられる。もっとも、委託販売を請け負っていながら、サークル参加できなかったから、ちょっと後ろめたさが残る。結果的には申し込みさえしていればサークル参加できる状況になっただけに…。

 ただ、あの時点では、現在の状況は予測できなかった。何より、母の生死がわからない状況で、即売会の申し込みをするだけの余裕はなかった。時間的には(手術の間の待ち時間とか)あったけれども、精神的に…。母の開頭手術中にサークルカット描けるほどの「鋼の無神経」は、さすがに持ち合わせていなかったから…。普段は結構、無神経なとこあったりするけれども…。(苦笑)

 11月23日、午後から「豪華犬乱3」に一般参加する。イベントそのものを楽しむというより、原稿の手渡しが目的というのが、何ともイベントの主催者方には申し訳ないのだが、今の自分には余裕がないのも確かだ。せめて、原稿が仕上がって渡せることと、そういう目的ながらもイベントに行けたことを喜ぶとしよう。などと言いながら、しっかり夕食とカラオケまで楽しんで帰ったが…。(笑)

 会場で仕上がった原稿を依頼主に渡す。イベントの終盤でようやく出来を見てもらったが、その瞬間、出てきたリアクションが「エロっ!」だった…。(汗) そ、そんなにエロくないと思うんだけどなー。(汗) まあ、18禁本なんだから、それは褒め言葉と受け取っておこう…。(笑)

 11月24日〜25日。火曜日、病院に行くと、母が車イスに座っていた。ちょっと感動的なシーンだった。あとで妹に聞くと、月曜日から車イスに座っていたと言う。たまたま月曜日は、私が着く前にベッドに戻ってしまったらしい。食事も始まっていて、乳児の離乳食のようなものを与えられているらしい。直接会話は気管切開してるので当分ダメだが、体を起こせるようになったのだから、そろそろ筆談も始められるかもしれない。とりあえず、一息というところだろう。

 もっとも、ここまで来たら来たで、また大変なことが出てくるにちがいあるまい。何もかもが初めての体験なのだ。手探りで試行錯誤しながら進んでいくしかない。先が見えないのは不安だが、早々とよくないかたちで先が見えてしまうのも嫌だ。何とも複雑だな…。(苦笑)

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