飛鳥杏華の気まぐれモノローグ

<2003年>

10月28日(火)

 母の手術から1週間、2週間、3週間、そして1ヶ月…。ドタバタあり、浮き沈みあり…。それでもなんとか、大きな危機もなく過ぎてきた。しかし、ここから先が精神力を要求される闘いになる。回復の停滞への苛立ち…、張り詰めていた気持ちが緩んで、疲労が一気に押し寄せてくる。そろそろ少し息抜きが必要かな…?

 10月1日、この日も朝は通常どおり出勤…。妹からのメールで母が目を開いたという叔母からの報告を聞く。とりあえずはよかった…。夕方、ささやかながら期待を持って病院へ…。しかし、着いたときには目は開いていなかった。医師が母の肩をたたいて声をかけると、半分ほど目を開く…。我々を認識できているのかよくわからないが、確かに目を開いた…。医師は今週いっぱいが山場だと言う。そして、血管収縮の影響による脳梗塞の度合いがどの程度になりそうかだいたいの判断ができるのが2週間後くらい…。もちろん、そこまで持てばの話だが…。

 まあ、何にしてもここまではいい方に推移してきているし、そんなに悲観したものでもなかろう。もちろん、これからもいい目が出てくれるとはかぎらないが、あれだけ病院へ運ぶのが遅れたのに、ここまでことごとくそれを帳消しにしてきてくれた母の強運が妙に心強かった。母方の祖母(すなわち、母の母親)というのがまた強い人で、80歳過ぎで胃潰瘍の手術を受け、医師は1%もないと言っていたのに見事に生還したばかりか、手術後、麻酔がさめるとすぐに筆談を要求したという逸話の持ち主である。その血を継いでいるのだから…。(笑)

 10月2日〜10月6日、一旦は目を開いた母だったが、いよいよ血管の収縮が始まったのか、また目を開けられない状態に戻ってしまう。しかも、1日に何度か39度以上の高熱を発するようになっていた。水頭症を防ぐよう、髄液を抜くために入れている管から感染して髄膜炎を起こしている可能性があるとのことだった。しかし、水頭症の危険を考えると管を抜くわけにもいかない…。いずれにしても、この週末が山場だと言われた。顔や手がむくんでパンパンなのが何とも痛々しい…。

 医師の話によれば、意識レベルは手術直後より1ランク下がってしまったということだ。CTで見たところ、破裂した血管の周囲に少し脳梗塞が見られるという。だがそれでも、よくないなりにその状態で安定していた。そんなこともあって、あまり沈んだ気持ちにはならずに済んだ。面会時間の関係で毎日のように1時間休暇をもらってはいたが、出勤して仕事をしていたことも余計なことを考えずに済んでよかったのかもしれない…。

 そして迎えた週末…。しかし、何事もおこらず、安定していた。目は開かないが、声をかけるとわずかながら反応して手足を動かす。声をかけたり、体をたたいたりして刺激を与えるのはいいことなので、どんどんしていいと言われた。とはいえ、そんなに強くたたけるものではないが…。(叔母は、結構遠慮なくたたいていたけれど…。汗)

 10月7日〜10月10日、再び母が目を開く。血管の収縮がいくらかおさまってきたということだろうか? とりあえず、山場と言われた週末を乗り切ったのだし、少しは回復のきざしが見えはじめたと思っていいのかもしれない。が、医師は相変わらずあまりいいことは言ってくれない。あくまで、次の週末を乗り切って、2週間持つこと…。そこがポイントだ。

 髄膜炎(の疑い)からくる高熱も依然として続いている。そうした合併症も怖い…。自宅で戻したときの影響か、肺に大きな白い影が出ている。肺炎を起こしているらしい…。最初の山を越えても、心配の種はまだまだ尽きない…。

 10月11日、最初に運ばれた病院への支払いの都合もあり、午前に休暇をとって面会に行った。と、この日の状態はいままでになくよかった。何度か明らかに「笑顔」と認識できる表情を見せ、声は出ないものの、口と舌を動かしてしきりに何か話そうとした。この週末でちょうど2週間…。最悪の危機は去ったのかもしれない。

 いままで最悪の可能性のことしか言わなかった医師が、治療の方針やリハビリのことなど今後のことを初めて口にした。閉ざされていたカーテンが開き、朝日が部屋の中に広がっていく…、そんな感覚だった。しかし、恐らくこれからが長い闘いになるだろう。最悪の結果はとりあえずなくなったとしても、どこまで回復してくれるかは未知数だ。脳の疾患だし、少し脳梗塞も起きていると言うし…。

 ここまでは結構順調にきている。医師もあの出血のひどさにしてはかなりいい状態できていると言う。だが、毎日ぐんぐん回復というわけにもいかないだろう。ある程度までくれば必ず停滞する時期くる…。逆戻りすることもあるかもしれない。そこを根気くクリアしていくことが大切なのだろう。TVのCMでも言っているとおり、まさにゴールの見えないマラソンになりそうだ。

 10月12日〜10月13日、連休を利用して長野県の塩尻から伯母(母にとっては兄嫁にあたる)が上京した。せっかく遠路はるばる来てくれても、意識がはっきりしなかったら申し訳ないと思っていたのだが、この日に合わせたように前日から状態がよくなってくれてよかった。伯母も思っていたよりもずっといい状態になっていたことを喜び、満足して帰った。しかし、早くも回復はひとつの壁にぶち当たることになる…。

 10月14日〜10月15日、昼に妹からメールがあり、母が午後から集中治療室を出ることを知る。といっても、ナースステーションのすぐ隣りで、依然として面会時間は15分ずつの制限のある病室だ。それでも、また1歩進んだという気持ちがしてうれしかった。早速夕方、移った病室に行く。ところが、あまり状態はよくなかった。目は開くものの、どこを見ているのかわからない。病室を移ったりして環境が変わったし、伯母が来たときにがんばりすぎて疲れたのだろうか?

 しかし、翌日も状態は好転しない。ふと、水頭症になるのを防ぐために髄液を抜いていた管が母の頭からなくなっているのに気づいた。部屋を移ったときに抜いてしまったのだろうか? もしかして、抜いたまま入れ忘れた?(汗) 不安が広がる…。近頃はやりの医療ミス?(汗) まさか…とは思うが…。(汗、汗、汗…)

 10月16日、午前中に病院から緊急に話がしたいことがあると電話が入る。タクシーで病院に行くと、内容はやはり水頭症のことだった。医師の説明では、管が詰まってしまったから抜いたという。母の頭の中には出血の残骸がかなり残っている。これが管を詰まらせたらしい…。だがその後、髄液がかなりたまってきてしまっているので、手術室が空き次第、管を入れる手術をしたいという話だった。急に呼び出されたので何事かと心配したが、麻酔も含めて2時間程度の危険度の低い手術ということなので安心した。

 17時頃、母は病室から手術室へと運ばれる。それまで、何もすることなく待たされて、いい加減疲れたが、手術室の前まで付き添ってもいいということだったので、そうした。と、ここのところあまりはっきりと目を開かなかった母だが、いきなりベッドからストレッチャーに乗せられて驚いたのか、いままでになくはっきりと目を開いていた。もっとも、意識まではっきりしているわけではないらしい。声をかけてもあまり反応はなく、虚空を見つめている。ただ、手を握ると、軽く握り返してきた。

 手術室に入ってまもなく、叔母と妹が到着した。手術は予定どおり2時間ほどで終わり、母は再び集中治療室に入った。変な話かもしれないが、病室を変わってから調子がよくなかったので、集中治療室に戻れてかえって安心した。(笑) 術後の説明を受け、時間外だが少し面会する。これで意識もはっきりしてくるだろうとのこと…。とりあえずはひと安心というところだった。この日は…。

 10月17日、昼前に妹から電話が入る。昨日手術で入れた管がうまく入ってなかったらしく、緊急再手術との連絡が入ったと言う。昨日は私が行ったので、この日は妹が午後半日の休暇をとって先に病院に向かい、私は目先の仕事だけ片づけてから駆けつけた。まあ、手術の危険度は低いのだが、1日でやり直しというのは穏やかでない。うまく入ってなかったって、どういうことなのだろう? うーむ…。(汗)

 そんな不安が顔に表れていたのだろう。病院に駆けつけたときの私の顔は青ざめていたらしい。そこまで心配はしていなかったつもりだったが…。もっとも、病院側の説明は一貫性を欠いていた。電話で呼び出された際、妹は確かに「前日入れた管がうまく入っていなかったから…。」と聞かされたのに、病院に来てみると「そんなことはない。管が詰まってしまったから、別の位置から入れなおすのだ。」と言われたと…。言った医師が違うので何とも言えないが、ちょっと不信感が募る…。

 とはいえ、病院を移るとか、なかなかそういう選択はできない。あてもないし、執刀医がいちばん母の脳の状態を知っているわけだし…。とりあえず、ちゃんとやり直してもらえたなら、それで母の状態が好転したなら、よしとするべきかなと…。妹と叔母は、かなり不満をあらわにしていたが…。

 手術は早く終わり、一旦術後説明の際に面会し、17時半の面会時間に再び面会した。面会時間にはもう麻酔もさめていて、意識もしっかりあった。翌日、長野県の上田と愛知県に住んでいる叔母(母の妹)2人が来ることになっていたので、その前に意識がはっきりしてくれてよかった。ちょっと直前でバタバタしたが、これで落ち着いてもらえれば…。

 10月18日〜19日、2人の叔母が面会に来る。集中治療室には2人ずつしか入れないので、交替が忙しかった。先週もそうだったが、遠方からきてくれたときはなぜか状態がいい。声は出ないが、しきりに何か言おうとするし、笑顔も見せる。意識してがんばっているのだろうか? だとしたら、大したもんだ…。もっとも、それでまた週明けにぐったりしてしまわないか、ちょっと心配だったが…。

 10月20日〜28日、髄液が排出されるようになって、意識がはっきりしている日が多くなった。顔や手のむくみも、大分引けてきたし…。集中治療室を出て、再びナースステーション脇の病室に移る。前回と違って、明らかによくなっての移動なので、不安はなかった。が、やはりまだ波はある。せっかく面会に行っても、全然目を覚まさずに寝ているときもある。そういうレベルで安定しているとも言えるし、回復が停滞しているようにも見える。まあ、ここまでの回復が早かったから、つい変化がないことに苛立ってしまうのだろうが、ちょっとストレスがたまる…。

 日々の生活も自分としてはかなりまじめにやってきている。もっとも、それ自体が無理なのだろう。少しは息を抜かないと持たないのに、がんばり過ぎてるのかもしれない。だんだんこなせていたこと1つ1つが遅れてくる。朝はそれをこなすために起きる時刻が少しずつ早まり、夜は寝る時刻が少しずつ遅くなる…。そろそろどこかで抜かないと…。自分が先につぶれてしまってはどうしようもないし…。

 そこで、11月2日のめぞん一刻ファンのオフ会に参加することを最終的に決断する。母が入院する以前から参加は表明していたのだが、母の入院でどうしようか迷っていた。一旦は断念…。だが、すぐには不参加を表明せず、ギリギリまで状況を見ていた。母の状態は停滞気味ながらも安定してきたし、妹と叔母も少し息抜きしろと言ってくれるし、遊べばそれなりに疲れるけれど、好きなことをして精神的に解放されるのは悪くないだろう。

 そんなわけで、母の入院から1ヶ月…。まだ、肺炎と発熱は続いているので、油断はできないところだが、とりあえず生命の危機は去ったように思う。だが、これから先が長い闘いになるだろう。ここまでは張り詰めてきたが、そろそろ緩めて先の長いマラソンに入らないと…。あんまり緩みすぎてもいけないが…。(笑)

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