飛鳥杏華の気まぐれモノローグ

<2003年>

2月25日(火)

 前半のイベントは約5年ぶりのスキー。思っていたよりも滑れて大満足…。後半はいよいよるみけっと4へ向けての準備…。展示用のセル画の収集と選定、プレゼント品の選定、CRうる星やつらの調整など、やることは山ほどあるのだが…。(汗)

 1月29日〜2月7日、久々のスキーが目前に迫ってくる。元々は昨年夏の大阪で一刻会の集会の古い写真を見たことから始まった。かつてのスキー集会の写真から、久しぶりにスキーしたいねという話が盛り上がり、長野在住の友人にお願いして企画を進めてもらったのだ。が、日程の都合で当の大阪の面々が参加できなくなってしまった。なかなか日程について意見が出なかったので、私が強引に進めさせてしまったのがよくなかった。(汗) 来年はなんとかうまく調整したいと思うが…。

 それはそれとして、直前の土日に用具のチェックをする。5年も使っていなかったが、板の状態はそれほど悪くなかった。しかし、靴が死んでいた。真っ白くカビていてみっともないので、ボロでふいていたらバックルが2つ、もろくも欠け落ちてしまったのだ。ダメだこりゃ…。(汗) というわけで、自前の用具での参加を断念。ウェアだけ持参して、板、靴、ストックはレンタルで済ますことにした。年に1回行くかどうかのスキーのために新調するのはさすがにちょっとね…。(汗)

 2月8日、集合時刻の9時に合わせて新幹線で長野に向かう。見事に晴れた。私の普段の行いがいいせいだろう。(ホントか? 笑) 揃ったところで車で戸隠スキー場へ…。以前、一刻会のスキー集会でも来たスキー場だった。まずはスキーのレンタル。5年の間にスキーの流行も、常識もすっかり変わっていた。それまではスキー板の長さの基本は身長+10cmで、うまい人ほど長い板をはいたものだった。長くなればなるほどスピードは出るが、逆にターンがしにくくなり、コントロールに技術を要するからだ。

 私の身長は170cmちょっとだが、5年前までは190cmの板をはいていた。しかし、今の基本は身長−10cmだ。店員に160cmの板を渡されて違和感を感じたが、久しぶりだし、ターンのしやすいこの方がいいかもしれないと思った。いつもふくらはぎが太いために難儀する靴選びもスムーズにいき、まずは最初のリフトで上がってひと滑り。久しぶりなのでちょっともたついたが、すぐに慣れてきた。そして上へ…。いい天気で、八ヶ岳の向こうにかすかに富士山も見えたので、そこで記念写真など…。

 さすがにもうこぶ斜面に果敢に挑戦する気にはなれなかったが、結構斜度のあるところも滑った。夕方近くになると上体が前傾をとりきれなくなってきて、うしろに煽られ気味になって腿に負担がかかることもあったが、思っていたよりも気持ちよく滑れた。長い板を長年はいていたのが、短くなって楽になったというのも多分にあるのだろう。午後からはちょっと曇ってしまったが、久しぶりのスキーに満足できた。

 一旦宿に戻り、夜の到着組と合流して地蔵峠の温泉へ。露天風呂にのんびりとつかって、いざ食い放題の夕食へということだったのだが、ちょっとのぼせてしまって食欲がなくなってしまった。(汗) しかたないので、焼肉はやめてデザートばかり食べ放題した。そのうちだんだんペースも戻ってきて、結構食べたかもしれない。(笑) こうして初日の日程は終わり。宿に戻って床に就いた。

 2月9日、この日は妖しいグッズのお店回りとカラオケだ。最初、ボーリングに行く予定もあったのだが、混んでいたので断念した。(本音はボーリングがしたかったのだが…。涙) 一時は麻雀という話もあったが、さすがにそれも時間がなかったし…。そして夕方の新幹線で東京へ。とてもいい気分転換になった。

 2月10日〜2月22日、スキーの余韻に浸りながら、まったりと時を過ごす。そろそろるみけっと合わせの原稿も描かないといけない頃だ。一刻会がるみけっと合わせで久々に新刊を出すことになった。3月に入るとるみけっとそのものの準備が本格化するし、入稿時期を考えても今月中に描かねば…。しかし、そんな雰囲気ではないな…。(汗)

 2月23日、るみけっと4のサークル配置作業のため豊田へ出向く。集まったのは大人5人に幼児2人…。幼児は戦力にならないし、代表の奥さんはその子供2人の世話で作業には加われない。4人で作業だ。基本的にるみけっと4のメインスタッフはこんなものである。あとは日頃のよしみで当日のお手伝いをしてくれる人たちで成り立っているのだ。即売会部分と事務手続全般、広報などを代表夫妻が担当し、サイドイベントの企画と実行を私が担当する。そして、常時サポートしてくれるのが2人くらいという陣容である。

 そんなもんでよくイベントができるなと自分たちでも感心してしまうが、逆にその気になればイベントは開けるものだという証でもある。ただし、将来的にもこのままでいいというわけではない。代表も私もどんどん年をとっていく。スタッフをすれば、どうしても本の売り買いやサイドイベントへの参加はそれなりに難しくなるけれども、みんなを楽しませるイベント作りに参加してみたいという人に出てきて欲しい。

 20歳くらいの頃、私は故・手塚治虫先生のファンとして活動していた。その頃、サイン会やファン大会などのイベントとなると必ず現れてその場を仕切る人がいた。当時、大都社という出版社の編集長をしていた篠田さんという方だ。編集長だから本当は偉いのだが、とても気さくで、我々がタメ口をきいても嫌な顔せず、先生と我々をつなぐ兄貴分のような存在で、我々若かったファンは随分お世話になったものである。先生に会えるのはもちろんだが、篠田さんに会えるのもまた大きな楽しみだった…。

 今の私がいるのは、あの篠田さんのおかげだと思う。私は篠田さんから受けた恩を、下の世代のるーみっくファンにとって篠田さん的存在になることで返そうとしているのかもしれない。そうしようと心に決めて行動してきたわけではないし、篠田さんのような先生との間のパイプを持っているわけでもない。とても篠田さんに及ばないのはわかっているが、あのとき感じた楽しい思いを下の世代に少しでも感じてもらうことができたらと思う。今すぐには無理でも、いずれるみけっとの影響を受けた世代が、さらに下の世代に楽しみを提供してくれるようになれば…。

 すっかり脱線してしまったが、サークルのレイアウト自体は比較的早く決まった。問題は委託参加が多く、委託スペースがどーんと長くなってしまったこと。そして、その端に1サークルだけ並ばなければならなくなったことだが、それは代表自身のサークルである一刻会にすることですんなり解決した。まー、そうなるのはしかたないところだろう。次に、ジャンル分けしてそれぞれの配置を決める。配置が決まったら、カタログの編集としてサークルカットの貼りこみに入る。そこまでやってこの日の集まりは終わりだ。とりあえずご苦労さん…。

 2月24日〜25日、配置が決まると1週間でカタログ編集である。ページ数の穴に合わせるように原稿を作るのが私の役目だ。(笑) 今回はサークル配置図とCRうる星やつら体験コーナー、るみけっと資料室へのお誘い、プレゼント抽選会の4つで計6ページだ。毎年、この1週間が大変なのである…。昨年まではこっそり職場で印刷していたが、今の職場でそれは難しい。(って、冬コミ新刊のロゴやネーム打ち出しはやったけど…。笑) ということで、前の週にレーザープリンタを新調しておいた。

 ついでに職場で使い慣れたワープロソフトも導入しておいたし、そっちは何とか乗り切れるだろう。それより問題なのは一刻会の新刊に載せる原稿の締め切りがカタログ編集の翌週だということだが…。かなりもうやばいな…。陰の締め切りとか、裏の締め切りなんてないのかな…? 物理的に厳しいんだが…。(汗)

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