飛鳥杏華の気まぐれモノローグ

<2003年>

1月28日(火)

 年が明け、ゲーム三昧で始まった2003年…。成人の日に絡んだ3連休には大阪へ…。そんなことをしている一方で、本業の方は泥沼状態…。前任者のミスの対処に追われてどんどん自分の仕事が遅れ、自転車操業状態に追い込まれていく。現実逃避もしたくなるわな…。(汗)

 1月1日〜3日、大晦日の夜から(もちろん、途中に飯食ったり、風呂入ったり、寝たりはしてるが)ずっと「萌えよ剣」を続け、3日の夜に最初のクリアを果たした。とりあえず初めてのプレーなので、特に意図は持たずにプレーし、3人の女性隊士に対しては平均的につきあったつもりだった。が、最後のところで選択できる相手は沖田1人だった。思い返してみれば、沖田と会うことが多かったし、ポイントとなりそうなところで、沖田を選択した部分もあった。

 この手のゲームは、途中の進め方次第で最後が変わるのだろう。だから、狙いを変えて何度もプレーできるわけだが、RPG形式というのは戦いが延々と続くので、あまりそういうのを好まない人にはつらいだろうなと思う。こうしたマルチエンディングのゲームというのは、確か1982年頃から出はじめたと記憶している。その黎明期に自分も移植という立場でかかわっていた。今となってはなつかしい思い出である。

 20年も前は、ゲーム機用よりもパソコン用ゲームの方が主流だった。ファミコンは出ていたが、まだソフト面が弱く、子供のおもちゃ的なイメージが強かったのである。当時のパソコンには今のように統一されたOSがなかった。メーカーが違えば当然違うし、同じメーカーのパソコンでも機種が違うとOSが違っていたので、ソフトの移植というのが結構重要な仕事となっていたのだ。1つの機種で人気の出たソフトは、他の人気機種用も出さなければユーザーが黙っていない。私の担当はNECのPC-8001mk2とシャープのX1という機種だった。

 当時はまた、個人で作ったゲームをソフト会社に売り込むことができた時代でもあった。パソコンのプログラマー自体が希少な存在で、企業が人材を抱えてゲーム開発をするという体制がまだ作れなかったからだ。作画ツールなども満足なものはほとんどなかった時代である。拡張メモリなんてなくて、メインメモリは64KBしかなかった。64GBでも64MBでもないぞ。たったの65536バイトだ。しかも、そのすべてが自由に使えたわけではない…。8ビット機が主流で、16ビット機は高嶺の花だったし、8ビット機のCPUクロックはわずか4MBだ。(今考えると、ものすごい時代だろ? 笑)

 そんなハードの制約があったからこそ、逆にその中で最大限のパフォーマンスを引き出すことに没頭したりもした。いかにサイズが小さくて処理スピードの速いルーチンを作成するかが重要だった。メモリ1バイトは血の1滴と言われた時代である。各マシン語命令の使用ステップ数まで比較しながらプログラミングしたものである。(いや、ホントにマジなんだって…。笑)

 プログラムやデータの読み書きもフロッピーディスクすら普及していなくて、カセットテープから何十分もかけてロードしたものだ。そのスピードたるや、NECのPC-8001系では600bps、PC-8801系でも1200bpsだった。通信なんて300bpsが標準だった時代である。だから、ゲームの途中でプログラムやデータのロードが頻繁にあるなんてことは顰蹙ものだった。そのためにいかに一気にプログラムとデータをメモリ上に読み込んでしまうかにも苦心した。

 読み書きスピードをソフト的に操作して、その機種本来のスピードより早くする裏技も使った。PC-8001mk2は600bpsが本来の読み書きスピードだったが、当時のシリアルインターフェイスである8251に送るデータのフラグ操作で1200bpsになるようにした。市販のゲームでそんなことをしたのは、多分私が初めてだったのではないだろうか。もっとも、機種メーカーの規格外のことをやらせてるので、他のソフト会社はエラーが起きたときの保障の問題などを考えて、やらなかったのかもしれないけれど…。(笑)

 まあ、その点私は恵まれていた。友人に紹介されて移植の仕事をしていたその会社は、そうした技術をどんどん売り物にしたがるところだったから…。それに600bps版もちゃんとカセットテープの裏面に入れて、リスク対策はちゃんとしていたし…。ただ、それでもかなり遅いのは確かで、もっと速くできないものかといろいろ試してもみた。シリアルインターフェイス8251は、9600bpsを実現できることを確認してプログラムを組んでみて、実際、9600bps(実際にはそれより遅かっただろうけど)での出力と記録に成功したのである。

 しかし、残念ながらそのデータは読み込めなかった。CPUクロックが4MBでは、9600bpsで送られてくるデータの読み込みに間に合わなかったらしい。(苦笑) CPUがもう少し進化していれば、当時としては画期的なことになっただろうに…。もっとも、すぐにフロッピーディスクに取って代わられてただろうけど…。(笑)

 その辺の話をすると延々と続いてしまうので話を戻すが、るーみっく関係では「うる星やつら 恋のサバイバルバースデー」というゲームがやはり初期のマルチエンディングゲームの1つだった。あのゲームが出たことで、私はもう個人で作ったソフトを売り込める時代じゃなくなったなと痛感して今の勤め先に就職したわけだ。そんなことをふと思い出してしまった。

 1月4日〜10日、あまり大したことはなかったが、大阪の友人が部屋が寒くて死にそーな雰囲気のことを自身のHPの日記に書いていたので、お古のホットカーペットを提供することにした。昨年の秋、部屋の模様替えをしていたときにお古があるのをたまたま確認していたのだ。昨年末からいろいろと災難に見舞われて、経済的にも苦しいようだったけど、新品買ってあげるとか言うと遠慮するだろうし、お古なら遠慮なく使ってもらえるかなと思って…。どうせこっちにあってもしまってあるだけなのだし…。

 1月11日、大阪に向かう。一応、名目上の主目的は劇団☆新感線の芝居を観ることだが、わざわざ大阪まで行くのはやはり大阪の友人たちと遊べるからだ。本音の主目的はそっちかもね。(笑) とはいえ、芝居の時間は決まっているから動かすことはできない。せっかくJR大阪駅で落ち合ったのに、すぐに1人だけ別行動だ。あんまりいい行動計画ではないな。

 そういう行動計画を立てた報いというわけでもなかろうが、劇場に向かう途中に迷子になってしまう。ホワイティー梅田のノースモールの方だというのは漠然と記憶していたのだが、はっきりと場所を確かめたわけではなかった。ノースモールの終点から地上に上がり、それからも結構距離があるとは計算していなかった。当然の結果として、開演に遅れてしまった。(泣) OPテーマ曲には間に合ったが…。

 芝居のあと、再び友人たちのグループと合流し、一緒に東京から行った友人のコスプレ衣装の材料買出しにつき合った。そして夕食…。このところ、大阪へ来ると串揚げだったので、今回は趣向を変えてパスタ&ピザ系で攻めてみる。食い放題ではないが、数種類のパスタやピザを頼んでみんなでつつくようにして食べた。こういうのもいいもんだ…。食事後は宿にチェックイン。それからも部屋でしばらくうにょうにょと(言えないようなことではないが、説明が面倒なので省略)してから床に就く。

 1月12日、待ち合わせてUSJ(ユニバーサル・スタジオ・ジャパン)へと出発。1人だけ来られなかったが、前日の友人たちとこの日は1日まるまるUSJで遊び倒しだ。大阪にはもう何度か来ているが、あまり観光目的というのはなかった。テーマパークとなると、野郎ばかりで行ってもつまらないし、わびしいばかりだから、余計行かなかった。なぜ今回行ったかといえば、つまり、そういうことだ…。(笑) ま、仲間うちに1人でも女性がいると華やいでいい。案内役を買って出た彼女が、いちばんうれしそうだったが…。(笑)

 水に濡れたり、爆発の炎がはでに上がったり、行ったことのある人ならわかると思うが…。(笑) とにかく閉園まで遊んでUSJ近くの中華料理店で夕食をとる。ここがまた遊び心旺盛な店だ。いきなり入口では合言葉を言わないと入れないし、ボタンを押すとドアだと思ってたところはフェィクで、本当の入口は別だったり…。店内ではいかにも大阪を感じさせるノリで客にツッコミを入れるにーちゃんが妙な乗り物に乗って巡回しているし、男子トイレの小便器も思いっきり妙だった。(笑) さすがに1日遊んで疲れたので、あとは宿に直行だった。

 1月13日、ホテルで朝食をとったあと京橋へ出る。初日に買いきれなかったコスプレ衣装の材料購入のためだ。そのついでに約束していたホットカーペットを地元在住の友人に渡した。途中、ゲーセンで遊んだり、大阪城にちょっと足を運んでみたり…。その途中によみうりTVがあって、前の通りに犬夜叉とコナンののぼりがズラっと並んでいるのも見た。大阪城のお堀には、なぜかゆりかもめが群れていた。そんな寄り道をしていたので、帰りの新幹線に危うく乗り遅れるところだった。なんか、毎回こんなことしてるな…。もう少し余裕をもって帰りたいところだが…。

 1月14日〜25日、楽しい3日間のあとに待っていたのは、ちょっとした行き違い。自分では意識していないところで、知らないうちに人を傷つけていたり、一生懸命言い訳したことが逆効果になって、かえって相手を責めたように受け取られてしまったり、人間関係って難しい…。ある程度わかり合ってると思っていた人との間でそういうことが起こると、これまでわかってると思っていたことが一気に疑わしく思えてしまって、すべてに自信がなくなってしまう。自分が勝手にわかり合えてると思い込んでただけだったんじゃないかって…。

 そうなることでさらに相手を傷つけてしまう。すべて自分の思い込みだったと決めつけてしまうことで、相手の気持ちまで否定してしまうことになる…。そうなのだ。卑屈になりすぎてもいいことは何もない。ボロボロの私など、誰も求めてはくれない…。調子に乗って、こだわって、自己満足を膨らませて仲間を楽しませることに夢中になって、そのために散財するのもいとわないアホな奴。そうでなくては…。いつもそうでいられるわけではないけれど…。

 1月26日、2つの即売会に一般参加する。朝から行くつもりがいろいろと手間どって昼頃の出発となってしまった。まずは「邪険にしないで」に行くつもりだったが、駅への道すがら、東京に来てるはずの名古屋の友人がどっちにいるかを確かめるために携帯に連絡を入れてみた。と、彼は「邪険にしないで」で里中あきらさんのハーブケーキのスペース前にいた。里中さんの厚意で本を委託させてもらっていたのだが、少部数だったのであっという間に売れてしまったらしい。間に合ったら追加を持ってきて欲しいと言われ、駅前から家にとんぼ返りとなった。

 結局、そのせいもあって会場に到着したのは13時半頃…。すでに即売会の方の人の出入りは落ち着いていたが、何とも参ったのが参加者の男女比率…。ある程度は予測していたけれど、女、女、女、そしてまた女…。私と名古屋の友人の2人くらいしか男はいない。(汗) そんなこともあったし、長居すると「マルトメ」の方に間に合わなくなる。ちょうど里中さんが14時で撤収するということだったので、便乗して退散した。

 さて、「マルトメ」はというと、すでに時間的に撤収してしまったサークルもあるのでかなり閑散としていた。しかし、雰囲気は格段にこっちの方が好みだった。ある程度古株のファン同士で濃い思い出話もできたし、売れる売れないよりもそういう楽しみの場のような感じだった。末期コミックぱいれぇつを思い出す。だが、残念ながらこのイベントは今回かぎりらしい。個人的にはこういうイベントの方が好きなのだが…。

 1月27日〜28日、楽しかったり、落ち込んだり、落差の激しかった1月だったが、とりあえず何とか乗り切ったという感じだ。2月には久々のスキーが待っている。楽しみと不安がちょっぴり…。ケガだけはしないようにしたいが、年だからなー。(汗)

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